2話 【現在】 私はそんな人間なんかじゃないっ!
【現在】
「(う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁぁっ……!?)」
私は頭を抱えていた。
「(なんでっ……!? なんでっ……!? なんで、どうしてっ……!?)」
さっきから同じ事が頭の中でぐるぐるぐるぐると巡り回っている。
決して言葉にはしない。しかし、私の頭の中で絶叫以上の雄叫びが絶え間なく広がっていた。
「(あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああぁぁぁぁぁっ……!?)」
今は勇者様達が学校に来てからの、勇者様達を歓迎する為の式典が行われていた。
学校で一番大きな講堂で、勇者カイン様が壇上に立ち、流麗な言葉でスピーチを行っていた。
「……先日の魔王軍幹部との戦いで、私の仲間であるシルフォニアとメルヴィとラーロが大きく負傷してしまいました。
全員が一命を取り留めたのは大きな幸運でありましたが、これを機に1年の休養を取ろうという決断を致すこととなりました」
勇者様達が学園に編入される理由は主に休養が目的であった。姫騎士シルフォニア様達の身体にはまだ痛々しい包帯が巻かれており、皆が勇者様達の体を案じていた。
「その中で体を癒しつつ、勉学に励むことが出来るこの国立の学園は非常に環境の良い場所でありました。
治療魔術の研究を促進することもでき、更にはこの国一番の学生たちと交友を深めることが出来る。とても有難い話を頂き、大変感謝をしております」
カイン様の言葉はとても流麗でありながら、聞く者の心をくすぐる様なとても美しい声をしていた。皆が顔を赤らめながら勇者様の方を見ている。
「私の仲間であるシルフォニア姫の国の一番の学園だけあり、私もここでの生活に胸を躍らせています。皆さま、是非私たちと仲良く付き合っていただければと思います。
宜しくお願い致します」
カイン様が頭を下げると、割れんばかりの拍手が行動を包み込んだ。
しかし、私は拍手が出来ない。拍手をしていられるだけの余裕が無かった。
「(なんでっ……!? なんでなのっ……!? どうして私はさっきあんなことをっ……!?)」
混乱状態であるかのようにぐるぐると激しい言葉が頭の中を駆け巡る。
拍手が鳴り響く中で私は少し顔を上げ、カイン様の方を見る。まるでカイン様と目が合った様な錯覚を感じ、恥ずかしくなってまた頭を下げる。
『パンツくださいっ……!』
それが先程、私が開口一番勇者様に言った言葉であった。
なんでだあ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁぁぁっ……!?
なんで私はあんな事を言ったあ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁぁぁっ……!?
ありえないっありえないっありえないっ、ありえないいぃぃぃっ……!
私がそんな事言う訳が無いっ……! そんな事言う訳が無いんですぅっ……!
カイン様に声を掛けられたその瞬間、私の中に激しい衝動が走ったのだ。抑えきれない程の情念が私の中で迸り、私の口は自然と開いた。
そうしたら私は勇者様に「パンツ下さい」と言っていたのだ。
なんでだっ……!?
なんでですかっ……!?
違うっ……! 違うんですっ……! 私はそんな人間じゃないんですっ……! 変態なんかじゃないんですっ……! 常に私は自分を律してきたというのにっ……!?
なんでっ……!?
なんであんな言葉が私の口から……!?
なんでなんですかあ゛あ゛あ゛あ゛ああぁぁぁぁっ……!?
私は自分に精一杯で、式典になんて集中出来る筈が無かった。
* * * * *
「はっ……!?」
気が付いたら教室にいた。
窓ガラスからは赤い夕暮れが姿を見せている。もう1日も終わりに近い時間だった。
私は教室の机に頬を付け、項垂れていたようだった。
時計を見ると勇者様歓迎会の式典は終わっている時刻だった。私は半分意識が無いままで今日1日を過ごしてきたのだった。
教室には誰もいない。
もう帰宅しているか、式典の余韻を楽しむためにまだ講堂に残っているか、勇者様たちのメンバーと共に2次会に出席しているかだろう。
少しだけ覚えている。勇者様達を歓迎する式典は長い時間行われ、立食式のパーティーも催され、その後クラスでの自己紹介がされ、そして歓迎会の2次会が始まっている様だった。
教室には夕暮れの熱い赤色が差し込んできている。
この1日一体私は何をしていたというのか。全ては「パンツ」という意味の分からない言葉のせいであった。
私は心の安寧を取り戻す為、もう一度机に額を擦り付けた。
その時だった。
教室の扉がガララと開く。
「ん……?」
「……え?」
顔を上げるとそこには勇者カイン様がいた。教室の扉を開けて、丁度ここに入ってきたところの様だった。
「ゆ、勇者様っ……!?」
「あ、リズ、こんなところで何をしているのかな……?」
今までもたれ掛かっていた教室の机に手を置きながら、私はがばっと起き上がる。
件の勇者様がそこにいた。頭がぼんと熱くなる。
「あ、あああ、あのあのっ……!? あの、あのですねっ……! カ、カイン様っ……!? ど、どうしてこのような時間に……!?」
テンパる。
「……僕は二次会を少し抜け出して休憩に来たんだよ。まさかリズがいるとは思わなかったよ」
「えっ……? あ、あのあの……名前……?」
私の名前を知っている……? いや、思い返してみれば荷物持ちの時もリズって呼ばれた様な……?
カイン様ははっと気付いた様に言葉を発する。
「あ、あぁ……。すみません。いきなり初対面で『リズ』っていうのは馴れ馴れしかったかな? これから宜しくお願いします、リーズリンデ様」
「あ、いえ……呼び方はいいのですが……何で私の名前を知っているのですか……?」
『リズ』という略称は私とかなり付き合いの深い人たちが私を呼ぶあだ名だった。まぁ、それはいいのだけど……。
カイン様は困ったように頭を掻いていた。
「あ、あー……そっちか……ええっとだな……、教職員の方に聞いていたんだよ。君は歴史の深い由所正しい侯爵家の人間だって聞いたから……同じクラスメイトとして覚えておこうと思ってね……」
「は、はぁ……」
どうも言い訳臭い言葉を受け、返しに困る。しかし、それ以外で私の名前を知っている理由は無いように思われた。
「あっ、あのっ……! あのですねっ……! カイン様っ……!」
私は大声でカイン様に呼びかけた。
「さっきのは違うんですっ……!」
「ん……?」
カイン様がきょとんとする。でもこれだけは言っておかなければならない。
訂正しないといけなくて、私は必死なのだ。
「先程の『パンツください』ってのは言い間違いなんですっ……!」
「え……?」
「本当は……『パン作って下さい』って言おうとしたんですっ……! あのっ、食用の普通のパンをっ……!」
「逆になんでっ……!?」
カイン様に驚かれた。
「いや、僕、パンなんて作ったこと無いんだけどっ!?」
「そ……それでも私、カイン様の作ったパンが食べてみたくてっ……!」
「意味が分からないっ……!」
カイン様は眉を顰めながら驚愕していた。
それもそうだろう。私だって意味が分からない。何故初対面の勇者様にパンをねだるのか? 全くもって意味不明のおかしな子である。
私は視線を逸らす。
でもっ……!
でも『パンツください』よりは100倍ましな筈だっ! こっちは全くもって意味不明のおかしな変態の子になってしまう!
それだったら全くもって意味不明のおかしな子の方がずっとずっとましだ。
そもそも、私が『パンツください』なんて言う筈が無いんだ。
きっと何かの間違いだったんだ! だから、必死で訂正しないといけないんだっ……!
「わ、私っ……! 勇者様はパン造りの才能に溢れていると思うんですっ……!」
「そんな事を言われたのは初めてだよっ……!?」
「きっと……きっと勇者様のパンは世界を救うんだと思うんですっ……! きっと……!」
「なにそのパン恐いっ……!」
支離滅裂になっていく。
でも私は必死である。引き下がるわけにはいかない。
変態だと思われたくないっ……! 私は健全な人間なんですっ……!
私は『パンツください』なんて言ってないんですっ……!
自分に強くそう言い聞かせるっ!
「ま、まぁ、リズ……落ち着いて……」
カイン様が手のひらを前に出しながら私を制止する。
「いいから。別にあの発言については何とも思ってないから」
「そ、そうなのですか……? し、しかし……」
「ああいった発言には慣れてるから、僕達……」
「慣れてるっ!?」
『パンツください』って言葉を言い慣れているのっ!? 勇者様達っ……!?
「ど、どういう事ですかっ……!? 『パンツください』って日常的に言って来る人がいるんですかっ……!? パーティーメンバーに変態さんでもいるんですか……!?」
「ま、まあな……」
「品性を疑いますっ……!」
誰だっ!? その人っ!? 勇者様達はなんて過酷な旅を送っているのかっ?!
「わ、私が外から口を出すのもどうかとは思いますが……何とかした方がいいと思いますよ!? その人!?」
「……同意が得られて何よりだ」
カイン様はそう言うが、しかし何故か彼は軽蔑のこもった目で私の事を見てきていた。
……? なんでだろう? なんで私がそんな目で見られるのだろう?
私の勘違いかな?
「ところで、あー……今更ではあるんだが……」
「はい?」
カイン様は頭をポリポリと掻きながら、少し言い辛そうにして口ごもる。
なんだろう? 今更?
「君がさっきまで座っていたその椅子と机……」
「はい?」
「そこ……僕の席なんだけど……」
「え……?」
教室を見回す。
確かにここは私の席じゃなかった。私の席はこの3つ隣の2つ前だ。
そしてここは転入生用の席。つまり今はカイン様の席であった。
……先程まで呆然自失となっていたが、記憶の隅で確かに思い出せる。
勇者様達一行の歓迎会が終わった後、この教室に集まって同じクラスメイト同士、カイン様に自己紹介をしたのだ。
その時にカイン様が座っていたのがこの席であった。
「…………」
「…………」
沈黙が過ぎる。
……というと、なんだ? 私は呆然自失となりながらも、わざわざカイン様の席に移動してから項垂れていたのだろうか? 自分の頬や額をカイン様の机に擦り付けていたのだろうか……?
……あ、ちょっと涎垂れてる。
顔が一気に赤くなるのを感じた。
「…………」
「…………」
「……う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああぁぁぁぁぁっ!?」
悲鳴を上げざるを得なかった。
「ち、ちち、違うんですっ……! これはっ……! 違うんですっ! 違うんですっ……! ま、間違えたんですっ……! 本当ですっ……! 何かの間違いなんですっ……!」
「いや、うん、いいんだ……。そういう奇行には慣れてるから……」
その励まし方はやめてっ……!
私が言えた義理じゃないんだけどっ……!
「違うんですっ……! こんなの、私……違うんですっ……?! 私こんなんじゃっ……! ま、魔族の仕業ですっ……! きっと全て魔族の仕業なんですぅっ……!」
「まぁ……確かに魔族の力のせいだろうなぁ……」
そう言いながらもカイン様は私から目を背け、呆然と遠くを見つめていた。
全身が恥辱で震える。顔が真っ赤になって、熱くて熱くて堪らない。恥ずかしさで死んでしまいそうになる。
涙が溢れた。
「う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛んんんんんんんんんんっ……!」
「あっ……!? リズっ!? おい、リズ……!?」
私は涙と鼻水を垂らしながら走り去った。
一体何が悪いのだろう? 全部私のせいなのだが、しかし、どうしてこうなってしまったのかが全然全く分からない。
「おぉいっ……! リズーっ……!」
カイン様が制止の声を上げる。しかし、立ち止まる訳にはいかない。
遠く遠く……夕暮れの方向に向かって走って逃げて行った……。
なんで……なんで一体こんなことに……。こんなことを……。
私の受難と悦楽の日々は始まったばかりだったのだ。
『パン作って下さい』
→『パンツ食って下さい』
綺麗なBGM聞きながら書く話じゃないなぁ……、と思った今日この頃。