19話 【現在】 色街に迷い込む(1)
今日から終わりまで毎日2話投稿です。
本日1話目。
【現在】
フォルスト国立学院の女生徒アイナは焦っていた。
「ぐぬぬぬ……」
頭を抱えながら悔しそうに歯ぎしりをしている。
彼女は先日、学院の保健室でとある光景にばったり出くわしてしまった。
勇者カインと同じ学院の女生徒リーズリンデが抱き合っている姿だ。
それもただ抱き合っているのではない。リーズリンデの方は上半身裸で、ブラジャーのみの姿となって抱き合っていたのだ。
彼女の顔は赤く、熱がこもっていて、勇者カインに対して快楽のおねだりをしていた。
誰がどう見たって行為中の男女であった。
「ぐぬぬぬぬ……」
アイナはリーズリンデに対し強い敵愾心を抱いた。
何故なら、そのポジションは自分が狙っていた立ち位置であるからだ。
勇者達に媚び、取り入り、世界的に活躍している勇者達のお気に入りの存在というお墨付きを貰う。
そうすれば自分の学院の立場はより強くなり、学院卒業後も有利に過ごすことが出来る。
勇者カインの愛人になれれば、それだけで一生安裕福に暮らせるだろう。
しかしいつの間にか、どういう訳か、リーズリンデが勇者カインに色目を使っていたのである。
あのつまらない優等生が、虫も殺せなさそうな阿呆が、いつの間にか勇者に取り入り、女を売っていたのである。
「ぐぬぬぬぬ……」
アイナは歯ぎしりをする。
出し抜かれた、という思いが強い。
保健室での一件を大きく公表することも出来る。そうすればリーズリンデに淫売の印象を押し付け、貴族としての品に傷を付けることが出来る。
しかし良くて短い期間の停学、それだけだ。いや、実質的な処罰が無い場合だってあり得る。
この学院は貴族たちの婚約者探しの場という意味合いもある。
多かれ少なかれ男子も女子も色目を使い、学院の陰に隠れて事に及ぶ場合もある。そうした事は大抵見て見ぬ振りがされる。
それよりも恐いのが、その噂を広めることによってリーズリンデが勇者カインの愛人であるという認識が周囲に定着してしまう事だ。
そうなると自分がその立ち位置に滑り込むことの難易度が上がってしまう。いくつあるか分からない枠の1つが潰れるのだ。
それにこの噂は勇者カインにも被害が及ぶ。そうすれば、噂の元である自分の評価が下がってしまうだろう。
「ぐぬぬぬぬ……」
どうしたらいいか。アイナは頭を抱えながら考える。
「……そうだ」
彼女ははっと目を開き、顔を上げる。
この学院は生徒の実地訓練、社会見学の為に頻繁に遠征をおこなっている。学園内の戦闘訓練だけでなく、本当の魔物と戦ってこそ実力が付くとの方針の下、何度も色々な森や洞窟に遠征をおこなっていた。
そして次の遠征の場所は……。
遠征の情報が書かれたプリントを取り出して、アイナはほくそ笑む。
「ふふふ……」
作戦は決まった。
* * * * *
「あの……宿の場所、間違ってませんか……?」
「お、おかしいですわね? 先生の言う通りの場所に来たはずですのに……」
「いやいや、これはおかしいっすよ! だって皆いないし、絶対変っす……!」
日が沈み、夜になり始めた道の真ん中、私――リズとそのグループは途方に暮れていた。
魔物が出る山での実地訓練を終え、私達のグループは予め決められていた集合場所へと移動していた。
それがどういう訳だろう。
集合場所であったその場所には学園生の誰もいないし、この場所の雰囲気もおかしい。
今回は特別、実地訓練が終わったら泊まる宿に直接集合と聞かされていたのだが、絶対に学生が宿泊に利用するような場所とも思えない。
「だってここ、絶対に色街じゃないっすか……!」
同じグループのサティナ様がそう叫ぶ。
周囲には優美な服を着た女性が闊歩しており、そして裕福な身なりをした男性たちがだらしなく顔を緩めながら店を物色している。
店が並ぶ通りは夜の暗闇を吹き飛ばすかのように明かりがひしめき合って、赤く明るくなっている。
高い女性の声が客を引き、男性たちを誘惑する。胸元の開いた女性が手をこまねくと、火に群がる蛾の様に男性たちがふらりふらりと店の中に引き寄せられていく。
あちらこちらから淫靡な匂いが漂う場所であった。
「色街ですわっ!?」
「色街ですよっ!」
色街だった。
「ど、どど、どうしてわたくし達、このような場所に……!?」
「分かんねぇっす! 分かんねぇっすよ! 先生に貰ったプリントの通りにここに来たのに……!」
私達は慌てた。
私達のグループは3人グループで、メンバーはルナ様とサティナ様と言う。貴族らしい品の良い喋り方をする薄い茶色の髪を伸ばした女性がルナ様で、少し貴族らしからぬ荒い言葉使いをする緑色の短髪の子がサティナ様だった。
私が学園でいつも仲良くさせて貰っている友達だった。
「プ、プリントはベネディクト先生から貰ったのですわよね?」
「先生がプリントを間違えた……?」
「どう間違えたら集合場所が色街になるんすか!?」
ベネディクト先生は現代社会の教科を担当する学院の先生だ。
同じクラスのアイナ様の誘惑に引っ掛かり、彼女を贔屓する傾向にある為、あまり人気のある教師では無いのだが……、今はそんな事関係ないだろう。
「い、引率の騎士の方とはぐれてしまったのが痛かったですわね……?」
「確かに引率の騎士の方なら、ここが正しい集合場所か知っていたかと思いますが……」
「でも、最後のあの逸れ方、なんか変じゃなかったっすかぁー!?」
実地訓練での魔物との戦闘の際には、グループ1つにつき1人の騎士の方が護衛に付く。基本的に戦うのは学院の生徒たちだが、危ない時は守ってくれる。面倒見の良い方だと戦闘の指導もしてくれる。
確かに今日の引率の騎士の方は少し変であった。
グループで分かれているとは言え、いつもだったらそこまで他の生徒たちとそんなに離れずに魔物と戦っていくのに、今日のその引率の方はどんどんと人気のない方へと進んでいった。
それでも実地訓練はアクシデント無く終わり、帰路についていたのだが、その途中で騎士の方がふっといなくなってしまったのだ。
私達は3人取り残され、プリントに記載された情報を頼りに自力で集合場所に移動するしかなかった。
「そう言えば、あの騎士の方の家って……アイナ様の家と懇意にしているところじゃなかったかしら……?」
「ルナ様、今は家柄なんて関係ないじゃないっすか」
「そうね。その通りですわ」
今私達が考えるべきは、この如何わしい場所でびくびくと震えている自分たちの身の安全の確保の仕方だ。
どうしよう、こんなところで足を止めていたら……、
「あぁっ? どうしてこんな所に女のガキがいやがるんだぁっ!?」
「ひゃいっ……!?」
案の定、後ろからドスの効いた声を投げかけられ、わたし達はビクッと震えあがる。
まるで壊れかけたゼンマイ仕掛けのカラクリの様に、ぎしぎしと首を捻って後ろを向くと、大柄の男性が4人、私達を見下ろしていた。
「女子供がいていい場所じゃねえぞぉっ! あぁんっ!?」
「冷やかしか、ゴラァッ!?」
「ひぃっ……!?」
強い声をぶつけられ、私達は竦み上がる。
恐らくこの街の用心棒の方なのだろう。髪は剃り上げられ、目付きは鋭く、体には刺青が彫られている。
暴力で荒くれ者たちと渡り合う事が生業の方々、といった感じである。
「そ、そそ、その……わたくし達は学院が用意した宿がここだと聞いて、やってきたのですが……?」
ルナ様が足を震わせながら、男たちに対応する。
「あぁんっ!? 学校がここを宿として用意したぁっ!?」
「んな訳ねぇだろうがぁっ!」
「舐めてんのか!? ゴラァ!?」
「そこがおかしい事は、私達も分かってますともーっ!」
つい突っ込んでしまった。
「その制服……お前達、フォルスト国立学院の生徒か」
「え? あ、はい……。そうですけど……?」
「よく制服で分かったっすね……?」
私達のフォルスト国立学院は有名ではあるものの、この色街から馬車で1日程の距離がある。学院の制服だけでそれが分かるというのは、少し奇妙な感じだった。
「あー、ちょっと特殊な事情があって、俺達は学校の制服に詳しい……って、こんなことは嬢ちゃん達は知らなくていいこったな」
「……はい?」
用心棒の方が頭を掻き、言葉を濁す。
「取り敢えずここから出ていきな。全ての店の全ての人間が品がいいって訳じゃねえ。この街はここ2,3年で急成長してな、まだ無法地帯が存在する。
育ちのいいフォルスト国立学院の女生徒なんてのがここにいちゃいけねぇ。捕まえれば幾らでも利用出来ちまう」
「…………」
ここにいたらいけないのは分かる。しかし、私達にはどうしたらいいか分からない。
「で、でも……わたくし達、どこに行けば良いのか分からなくて……!」
「ここを出てもどうしようもないっす……! た、助けてくれねぇっすか……?」
「そんな所まで面倒みられるかっ! ここは保育所じゃねえんだぞ!」
「ガキはさっさと出ていきな! 接客させっぞ!?」
ドスの効いた声で怒られ、私達に打つ手が無くなる。
当てもなくこの街の外をうろついて学院の皆を探すか、目の前の彼らに縋りついて助けを請い、彼らの情報網で学園生達が泊まる宿を探して貰うか。
どっちにだってリスクがある選択肢の様な気がした。
どっちの方がいいのか……。
「なんだい、騒がしいね。何があったんだい?」
そんな時、1人の女性が姿を現した。
用心棒の方達が振り向いて、その女性の方を見る。
「ヴァネッサ姐さん……」
「ちーっす!」
「お疲れ様でーすっ!」
用心棒の方達はその女性に大きな挨拶をし、深く頭を下げていた。
紫色の髪が腰まで長く伸ばされている。煽情的な服を着こなし、煙管を手に持って、品のある色香を身に纏っていた。
どこからどう見ても、百戦錬磨の遊女であった。
「どうしたんだい?」
「姐さん、女のガキが紛れこんでまして……」
「そんなことで一々騒ぐんじゃないよ。怒鳴り声を上げないと女子供に言うことを聞かせられないのかい、お前たちは」
「すいやせんでしたっ……!」
ヴァネッサと呼ばれた女性の一声で、その屈強な男性たちは縮み上がった。
用心棒の男性たちを押し退け、その女性が私達の前に足を運ぶ。
「お前さん達もお前さん達だよ。どんな理由があろうとも、こんな所に堅気の若い女性がいちゃいけないもんだよ。何があったって、誰も文句を言えな…………」
ヴァネッサさんが私達を叱りつけている途中で、彼女はぴたっと声を止めた。
「…………」
「…………?」
「…………?」
彼女は何故かしんと動かなくなる。
その彼女の様子が奇妙で、私達や用心棒の方達は首を捻る。
「…………」
ヴァネッサさんは口を開き、目を丸くしていた。まるで何かに驚いているかのようだった。手に持っている煙管が落ちそうになる。
私達を見て驚いている?
いや……私を見て、驚いている……?
「お…………」
「……?」
ヴァネッサさんが勢い良く動いた。
「お師匠様ーーーっ……!」
「……っ!?」
「……!?」
彼女は何故か、意味が分からないが、私の前で跪いた。
「お師匠様! お久しぶりです……! お元気でしたか……!?」
「えっ? えっ……? えっ……!?」
「顔を見せに来て下さるとは……! あたい、感激です……! お師匠様に教えて貰った数々の技、今もカビさせること無く磨き上げています!」
「いや、あの……、その……?」
どうしちゃったの? この人?
ヴァネッサさんは私の手を掴む。
「この色街、ここまで発展できたのはお師匠様のお陰と言って過言じゃありません! 今日はごゆるりと、この成長した色街をご堪能下さい!」
「いやいや、意味が分からないですっ!?」
「おっと、長旅でお疲れでしたね、お師匠様。おいっ! お前達! うちの店の1部屋空けて、すぐに綺麗にしなっ!」
「へ……?」
「え、いや……、どういうことですか? ヴァネッサ姐さん……?」
戸惑う用心棒さん達に、ヴァネッサさんはくわっと目を見開いた。
「さっさとしなっ! お師匠様に恥かかせたいのかいっ!」
「へ、へいっ……!」
「す、すいやせんでしたぁっ……!」
物凄い気迫に圧され、用心棒の方達はぴゅうっと走って飛んでいく。彼らが入っていった建物は周囲に比べ、一際豪勢で大きな建物であった。
「さぁ、お師匠様。取り敢えず中にお入り下さい。お茶菓子でも食べて、部屋の準備を待ちましょう」
「い、いえ……何が何だか分からないので……と、取り敢えずお断りさせて頂きます!」
「まぁまぁ、ご遠慮なさらずに! さぁさぁ、どうぞっ!」
「あ゛ーーーーーー……!」
そうやって訳のわからないまま、私は色街の建物の中に引き摺り込まれていってしまう。不安そうな顔を見せているのだけれど、引き摺られる私の後をルナ様とサティナ様が付いてくる。
そうして私達は夜の街の中へと消えていってしまうのであった……。
次話は1時間後に投稿予定です。