18話 【過去】聖女メルヴィの手紙
【過去】
(聖女メルヴィの手紙)
『拝啓 木々が深く青付く季節となり、お父様お母様におかれまして、お変わりなくお過ごしのことと、心よりお慶び申し上げます。
わたしがラッセルラーンの都市を離れてから、半年ばかリの月日が流れました。わたしは今ドルス海峡を渡り、南の国のファルバロッサに滞在しております。
強い日差しが燦々と照り付け、この土地に暮らす人々はみな活気強く、彼らと交流するだけでわたしの中にも南の国の熱い血潮が入り込んでくるようです。
勇者カイン様との旅で起こる経験はどれも希少であり、ラッセルベル教会の下で聖女をやっていただけでは得られない経験を重ねさせて頂いております。
時には苦しく、辛く、人の世を嘆く陰惨たる出来事を見ることもございますが、優しく、強く、人の美しさに出会う経験もたくさん積んでおります。
勇者カイン様と仲間の皆さまは皆尊敬できる人物であり、彼らと共に旅をして、私は大きく成長することが出来ました。
彼らと共にいると、自分の中の世界を守りたいという意思が強くなるのを感じ、そしてカイン様や仲間の皆さまのお役に立ちたいと心から思う様になりました。
わたしは仲間の皆さまと出会えて、人として成長……はい、成長……成長、出来たのだと……か、感じております……。
……お父様お母様はお変わらずご壮健でしょうか。
近頃はお2人の変わらない笑顔が良く思い出されます。変わらない事の美しさを懐かしく思っております。
わたし……わたしは、成長……はい、成長……いえ、その……、
わたしは……、
……も、申し訳ございません。
わたしは不出来な娘でした……。次に会う時、どのような顔をしてお父様方にお会いすれば良いのか分かりません。
わたしは変わってしまいました。
旅を通じて、変わってしまいました……。
旅の当初、正直申し上げますと、わたしは強く緊張しておりました。
まだ会ったことのない勇者カイン様と婚約を結ぶことが教会の方から通知され、わたしの心には不安が染み込んでおりました。
お会いする前からカイン様の勇姿は聞き及んでおり、人を守るその精鍛な姿に憧れていたのは事実ですが、実際その方が自分の夫となると決まると、それまで聖女の役に従事し、色恋を知らない浅薄な身としては、どうしても心に恐怖が染み込んでしまうものでした。
実際にカイン様にお会いすると、とても気の良い方で、少々粗野でぶっきらぼうで、今までに出会ったことのない雰囲気のお方でしたが、その裏にどうしても隠し切れない彼の優しさが滲み出る度に、わたしは彼の事を強くお慕いするようになりました。
しかし、当初、わたしは彼の妻としては落第点でした。
ご存知ですが、その時既に彼の傍には姫騎士シルフォニア様が婚約者としておられました。
そして、あまり世間に周知されていない様なのですが、カイン様を献身的に支えるリーズリンデ様という女性もおられております。
お2人共とても美しく、優しく、心よりカイン様の事を御支えになっておりました。
そして……その……ここからは、少し……とても書き辛い事なのですが……彼女たちはカイン様の夜の生活も支えておりました……。
旅が始まってから2週間程の事でした。
魔王軍の強い敵を打ち倒し、その晩大きな宴会が開かれました。カイン様はお疲れの様子でしたが、礼儀として宴会に出席し、戦いの無聊を慰める様にたくさんのお酒を呑んでらっしゃいました。
カイン様はいつもより酔っぱらっておりました。
わたしは彼の隣に座り、お酌をしておりました。
リーズリンデ様が冗談を言い、カイン様は大きく笑いました。
酔っ払い、気を良くしておられました。
その時カイン様は隣に座る私の肩を抱き、ぐっと強く引き寄せました。
わたしの肩や胸元が彼の体に当たり、彼に強く抱き締められました。彼と体を寄せ、強く密着しました。
わたしは体がかっと熱くなりました。
今思えばそれは怒りではない、別の体の熱だったように思えます。
そして、「きゃっ」と声を上げて、彼を突き飛ばしてしまいました。
別にそこまで性的な行動では無かったのに……それにわたしも嫌な気分では無かったのに、反射的に拒絶してしまったのです。
カイン様は床に尻もちをつきながら、笑って「すまんすまん。デリカシーが無かったな」と謝って下さいました。
わたしの拒絶に一瞬場の空気が凍ったのですが、リズさんが大きく笑い、カイン様の節操無しー、と彼をからかい、場に笑いが生まれました。
わたしは皆様に気を使わせてしまいました。
それからカイン様はわたしとの接し方に気を使って下さいました。いつものように気さくに、少し粗野な明るさで、しかし以前よりずっと距離感に注意してくれるようになりました。
わたしは婚約者として不出来でした。
わたしはそれをリーズリンデ様に相談しました。
……それが全ての始まりだったのです。
「なるほど、そういう事なら私に全てお任せください」
リーズリンデ様は胸を張りながらそう仰ってくださいました。わたしはその姿を頼もしく思いました。
しかし、今思えばそれは悪魔の姿だったのです。
そして、彼女は言いました。
「実戦でがっつり頑張ります? それとも私と練習します?」
「え……?」
わたしはリーズリンデ様の仰っていることが分かりませんでした。しかし、確かにここがわたしにとっての転換点、奈落へと転がり落ちる1歩目だったのです。
「れ、練習……? で、お願い、します……?」
訳も分からないままそう言っていました。でも、そう答えたわたしを誰が責められるというのでしょうか。
「じゃあ、了承も得られたことですし!」
「え……?」
リーズリンデ様は意気揚々とわたしを部屋に引っ張っていきました。わたしは頭に疑問符を浮かべたまま、彼女の部屋の扉がばたんと閉まりました。
そこで、わたしの嫋やかな花は散らされました。
朝、わたしは顔を真っ赤にしながら混乱の境地にいました。頭の中がぐるぐると回り、何があったのか、わたしは何をされてしまったのか……理解は出来ていました。しかし、整理が出来ませんでした。
わたしは少し濡れた白いシーツの上で、ただただ目を回していたのでした。
裸のリズさんは言いました。
「これはレッスンです」
「え……?」
「明日はもっともっと教えてあげますよ」
彼女は笑っていました。その笑顔は艶やかで、妖しくて、しかし海よりも深い美しさを含んでおりました。
そこからわたしは深い深い沼に嵌まっていくことになります。
逃げ出すことは出来たのでしょうか。上手い躱し方があったのでしょうか。今となっては分かりません。
でも1つだけ言えることは……、
リズさんはとても凄かったという事です。
初めての夜、わたしは天にも昇る気持ちを味わってしまったのです。
だから……何をしても無駄だったのでしょう……。
カインさんとの間に感じていた壁は無くなりました。リズさんとのレッスンを経て、カイン様の下に引っ張り出され、気分は出荷される牛の様でした。
カインさんは困惑為されていましたけど、リズさんの手作りのクッキーのせいもあり、わたしは出荷された牛の様に食べられてしまいました。
わたしは堂々とカインさんの婚約者を名乗れるようになりました。
リズさんはカインさんにお叱りのげんこつを受けていました。
それからわたしは奈落へと転がり落ちていきます。
リズさんとのレッスンはそれより後も続き、たくさんの技術、心構えを教わります。……教わってしまいました。
リズさんはわたしを褒めてくれます。
凄い! メルヴィ様はエッ〇の才能に溢れてますよ! 百年に一人の逸材です! 巨匠です! 人間の皮を被った隠れサキュバスです! 天然資源です!
と、あのリズさんをして、そこまで言わしめていました。
……どうやらわたしは元来、そういう事に強い興味を抱く人間だったようです。
旅に出て、その分野に触れ……世の中にはそういったものに溢れているのだと気が付きました。
教会の中で穏やかに育った無知な頃のわたしには分かりませんでしたが、外の世界にはそれが溢れていました。回り回る社会の大元の一端を担っている、と言っても過言ではない程でした。
そういった分野のものを見つける度に、わたしの興味は刺激され、顔を赤らめながらちらちらと横目で眺め、後でこっそりと覗きに行ってしまうのでした。
わたしはそういう性質の人間だったようなのです。
興味は止まらず、ずぶずぶと深い沼に嵌まっていってしまいました。
カイン様はわははと大声で笑いました。
メルヴィは『聖女』だけど、『性女』でもあるな! と。
リズさんは、恥じらいは才能ですので、どうぞ万年初心でいて下さい、と言っていました。
勿論わたしはカイン様(……と仲間の女性方々……)以外に体を許していません。不貞は無いです。
カイン様の婚約者として、恥じるべきことは何も致しておりません。(……仲間の女性の方々とは、その……あれですけど……女性同士ですし……)
ですが、その……カイン様とはもう何度も仲良くさせて頂いております……。
教会の外を出る前のわたしが今のわたしを見たら、きっと卒倒してしまうでしょう。
そう……そうなのです……。
わたしは変わってしまったのです……。扉を開かれてしまったのです……。
もう元に戻ることは出来そうにありません。お父様お母様にはどんな顔を向けて再会すれば良いのか見当もつきません。
お2人が愛情込めて育てて下さった無垢で淑やかな子供はもういません。
生まれてしまったのは愛欲にまみれたモンスターです。
申し訳ありません、お父様お母様……、申し訳ありません……。
わたしは不出来な娘でした。民が求める楚々とした聖女はもうおりません。ここにいるのはサキュバスの手ほどきを受けたサキュバスでございます。
ただ……旅が終わり、避妊魔法を解いたら、世継ぎにはご期待ください……。
もう、わたしにはそれしか言うことが出来ません……。
リズさんとのレッスンはまだ続いております。この手紙を書いた後も彼女の部屋に向かう予定となっています。
きっともう、わたしは百戦錬磨なのでしょう……。
逃げ出すべきなのでしょうか。拒絶するべきなのでしょうか。
でも、もうそうすることが出来ません。何故なら心の深い部分が、もう逃げ出そうとも拒絶しようともしていないのです……。
どんなに口で否定しても、嫌がる素振りをしても、もう心と体は期待をしてしまっているのです。
悦んでいるのです。この身は悦んでいるのです。
お父様お母様、今まで育てて下さってありがとうございました。
わたしはとても元気です。毎日が充実して、意義に満ちた旅を送っております。
信じて送り出してくださいましたが、わたしは日々多くの事を学び、成長をしております。魔王討伐の役目はお任せください。信頼できる仲間と共に、必ずや魔王を討伐して見せます。
そう……、信頼できる仲間と共に……。
これからその信頼できる仲間の部屋に行って参ります。あぁ、どんなに否定をしても、わたしの体はもう期待をしてしまっているのです。
これから起こる、楽しい夜に……。
お父様お母様、どうか体調にはお気を付けて、日々を健康にお過ごしください。適度な運動が健康に大事だと聞きます。参考になれば嬉しい次第です。
わたしは……その……少し激しいスポーツを行っているので、大丈夫です……はい……。
またお会いできる日を楽しみにしております。
その時はこの変わってしまった娘を見て、どうぞ嗤ってやってください。
教会の方々にもよろしくお伝えください。
宜しくお願い致します。
追伸
『手作りのクッキー』にはどうかご注意ください。
それが全ての1歩目になってしまう事もあるのです……。 』
リズの一番の被害者は、たぶん彼女。




