13話 【過去】 大戦士レイチェルの葛藤(2)
【過去】
「う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ……!」
レイチェルは泣いていた。泣いて伏せていた。
酒が入っている。夜の酒場での事だった。
「あーあー、もう、本当バカですねぇ……。ほら、ハンカチで鼻かんで下さいな、鼻」
「ぢい゛い゛い゛い゛い゛ぃぃぃぃんっ……!」
リズは小さな子供をあやす様に慰め、レイチェルは目を真っ赤にしながら涙を拭いた。
勇者カインの仲間として大峡谷の村から外に出て、広い世界の冒険が始まったレイチェルは激しく困惑することとなる。
原因は同じ村の出身の、幼馴染のガッズであった。
彼はモテた。たくさんの女性からアプローチを受けていた。
それがレイチェルの心を激しく乱していた。
彼女はいつも自分の幼馴染につんけんした態度を取ってしまっている。彼女の危機感がピークに達し、どうしたらいいのか分からず泣き出してしまっていたのだった。
話は単純であった。
勇者カインの仲間というのは世間からの評価が高い。そして魔王軍を屠り、実際に多くの人を救っている光景が世に広まれば、それは普通にモテた。
彼の竹を割ったような性格も高評価であった。
ガッズは背が高く、がたいも良く、逞しかった。顔は今流行りの爽やかなイケメンという感じではなく、少しごつごつとした感じであったが、決して不細工という訳ではない。
という訳で、ガッズはたくさんの女性から言い寄られることとなった。
それに対し、レイチェルは強い危機感と無念と後悔を覚えているのである。
レイチェルもその容姿からモテたのだが、そんなのは彼女にとってどうでも良かった。
「どうしよ゛う゛っ……! ガッズが取られち゛ゃう゛っ……!」
「はいはいはい、落ち着いてくださいねー」
今は勇者パーティーの中の女子会の最中だった。レイチェルのお悩み相談と言い換えても良い。
「や、やはりレイチェルはガッズ殿の事が好きだったのか……。前々から、そうじゃないのかなぁ、とは思っていたが……」
「で、でも……でもでも、いつもレイチェルさん……ガッズさんの事、嫌いとか、なんとも思ってないとか言ってるじゃないですか……」
「だって恥゛ずかし゛いん゛だも゛ん゛ん゛ん゛んんんっ……!」
シルファとメルヴィの言葉に、レイチェルは机に突っ伏しながらガラガラ声を発した。
いや、今更その確認ですか……、とリズは少し呆れている。
「あ、あいつと一緒に生まれ育ってきて……あたしの村、閉鎖的だったから……普通に行けばあたしはガッズとけ……けけ、結婚するんだろうな、って思ってたのに……ガッズが旅に出ることに決まって……ふ、不安で……不安でぇっ……!」
「胸が苦しいですね……」
「ずっと一緒だったから……恥ずかしくて……わざと悪口とか言って……、でも外の世界の女の子は皆可愛くてえ゛ぇ゛っ……! 素直にガッズの事褒めてて゛ぇ゛っ……!
あたしもうダメだあ゛ぁ゛っ……! だって、絶対嫌われてるも゛ん゛ん゛っ……!」
そしてまたレイチェルはびえーんと泣き出してしまった。
今まで天邪鬼な態度しかとって来なかった女の子の、足元が崩れていく悲しいお話であった。
「い、今からでも素直に言葉にしてみたらどうだ? ガッズ殿の事が好きです、って正直に言うんだ。どうだ?」
「そんな簡単に言えたら今までの人生、苦労してないわよお゛お゛お゛お゛お゛お゛ぉぉぉぉぉぉぉっ……!」
容易く人生と性格を変えれる程、レイチェルは器用じゃなかった。
酒場で酒を呑みながら荒れるレイチェルと、為す術が見当たらず困り果てるシルファとメルヴィ。2人にはカインという同じ仲睦まじい婚約者がいるのだが、それは自分で勝ち取った立場ではなかった為、2人は恋愛弱者なのだった。
「もう、全く困ったものですねぇ……」
酒の入っていた木製のコップをことんと机に置いて、リズはそう言う。困った妹を見るような目で、項垂れるレイチェルを見ていた。
「分かりました、仕方がありません。このリーズリンデ、何とかしてあげましょう」
「え……?」
リズの言葉に、目をきょとんとさせながらレイチェルは顔を上げた。
「簡単な事ですよ、簡単。……えぇ、簡単な事なんです」
リズはニヤッと笑った。
その笑顔に、しばらくの付き合いであったシルファとメルヴィはぞっとするのだった。
レイチェルだけが訳も分からずきょとんとしていた。
そしてレイチェルは問答無用でリズに引っ張られていく。
「リ、リズ……? 一体何を……?」
「…………」
リズはレイチェルの腕を掴みながら、問答無用で彼女を引っ張っていく。女子会が行われていた酒場を出て以降、リズは一言も喋らない。レイチェルの質問に一切答えない。
そしてやって来たのは今、勇者パーティーが宿泊している宿屋であった。
リズはどしどしと歩く。レイチェルは頭にハテナマークを浮かべながらリズに引っ張られていく。
シルファとメルヴィは興味心と不安心で2人に付いて来ていた。
やがてリズは宿屋のとある部屋の扉をドンと開けた。
「む……? リズ……にレイチェル? どうした? そんな血相をして?」
部屋の中にいたのはガッズだ。ここはガッズが使っている部屋で、彼は今ベットの上でくつろぎながら本を読んでいた。
「きゃっ……!?」
「うおっ……!?」
リズは無言のままレイチェルを前に突き飛ばす。訳の分からないレイチェルは為されるがまま、横になっているガッズの上に覆いかぶさるようになってしまった。
「リズ……! あなた一体っ……!?」
レイチェルはリズに文句を言おうと、体をがばっと起こす
リズはその部屋の机の上に何かを残し、また扉のノブに何かが書かれた掛け札を掛け、そして何かしらの魔術をその扉に掛けた後、そそくさとその部屋から出ていった。
その時、レイチェルは見た。
妖艶ににたりと笑う、悪魔のようなリズの顔を……。
「いたた……、一体何なんだ、お前ら……」
「ガッズ……」
いきなり女性にのし掛かられたガッズは、腹を抑えながらベットから起き上がる。
「ん……?」
「なんだ?」
2人はのろのろと起き上がり、リズがドアノブに残していった掛け札をじっと見た。
そこにはこう書かれていた。
『セッ〇スしないと出られない部屋』
「リズーーーっ……!」
「リズーーーっ……!」
魔術によって封鎖された、どうしようもなく密封された部屋に2人取り残されてしまったのであった。
「ね、ねぇ、リズ……? これで大丈夫なの……?」
「えぇ、平気です、平気」
心配そうにおろおろとするシルファとメルヴィに対し、リズはへらへらと笑いながらそう答えた。
壁を一枚隔てたその向こう側からは、「こらー! リズー! ふざけんじゃないわよー! 開けろー! 開けろー!」と、照れ臭さが滲み出たレイチェルの上擦った声が響いている。
彼女はどんどんと部屋の壁を叩いているようだが、その程度ではこのサキュバスが張った結界を破る事などできなかった。
「これで問題は全て解決です」
「そ、そうでしょうか……?」
「えぇ、万事解決です、メルヴィ様。何故なら……」
リズはにたりと微笑んだ。
「……あの部屋には、私手作りのクッキーを残して来てしましたからっ!」
「ひえっ……!?」
「て、手作りのクッキー……!」
シルファとメルヴィは戦慄して、身震いをした。
『リズの手作りクッキー』には2人にとって、酷い劇物だった。一度口にしたが最後、めくるめく快楽への旅が強制的にはじまってしまうという、恐ろしい悪魔の秘薬だった。
暫く経つと、宿の壁を叩くレイチェルの抵抗の音が聞こえなくなる。
……恐らくクッキーを食べてしまったのだろう。シルファとメルヴィはごくりと息を呑み、リズは満足げに笑っていた。
3人は宿の部屋の前から退散した。
これ以上この部屋の前にはいられない。
……恐らく数分後、聞こえてくるのは壁を叩く音ではなく、レイチェルの艶めかしい声である筈だったからだ。
夜は始まったばかりだった。
* * * * *
「……そういう訳で、俺達は……正式に付き合うことになった」
「おー……!」
「…………」
数人からぱちぱちと拍手が鳴る。
あれから一夜明け、朝、宿屋の一階にある食事処で勇者カインの仲間たちが一堂に揃って朝食を取っている時の事だった。
交際宣言をしたのはガッズである。
ガッズとレイチェルの2人の顔は赤く、まだ気恥ずかしさは抜けきらない様だった。いつも大きな声で威勢の良いガッズでさえ、今日の声のトーンは抑え目である。
「よ、良かったですねっ! レイチェルさん! ガッズさんとお付き合いできることになって……!」
「う゛~~~っ……!」
メルヴィの言葉にレイチェルは顔を真っ赤にして俯き、手で顔を覆った。レイチェルの恥ずかしさ具合はガッズの比ではなかった。
顔を隠している手でさえ真っ赤である。
「しっかし、案外あっさり収まったもんだな。なんかもう少し拗れて、ひと悶着あるもんかと思ってたが……」
さっさと朝食を口にしながら、カインがそう言う。彼は2人の関係性が良く見えている人物だった。
「それは……その……、レイチェルからあれだけベットの中で『好き』と、何度も言われたらな……。誤解なく伝わるっていうものだ……」
「わ゛ー! ぎ゛ゃー! 余計な事を言うんじゃないわよっ……! ガッズ……!」
悲鳴を上げながらぽかぽかと恋人の事を叩くレイチェル。
昨日の夜は大分盛り上がったようであった。
「やっぱりセック〇は最強ですねっ……!」
「おめーはもっと自重しろ、ドアホ」
リズは自慢気に胸を張るものの、その頭には大きなたんこぶが出来ていた。
事件の元凶であるリズはもう既にこのパーティーのリーダーからお叱りのゲンコツを受けていたのだった。
「そ、その……リズ……」
「なんでしょう? レイチェル様?」
もじもじとしながら、レイチェルはリズに話し掛ける。
「あ、あんたには色々と思うところがあって、正直ぶん殴ってやりたいとも思うけど……そ、その、なんていうか……あ、ありがと……」
「…………」
「あ、あんたのおかげで……ガッズに思いを伝えられた……」
顔を真っ赤にして視線を逸らしながら、レイチェルはそう言う。
彼女のその姿は恋の蕾が花開いたばかりの可憐な少女の姿そのもので、見ていて和やかになるような光景であった。
リズはそんなレイチェルに応え、静かに微笑みを返した。
「レイチェル様の恋が上手くいって、私も嬉しく思いますよ?」
「……! そ、その……ほ、ほんとにありがと……!」
レイチェルはまだたどたどしいぎこちない笑みをリズに返した。
「また相談事がありましたら、いつでも私の部屋を訪れて下さいね。待ってますよ?」
「う、うん……! ありがとうっ!」
そうしてとある小さな村の、幼馴染たちの恋は晴れて実を結ぶのであった。
レイチェルは頼りになる相談相手を得られて、ぱあぁっと晴れやかな表情を浮かべた。
それからも旅の中、レイチェルは自分に素直になりきれず、恋人に悪態を付いてしまうことが多々あった。
しかしそれは彼らが村で過ごしていた時とは違い、その態度が愛情の裏返しであることを2人は正しく理解している。
2人は今に至るまでずっと仲睦まじく過ごせているのだった。
レイチェルがもう一度リズに恋愛相談をする為に彼女の部屋を訪ね、彼女に美味しく頂かれてしまうまで――あと5日。
レイチェル編、完っ!(BAD END)