11話 【現在】 大戦士レイチェルの不機嫌(2)
【現在】
「レイチェル様っ……!」
ここは比較的弱い魔物が出る森の中。
学園生達の輪から外れ、1人勝手に森の奥に進んでいってしまおうとするレイチェル様を追う為、私は彼女の背に声を掛けた。
レイチェル様は足を止めて、私の方に振り返る。
「……リズじゃない。どうしたのかしら? あたしと一緒に狩り競争でもする?」
「いえいえいえ……狩り競争なんて、絶対に勝てませんよ……」
ところで、なんで皆私の事を愛称で呼ぶのだろうか!?
「も、戻りましょう? もう撤収の時間までそうありませんよ? ここで先に進んでは皆に迷惑が掛かってしまいます」
「ふんだ!」
レイチェル様はそっぽを向いた。
彼女は大きな大きな袋を引き摺りながらここまで歩いていた。それまで獲った獲物は全部その袋の中に入っているようだ。
自分で取った獲物は誰かに預けず、全部自分で持ち運ぶ。それが彼女の村の流儀であるらしい。
「知らないわよ、あんな奴ら。いくらでも待たせておきなさいよ」
「レイチェル様……」
「あたしはねっ! 気に食わないのっ! あのイノシシが現れた時、皆無様に逃げ出して……! 足止めに立ち向かったのはリズと他極数名じゃない! 国一番の学園が聞いて呆れるわっ……!」
「…………」
「あんたとか、他の勇敢な人間を放り出して逃げるとか……、戦士の風上にも置けないわっ……!」
レイチェル様は腕を組んで頬っぺたを膨らませていた。
イライラしたように足でとんとんと地面を叩いている様子は、とても可愛らしかった。
「ふふふ……」
「……な、なによ」
思わず微笑んでしまう。
「いえ、私の事を気遣って下さって……嬉しいなぁって……」
「……っ!」
彼女の顔がぼんっと赤くなった。
「か、勘違いしないでよねっ……! 別にそんなんじゃないからっ……! あ、あたしはただ……弱い者が嫌いなだけっ……! あ、あんたなんてどうでもいいんだからねっ……!?」
「はい、ありがとうございます」
「……!? ほ、本当なんだから! 本当なんだからねっ……!」
顔を真っ赤にしながらレイチェル様はそうまくし立てた。
なるほど……、確かにガッズ様の言う通り、レイチェル様はちょろいのかもしれない。
……そんな気がしてきた。
「しかし、学園の人たちが軟弱者であると仰られますが……どうなのでしょうね?」
「な、何がよ……?」
私は上目遣いでゆっくりと微笑む。
「いえ、学園の皆さんは戦闘訓練の他に、数学や政治学などの勉学も行っています。レイチェル様のように戦いだけに人生を捧げてきた訳ではありません。
それなのに戦闘能力だけを見て、皆様を弱者と決めつけるのは如何なものだと思いませんか?」
「ど、どういう事よ……?」
「つまり……レイチェル様は学園の皆さまを弱者弱者と仰られますが……こと勉学においては、レイチェル様の方が弱者なのでは……?」
「ぐはっ……!?」
彼女が仰け反った。
「貴女の論で言うなら、弱者が強者を困らせてもいいんですかね? ほら、皆さん待ってますよ?」
「で、でも……! あいつらイノシシを前に逃げ出したじゃないっ……! あ、あたしよりも軟弱者よっ……!」
「それは戦闘の経験が多分に物を言うかと。レイチェル様は政治や経済に対する経験は少ないですよね? それらに対して積極的に前に出て、私が問題を解決して見せる! って言えるでしょうか?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
彼女が悩み始めた……。ちょろい……。
「さぁ、戻りましょ? レイチェル様?」
「リ、リズ、あんたっ……! そうやって口であたしを丸め込んで、またあたしを誑かす気でしょうっ!? またあたしにエッチな事しようとするんでしょう……!?」
「……っ!? い、いきなり何を言い出すんですか!? レイチェル様!?」
またってなんだ!? またって!?
「そ、そそ、そうはいかないわよっ……! あたしだって、バ、バカじゃないんだから……!」
「バカですよっ! 何でいきなりエッチな話になるんですか!? さ、さぁっ! とっとと戻りますよ!?」
「騙されないっ! 騙されないわ、あたしっ……! わーわーわーわー!」
目をぐるぐると回しながらレイチェル様はそう叫ぶ。なんなの一体!?
その時、レイチェル様の目がかっと見開いた。
彼女の大きな大きな獲物袋を開き、イノシシの肉をナイフで切り取った。
「これっ……!」
「はい?」
「食べなさいっ……!」
それは大きなイノシシの肉の塊だった。
人の腰の高さまである様な大きな肉の塊。常人では食べきる事の出来ない様な大きさのお肉であった。
「これを全部食べ切れたら、大人しく皆の元に戻ってやってもいいわっ!」
「はいっ……!?」
「べ、別にあんたとの口喧嘩に負けて、こんな勝負をしようと思ったわけじゃないんだからねっ……!」
言い訳がましい事を言いながら、レイチェル様は炎の魔術を使ってその肉の塊を焼き始めた。
肉がじゅうじゅうと音を立てながら焼かれていく。香ばしい匂いが鼻をくすぐるのだけれど……、え……? この量を食べきらなきゃいけないの?
肉の塊はもう1つある。恐らくそれはレイチェル様自身が食べるものなのだろう。
「べ、別にあんたと一緒にお食事をしたい、なんて思ってこんなことをしてるんじゃないんだからねっ……!」
顔を赤くしながらレイチェル様はそう言った。
なんだろう……、何故か彼女に好意を持たれているみたいで……嬉しいし、気恥ずかしい。
けど……この量のお肉かぁ……?
彼女の村の風習では、自分が狩り取った獲物の肉を対価なく他の人に渡すのは、極めて稀だって聞いたことがあるんだけど……?
「いっぱい食べて貰って、早く元気になって貰いたい、なんて意図はないんだからね……!?」
「私は元々元気ですよ!?」
「元気になってまた一緒に遊びたい、だなんて思ってないんだからね……!」
彼女は何故か顔を赤らめながらそう言った。
2人のお食事会が始まった。
* * * * *
「うーん、うーん、うーん……」
「おう、災難だったな、リズ」
唸りながら、森からの帰路についていた。
私は今、カイン様におんぶして貰って運ばれている。私は1歩たりとも動けない。満腹過ぎて死にそうである。
「毎度のことながら、レイチェルには困ったもんだな」
「カイン様、彼女を何とかしてくださいよ……。あなた彼女のチームのリーダーでしょ?」
「バカ言え。あいつを口論で丸め込むのは俺の役目じゃねえ。文句はその役目の奴に言いやがれ」
「くっ……、何をしているんですか、その人は……」
「さぁなー?」
カイン様は軽く口笛を吹き始めた。
私のお腹はぷっくらと膨らんでいる。本当に食べ過ぎた。でも、何とか完食することができ、レイチェル様は上機嫌で皆と一緒に帰路を歩いている。
私のお腹は膨らみ過ぎて、まるでカイン様に妊娠をさせられたようだった……、って待って? 何でそんな想像が働いてしまったのだろう?
「ま、これからレイチェルの世話役、頼んだぞ、リズ」
「いやいやいや……、なんで私なんですか。カイン様とかシルファ様が頑張ってくださいって」
「あー、これでまた幾分か楽になるわぁ! あ、そうだ。レイチェルを丸め込む為ならあいつにセクハラしても全然構わねえから。よろしくな?」
「よろしく、じゃありませんよっ! エッチな事なんてしませんからっ!」
っていうか、なんで他力本願なんだ!?
カイン様はからからと笑う。
「うえっぷ……、でも今は大きな声を出すのも辛い……」
「大変だな」
「しばらくはお肉は食べたくないです……。お肉よりもおパンツが食べたい……って、はっ!? 私は何を言ってるんですか……!?」
何故か無意識の内に声が漏れてしまった!?
「ち、違うんですカイン様っ……! い、今私は『パン』が食べたいと言った訳で……!」
「気にすんな。別にいつも通りじゃねーか」
「違うんです゛う゛う゛う゛う゛う゛ぅぅぅぅぅぅぅっ……!」
カイン様は私にどういうイメージを持っているのか!?
……あ、きつ……。いけない……。大声は出せない……。
あ、でも……吐いたら楽になれるかな……? それも……気持ちよさそうな……。
「あ!? お前、吐くんじゃねーぞ!? 俺がおぶってる状態で……!?」
「だ、大丈夫……大丈夫……。淑女の嗜みとして……それだけは……」
最後に私の理性が勝利した。
否定することも許されない苦しい状態は暫く続いたのだった。