10話 【現在】 大戦士レイチェルの不機嫌(1)
【現在】
「きゃ~! 凄すぎます~! レイチェル様~! こんなに大きなイノシシを簡単に狩れるなんて……アイナ感動しちゃいました~!」
「…………」
今日の授業は魔物との実地訓練であった。本物の魔物と戦う為、学園の生徒たちは馬車で2時間程遠くにある魔物の住む森にやって来て、そこで実地訓練を積んでいた。
途中、ハプニングが起こった。
普段その森では出てこない様な大型で強い魔物のイノシシが姿を現したのだ。
学園生たちはパニックになり、皆が慌てて逃げ出そうとした。あんなに大きな魔物と出会ったことが無かったのである。
私や他極数人の魔術を合わせても時間稼ぎ程度にしかならなかったのだが、しかし被害は一切出なかった。
イノシシが学園生の集団に襲い掛かろうとした刹那、大きなハンマーがイノシシの正面からぶつかった。
そのハンマーはイノシシの勢いを完全に受け止め、その巨体を殴り飛ばした。イノシシの巨大な体が宙を舞う。
イノシシの魔物は一撃で絶命した。
少女は巨大なハンマーを担ぎ、ふんと鼻を鳴らす。
勇者カインの仲間の1人、大戦士レイチェルの活躍だった。
彼女は巨大なハンマーを武器として戦う戦士であった。彼女の体形はどちらかというと小柄な方で、その大きなハンマーとは不釣り合いであるように見えるものの、巨大な質量の武器を誰よりも使いこなす武人である。
紫色の髪をツインテールにして縛っている。気の強そうな目をしていた。
「レイチェル様のお話はよく伺ってますぅ~! 大峡谷の大戦士のお話は私も大好きでぇ~、何度も何度も繰り返し演劇を見に行っちゃう程なんですぅ~!
本物の大戦士様に出会えて、も~、アイナとてもとても大感激ですぅ~!」
「……ふん」
カイン様やシルファ様に媚びていたアイナ様は、次はレイチェル様におべっかを使っていた。
「勇者カイン様の仲間の皆様は逞しくて立派で~! アイナほんと~に憧れちゃいます~! 一生付いて行ってもいいですかぁ~?」
「…………」
「こんなに大きな魔物を簡単に狩れちゃうなんて……キャ~! この魔物1頭だけでかなりの大金になっちゃいますぅ~! 毛皮とかにしたら幾らになるんでしょう~!」
そう言って、アイナ様はレイチェル様が倒した魔物の死骸に近づいて、触れた。
その瞬間、レイチェル様の目がかっと見開かれる。
「触らないでっ……!」
「……!?」
レイチェル様がいきなり大きな声を出した。
アイナ様の体がびくっと震える。
「人の獲物に横から手を出すなんて、あんた戦士を侮辱しているのかしらっ!?」
「え? え……!?」
「あたしが狩り取った獲物から離れなさい、って言っているのよっ……!」
レイチェル様が激昂をしながら怒鳴り声を上げる。
聞いたことがある。勇者の仲間であるレイチェル様とガッズ様はダーズの大峡谷というところの出身であり、そこは厳しい戒律によって己を鍛え上げている戦士の集落であるのだという。
そこの戦士たちはどこまでも誇り高く、その村ならではの風習があるらしい。
狩り取った獲物の死骸に他者が断りなく触れることは、その村では戦士の誇りを傷つけることになるのだという。
……はて? 私はこの知識をどこで聞いたんだっけ?
睨むレイチェル様に対し、アイナ様は誤魔化す様にへらっと笑った。
「や、やだなぁ~!? レイチェル様~? そ、そんな細かい事でかっかかっかしないで下さいよぉ~? はい、ぴーすぴーす……?」
「……ふざけているのかしら?」
アイナ様はこの問題を軽く見ていた。
異文化交流は難しかった。
「……まずあたしは軟弱な人間は認めないわ。悪いけど、この学園の皆、ほぼ全員軟弱者よ。温室の中でぬくぬくと育っていて、命を張ってやろうって奴はここにいないわ」
「……え、えぇと……レイチェル様?」
「全く、惰弱よ、惰弱……。あのイノシシに立ち向かおうとした学園生がほとんどいなかったって、どういう事よ……」
レイチェル様はイライラしたように、指を櫛の様にして自分の髪を梳かしていた。
「……いいから離れなさいって言ってんのよっ! あたしの獲物からっ!」
「は、はいぃっ……!」
彼女は誰もが震えあがる様な怒鳴り声をあげ、アイナ様は逃げるようにしてその場を離れた。
アイナ様とレイチェル様との距離が離れていく。
「な、なによ……、あのブス……! ちょっと強いからって調子に乗っちゃって……。獲物とか誇りとか、そんな小さな事どうでもいいじゃないっ……!」
その場を離れたアイナ様は、涙目になりながら小さな声で毒づいていた。
そんな彼女に1人の男性が近づいて、声を掛けていた。
「はっはっは! うちのレイチェルが悪いなっ! アイナ君、とか言ったか、君?」
「え……?」
アイナ様の前に大きな男性が立っていた。緑色の短髪で、背は高く、体は引き締まっている大柄の男性だった。
「ガ、ガッズ様……!」
「はっはっは……!」
その男性は勇者の仲間の1人であるガッズ様だった。
ガッズ様は豪快に笑う。
「いや、悪いな! うちの村の風習を持ち出してあまり人と諍いを起こすな、といつも言っているのだが、あいつは気位が高く、情熱的だ。しかしそれ故、人よりも強くなったという面も持つ」
「は、はぁ……」
「あいつにはあまり悪気が無い! 済まないが許してやってくれ!」
ガッズ様とレイチェル様は同じ大峡谷の村の出身だという。そこで2人、カイン様に認められ仲間になったのだと言うらしい。
声が大きく、彼もまた情熱的な男性であった。
「ガ、ガッズ様ぁ~! アイナ、怖かったぁ~……!」
泣きつくようにしてアイナ様がガッズ様の腰にひしっと抱き着いた。
今度は彼に媚びを売るようで、周りからはチッと舌打ちが漏れる。
「はっはっはっは! あいつの怒鳴り声で腰を抜かさんだけでも、君は案外大した者だ!」
「ガッズ様優しいです~、もう大好き~! ガッズ様ぁ~、アイナを慰めてくれませんかぁ~?」
ガッズ様にすり寄りながら、甘い声と上目遣いでそう言った。
「はっはっは! それもまた、魅力的な提案なのだが……」
「あ、あれ……?」
「俺はレイチェル一筋だからな!」
ガッズ様は彼女の背中の服を掴み、子猫を摘まみ上げるようにして、アイナ様を引き剥がしていた。
どう見ても女性扱いを受けていなかった。
「はっはっは! 俺は不器用だからなっ! カインの様に3人も女性を囲ってはいられん! レイチェル1人で精一杯だ!」
「…………」
アイナ様は口元をひくひくさせていた。女性としては少し、プライドが傷つく扱いだったかもしれない。
……というより、カイン様の女性3人って誰だろう?
彼が姫騎士シルファ様と聖女メルヴィ様のお2人と婚約されている事は正式に発表されているのだけど?
「あっ!? レイチェル様、どこへ……!?」
「これ以上森の奥に行ってはいけませんよっ!? 魔物が強力になってしまいますっ……!」
そうこうしていると、少し離れたところから学友達の慌てた声が聞こえてきた。
「うっさいわねっ! こんな浅い所なんかじゃ、なんの特訓にもなりやしないわっ! あたしはあたしの好きにするからっ! 指図するんじゃないわよっ!」
「お、お待ちください、レイチェル様……! だ、団体行動が基本なので……!」
「あぁ、1人で勝手に行動しないで下さいっ……!」
どうやらレイチェル様がより強い敵を求めて森の奥へと行こうとしているようだった。皆が慌てて止めようとしている。
確かに彼女なら危険はないだろうけど、そろそろ撤収の時間が来ている。ここから更に奥に行かれてしまっては、団体行動の輪が乱れてしまうだろう。
「む、いかんな……。レイチェルの奴……」
ガッズ様が口をへの字に曲げた。
残念ながら、レイチェル様は身勝手な人物であるという評価を受けている人物だった。
学園生たちを軟弱者と一笑し、団体行動の輪を乱す行動がしばしば見受けられた。自分が認めた人物以外の言うことは聞かず、彼女は周囲から眉を顰められていた。
今回も周りの生徒たちの言うことを聞こうとせず、レイチェル様は1人森の奥へと行こうとしていたのだった。
「リズっ!」
「は、はいっ……!?」
いきなり大声で呼ばれる。
私を呼んだのはガッズ様だった。
「すまんがレイチェルを引き戻して来てくれ! 頼んだっ!」
「え……? ええぇっ……!?」
妙な事を頼まれてしまった。
「いやいやいや……! 私が行ったってレイチェル様を止められませんよ! ガッズ様の方が適任でしょう!? なんたって彼女のお仲間なんですから……!」
「あいつは俺に特別反抗的だからなっ! リズの方が言うことを聞くだろうっ!」
「いやいやいや……!?」
なんで皆私の事を愛称で呼ぶのだろうか!?
「大丈夫だ! あいつは案外ちょろい! リズも知っているだろう!?」
「え? い、いや……知らないですけど……?」
「そう言えばそうだったな! すまないっ! はっはっはっはっ!」
意味なく笑われる。どういう事!?
「じゃあ、頼んだぞ!」
「えええぇぇぇっ……!?」
妙な頼まれごとをされてしまった。
ど、どうしてこんな事に……?
自分、自信ないです……。