1話 再会の言葉
【過去】
轟々と炎がうねっている。
まるで地獄の様な風景であった。
見渡す限りのあらゆる動植物は焼け、炭化し、真っ黒くその命を溶かしてしまっている。元々小さな森であったその場所は悪魔の炎によって一面を赤色に染め上げられてしまっていた。
全てが炎に呑み込まれた悪夢のような光景であった。
しかし、その炎を生み出した悪魔もその森の傍らで死骸を晒していた。真っ二つになった体が自分の炎によって焼かれ、灰になっていく。
この悪魔を倒したのは勇者とその仲間達であった。
人知を超える悪魔の討伐。それを果たした勇者たちはそれだけで未来永劫語り継がれる英雄となるべき存在であった。
しかし、被害も大きかった。
「リズ! リズ! しっかりするんだっ……!」
炎の中で勇者が1人の女性を抱きかかえている。
「ゆう……しゃ、様……」
抱きかかえられた女性は途切れ途切れ勇者に返事をする。
金色の長い髪がふわりとウェーブしている美しい女性であった。眉目秀麗で瞳は大きく、美しさと可愛らしさを兼ね揃えていた女性だ。
しかし、今は苦しそうにその顔を歪ませている。
「リズ! しっかりしろ! お前がこんなところで死ぬ筈がないっ……! 死ぬなんて許さんぞっ……!」
勇者は何度も何度もその女性に語り掛ける。その女性が眠ってしまわない様、必死に呼びかけていた。
リズと呼ばれている17歳の少女は腹が大きく抉られていた。悪魔の残滓である炎が彼女の傷口にこびり付いており、そのお腹の大きな傷口からは大量の血が流れ出している。
普通ならば既に絶命していて然るべき大きな傷。
しかし、リズと言う少女は浅い息を保ちながら必死にその命を繋いでいた。
リズの傍には聖女と呼ばれる女性が一生懸命リズに回復魔法を掛けている。しかし、悪魔の残滓の炎がこびり付いた大きな傷は一向に治る気配が無かった。
もう駄目なのか。彼女を見守る勇者の仲間たちは胸の内に絶望が込み上げてきた。
しかし、
「……大丈夫、ですよ」
掠れる声でリズはそう言った。
「……私は、死にません」
「リズ……」
勇者の、彼女を抱き締める力が強くなる。
「私の……魔力とか、魔族の存在の力とか、記憶とか……全ての力を治癒に、変換すれば……命は……繋ぎ止められる、筈です……」
「……リズ」
彼女は勇者のパーティーの中でも異質な存在だった。
リズはとある魔族の先祖返りであった。ある魔族の特徴がリズに色濃く出ており、その力を利用して彼女は魔法使いとして活躍をしていた。
「全ての力を治癒に変換すれば、助かる?」
「はい……」
「じゃあ……お前の力も記憶も全て失われるのか……?」
「……はい」
勇者の言葉に、リズは弱々しく頷いた。
「……申し訳ありません。旅の途中で……脱落するようなことに、なってしまい……お役に立てず……申し訳ありません……」
リズは泣きそうな声でゆっくりとそう語った。周りの仲間達からも涙が零れた。
「構わねぇ。お前の命が最優先だ。さっさと力を使って、さっさと助かれ」
「……はい」
ぶっきらぼうな勇者の物言いに、リズはゆっくりと微笑んだ。
彼女の体から大きな光が巻き起こる。それは自分の存在すらも消費してしまう程の強い光だった。彼女の腹の大きな傷がゆっくりと癒えていく。
「カイン様……」
その光の中で、リズは勇者の名前を呼びかける。
「なんだ?」
「……さようなら」
そう涙を零しながら呟いた。
「……あぁ、またな」
勇者は彼女の頭を撫で、そう返した。リズは笑った。
大きな光が辺り一面を眩しく包み込む。
そうして、とある少女の力は失われていった。
分厚い雲が空を覆う、悲しい日の出来事だった。
【それから、1年後】
暖かい日差しが地上に降り注ぐ、穏やかな日の事だった。
小鳥はさえずり、風はなびき、庭園の芝生はさわさわと音を立てて揺れている。
戦いからはかけ離れた平和な校舎の中は、たくさんの生徒たちの賑やかな興奮によって彩られていた。
ここは王国が運営する大きな国立学院であった。
歴史のある誇り高い伝統校であり、有名な貴族の家の子女だけでなく、国内で有望な能力を持った平民達も広く受け入れている学校であった。
いや、国内だけでなくこの学校の評判は世界にも広まっており、是非この学校で学びたい、学ばせたいと遠い国から留学してくる人も多くいた。
10代から20代程の幅広い年齢が1つの学園に集まり、共に勉学に励んでいた。
そんな将来を担う若者たちが集う学園の中は、現在、ある話題によってざわざわとざわついている。
「リーズリンデ様! リーズリンデ様! いよいよ今日ですねっ……!」
歴史の重みを感じられる校舎の中で、とある女子生徒が興奮した口調で1人の貴族の生徒に話し掛ける。
リーズリンデと呼ばれた少女は声を掛けられた友達の方に顔を向け、嫋やかに笑った。
「はい。今日、勇者様方一行がこの学園に編入なされるなんて、ドキドキしますね」
その少女はふわりとウェーブした長い金髪を揺らし、そう答えた。
この学園は今、大きな話題で持ちきりとなっている。
なんと、世界中でその武功を轟かせている勇者一行がこの国立学院に編入するというのだ。
今や世界中の憧れの存在である勇者様達の来訪に、学園中が揺れていた。
「ま、まさか私、勇者様達と学友になれるなんて夢にも思っていませんでしたっ!」
「勇者様の仲間である姫騎士様や聖女様達の傷を癒すため、1年ほど旅を休止するって言ってましたよね!」
「魔王軍幹部との戦いで傷ついてしまった事は大変痛ましい事ですけれど……それでも勇者様達と一緒に生活が出来る事になるなんて、まるで夢みたいですっ!」
皆が顔を赤らめながら興奮しきっていた。
勇者がこの学園に編入する理由として、長旅の疲れを癒す為というのがあった。魔王を倒すべく幾度となく魔王の配下と戦い続け、彼らは生傷が絶えることが無かった。
その中で、先日魔王軍の強大な幹部を打ち倒すことが出来たのだが、その時に勇者の仲間が複数大きな痛手を負ってしまった。
その傷と長旅の疲れを癒す為に、1年ほど1つの拠点に身を置き、勇者たちはそこで生活をする事となった。
その拠点がここ、国立学院だった。
「皆さん……」
興奮で騒がしくなっているクラスメイト達に向かい、リーズリンデは口を開いた。
「勇者様方が来ることとなって嬉しくなるのはとても良く分かりますが、自制の心は大切にしましょう。くれぐれも勇者様達の負担となってしまうような行動は慎んで下さいね」
「はい、そうですね。リーズリンデ様」
「仰る通りですね、リーズリンデ様」
リーズリンデと言う少女の言葉に、クラスの雰囲気は少し引き締まる。
彼女は成績優秀、品行方正、家柄も良く、誰からも尊敬されている人物だった。眉目秀麗で瞳は大きく、美しさと可愛らしさを兼ね揃えていた女性である。
去年、この学園に編入してきたばっかりなのだけれど、彼女の可憐な振る舞いはすぐに学園での憧れの的となった。
クラスのリーダーとまではいかなくても、とても皆に慕われる存在だ。
リーズリンデはくすりと笑う。
「でも、まぁ……私も気持ちがふわふわとしているんですけどね?」
「それはそうですよね!」
「だって勇者様と一緒に勉強出来るんですものっ!」
リーズリンデはクラスメイト達と笑い合った。
「勇者様が来たぞーっ!」
そんな時、校門の方から大きな声が聞こえてくる。
勇者達一行を乗せた馬車が学園に到着したのだ。
わいわいと校門の辺りが騒がしくなる。世界の勇者様達を校門まで出迎えに来る者、教室の窓から校門を覗く者、学校中の生徒たちが勇者達一行を一目見ようとざわついていた。
1台の大きな馬車が校門をくぐり、学園の庭にゆったりと入ってくる。
学園の生徒たちは馬車の行く道を遮らない様に2つに分かれ、勇者たちを乗せた馬車を横から眺めていた。
そして馬車は止まる。
馬車の目の前にはこの学園の校長、副校長、学園の生徒会長などが並んでいる。
馬車の扉がぎぃと開いた。
「勇者様だっ……!」
世界の希望の星が馬車の中から姿を現し、生徒たちから歓声が漏れる。
長身で黒い短髪の青年が姿を現した。目鼻立ちが良く、その切れ目からは幾数の苦難を己の力で乗り越えてきた力強さが感じ取ることが出来た。
ゆったりと歩くその佇まい1つだけで、周りの生徒たちはごくりと息を呑むこととなる。
馬車から勇者の仲間たちが次々と姿を現す。
この国の姫騎士シルフォニア、大教会の聖女メルヴィ、大戦士ガッズとレイチェル、大魔導研究所の熟練魔導士ラーロ、冒険者ギルドのベテランのフリアン。
皆、物語や歌の中で伝え聞いてきた勇士たちであった。
「お出迎え大変感謝致します。私は聖剣アンドロスを抜き、勇者を名乗らせて頂いているカインと言います。これから一年、宜しくお願いします」
勇者カインは校長達の前に立ち、流麗な仕草でお辞儀をした。皆、その勇者の姿にうっとりと見惚れる。
「勇者カイン様、長旅ご苦労様です。是非この学園で疲れを癒し、勉学に励み、学友たちと良き交流をお結び下さい」
「皆さん、勇者様達のお荷物をお預かりしなさい」
「はいっ!」
校長たちの後ろに控えていた生徒たちは荷物持ちの役目だった。そそくさと動き、勇者たちの仲間達から荷物を預かったり、馬車の中の荷物を運び出したりしていた。
この学園の生徒リーズリンデも勇者たちの荷物持ちに選ばれた生徒の1人だった。
「(う、うわぁ……! ほ、本物の勇者様だぁ……!)」
リーズリンデは頬を紅潮させながら、ぎこちない動きで勇者カインの傍へと移動する。
勇者様が来たからと言って騒ぎ過ぎて迷惑を掛けてはいけない、と友達たちを窘めた彼女であるけれど、それでもドキドキとする胸の高まりは隠しようが無かった。
「お、お荷物お預かりします……勇者様……」
そう緊張した声を掛けながら、リーズリンデは勇者の荷物を受け取ろうと手を伸ばした。
すると、勇者カインは口の端をニヤッと少し歪め、それまでの口調とは大分趣の違う気安い声を発した。
「おう、リズ、頼む」
カインはニッと笑っている。彼と彼女の身長差から、リーズリンデは彼を少し見上げ、カインは視線を少し下に降ろしている。
それまでの精錬とした口調や表情は鳴りを潜め、その声と笑顔はどこかいたずら小僧のように軽く、親しみ易いものとなっていた。
その態度はリーズリンデにだけ向けられていた。
どくん、と心臓が跳ねる。
そのカインの声を聞き、姿を見て、リーズリンデは全身がかぁっと熱くなるようだった。
体中の血が熱く沸騰するようだった。
顔はもっと赤くなり、体がぶるりと震える。勇者カインのたった一言で、何か……何か自分の中の熱い感情が掘り起こされてしまったかのようであった。
強い衝動が彼女に駆け巡る。
「あ……」
気が付いたらリーズリンデはカインの服の裾を摘まんでいた。
カインはそれに気が付く。彼は彼女の真っ赤になった顔を覗きこんだ。
「あ……」
リーズリンデは自分が何故このような事をしたのか、自分でもよく分かっていない。
ただ、体が勝手に……彼女の強い衝動が、勝手に勇者を自分の下へ引き寄せようとしているようだった。
「……なんだ?」
「ぱ……」
彼女の熱い衝動が言葉になろうとしていた。
言いたい事があった。言わなければならない事があった。
まるで彼女の中に消えてしまった彼への熱い思いがあって、それが強く呼び覚まされたかのようであった。
「ぱ……!」
体の奥底から強い思いが溢れ出る。衝動は彼女の胸を焼き焦がす。
リーズリンデはカインに顔を近づける。カインはそれを受けて、彼女にそっと身を寄せた。
周囲には聞こえない、2人だけのやり取り。
彼女は彼に囁いた。
「パンツくださいっ……!」
……清楚な彼女は確かにそう言った。
1年前、勇者達にはもう1人、魔法使いの仲間がいた。
リーズリンデ――愛称リズ。
彼女はとある魔族の先祖返りであり、先祖の魔族の力が強く顕現した人間であった。その魔族の力を使い、魔法使いとして勇者たちの仲間となっていた。
しかし1年前、彼女は大きな傷を負い、それを治す為に記憶と力を失ってしまった。
それから勇者たちはリズを巻き込まない様に彼女と別れ、彼女は何もかも忘れて国立の学園生となり、普通の人間としての生活を送っていた。
リズはとある魔族の先祖返りである。
彼女の衝動は敵も味方も誰も止められたことが無かった。
彼女は色欲の淫魔――サキュバスの先祖返りであった。