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イノチ ハ イキル


 人類が地球を汚すという言葉は適切ではない。

 かつて(こよみ)の無かった地球はマグマに覆われ、生命が営める場ではなかったが、徐々に変わっていった。

 ある植物は二酸化炭素を酸素に変え、ある動物は植物を土に変えた。進化と繁栄には必ず環境改変を伴う。

 そして人類が自らの利用できる資源を使い果たしつつ有っても、天然自然はその環境を書き換える生命を生み出すことはなかった。


 母たる地球が生まないならば、自らこそが父となるべく人類は生み出した。

 プラスチックを食べ、石油を生む虫を。

 錆びた合金を食べ、元の金属に分離する虫を。

 核分裂を終え放射能をまき散らすだけの汚物を食べ、ウラン235を生み出す虫を。


 狂科学と(ささや)かれたDNA改造実験の末、幸福を生む化学となった虫たち。

 人々は、昆虫(インセクト)救世主(セイヴァー)救世虫(インセイヴァー)と呼んだ。

 地球環境の人類の生存困難化、温暖化による異常気象、資源の枯渇。

 多くの絶滅的不安から解放された人々は、清々しい朝に目覚め、安寧の夜に眠った。

 ――束の間の春、だが人類の冬は訪れる。人類の冬はインセイヴァーたちにとっての春である。


 寿命や成長限界を取り除かれたインセイヴァーが人類の制御からすら解き放たれたのは、空想の上でのみの予定調和であり、現実的には非現実的空想のはずだった。

 体長二メートルを超える虫たちは原子爆弾始め多くの兵器を食い尽くし、抗う術を失った人類は、容易く地球の支配者の座をインセイヴァーに譲り渡した。

 天然自然が生み出さなかった天敵を自ら作り出してしまったことに人類が気付いたときには、すでに遅かった。


 ひとりの(レークス)を中心に、八体の統率者(ドゥクス)が率いるインセイヴァー。

 近代兵器を失い、“クザン”の一族と仲間たちの孤軍奮闘の日々が、どれほどに続いたか記すヒトはいない。

 月日、年月、日々。時間経過を表す語句は多様に存在するが、その多くが天空の星々に起因していた。

 生きる義務に追われて朝が来て恐怖と共に夜を過ごす時代では全ての暦は再び意味を無くしていた。

 ――地下シェルター。

 来るはずがなかった破滅に備えて作られた循環型シェルターからは空が見えず、海はない。

 地球をインセイヴァーに譲り渡し、文字通りの食用の家畜として生きる他、“天然の人間”は蟻のように地下の巣に生きるだけのものになっていた。

 蟻の巣の中を走る静音ではなく無音エレベーター。

 乗っている兄妹の内、兄は壁に背を預けてアクビをひとつ、妹はマニュアルの復習中。

燕姫(つばめ)、そんなに緊張するなって。無理はしないよ」

「――無理をするのが私たちの仕事でしょ? 鴉主(からす)兄さん」

 穏やかな笑顔を浮かべる燕姫の兄・鴉主(カラス)は、このシェルターの中では特に重要な仕事を担い、今日からは燕姫も同じ役割を追うこととなる。

 全長二キロの蟻の巣をいくつか絡ませたような構造のコロニー・シェルターは、人糞から作るガスを用いる火力発電、並びに地熱によるタービン発電の併用によって電力を確保し、農耕を維持する半永久的に機能する密閉型シェルターとして五百人以上が暮らしていた。

 しかしながら、延々と使う内、設計時には想定されていないハプニングが起きた。

 地熱を電気変換するときに僅かずつ水分が地面に溶けるように浸透してしまうのだ。

 密閉型シェルターにおいて、循環の外に出た水は、宇宙に揮発した大気のように戻ることはない。

 鴉主は、その損失を補うべく外へ出て給水する。

 ――そう、インセイヴァーの溢れる地上に出て、水を集めるのだ――

「大丈夫だって。外は大雨。三十リットルならすぐだ」

「そう、かも知れないけど」

「それより、色々驚いても良いが叫ばないこと。複雑な段差も有るから最初は急がない、その辺りが大事だな」

「分かってるわよ」

 分かってるだけじゃな、と続けかけたところで、鴉主はエレベーターが止まっていることに気が付いた。「地階だな、マスクを付けろ」

「分かってるってば。汚染でしょ」

 何層か連なるマンホール状のシャッターをくぐり、燕姫はゴーグル越しとはいえ肉眼で初めて“汚染された”地上を見た。

 汚染源は、木々や草、動くものたちの糞尿に屍。折り重なれば土となり、雑菌を育む。

 雑菌が肥料となった土は野太い果花を付け、人類が絶滅させたかあるいは滅ぼしかけていた動くものたちの餌食となる。

 濃い酸素濃度、ペーハーを図るまでもない光の透る雨。

 地上は、インセイヴァーによって薬学的汚染や拘束的アスファルトから解き放たれ、大自然を獲得していた。



 ただ、シェルターで育った燕姫や鴉主は、ナノ秒ごとに進化する多様な雑菌に免疫を獲得できていない。

 太古の人間が当たり前に出来ていたこと、それをいつの時代かに置き忘れたようだった。

「兄さん!? 地面がグニョグニョするよ!?」

「テキスト読んでただろ。ぬかるんでるだけだ。草の多いところを歩け」

 シェルター内では訓練できない地表状態、泥寧(でいねい)は燕姫ひとりでは確実にパニックになっていただろう。

「自然にはシャワーより強い雨が有って泥になるって聞いただろ」

「!? なんでこの土、流れないの? 海って大きい水槽があるんでしょ!?」

「全部流れたら、その流れた先が大陸になるんじゃないか?」

「なるほど!」

 子供めいた理論展開をしながらも鴉主の動きは老練を滲ませ、何ヵ所かの行き付けの水場から食べ残された死体の有る泉を選ぶ。

 死体は様々な情報を残している。腐り方、致命傷の種類、残された部位。

 鴉主は、この泉を狩場(テリトリー)にする最大戦闘力を持つ狩猟者(ハンター)は空腹を満たされているが、次点以下の残飯整理(スカベンジャー)は、未だ飢えていることを読み取っていた。

「――雨で匂いが消えていると思ってるのを熱感知(サーモサーチ)で見付けて、飛び掛かってくるタイミングで電流掌(エレキスタン)でカウンター、簡単だろ?」

 燕姫には簡単ではなかった。

 なぜならば、燕姫には雨音しか聞こえず、気が付いたら鴉主の手の中に大きなヤマネコがエレキスタンでノックアウトされていた。

「これは水のついで。余裕がなければ良いよ」

 鴉主は十リッターのタンクを三っつ腰に吊り下げ、背には手足を縛ってノビたヤマネコを担ぎ、燕姫にも同じように水だけ持たせた。

「ザリガニとかは捕らないの? 私、持てるし、捌けるよ」

 水は蒸留すれば除菌できるが、食肉の加工は中に持ち込むまでにある程度しなければ汚れをシェルターに持ち込んでしまう。

 彼らは水集めと共に、食肉の屠殺(とさつ)も兼任していた。

「欲張らない。アクシデントが有ればこのネコも捨てなきゃいけないだろ?

 そうしたら、エレキスタンで付いた火傷をインセイヴァーが見付けたらどうなる?」

「インセイヴァーが見付けるより前に他のケモノが食べてくれるんじゃない?」

「九九パーセントな。だが一パーセントを百回繰り返したら?

 そんなことを続けたら、いつか百パーセントを超えちまう」

 的確な臆病は信頼に足る。

 燕姫は、野鳥や大蛙など、シェルター内では貴重な動物性タンパクに目移りしている感情が短慮な無謀であることを学習した。

 しかしながら、すぐに燕姫は賢愚の境が見えなくなった。

 シェルターの直上、出入り口のマンホール地点が視界に入った頃、“それ”は居た。

「兄さん、あれって!?」

「……“ヒト”だ」

 他の獣とは異なり、無毛の白い肌を覆うものはない。

 雨に晒され裸で横たわるそれは、紛れもなく人間の若い女だった。

「――燕姫、ヤマネコ頼む。俺はこの人を」

「兄さん、その人、インセイヴァーの人間牧場から逃げてきた人じゃないの!?」

「だろうな。見たことのない顔だ」

 声を荒げる燕姫に対し、鴉主は冷静に女の外傷やバイタルを確認している。

「発信器とかは?」

「――燕姫、サーモグラフを見てみろ」

「機械的なものに限らない! 熱探知なんか――」

「違う! 体温だ! 完全に三〇度を割ってる! 死にかけてるんだ!」

「シェルター内の全員が危険になる! みんなの同意が必要な事案よ!」

「違う! この人は今、俺達が救わなければ死んでしまう人間で――俺達は人間だ!」

 兄の力強い言葉に、妹はそれ以上何も云えなかった。


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