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彼の名はアジュクリウ その1

 刻限は朝のようだ。どうやら現実世界とファンガイアの時間は同期しているらしい。徐々に空に昇りつつある太陽と、その後を追う茜色の星が見える。反対側の空では、青白い光を放つ星が、地平線の彼方へと沈みつつあった。少し離れた草原には、アイリスが領主を務めているらしい村――ハリヴァタが見える。朝のハリヴァタは活気に満ちていた。家畜が屠殺される悲鳴、荷馬車の車輪が軋む音、周囲の農地へと出かける村人の声、放たれる家畜と、それを制御する人と犬の大声。家屋が炊事の煙を上げ、風に乗って肉の焼ける良い臭いが、達樹の所まで届く。達樹は昨日殺した馬のことを思い出してしまい、耐え切れなくなり視線を逸らした。そして、気を紛らわせる意味も込めて、自分の身体を調べることにした。

「ン? そう言えば……俺の身体ってどうなっているんだ? 意識だけがここに来ているんだろうけど、じゃあこの身体は何なんだ? 一体鎧の下はどうなって――」

 達樹は自分の服を、肌から引き剥がそうとした。しかし肌に張り付いているように剥がれない。達樹はそれでも無理やり引っ張ったが、身体から衣服を引き剥がすことはできなかった。そこで達樹は、レザーメイルがまるで枷のように、服を抑えつけているのに気付いた。仕方なく他に脱げそうなものが無いか体を見回す。しかし手には手袋、足先には靴が履かされていて、それぞれ膝当てや手甲で脱げないように抑えられている。唯一肌が露出しているのは、頭だけだった。

「何しに来た!」

 達樹はいきなり怒鳴られた。達樹が声の主を振り返ると、アイリスが鬼の形相で睨みつけていた。達樹は緊張に面持ちを硬くしながら会釈する。達樹は頭を下げながら、アイリスの問いにどう答えたらいいのか戸惑った。不思議な事に、昨日あれだけの体験をしながら、達樹はアイリスに会うまでゲーム感覚でここに来ていた。達樹は恥で顔が熱くなるのを感じた。だが、昨日の言葉に偽りはないつもりだった。

「あ……その……償いに来ました。何か仕事はありませんか? あったら手伝わせて下さい」

 アイリスの眉が訝しげに寄る。しかしすぐに彼女は憎しみをたぎらせた。

「貴様に頼む仕事なぞないわ害獣が! ここは我が領土! 早々に失せろ!」

 アイリスは威嚇するように、懐から魔石をいくつか取り出す。このまま達樹が留まるのなら、実力行使に出るつもりだろう。本当は殺したくて仕方ないのかもしれない。

「すいません。すぐ出ていきます」

 達樹はもう一度ぺこりと頭を下げた。そして森へと向かった。アイリスは森へと向かう達樹に、嫌悪感を抱いたようだ。強く拳を握りしめ、腕を震わせている。ユナの支配する森に、アジュクリウの手の者が立ち入ることが嫌なのだろう。だが彼女は何も言わず、達樹が森に入るまで黙って睨み続けていた。森に足を踏み入れた時、達樹はアイリスを振り返った。

「あの……俺……ちゃんと約束を――」

「黙れ! 耳が腐る!」

 アイリスは聞きたくないと言った風に、両手で耳を塞ぎ、首を左右に振った。達樹は気勢を失し俯いた。達樹はしばらく森の中をふらついていた。森の中は静寂に支配されている。する音とすれば、達樹が枝葉を揺らし、小枝を踏み砕く音だけだった。達樹の心が孤独と虚無感で満たされていった。知りたいことはたくさんある。この世界は本物なのか、偽物なのか。封印されたという、ユナの精霊はどこに行ったのか。そもそもアジュクリウはここで何をしたのか。ファンガイアは現実とどうやって繋がって、達樹はどういう原理でここにいるのか。

「とにかく……どうすっかな」

 達樹は手ごろな切り株を見つけて、その上に腰を下ろして考え込んだ。だが落ち着いて考えることが出来ない。不自然なまで森が静まり返っているせいだ。何故ここまで静かなのか。それはユナの精霊がいないからだ。達樹は閃き、切り株から勢いよく立ち上がった。

「そうだ! 精霊がどこに行ったか探しに行こう! アジュクリウがユナの精霊を封印したのなら、きっとゲームの根幹にも関わっているはずだ! ゲームならそれが目的に違いない。ここが現実だとしても、精霊が戻ってきたら森に平穏が戻ってくる。償いにもなるぞ! いよぉ~し! 目標が決まったぞ!」

 達樹は消沈した気分を、希望に明るくさせた。そこで達樹の剣が、注意を喚起するように軽く振動した。全く気配のしなかった森が、異様に騒めき始める。

「噂をすれば何とやら……来たな!」

 達樹は背中から剣を抜き放ち、周囲を注意深く見渡した。目の前の茂みの向こう側から、木々を揺らしつつ、何かが近づいてくる。やがて茂みをかき分けて、魔物の一団が姿を現した。

 緑色の小鬼だ。小鬼は人間の子供ほどの大きさしかなかったが、その小さな体躯は筋肉で盛り上がっていた。脳が小さいのか頭頂は低い。代わりに犬のように鼻が大きく出っ張っていて、鼻先は膨れ上がり、大きなイボがいくつもできていた。目は血走り、口の端からは息とともに泡を吹いている。ズタの服を身にまとい、手には粗末な棍棒を握りしめていた。

 恐らくゴブリン。数は全部で四匹だ。

 ゴブリンたちは、達樹を見つけると、一斉に殴り掛かってきた。達樹は慌てずバックステップを踏んで躱す。タツキの座っていた切り株が、ゴブリンたちの棍棒を受けて、木っ端微塵に砕け散る。とんでもない馬鹿力だ。達樹は剣を正面に構えたまま、まずゴブリンたちの動きを観察することにした。棍棒を振り下ろしたゴブリンは、切り株の残骸をしばし見つめていた。やがて彼らは、残骸の中に達樹がいないことを知ったのか、きょろきょろと辺りを見回し始める。達樹が目の前にいるのにも関わらずだ。そして達樹を見つけると、再び棍棒を振りかぶり、達樹に襲い掛かってきた。

(単純なアルゴリズムだな)

 達樹はその攻撃もバックステップを踏んで躱す。目の前の地面に棍棒が叩きつけられ、地面が大きく抉れた。ゴブリンはまたもや棒立ちになり、抉れた地面を見つめている。今度は達樹が襲い掛かる番だった。剣を振るい、一匹目のゴブリンの首を横なぎに払う。そのゴブリンの首には、鋭い光の筋が走った。ゴブリンはくるんと白目を剥くと、ブロックノイズを発しながら崩れた。

 一匹減った訳だが、安心はできない。残った三匹が、達樹に狙いを定めて棍棒を振りかぶっていたのだ。ゴブリンの静止時間は、さっきよりも明らかに短い。攻撃後のゴブリンに近ければ近いほど、静止時間が短くなるよう設定されているのだろう。正面と左右からゴブリンが飛び込んでくる。攻撃後の達樹は姿勢が崩れていて、それを避けることは出来ない。ゴブリンの棍棒が、正面と左右から振り下ろされる。達樹は左手を剣から手を離し、左側の棍棒を手で受け止めた。ずしりと重い手応えに、少し押されるが、無事受け切ることに成功した。次いで正面のゴブリンの腹を蹴りあげる。達樹はそんなに強く蹴ったつもりはなかったが、ゴブリンは腹をくの字に折って吹き飛ばされ、背後にあった大木の幹に叩き付けられた。二匹の攻撃を止めることは出来たが、右のゴブリンに対しては何もできなかった。

 達樹のこめかみから感覚が消えていく。棍棒が振り切られ、達樹は殴り倒された。達樹の意識が喪失感のせいで朦朧とする。どうやら部位によって身体に与える影響が違うようだ。達樹は地面に這いつくばった身体を立たせようとする。しかし背中にゴブリンの追撃が叩きこまれる。今回の攻撃は静止時間が全くない。やはり静止時間は距離に依存しているようだ。そして殴り倒された達樹とゴブリンの距離はほぼゼロだ。静止時間はないに等しかった。やがて達樹が棍棒を受け止めた左側のゴブリンの攻撃も加わり、達樹は地面に打ち伏せられる。

(このっ……クソゲーッ!)

 達樹は三匹目がリンチに加わる前に体勢を立て直すため、ゴブリンたちの脚めがけて剣を振るった。その一撃は一匹のゴブリンの足を、脛から切り落として転ばせた。残りの一匹はそれをジャンプして躱す。剣を躱したゴブリンは棍棒を振りかぶり、体重を乗せて達樹を打ち付けようとした。

 だが棍棒が達樹に叩き付けられることは無かった。何かが木々の隙間を縫って飛来し、ゴブリンの足をすくい上げていったのだ。ゴブリンは宙をひっくり返って、頭から地面に叩き付けられた。

 達樹は喪失感によって少し擦れた眼で、ゴブリンをすくい上げた『何か』追った。それは手の平の収まるほどの大きさの女の子だった。身体に衣服を何もまとっておらず、生まれたままの身体を外気にさらけ出している。しかし彼女の身体は起伏も皺も特徴もなく、エロスティックなものより、神秘的な雰囲気を醸し出していた。更に背中からは翅翼を二対持っており、それで空をかいで飛んでいる。

「妖精……?」

 達樹がつぶやく。妖精は達樹と目を合わせると、精緻な顔を恐怖と嫌悪に歪ませて、軽い悲鳴を上げた。

「あれ……妖精じゃないっ……人間だ……」

 妖精は達樹の姿をじっと見つめた後、見切りをつけて森の奥に引っ込んでしまった。

 達樹の目の前で、倒れていたゴブリンがのそりと起き上がる。同時に足首を斬られたゴブリンが達樹の足首を掴んできた。達樹は妖精に気を取られているところではない事を思い出す。まず、自分の足首を掴んでいるゴブリンの背中に、剣を突き立てて止めを刺す。ゴブリンは甲高い断末魔を上げて、ブロックノイズと化した。達樹は急いで剣を引き抜くと、起き上がり飛びかかって来るゴブリンに即座に斬りかかった。 達樹の剣とゴブリンの棍棒が交差し、二人がすれ違う。達樹の剣は棍棒ごとゴブリンの身体を、上下真っ二つに両断した。達樹の背後から、肉が地面に落ちる音がした。残り一匹。達樹が大木の幹まで蹴り飛ばしたゴブリンだ。ゴブリンは未だ静止状態にあり、辺りをきょろきょろと見渡していた。達樹は牛の角のように剣の切っ先をゴブリンに向けた。この時、ゴブリンも達樹の存在に気付いたようだ。棍棒を構えて走り寄って来る。達樹は構わず突進し、剣の切っ先をゴブリンの腹に叩き込んだ。剣はゴブリンの腹を難なく刺し貫く。だが達樹は突進することを止めなかった。そのまま走り続けて、大木の幹に叩き付ける。そして梢にはりつけにした。

 ゴブリンは最後の足掻きとして、達樹の身体を引っ掻いたり叩いたりした。しかしそれは赤子のように弱い力で、達樹に何のダメージをも与えることができなかった。ゴブリンは最終的に両腕を痙攣させると、ブロックノイズになって崩れ落ちていった。ゴブリンの力を吸い、剣が微震を放つ。今度の変化で、刀身が軽い緑色を帯びた。そして達樹の目の前の空間に、文字が躍った。

『スキル入手:レインフォース』

 達樹はゴブリンが魔石に成り果てて足元に転がるのを確認すると、その場にへたり込んだ。

「浮かれ過ぎて死ぬとこだった……なかなか優秀なAIしてるじゃねぇか……」

 達樹は魔石を拾い上げて、シリンジを精製すると腕に突き立てた。身体に感覚が戻り、視界のぼやけも収まっていく。そして少し離れた木陰から、こちらの様子を窺って来る妖精を見上げた。

「さっきはありがとう!」

 達樹はできるだけ気さくに語りかけた。これ以上敵を増やすのはごめんだった。達樹に敵意が無い事を感じ取ったのか、妖精は木陰から姿を現すと、ふよふよ上下に揺れながら達樹に近づいてきた。妖精は何か違和感を達樹に対し抱いているようで、丸い目を細長くして達樹の全身を舐めるように見つめてくる。

「あれ~? やっぱり妖精っぽいなぁ~。でも人間の形してるし……なんか変な感じがするんだよねぇ……? まぁ人間じゃなければいいや。リロ人間大っ嫌いだから」

 リロと自称する妖精は、腰に手を当てて憤って見せた。

「えと……君はこの森の妖精?」

 達樹が訪ねると、リロは少し表情を暗くして、首を左右に振った。

「ん~ん。違うよ。東のペジテから流れてきたの。精霊のロリーディア様がいなくなって、カイブツが湧き出したから。どこか住めるところはないかな~って。でもここもおんなじみたいだね。オルベロス様もいなくなっちゃって、ユナ様の生命もどこかに行っちゃったみたい」

 今度は達樹が表情を暗くする番だった。アイリスの言った通り、異変はこの森だけではなく、あちこちで発生しているようだ。達樹が被害の大きさに沈んでいると、肩に何かが乗る感触がする。見るとリロが達樹の肩に腰を掛けて、慰めるように微笑んでくれている。きっと達樹のことを、同じ境遇の仲間とでも思ってくれているのだろう。達樹は受け入れられたような気がして、ふっと表情を軽くした。リロもにっこりと笑う。そこでリロは肩を飛び立つと、達樹の目の前に迫り、真顔で詰め寄ってきた。

「でさ、そーゆーあんたは何処の誰なの? 何でこんな危ないところウロウロしてるの? 見た目人間だけど、リロの眼は誤魔化せないんだからね! あのブサイク蹴り飛ばしたり、なぎ倒したりなんか、貧弱な人間には絶対無理なんだから。ん? ちょっと待って……この感じって……もしかして……」

 リロの眼がぱぁっと輝く。そして飛び立つと達樹の周りをぐるぐると回った。

「せ……精霊だァ! すごぉ~い! リロ初めて見たよ! ねねね! あなたは何の化身なの!? 何ができるの!? 見せてよ見せてよ! あっ! そうか! オルベロス様がいなくなったからここを治めに来たんでしょ。リロもここに置いてよ! 絶対役立つからさ!」

 達樹は一人で盛り上がっていくリロに面食らった。しかしリロは達樹を敵視はしていないようだ。達樹は精霊とやらに成りすまし、話を聴くことにした。

「あ~……その通り。俺は精霊なんだ。え~と……達樹っていうんだ。よろしく。だけどまだ精霊に成り立てでさ、な~んにも知らないんだ。だからリロにいろいろ聞いてもいいかな?」

「へぇ~。精霊でも知らないことがあるんだ! いいよタツキ。聞いて聞いて!」

 リロは純真な眼で達樹を見返し、満面の笑みで頷いてくれた。偽りの言葉でその笑みを引き出した達樹の心は少し痛んだ。達樹はリロに何を聞くべきか考えた。リロにここが何なのか聞いても無駄だろう。だから達樹は探し、成りすます事となる、精霊の話を聴くことにした。

「精霊って、どんな仕事をするの?」

「そりゃ自分の生まれた土地と、環境と、命を守ることに決まってるじゃな~い」

「その土地の領主みたいなものなのか?」

「違うよぉ。領主なんて、人間が勝手に決めた物だよ。精霊はユナ様が生んだものなの。この大地の命を育むユナ様が、魔石をたくさんたくさん産むじゃない? その魔石を『心』にして、妖精が生まれて、その中でも皆をまとめられるほどすんごいやつが、精霊になれるのよ。精霊は皆の魔石の心を束ねて、自然を守るの。そうして植物を肥やして、動物を育み、命で世界を溢れさせるの」

 リロの説明は宗教の色合いが強く、達樹には理解しがたいものだった。

「えと……じゃあ自然の守り人みたいなものか?」

「う~ん。それだとゴカイがあるなぁ。精霊はね、自然そのものだよ。自然の化身として、自分の力にあった環境を展開して、それにあった生き物たちを呼び寄せるの。それよりタツキ、頭ダイジョブ? 昔は妖精だったんでしょ。今までどうやって生きて来たの?」

 聞き終えて、達樹は頭痛を堪えるように額に手を当てた。アジュクリウは精霊を封印し、環境を破壊し、生きる糧を奪っている。これはあれほどの恨みを買うに十分だろう。

「アイリスや村の人が怒る訳だ――この調子じゃ馬を殺さなくても、あの穴まで引きずられて行ったな」

 リロはそれを聴いて、口をいの字にした。

「人間怒らせたの? 別にいいじゃない。あれってさ。アジュクリウの手先なんだよ。人間って、私たちと違って魔石の『心』を持っていない、肉と血だけでできたデキソコナイなんだ。あいつらリロたちの心の事を、ちゅーすーませき(中枢魔石)とか言ってるけどサ。だから精霊様と『心』で繋がることが出来なくて、契約をしてるの。そして精霊の創り上げる自然を壊さないって約束するんだ。精霊様はその見返りとして、自然の力を人間に貸してあげるだけど、あれ止めた方がいいと思うんだけどな……」

「自然の力を貸すって?」

「ホラ。人間が魔石に『撃て』とか、『凪げ』とか命令するじゃん。あの言葉にはさ、精霊様の力ある言葉が含まれてるの。だからそれを唱えると、魔石の力を消費して、自然を無理やり従わせることが出来るんだ。あれやるとぐわぐわするし、アジュクリウの秘儀とそう変わんないし、土地も枯れるからヤメテ欲しいんだよね。という訳でタツキ、その村とっとと森から追い出そうよ!」

 リロは人間が心底嫌いなようだった。憤りに頬を膨らませて腕を組み、森に隠れて見えない、ハリヴァタの村を睨んだ。達樹は苦笑いを浮かべながら聞き流そうとして、ハッとした。リロはアジュクリウが人間を創ったと言った。つまりアジュクリウは昔からファンガイアにある概念ということだ。ゲームメーカーがユナを封印したのはどう考えても最近のことで、時間的に食い違いが生じる。

「その……アジュクリウって……ナニ?」

 達樹が聞くと、リロは信じられないと言った風に、全身を使って驚きを表現した。

「おっどろいた。タツキってなぁ~んにも知らないんだね」

「成りたての精霊なもんでね」

 リロは初めて会った時のように、眉間に皺を寄せた。しかし今度は、寄った皺が消えることは無かった。彼女は疑うような眼で、達樹を見るようになった。

「アジュクリウは悪~い精霊。ユナ様の精霊と違って、皆の心を聞いたりしない。自然の力を独占して自分勝手やったり、何も考えず人間の言うことだけを聞く、サイテーな精霊だよ。アジュクリウは自分の為だけに魔石を使うから、心を通わせる魔石を持たない人間を創ったんだ」

 達樹は納得がいった。つまりユナの精霊は魔石で心を通い合わせて、それを束ねた集合意識の様なものらしい。対するアジュクリウの精霊は、個人意識で動いているようだ。

「そうなると、アジュクリウの精霊が生まれたら大変だな」

「そりゃそうだよ。ユナ様の恵みを使って自然を守らず、自分の好きなように造り替えちゃうんだから。昔っから色んなアジュクリウの精霊が生まれて、空飛ぶお城を創ったり、海底に街を創ったり、森を切り開いたり、山を崩したり、海を割ったりして、滅茶苦茶してきたんだ。でもいっつも滅んできた。命は自然から離れて生きることは、出来ないんだから」

 リロはアジュクリウが滅ぶことを、力を込めて言った。しかしそれで押し殺すことのできなかった不安に潰されるように、悄然と肩を垂れた。

「でも最近、また復活したみたい。アジュクリウが変な奴を送り込んできたのは知ってる? ぐるぐる回る円盤のついた、ヘンテコな武器を持った奴ら。そいつらは精霊に成りすまして、精霊を次々に封印しちゃったんだ。そのせいで自然を支配する者がいなくなって、あちこちでいろんな異変が起きているんだ。またきっとよくないことが――あれ? あれれれれれれ?」

 リロは眉間に寄せた皺を消して、顔を引きつらせた。そして冷や汗を垂らしつつ、達樹の方を――正確には達樹が背負っている剣――に注目した。

「たた……た、タツキ……? ホラ? タツキの背中にあるのって……何なのかな? ちょ~っと見せてくれないかな」

 もう誤魔化せない。達樹は気まずそうに頭を掻いた。その仕草にリロは恐怖を掻き立てられたのか、丸い目に涙を浮かべて縮み上がる。

「ああ、これはディスクウェポンという剣だ。俺はアジュクリウだけど、その手先なんかじゃない。聞いてくれ――」

 達樹はリロに語り掛ける。だがリロは顔面蒼白になって、すぐに森の木々の隙間を縫って逃げ出した。

「アジュクリウの手先だぁあ! 私を騙して喰うつもりだったんだ! 殺されちゃうよ!」

「リロ……ちょっと待ってくれよ! 俺はそんなことしない!」

 達樹はリロの後を追って駆け出す。姿は見えないがリロの翅が羽ばたく音を頼りに、草木をかき分けて森の奥へと入り込んでいく。徐々に森の木々が減り、木漏れ日が強くなった。やがて森が開けた場所に出る。そこは森が崖に面している場所で、日当たりが悪いせいか、草木が茂っておらず、土が剥き出しになっている。広場全体は、崖の日陰の中にあって、その薄闇の中にリロがいた。そこには昨日出会ったアジュクリウの女神、ユ=シリーズもいた。

 どういう訳か、リロは人間の姿をしているユ=シリーズのことを、味方だと思っているらしい。必死に女神の裾を引っ張り、逃げるように急かしていた。しかし当の女神はその場を離れるつもりはないらしい。リロだけ逃げるよう諭していた。二人は達樹に気付いて目を丸くする。必死の形相で逃げようとするリロに反し、女神は瞠目の表情を柔和なものに変えた。

「タツキさん。無事ワームを倒せたようですね。素晴らしい戦績です」

 女神の落ち着いた物腰に、リロも少し落ち着きを取り戻す。女神の顔の周りを、ふよふよと飛び回り始めた。

「え……? あのアジュクリウ、精霊様のお知り合いなの?」

「ええ。私もアジュクリウなのよ。アジュクリウの精霊なの」

「い!? あじゅ……あじゅ……くりう? この森は……アジュクリウに支配されちゃったの……私アジュクリウの支配下にいるの……?」

 リロは恐怖のあまり、浮遊した状態で固まってしまった。奥歯を打ち鳴らし、溢れる恐怖心に、全身を震わせている。そんなリロを見て、女神をきつく目を閉じると、悲しげに息を吐いた。リロを痛ましく思っているようだった。

「別に怖がることはないのよ。誰かのための自分ではなく、自分の為の自分になれるのだから。興味があったら、パパス=タナトスの教義を受けて来るといいわ。きっと改宗できるから」

 達樹は身体に付いた枝葉を払い、ユ=シリーズの前に進み出る。達樹には確信があった。ユ=シリーズは、この世界の秘密を知っているに違いない。彼女は達樹にたくさんの事を教えてくれた。ツールの使い方や、ある程度のこの世界の仕組みについてもだ。

「君は何者だ。プレイヤーなのか? プログラムなのか? それともこの世界の人物なのか?」

「前にも言った通り、私はアジュクリウの精霊です。それ以上でもそれ以下でもありません」

「アジュクリウの精霊なら、ユナの精霊が何処に封印されたか知っているだろう。精霊が何処に封印されたのか教えてくれ。見ての通り碌なことになっていないのは、分かっているはずだ」

 達樹はユ=シリーズに詰め寄る。だが彼女はまたもや首を左右に振った。そして固まるリロを、優しく達樹の方に押しやりながら、酷い棒読みで応えてきた。その仕草はちぐはぐで、まるで彼女には異なる人格が二つ宿っているようだった。

「ユナの精霊を解放するのですか? そのようなクエストは存在しませんし、何より利用規約に――利用規約に――利用規約に違反――この世界が――壊れる――」

 女神の声が滑らかな肉声から、耳に痛い電子音声に変わり始める。そして昨日見たブロックノイズが、彼女の体の表面にちらつき始めた。心配そうに女神の顔を覗き込む達樹の背に、ぞくりと悪寒が走った。彼女の表情はまるで能面のように感情が無かったからだ。ユ=シリーズが金属を引っ掻いたような叫びをあげた。彼女の身体はブロックノイズに飲み込まれ始め、次第に人の形を失っていく。達樹は呆然と女神の変貌に魅入っていたが、禍々しさを増す変化体に身の危険を感じ、リロに向かって叫んだ。

「リロ! こっちに来るんだ! 逃げるぞ!」

 達樹と同様、戦慄の眼差しで女神の変貌を見ていたリロは、その一喝で我に返った。慌てて羽で空気をうち達樹の元へ逃げようとする。しかし遅かった。ユ=シリーズは変態を終え、身体から黒い触手を伸ばし、リロの身体を捕らえる。リロは甲高い悲鳴を上げた。

 それはモンスターというより、粘液の塊だった。黒の個体を一定のリズムで怪しく胎動させ、ブロックノイズを身体から常に発している。身体には緑色の線が所々に走り、淡い燐光を放っていた。身体に腕や足などの器官は見当たらない。代わりにイソギンチャクのような触手をうねらせていて、その内の一本がリロを捕まえていた。

 リロを捕まえている触手は、その身体を這いずりまわり、何かを探しているようだ。やがてリロの臍辺りで動きを止めると、そこの肉と同化して体内に潜り込んでいった。リロが絶叫する。それは可愛らしいリロの声とは思えないほど、苦痛と恐怖に歪んだものだった。

 考えている暇などない。達樹は剣を抜き放ち、粘液の塊にへと肉薄した。そしてリロを捕まえる触手を切り落とそうとする。粘液の塊は闖入者に素早く反応した。粘液の塊は心臓のように脈打つ。そしてブロックノイズを放ちながら、大きな目を作り上げて達樹を捉えた。だが達樹は一向に気にしなかった。すでに懐に潜り込み、剣を振りかぶったところだからだ。ここまで来たら、触手如きが止めることはできない。しかし粘液の塊が、再びブロックノイズを発する。ブロックノイズから巨大な腕が飛び出し、達樹の腹を強く殴りつけた。達樹の動きは殴られたことで停まってしまい、やけくそで振られた剣は空を切った。その腕は異質だった。腕は青色の体皮をした犬の腕で、指先には達樹の剣と同じ大きさの爪がぎらついている。腕は粘液の塊の腹から無骨に飛び出したものだ。犬の腕と粘液の塊の境目では絶え間なくブロックノイズが発生していて、明らかな異常を達樹に知らしめていた。

「ば……バグってやがる……!」

 達樹は別の角度から斬りつけようと、一旦距離を取って突破口を探す。しかし粘液の塊がブロックノイズを発した。腕が消え去り、今度はワームの頭が表出した。達樹が昨日倒した、あのワームヘッドである。ワームヘッドは身体をうねらせると、離れた場所にいる達樹に突っ込んできた。達樹は高く飛び上がり、ワームヘッドの突撃を躱した。そして伸び切ったワームヘッドの背に乗ると、その上を走り粘液の塊に向かって走った。リロの悲鳴が一層甲高くなった。見るとリロの腹の中から、脈打つ黒い石が引きずり出されたところだった。

 魔石だ。

 昨日ユ=シリーズは言っていた。ユナが創りし魔石は、全ての命の根源であると。リロも言っていた。魔石は『心』だと。それが命の根源で、心でもある中枢魔石に違いない。達樹はその魔石を失くした生物がどうなるのか、考えたくもなかった。

「止めろぉ! このイソギンチャク!」

 達樹は剣を振るい、リロを捕まえる触手を斬り落とした。そして重力に引かれて落下するリロを手で受け止める。達樹の手の中で触手が力を失くし、引きずり出された魔石がリロの体内に戻っていく。そこでリロは全身を緊張させて叫ぶのをやめた。そして全身を震わせながら、泣きじゃくり始めた。

 ほっとする間もなく、達樹の目の前でブロックノイズがちらつく。またもや犬の腕が精製されたようだ。腕は達樹めがけてまっすぐ叩き付けてきた。避けようにしても近づきすぎている。飛び退いたところで、爪で切り裂かれるだろう。達樹の身体がそれに耐えられたとしても、リロはひとたまりもない。達樹は意を決すると、リロを後ろに放り投げて逃がした。一拍おいて、身体を衝撃が襲った。今まで体感した中で最も大きな喪失感が、達樹の身体前面に広がる。達樹の身体は切り裂かれ、鎧も砕け散った。鎧の下が露わになり、達樹は妙に落ち着いた心持で、その下にある物を見た。

 粘液の塊だ。それが達樹の肉体となっているのだ。粘液にはまるで、神経網のように緑色の燐光を放つ線が走っている。そして一定のリズムで脈動しており、さながら血の通う肉の様だった。中心には一際大きな魔石がある。それは眩い緑光を放ちつつ、心臓のように脈打っていた。これが達樹の、中枢魔石なのかもしれない。この粘液の身体は、目の前にいる粘液の塊に、とてもよく似ていた。

「つまり……俺は……アジュクリウの……精霊ってことか……そこに……意識を……」

 達樹の意識が朦朧とする。気を失う寸前だ。立つ気力すらなくした達樹は、その場に膝をついた。粘液の塊がとどめの一撃を加えるため、もう一度腕を振り上げる。そして達樹の脳天に爪が振り下ろした。喰らったらまず間違いなく死ぬだろう。達樹は目を閉じて、全てを諦めることにした。

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