二度目のプレイ
『え? アレ動いたの!?』
マキ姉の上げた大声に、達樹は思わず携帯から耳を遠ざけた。
翌朝、達樹はマキ姉に電話を入れることにした。元々はマキ姉のゲームだし、何か知っていると思ったのだ。だが頓狂な返事からすると、彼女自身起動したことに驚いているようだ。
『だって……アレ、ブレインリーダーをかぶれって言って来るだけでしょ! そっから先進めないはずよ!』
「いや。起動してブレインリーダーをかぶったら、ファンガイアの世界に入り込んでいた。凄いリアルで、五感が働くし、ゲーム内のキャラクターを自分だと認識するんだ。最初は良くできたゲームだと思ってたんだけど、どうやらファンガイアはこの世界とは違う現実でさ……マキ姉? 俺のことイカレたと思ってる?」
口煩いマキ姉が聞きに徹していることに気付き、話を一旦中断する。返事はない。
「あの……マキ姉聞いてる? 一応言っとくけど、俺はまともだよ。イカレた奴はみんなそう言うから説得力ないかもしれないけどさ……マキ姉? あ――やっぱり昔マキ姉のことイカレてるって言っちゃったのまだ怒ってる? あの時俺――」
『今からそっち行くから!』
鼓膜が千切れそうな程の大声がした。思わず携帯を取り落してしまう。携帯を拾い上げて耳に当てるが、通話は切れた後だった。達樹は溜息をついて、部屋の真ん中に腰を下ろした。そしてテレビと繋がっている、ジョイボックスを見つめた。
「しかしゲームが別の現実に繋がっているなんて、オカルトの域だな。いあいあ、くとぅるふ、ふたぐんってか? しかし何で誰も気づかないんだろうな? マキ姉とか、今までディスクを手にしたマニアたちは気付きそうなもんだけど」
達樹はジョイボックスからユークリッド・データを取り出して、真ん中の穴に指を通してくるくると回した。
「それに過労死者を出したって話が気になる……本当に過労死なのか……ひょっとしたら、このゲームをプレイ中に死んだのかもしれないな……本当に呪われている訳じゃないよな――」
ガラスを叩く音がした。達樹はびくっと震えて窓の方に視線を移す。達樹の部屋は二階である。その窓に人間が張り付いていた。達樹は思わず絶叫した。
「おぁぁぁあああ! 窓に! 窓にィ!」
達樹は悲鳴を上げて、尻餅をついたまま後退る。するとその人は怒った様に頬を膨らませた。
「ひっどぉぉい! 初めてじゃあるまいし、叫ばなくたっていいでしょう!」
達樹は聞き覚えのある声を耳にして、よくよく人間を見直してみると、それは先程まで電話をしていたマキ姉だった。マキ姉はメリハリのついた身体をしており、すらりとした高い背に、滑らかな長髪を遊ばせている。整った顔立ちにくりっとした愛嬌のある丸い目をしていて、美人というより可愛らしいという形容が相応しい容貌をしていた。だが彼女の目の下には、はっきりと隈ができていて、肌も病的に白かった。彼女は小脇に、新型のブレインリーダーを抱えていた。
「まっ、マキ姉!?」
狼狽える達樹を余所に、マキ姉は窓のカギをもう一度さした。
「いいから早く開けなさいよ。通報されたらコミケの時みたいに国家機関に捕まって、二十四時間監禁されちゃうじゃない。あの時は迎えに来てくれてありがとう。もう魔法の国から来たって職質に答えないし、あのことでキ○ガイ呼ばわりされたのは怒ってないから」
達樹は慌てて窓の鍵に取りつく、そして急いでマキ姉を中に入れた。
「毎回毎回言ってるけど玄関から入れよ頼むから! マキ姉も大人になったんだから、ガキの頃と同じことはしないでくれよ!」
「黙りなさい。私は永遠に十七歳よ」
「四年もサバ読んでんじゃねーよ! それに何なんだよ! そのカッコは!」
マキ姉は白雪姫やシンデレラが着るような、西洋のドレスを着ていた。ドレスは安物のイミテーションのようだ。薄い布を必要最低限に重ね、繋ぎ合わせて作っているため、露出が多くところどころ糸のほつれが目立った。
マキ姉は「よくぞ聞いてくれました!」と、ドレスの裾を吊り上げてお辞儀をした。その際ドレスが少し破れ、下着がちらりと見える。達樹は手を目で覆って、深いため息をついた。マキ姉もドレスが破れた事で少し顔をしかめたが、すぐに満面の笑みを浮かべ直す。
「お姫様よぉ。綺麗でしょ。達樹の話を聞く限り、二次元の世界に入り込めるそうじゃない。このクソッタレな現実とおさらばして、向こうの世界で一からやり直すのよ。いい。達樹。私はお姫様になるのよ」
「何処の姫だ!? 何の姫だ!? 野生の姫か!?」
「そこは達樹が頑張るのよ。私の為に一大王国築き上げて、一緒に末永く暮らそーぜ!」
マキ姉はジョイボックスの前に、どっかりと腰を下ろした。
「このジョイボックスでプレイしたら、異世界に行けたんでしょ」
「そうだけど……幸運にもそのドレス意味ねーよ。俺がファンガイアに行ったとき、いつの間にか鎧に服装が変わっていたから」
「マジで!? こんな安物じゃなくて、本物のドレスに自動で召し変えてくれるの!?」
「通訳! 通訳はいねぇか!」
達樹は明後日の方向に向かって叫ぶ。そんな彼を無視して、マキ姉は自分のブレインリーダーを、ジョイボックスに繋げる。彼女はゲーム機の電源をつけた後、ブレインリーダーを深くかぶり、唯一露出する口元を期待に綻ばせた。だがすぐに口元が不満にすぼまる。最終的に彼女はブレインリーダーを脱ぎ捨てると、いきり立って床に叩き付けた。
「嘘つき! 出来ねぇじゃんかよぉ!」
「え? そんなはずはないんだけど……俺は確かにファンガイアに行ったんだ!」
達樹は床を転がるブレインリーダーを拾い上げた。達樹の持っているものと違い、非常に軽く、表面の滑らかな秀逸なデザインをしている。全体的にパーツの数も少ないようで、量産に向いてそうだった。達樹のごてごてした旧式とまるで違った。
「そういえばマキ姉のブレインリーダーって新型なんだな。脳波読み取り装置がオミットされた……」
マキ姉の顔が輝いた。
「えっ!? じゃ何!? 達樹初期ロットのブレインリーダー持ってんの!? しかも動作する奴! それって、ちょーレアものじゃん! あたしの新型と交換してよ!」
「嫌だ。マキ姉の口調からして俺が損しそう」
達樹は即答する。だがマキ姉は引かなかった。
「別にいいじゃない。どうせ新旧の区別なんかつかないでしょ? 私のコレクションに加えた方がその子の為って奴よ。大体脳波読み取り機能なんか、昨今のゲームじゃあ対応しているソフトなんかないわよ。別にいいじゃない」
「マキ姉がそんな言い方するってことは、中古価格そうとう高騰してそうだな」
「ったりめーよこれ1000台しか作られなかったんだから! しかも脳波読み取り装置ンとこが脆くて、すぐ壊れるのよ! メーカ保証も終わってもう修理にも出せない! マニア発狂もんのレアものよ!」
マキ姉は達樹にすり寄り、交渉を続けようとする。だが達樹はそれを軽くあしらい、べッドの下に片付けてあった、ブレインリーダーを取り出した。
「これでプレイしたら行けたんだ。とにかくこれから俺がプレイするから、見ててくれよ」
達樹はジョイボックスからマキ姉のブレインリーダーを外し、自分の物を接続した。達樹はブレインリーダーをかぶった。達樹の全ての感覚が、一瞬奪われる。昨日と同じだ。だが昨日と同じ様な禅問答を、達樹が思い浮かべることはなかった。今回はどれが自分かはっきりしている。昨日自分が創った自分が自分なのだ。干からびた身体に水が染み込んでいくように、達樹の五感が息を吹き返していく。眼を開けると、達樹はアジュクリウの祠の前に佇んでいた。