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帰還

 達樹がアジュクリウの祠に帰り着いた時、澄み切った空は紅色に変化していた。太陽が地平線の彼方に沈んでいく。そのすぐ後ろを、太陽光を反射する茜色の星が追っている。そして太陽の反対側からは、青色に発光する星が浮上して来ていた。この世界に太陽は一つ。だが月は二つもあるらしい。夕方なのに暗く感じないのはそのせいだろう。祠の近くにメアリーの死体は見当たらなかった。ただ大きな血溜まりが残っている。それは達樹を後悔に苛ませて、視線を伏せさせた。

「き……貴様!」

 アイリスの怒号がした。達樹が顔を上げると、丘の上から馬に乗ったアイリスが、駆け下りて来るところだった。メアリーを運ぶ時に付いたのか、彼女の服には生乾きの血がこびりついていた。

「どうやってここまで来た!」

 彼女は達樹の目の前で馬を止めると、眼を血走らせて怒鳴った。達樹はあまりの剣幕に目を合わせることができず、顔を伏せて小さい声で言った。

「戦って……生き延びました……」

 達樹の言葉に、アイリスは眼を見開き、歯を強く噛みしめて唸る。行き場を失った怒りが彼女の全身に満ちていくのが分かる。爆発しそうな感情を押さえつけるように四肢が震え、腹の底に負の感情を貯めこんでいるのか、胴体は浅い呼吸に上下していた。やがて彼女は馬の尻をうつ鞭で空を切り、達樹に先端を突きつけた。

「そうか……そうか! ではユナ様の加護があったのだな! 貴様は許された! とっととこの土地から出て行け! この汚らしい害獣が!」

 達樹がこれ以上、何かを言えるような状況ではない。腰を折って礼をすると、速足でアジュクリウの祠の中に入って行った。そして現実世界に帰れる方法を探した。

「ここから来たんだから、ここから帰れるはずだよな……帰れなかったらどうしよう……」

 ここに来たときは気付かなかったが、祠の中心には大穴がぽっかりと口を開けていた。穴の縁には『ユークリッド・データ№6』と雑に手彫りされている。

 達樹は慎重に、穴の中を覗き込んだ。穴の中を空気に溶けた光が、僅かに照らしている。だが中は相当深いらしい。その微弱な光では穴の底はおろか、広さをも窺い知ることができなかった。得体の知れない穴に達樹は息を飲んだが、これ以外あてはない。

 ふと達樹は、強烈な視線を感じて後ろを振り向いた。アイリスが憎悪の眼差しで、達樹の事を睨んでいた。

「俺……きっと償うから。きっと」

 それが達樹の精一杯だった。返事を待たず、崖から身を投げるように、達樹は穴の中に飛び込んだ。穴の中に飛び降りたが、地面に叩き付けられる衝撃も、穴の中を落ちていく浮遊感もない。気付くと、頭上にあるはずの光もなくなっている。辺りが闇に包まれ、達樹は前後左右、上下の知覚を失う。全身が闇に飲み込まれていく。やがて手足の先から感覚が喪失していき、それが胴体を目指して体を蝕んでいった。胴体が喪失感に包まれると、残るのは頭だ。闇が胸を這って、首を登り、頭頂を突き抜けた。

「はっ!?」

 達樹は急に意識を取り戻した。目の前には、ブレインスキャナーの網膜投影装置がある。じっとりと汗の滲んだ手は、ジョイボックスのコントローラーを握りしめていた。達樹は落とすようにしてコントローラーを手放すと、ブレインリーダーを外した。

 身体に疲労感はない。手足は快適に動き、どこも痛くない。だが最悪の気分だ。酷い気分のせいで、身体は鉛のように鈍くなる。テレビの画面を確認すると、次のような文字が映し出されていた。

『ゲームを終了しました。電源を切って下さい』

 達樹はこれまでの体験を、今と繋げることが出来ず、しばらく呆然自失の状態で画面を見つめていた。やがて達樹は、のろのろとデスクの上にあるノートパソコンに這いより、開いてネットに接続する。そして先程までプレイしていたゲームの名を、検索ワードに入力した。ネット百科事典のページを開き、目を走らせる。

『ユークリッド・データ

 ユークリッド・データ〔Euclid=Data〕とは、20××年デルタフェニックス社が開発していた、VRMMORPGソフトの開発コード名である。規格番号JBSP006(ジョイボックススタートプロジェクトナンバーシックス)

 当時、話題を呼んでいた次世代型ゲームハード、ジョイボックスと同時に発売を予定していた七本のゲームソフトの一本だった。七本のゲームについては〔七本柱〕を参照。

 ジョイボックスの売りの一つである直感操作を実現するため、ブレインリーダーを必須環境としており、ヴァーチャルリアリティをより現実と認識できるよう、臨場的体感と反射的入力技術をフルに活用していた。公開された舞台となる仮想世界ファンガイアの設定も、非常によく練られていることから、発表当初から注目を集めていた。

 しかしユークリッド・データの開発中、二名の過労死者が出て作業は停滞。さらに企画責任者である井守明氏が精神を患い、プロジェクトは凍結された。デルタフェニックス社はその後、遺族賠償のために会社の財産を処理し、トライフェニックス社として再編された。

 後日製造された七本のマスターディスクが市場に流出し、マニアの手に渡ったが、中に入っていたのは一〇MBに満たないテキストデータのみだった。そしてブレインリーダーの接続要請画面から先は、進行不可能となっている――』

 達樹は一通り読み終えると、叩くようにしてノートパソコンを閉じた。仰向けに床へ倒れこみ、両手で顔を覆う。

「何なんだ……ちくしょう……」

 達樹は悪夢を打ち払うように、きつく目を閉じながら呟いた。

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