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ゲームプレイ その2

 真っ暗で何も見えない。静かで何も聞こえない。本来なら何かの映像が、網膜に投影され、効果音が耳をついているはずだ。それにこの暗闇と静けさは異常だった。まるで盲目になり、鼓膜が破れてしまったかのようだ。

 そこでふと、達樹は想った。『何故自分は自分なのか?』

 その思念は唐突に、何の脈絡もなく、達樹を襲った。達樹は真剣に考えた。だが分からない。分かるはずもない。世界には自分しかいないから? 世界を自分が認知しているから? 自分を知るのは自分しかいないから?

 選べない。

 達樹は適当な答えで誤魔化すことにした。その『理由を選んだ理由』は分からないが、ひとまず『今自分が自分だと思っているのが自分だ』と、達樹は思う事にした。

 すると視覚が戻ってきた。聴覚が回復した。暗闇が光に打ち払われていき、目の前に景色が広がっていく。静けさが徐々に失われて、生命のざわめきが耳朶を打った。

 気が付くと、達樹は草原の真ん中に、ぽつりと立っていた。

「すげぇ……」

 感動が全身を駆け巡る。達樹は自らの立つ、丘の上からの眺めに息を飲んだ。遠く地平線の果てまで、草原が続いている。草原は踝ほどの野草が茂ってできたもので、風に揺れて緑色の漣を湛えていた。達樹いる丘から数キロ離れた位置を川が横ぎっている。川には橋がかかっていて、それを取り巻くように町が展開されていた。町並みは中世の文化水準にあるようだ。小屋のような木造建築の住居が散在し、それよりも大きめの住居――ロングハウスが幾つかあった。家は全て、藁の屋根が葺かれている。川の傍には水車があり、すぐ隣にはひときわ目立つ石造の屋敷があった。恐らくマナーハウス(領主の家)だろう。町は畑に囲まれ、一部では作物が、もう一部では家畜が放たれていた。

 全てが生き生きとしていた。生々しかった。彼らの背後にプログラムがあるなんて思えなかった。それぞれに意志があり、目的があり、命があるように思えた。徐々に達樹の感動は、悪寒にすり替わっていった。

「これ……本当にゲームか……? 全部本物そっくりじゃないか……えっ……あれ?」

 そこである事に気付き、達樹は乾いた笑いを浮かべた。今達樹の目の前には、壮大な仮想現実の世界、ファンガイアが広がっている。そして通常の体感ゲームでは、この仮想現実にプレイヤーキャラが存在し、それを介してプレイヤーが世界を体感する仕組みになっている。だが恐ろしい事に達樹は、『今』、『ここ』にいる『プレイヤーキャラ』を、自分自身と認知していた。

 達樹はレザーメイルを身にまとい、その下に旅の装束らしい藍色の服を着込んでいる。背中には一振りの剣を背負い、腰のベルトには小物入れのポーチと、何かを入れる穴付きのボックスを吊っていた。リアルでは手にコントローラーを握っているはずだが、そんな感触はどこにもない。太陽に手をかざすと、キャラの手はあたかも自分の手の如く空気をかいだ。ブレインリーダーを被っているはずだが、そんな感触はどこにもない。頭に手をやると髪の毛が触れた。丘の上に風が吹く。すると達樹の鼻孔を麦穂の柔らかな香りが満たし、全身を柔らかな感触が撫ぜていった。

 ブレインリーダーが影響を及ぼすのは視覚と聴覚だけで、触覚や嗅覚には作用しない。そして脳波を読み取る事しかできないはずだ。間違っても、脳に作用する事は一切できないのだ。

 達樹は思った。ならば、今、自分が感じているものは何なのか。

 試しに近場の草をむしってみた。達樹の腰ほどもあるそのススキに似た植物は、汁を滲ませながら千切れる。達樹が植物の切れ端を投げ捨てると、それは風に乗って遠く、遠く、彼方へと飛んでいった。指を見ると草を千切った際に滲んだ汁が、緑の染みになって残っていた。

「あり得ねぇ……」

 達樹は呻く。こんなに細かく『物理演算』できるはずがない。『描写』する必要もない。

 分からない。ここが現実(リアル)なのか、仮想現実(バーチャルリアリティ)なのか。

 頭を悩ませる達樹に近寄る影があった。影は人懐っこく達樹の傍により、頬を舐め上げた。

「うぉぉぉおお!?」

 達樹は頬を走るざらつく感覚に、軽い悲鳴を上げて飛び退く。慌てて脇を見ると、いつの間にか白馬がそこにいた。美しい白馬で、すらりと伸びた長い足が、形の整った胴体を支えている。しっかりとした骨格には、溢れんばかりの筋肉が乗っていて、まるで生きた彫像のようだ。金色のたてがみが日光を反射してきらめき、青色の澄んだ眼がじっと達樹を見つめている。白馬は人馴れしていて、達樹に全く怯える素振りを見せなかった。それどころか達樹の脇の下に頭を突っ込んで、じゃれるように擦りつけてきた。

「何だ何だ……? 馬がこんな人懐っこいはずがないし……これも初期装備品の一つなのか?」

 達樹は白馬を舐めまわすようにして見た。皮膚の滑らかさ、瞳の輝き、生臭い吐息。白馬の存在は紛れもなく本物で、作り物かどうかわからない。しかしこの白馬の容姿は、自然に育まれるものではない。そこで達樹は思いたった。

「そうだ……ゲームなら、切ってもエフェクトが出るだけだろうし、一撃で死んだりしないはずだ。それに俺の初期装備品なら、万が一のことがあっても大丈夫だろ。リアルなら貧弱な俺が、馬を殺せるはずもない。待ってろ……今試すからな……」

 達樹はそう言いながら、背に負った剣に手をかけた。すると圧縮空気が抜けるような鋭い音と共に、剣の留め金が外れた。そして達樹が取り出しやすいように、剣が鞘から少し抜けた。

 達樹は剣を抜き、正面に構える。剣には全く重みがなく、羽のように軽かった。

 剣は不思議な構造をしていた。剣の刀身自体は、ファンタジーゲームの初期装備で見かけるような、無骨な直刃だった。だが剣の鍔の部分には、ディスクドライブのような装置が組み込まれていて、中ではゲームディスクが緩く回転していた。更に何に使うのか分からないが、鍔元にはダイアルとトリガーまでついている。

(こんなものリアルに作れるわけがない。やっぱりゲームなんだ)

 達樹はそう思い込むと、不思議そうに達樹を見つめている白馬めがけて、軽く剣を振るった。

 腕は滑らかに空を薙ぎ、何の抵抗もなく振り切られた。馬に剣がぶつかることで、何かしらの抵抗があると思っていた、達樹の当ては外れる。彼は自分の腕に振り回され、大きく姿勢を崩して芝生に倒れた。

 達樹は何が起こったのか把握しようと、白馬を見上げた。白馬は相変わらず達樹を見つめている。だがその顔に生気はない。やがて白馬の首の部分に斜線が走り、そこから少し血が滲んできた。やがてずるりと、白馬の頭部が斜線に沿ってずれ、地面に落ちる。そして肉が落ちる重たい音を立てた。

 鮮血が飛び散った。

 血潮は噴水のように勢い良く飛び散り、達樹を濡らしていく。さらに落ちた白馬の頭部を、赤く染め上げていった。白馬の足元には次第に赤い水たまりができていく。達樹の目の前で白馬の胴体がぐらりと傾き、自らが作り上げた血の池の中に倒れこんで、赤の波紋を広げた。

 達樹の手の中から剣が滑り落ちる。剣は重力に引かれ、まるで豆腐を切り裂くように、刀身の半分まで地面に埋まった。達樹はその切れ味の鋭さにおののく余裕もなく、自分が作り上げた肉塊に――自分が作り出した現実に恐怖していた。

 手には嫌な感触があり、鼻孔を血の嫌な鉄の匂いが突く。肌は血潮に濡れてへばり付くシャツを感じさせ、耳は馬の胴体からこぼれ落ちる血潮の水音を聞いた。

「う……うぁ……げ……現実……? 現実なのか……?」

 達樹は何が何だか分からなくなった。ゲームをしていたはずだが、妙にリアルな世界に来ていて、そこでキャラの馬を殺したら、それが現実で、リアルに死んだ。ぐちゃぐちゃだ。

「何てこと……! メアリーが……メアリーが!」

 不意に、そんな絶叫が達樹の耳朶を打った。達樹が顔を上げると、馬の死体から少し離れた小高い丘の下から、農夫がこちらを見て喚いている。農夫は達樹が顔を上げたのと同時に、背後を振り返ると、大声で誰かを呼んだ。

「アイリス様! 大変です! アイリス様のメアリーが!」

「何事ですか!?」

 すぐに白馬に乗った女性が、小高い丘の上に現れた。そのアイリスと呼ばれる女性は達樹と同い年ぐらいで、農夫とは違って多少飾り気のある衣服を身にまとっている。風に金色の長髪を遊ばせる彼女は、鋭く威厳のある顔つきで達樹の方を睨んでいた。だが彼女が達樹の足元に横たわる白馬の死骸に気付くと、引き締まった表情を青白く変化させて絶叫した。

「メアリー!」

 アイリスは馬の腹を蹴って、達樹の方に駆けさせた。そこで達樹も悲鳴を上げた。ただ怖かった。自分の作り上げた現実が、自分の知らない現実が、こちらに向かって来る。達樹はおぼつかない足でよろよろと立ち上がると、その場から逃げ出そうとした。

「捕えるぞ!」

 達樹の背中にアイリスの怒声が届く。達樹は逃げ込めそうな場所や、隠れられそうな場所を探す。だが辺りは草原が広がっているだけで、身体を隠せそうな茂みはどこにもない。達樹の背後には、この世界に入るとき使われたと思われる、ストーンサークルがあった。しかし身を隠せるほど大きなものではなかった。

 立ち往生している内に、アイリスの乗る馬が達樹の目前まで迫ってきている。達樹は我を忘れて、がむしゃらに走って逃げた。

「待て! 逃がさん!」

 アイリスの罵声が飛ぶ。彼女は懐から黒い石を取り出して、達樹に向かって投げつけた。石は達樹の逃走先の地面に転がる。アイリスは達樹が石の近くを通るのを見計らって唱えた。

「『縛れ』!」

 すると石は砕け散り、達樹の周囲の草はうねって、土が盛り上がった。草は達樹の体に張り付いて、その動きを鈍らせる。土は泥沼のようにぬかるんで達樹の足を飲み込むと、すぐに乾いて地面に縫い付けた。あっという間に達樹は身動きが取れなくなった。

(魔法か……!? 一体……どうなっている。やっぱりゲームなのか?)

 すっかり混乱してしまった達樹は、身体を縛る草木を目だけで見て必死で考える。しかし誰かに髪の毛を鷲掴みにされ、頭を無理やり上げさせられた。

 アイリスだ。彼女は馬上の自分に達樹の顔がよく見えるよう、背が反るくらいに後ろに髪を引っ張る。そして達樹の顔、服装、装備品をしげしげと眺めた後、軽蔑するように息を吐いた。

「『ディスクウェポン』……貴様、アジュクリウの英雄だな。ようやく消えて失せたと思っていたが、のこのこ戻って来たのか」

「え? 何? アジュ――」

 達樹が聞き返そうとするが、アイリスは最後まで言わせない。アイリスは達樹の髪を引っ張る力をより強めた。達樹に空を仰がせると、それに覆い被さるように顔を近づけて吠えた。

「とぼけるな! 貴様らがユナ様の精霊を封じたことを忘れたか! おかげでこの地は災厄続きだ! 巷に怪物は溢れ、ユナ様の恵みは得られず、更にはユナ様を冒涜するアジュクリウ教が蔓延する始末! 我々から日々の糧を奪ったというのに、その上私の愛馬まで殺すか!」

 達樹は思った。ここはゲームの世界なんかではない。もう一つの現実の世界だと。その実感を達樹がだんだん呑み込み始める。

「俺……ただゲームをプレイしていて……俺……おれ……こんな……本当に死ぬなんて……」

 遂に達樹は嗚咽を上げだす。しかしこの身体にそんな機能はないのか、ただ咽喉からしゃくりあげる声が出るだけだった。アイリスはせせら笑った。

「ほう? 泣くか。涙の枯れ果てた我々の前で泣くのか! 泣くこともできず、生きるために足掻く我々の前で泣くのか!」

「ご……ごめんなさい……」

 達樹はそう言うのが精一杯だった。アイリスに遅れて、農夫も達樹に追いつく。馬を持たない彼はアイリスに追いつくため、随分と急いだのだろう。息を切らしていたが、敬意の直立を崩さずアイリスに聴いた。

「アイリス様……こやつどうしますか?」

 アイリスは乱暴に達樹の髪から手を離す。彼女は呆れたように、泣く達樹を見下ろしていた。彼女は何かを思慮するかのように、腕を組んで目を瞑る。やがてアイリスは眼を見開いたが、そこには冷徹な光が宿っていた。

「フン。私は貴様のような礼儀知らずではない。貴様にもユナ様の恵みがあると考えてやろう。ユナ様の元で、公正な裁きにかけてやる」

 アイリスは懐からロープを取り出した。ロープの先端は輪となっており、そこに達樹の手首と首を、一緒に括った。

「『解け』」

 アイリスが言うと、達樹を縛っていた草と土の拘束が崩れ落ちる。アイリスは達樹の足が自由に動けるようになると、森の方へとロープを引いた。アイリスと達樹の後ろを農夫がついてくる。農夫は万一達樹が逃げ出してもいいように、牛追い棒を構えていた。森は達樹が現れたストーンサークルを挟んで、村とは反対側にあった。鬱蒼と広葉樹が生い茂り、奥には山が連なっている。一行は森へと入り、奥へ奥へと進んでいく。アイリスは何も言わず、農夫も主の意を汲み取るように、沈黙を守っていた。

 森の中は達樹の住む現実世界(リアル)とそう違ったところはない。目に見えて違う事と言えば、暴力的な開発がされておらず、数メートル先が見えないほど草木が茂っていることぐらいだ。そのせいで達樹たちの歩く獣道も、緑に押し潰されそうになっていた。しかし達樹はこの森に足を踏み入れてから、何か強烈な違和感を抱いていた。その違和感が不安を醸成し、達樹を煽り立てる。達樹は耐え切れなくなり聞いた。

「あの……ここは……」

「知らぬのか? 貴様の無礼な仲間から、何も聞いていないのか? 『ぷれいえりあ』とか、訳の分からぬことを決めていただろう」

 アイリスが正面を向いたまま答える。達樹を見るのも嫌そうな様子だった。ひとまず達樹は、あるだけの情報で考える事にした。

(多分アジュクリウと呼ばれているのは、ゲームのメーカーだろうな。そいつらがこの異世界を舞台にゲームを創ろうとしたのか?)

 達樹は自分の推理を確かめるために、アイリスに質問を重ねる。

「あの、そのプレイエリアを定めていた人たちって、この森で一体何を――ぐえッ!」

 アイリスはロープを強く引き、達樹の首を絞めて黙らせた。

「ここはユナ様の精霊、オルベロス様の支配する『ルトーの森』だ。我々ハリヴァタの民は、オルベロスと契約し、ここでの狩猟を許される代わりに、森番としての務めを果たしていた。だが貴様らがオルベロスを封印して以来、森はこのザマだ。黙って沈黙を聞け。そして我々の痛みを知れ」

 アイリスは達樹のことを、アジュクリウ(ゲームメーカー)の一員だと決めつけているようだ。達樹は抗う事ができず、大人しく森の静寂に耳を傾けた。そして違和感の正体に気付いた。森は一切音がしなかったのだ。普通なら聞こえるだろう鳥の囀りや、獣の草葉を揺らす音、風に木の葉が擦れる音が全くしない。聞こえるのはアイリスの馬の荒息と、達樹たちの足音だけだった。

生命(いのち)の声が、聞こえんだろう。貴様らのせいで消えた。皆この森を逃げた。そして代わりに化け物がのさばるようになった」

 アイリスはそう言って、もう一度ロープを強く引っ張り、達樹の首を締め上げた。達樹は首を圧迫されて、激しくむせる。達樹は急いで呼吸を整えると、必死で弁解した。

「でも、俺はそれと関係ないんだ! 俺は今日初めてゲームをしに来て、ここが別の現実だとは知らなかったんだ! 森をこんなにした奴とは関係ない! 頼むよ! もう二度とこの世界には来ないから見逃してくれ!」

 アイリスは突然哄笑した。

「アジュクリウの奴は皆同じ弁明をする。違う世界? たわけが! ここが現実だ! ここ以外の何処に現実が存在する! 現実から逃れる嘘にしても、もっとマシなことを言え。それにだな、メアリーを殺したのも違うとぬかすか? 他のアジュクリウだと申すか?」

「そ……それは」

 達樹は言葉に詰まる。必死で言い訳を考えたが、結局言い訳しかできない事が分かると、言葉を失った。達樹は自らの罪を受け止めて、俯いて震える事しかできなかった。

「ハサウ。次こやつが喚いたら黙るまで殴れ。殺すな。裁きを受けさせる」

 アイリスは農夫にそう言って、ロープを二度引いて達樹を揺すった。農夫は頷くと、牛追い棒で軽く達樹を小突いた。

 やがてアイリスたちは、森が大きく開けた場所に辿り着いた。そこは地面が大きく陥没し、水を張れば池が出来そうな程の大穴が空いている。穴の土壁には洞窟が暗い口を開けており、そこから異臭が漂っていた。アイリスは馬から降りると、達樹を大穴の縁に立たせた。

「ここには貴様らアジュクリウが生み出した怪物でも、特に凶悪な奴が出現する。ユナ様の創りし命を食い荒らし、ユナ様の御身体を蹂躙する悪魔だ。今ここは重罪人の処刑場としている」

 達樹の背中を悪寒が走る。そして彼が何かを言う前に、アイリスはその背中を蹴った。

「貴様のような奴のな」

 達樹の世界が上下反転した。土埃を上げながら、穴を転がり落ちていく。そして穴の底へ無様に打ち付けられた。達樹は全身に激痛が走ると思い身体を強張らせた。しかし痛みはなく、その代わりまるで麻酔でも打たれたかのように、身体から感覚が喪失した。喪失感は虚しさを伴い、達樹の意識を僅かに薄れさせた。

(痛みが喪失感に変換されている? 俺の存在だけが仮想なのか? 待てよ! まさか、死までリアルに再現されているとしたら……その問題が解決できずにポシャったとしたら……)

 達樹の脳内を、恐ろしい推測が駆け巡った。達樹は手首と首にかけられたロープを、急いで解いて立ち上がる。そして穴の土壁にへばり付いて、アイリスに向かって泣き叫んだ。

「お願いだ! 許してくれ!」

 だがアイリスは穴の縁で、憤怒の表情を崩さぬまま達樹を見下し続けた。

「貴様が我が愛馬を――メアリーを甦らせることが出来るのならば許してやろう」

 アイリスの言葉に達樹は固まった。この世界ではそれが出来るのか、アイリスが皮肉を言っているのか分からない。だが達樹はそれに縋る他なかった。

「分かった! だから! お願いだ! 引き上げてくれ!」

 アイリスは、達樹の気勢が削がれず、より口喧しくなったのを見て、不快そうに顔を歪めた。

「ならば化け物と戦って這い上がれ。貴様にユナ様の加護があるなら、化け物を打ち破る力を授けてくれるだろう。公正な裁きだ」

 達樹はぞっとした。アイリスは達樹を殺す気だ。先ほどオルベロスが封印されたと言ったのはアイリス自身だ。ユナの加護が無い事を、彼女は十分承知のはずだった。

「それすらもできん奴の命乞いなど、聞きたくもないわ」

 アイリスはそう吐き捨てると、身を翻して穴の縁から離れた。農夫も一度穴の中の達樹を覗き込み、嘲笑を浮かべた後主人に続いた。

「そ……そんな……」

 達樹はその場にへたり込んだ。しばらく、恐れと不安に身体を支配され、震えることしかできない。だがいつまでもこうしている訳にはいかず、達樹は辺りをぐるりと見渡した。大穴には洞穴が五つもあった。洞穴の口は二階建ての家屋がすっぽり入ってしまうほど大きく、中も深いようで、暗闇が渦巻いている。洞窟からは腐臭のする冷たい風が吹き出していて、風鳴りには獣の呻き声のような雑音も混じっていた。

 達樹は居ても立ってもいられなくなり、目の前の土壁に手をかけると、無理やり登ろうとした。だが土壁は脆く、達樹が手をかけた先から崩れていく。達樹が自分の腰の高さまで壁を登ると、崩れた土くれが達樹の身体を滑らせて、大穴の底へと引き戻した。

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