【後編】
かなり長くなってしまいました。お楽しみ頂ければ幸いです。
「あらあら、マルティナ。そんなに泣いて、一体どうしたの?」
優しい母の声に、ボロボロと涙を零していたまだ幼いマルティナは母の胸へと飛び込んだ。
「み、皆が私を笑うの。カ、カルロはきれいでカッコ良くて王子さまみたいだけど、一緒にいる私はチビで太っちょでおかしいって。そうしたら、カルロがすごく怒ってみんなをぶって…どうして、私はチビで太っちょなの? 私はきれいなお姫さまになりたいのに…!」
マルティナが泣きながら母に訴えれば、そんな娘を優しく抱きしめながら、彼女は柔らかく笑う。
「まぁ、マルティナ。お姫様になりたいの?」
「うん! 私、お姫さまになりたい! チビで太っちょなんていや! きれいで優しいお姫様になるの!」
まだ涙の残る目を輝かせてそう言えば、母はコロコロ笑った。
そして、優しい目でマルティナを見つめる。
「ねぇ、マルティナ。太っているってそんなに悪い事かしら?」
「え」
母の言葉に、マルティナは首を傾げた。
「小さいのはいけない事なの?」
「…分からないけど、皆が笑うから…」
「マルティナ、教えてあげるわ。答えはいいえ、よ。太っている事も小さい事も、ちっとも悪い事じゃないの」
そう言いながら、彼女は娘の頭を撫でる。
「昔々、私たちは神様と約束をしたのよ。悪い事をしないって。神様が決めた守らないといけない約束は沢山あるけど、同時に神様は素晴らしい贈り物をくれたわ。それは『みんな違う』という事よ」
「みんなちがう…?」
「姿かたち、考え方、好きなもの…それぞれ、皆違うでしょう? それってとっても素敵な事なのよ」
母はそう言って微笑んだ。
「マルティナ、誰かと違う自分を愛しなさい。そして、そんな自分を楽しみなさいな」
優しい声が幼いマルティナを導くように言葉を紡ぐ。
「貴女は太っちょだけど、力持ちだわ。小さいけれど、だからこそ沢山のものを見つけられるわ」
「母様、本当?」
「ええ。可愛いマルティナ。貴女は素敵な女の子。母様の大好きなお姫様よ。お姫様の様に優しい気持ちを持ち続けてね」
優しい手が幼いマルティナを愛しむように触れる。
「ねぇ、マルティナ。誰でも最初は勇敢で優しい気持ちを持って生まれるの。でも、人は臆病な生き物で、自分とは違うものを怖がり、誰かと違う事を恐れてしまうようになるのよ。時には、自分と違う誰かを傷つける事もあるわ。でもね、それだけじゃない。本当の心の奥底には、生まれた時に持っていた気持ちがちゃんとある。マルティナ、私の可愛い子。どうか、忘れないで。誰かが貴女に言った心無い言葉に惑わされないで。上辺だけの言葉に傷つかないで。大切な事は相手の心を見つめる事。いつだって、相手の心の声に耳を傾けなさい」
母の胸の中で、マルティナはその言葉を心に刻んだ。
全てを理解できた訳ではなかったけれど、大切な事を教えて貰ったのだと、幼い心でも感じていた。
こうして、母はマルティナが泣きべそをかく度に、何度も何度も、繰り返しマルティナに正しい心の在り方を伝え続けたのだ。
母はいつだってマルティナに道を示してくれていた。
マルティナは母の言葉を少しずつ、確実に心に積み重ねていく。
大切な事は、本質を見誤らない事。
人は、上を見上げ過ぎれば絶望し、下を見下げ過ぎれば堕落する。
いつだってマルティナは真っ直ぐに前を見つめ続けた。
目の前のものをきちんと見続ける。
だから、ちゃんと知っている。
あの日、マルティナの代わりに怒り、平民の子供たちと取っ組み合いの大喧嘩をした幼馴染が、嘘をつく時に視線を合わせない事。―――本当に言いたいことがある時は、ジッと目を見つめる事。
ちゃんと知っているから、マルティナは惑わされない。
ちゃんと見ていたから、マルティナはいつだって笑っている。
★★★★★
「カルロ様、こっちです」
「マルティナは?」
「開口一番がそれですか」
完璧に整えられていたタイが歪み、髪も乱れているカルロは、無造作に手で髪を直しながら視線を彷徨わせた。
「よりにもよってあのタイミングで捕まるとは…せめて、マルティナと一曲踊ってからだったら良かったのに!」
「仕方ないですよ。あんな目立つところで立ち止まっちゃったんですから。そりゃ令嬢も寄ってきますって」
「それでマルティナはどこだ!」
「だから、そこに…って、痛っ! 足、足踏んでますから!」
「ああ、すまない」
勢いあまって詰め寄りすぎたカルロは、エドから足を避ける。
エドは思わずしゃがみ込んで、自分の足を擦った。
「信じられないくらい痛かったんですが…何かオレに恨みでもあるんですか?」
「いや、別にないが…本当に悪かった。今日はマルティナと踊れると思って、専用の靴を履いてきていたのを忘れていた」
「専用の靴?」
エドが首を傾げれば、カルロは心なしか嬉しそうに話し出す。
「マルティナは賢くて何でもこなせるが、ダンスは少し苦手でな。一曲踊ると必ず途中で足を踏まれるんだ」
「そうなんですか」
「そうなんだ。可愛いだろう? だから、マルティナと踊る時は鉄で作られた特別製の靴を履く事にしている。片方、五キロの鉄を使って作ってあるから踏まれても大丈夫だ」
「え、五キロって…じゃあ、まさか両方で十キロあるんですか? 何ですか、その拷問用具。寧ろ、何でそんな重さの靴で普通に歩けるんですか。この人、怖い」
「歩くだけでなく、ちゃんと踊れるぞ。六歳の頃からずっと鍛えてるからな。それに、こうしないと一曲目で足の骨が砕けるから、二曲目を踊れないだろ?」
「…いやいやいや。今、恐ろしい事言いませんでしたか? 足の骨が砕けるとかなんとか…」
「ああ。今まで三回砕けた」
「砕けたんですか!」
ギョッとするエドに、カルロは何でもない顔で言った。
「マルティナはダンスに関しては不器用で、何故か毎回踏んだ足に全体重を乗せてしまうんだ。普段、器用なマルティナのそういうちょっと不器用な所がまた可愛いんだよなぁ。一応、片足でも踊れるように練習はしているが…治るまでちょっと不便だし、何といっても二曲しか踊れないとか辛すぎるだろ」
苦悩するカルロはその絶世の美貌故に非常に麗しいが、エドはドン引きして顔を引き攣らせる。
「…カルロ様って、努力の方向音痴ですよね」
「何だそれは」
「略して『ドンチ』」
「おい、変なあだ名をつけるのはやめろ。それより、マルティナだ。どこにいるんだ?」
「マルティナ様なら、そこのテーブルに………あれ?」
エドの示した先にはマルティナの姿は見えず、ごっそりと量を減らした料理があるばかりだった。
★★★★★
「さぁ、どうぞ召し上がってください」
「えっと、ありがとうございます?」
首を傾げながらも、マルティナは目の前の男性に礼を言う。
紫色の目を細めた彼は、ニコニコと笑いながら料理が山のように盛られた皿を差し出した。
マルティナは勧められるまま、パクリと料理を頬張り、顔を綻ばせる。
「おいしーい! とっても美味しいわ!」
「それは良かった。どんどん召し上がって下さい」
ニコニコと笑う男と、パクパクと食べる令嬢。
中庭に設置されたテーブルに付いている二人は、ホワホワと楽しそうだ。
それを見て、男の背後に立っているナイジェルは微妙な顔をしている。
彼の前でニコニコと令嬢を見つめている男は、彼が仕えるゴールドクラウン王国の第二王子、アルバート・ゴールドクラウン殿下。
彼らの前でパクパクと美味しそうに料理を食べているのは、ナイジェルが見た事もない令嬢だった。
これがアルバート殿下の仰っていた女性かと、ナイジェルは不躾にならない程度に彼女を観察する。
第一印象はパッとしないけれど、無害そうな女性という感じだ。
外見ははっきり言って美人ではない。体型に関しては小柄でふくよかだ。美男子であるアルバート殿下が選んだのが、どうしてこの女性だったのかと首を傾げたくらいだった。
けれど、表情は明るく、所作は美しい。話し方もおっとりとしており、真っ直ぐ相手を見つめる温かな目には好感が持てた。
食べ始めた後に思ったのは、よく食べるという事と、とても美味しそうに食べるという事だ。
見ているだけで腹が減ってくる。確かにこの女性と食事をすれば、沢山食べられそうだ。
そんな事を考えていると、勧められるままに食べていた令嬢がようやく動きを止めて、首を傾げた。
「あの…今更なのですが、どちら様でしょうか?」
「本当に今更ですね!」
思わずナイジェルが突っ込めば、アルバートがクスクスと笑う。
「前に逢った時にはお互い名乗りませんでしたからね。その節は美味しい食事をありがとうございました。私はアルバート・ゴールドクラウン。彼は私の従者であるナイジェルです。どうか貴女のお名前を教えてくださいませんか?」
アルバートはそう言って、見惚れるような綺麗な笑顔を浮かべた。
マルティナは驚いたように目を丸くする。
「ゴールドクラウン…王子殿下でしたの? そうとは知らず、大変失礼いたしましたわ」
「そんな畏まらないでください。王子といっても優秀な兄や姉がいてくれるお陰で、気ままに過ごさせて貰っている身です。それで、貴女のお名前は?」
「ああ、名乗りもせず申し訳ありません。私はマルティナ。マルティナ・ホワイトハートと申します」
「マルティナ…素敵なお名前ですね」
ようやく名前が分かり、アルバートは嬉しそうに笑うが、ナイジェルは眉を寄せた。
どこかで聞いた事のある名だと引っかかったのだ。
ナイジェルがどこで聞いたのかと思考を巡らせている中、二人は会話を進めている。
「今日は兄上と姉上のお相手探しが名目の夜会ですが…あの、やはり貴女もその件で来られたのでしょうか?」
「王太子殿下の? まさか! そんな恐れ多い事は考えておりません」
「そうなんですか! 良かった…」
アルバートが嬉しそうにホッと息をつけば、マルティナは笑顔のまま言葉を続けた。
「それに私には婚約者がおりますので」
「え、既に婚約者が…!」
アルバートが露骨にショックを受けている。
慌てて慰めるようにナイジェルは言った。これで引きこもりが悪化しては困る。
「落ち着いてください。婚姻している訳ではないのですから。殿下が望めば婚約などはどうとでも…」
「…いや。人の弱みに付け込んで強引に婚姻を迫るなど、まるであの悪名高き男爵令嬢のようではないか」
「悪名高き男爵令嬢?」
マルティナが聞き返せば、アルバートは溜息を落としながら言った。
「『悲劇の貴公子』カルロ・ブルーバードの婚約者だという男爵令嬢の事ですよ」
その言葉にマルティナは目を丸くする。
「カルロ様の…」
「やはり、知っておられましたか。彼は社交界一の美男子だと有名ですからね。姉が言っていたのです。かの男爵令嬢は彼の弱みに付け込み、婚約を強要していると」
「強要…ですか」
何とも言えない顔をするマルティナに気付かず、アルバートは憤りを抑えるように、深く息を吐いた。
「何でも彼の父親が作った借金の代わりに無理やり婚約したとか。信じられません。人の気持ちを無視するそのやり方…余りにも卑怯で卑劣ではありませんか。カルロ殿を何だと思っているのか。私はカルロ殿が気の毒でならないのです」
「そ、そうですか…」
「話によると、その心の様に醜い女性だと聞きます。その醜い外見から、豚の化け物『オーク令嬢』と呼ばれているそうです」
「お、オーク令嬢…」
マルティナがプルプル震えている。
そんなマルティナに、アルバートは興奮しているせいか気づいていないが、ナイジェルは首を傾げた。
一方、マルティナは色々混乱している。
オーク令嬢。流石に怒ってもいいのだろうけど、清々しい程の嫌われぶりに笑うしかない気がした。寧ろ、ここまでくると自分の噂が一人歩きどころか一人ダッシュしていて、逆に自分の事とは思えない。
マルティナは母から、常に物事の真実を見極めるように教えられていた。その為、どんな時も物事を多角的に見る癖がついている。
そのせいで、何かあっても怒るよりも先に相手の心理を探ろうとして、結果的に怒り損ねてしまう事が多々あった。
怒ってもいい事だと認識する頃にはかなり時間が経ってしまっている為、既にどうでも良くなっている事も多い。元々楽天家で、物事を引き摺らない性質なのもあるだろう。
一瞬の感情に左右されず、まず熟考する。これはマルティナの母が余計な波紋を起さないように心掛けている事で、それは娘のマルティナにも受け継がれていた。
それにしても、オーク令嬢って。今までのあだ名の中でもトップクラスだ。これまでのランキングも大きく揺さぶる秀逸さ。つけた方に会ってみたい。いえいえ駄目よ、ここは笑うところではないわ。怒らなくてはいけない場面よ、マルティナ。
段々とマルティナの思考が逸れていく中、唯一気になるのがアルバートの言動だった。
今現在、マルティナに好意的な態度を取ってくれる彼が、カルロの婚約者であるマルティナに憤り、彼女を痛烈に批難しているのだ。非常にややこしいこの状況。
もしかして、彼は気付いていないのかもしれない。
そう思いつき、言った方がいいのか、言わない方がいいのか、マルティナは迷う。
言えば彼は態度を変えるかもしれないけれど、言わずに他の誰かから聞けば、マルティナに裏切られた気持ちになるかもしれない。
正直に話すべきだと決断したマルティナは、アルバートに話しかけた。
「あの、殿下。少し宜しいでしょうか?」
「はい。勿論です」
「あの、私…」
言い辛い。先ほど、貴方が猛烈に罵っていた令嬢は私ですとは言い辛い。
「………私、ホワイトハート男爵家の一人娘です」
結局、少し遠回しにそう言った。
その瞬間、ナイジェルが驚愕の表情を浮かべる。
彼はマルティナの言葉でようやく察した。先ほどの引っ掛かりはこれだったのだ。
カルロ・ブルーバードの名前とエピソードが有名過ぎて、彼の婚約者である男爵令嬢の名前は余り知られていないが、ナイジェルは聞いた事があった。
聞いた時に、ホワイトハートなんて名前なのに真っ黒な心を持つ令嬢なのかと呆れた覚えがあるから間違いない。
この状況のまずさに気付いたナイジェルの顔が真っ青になり、滝のような汗が流れる中、いまだに気付いていないアルバートはマルティナに微笑みかけた。
「貴女も男爵令嬢なのですね。けれど、同じ男爵令嬢でも、貴女は噂のメスオークとはまるで違う素敵な女性です」
「メ、メスオーク…」
「アルバート殿下!」
違わない! 今、貴方の目の前にいるのが噂のメスオークさんです!
ナイジェルはそう叫びそうになるのを無理やり抑え込み、アルバートに呼びかける。
「アルバート殿下、少し宜しいでしょうか! 今すぐお話したい事があるのですが! ええ、今すぐに!」
「ナイジェル、後にしてくれないか。今はマルティナ嬢と話しているんだ」
「いえ、非常に重要かつ緊急の話ですので、大至急お話したい!」
「ナイジェル…だが…」
「聞かないと後悔しますよ! ええ、もう絶対に!」
アルバートは溜息をついた。
「ナイジェル、私は君をとても信頼している。その君がそこまで言うのなら大切な話なんだろうという事も。だが、今この時間は私にとっても大切なものなんだ。どうか分かって欲しい」
「分かっておりますからこそ、大至急なのですよ!」
最早泣きそうになりながらナイジェルが訴える中、アルバートは笑顔でマルティナを見つめる。ナイジェルもマルティナも居た堪れない気持ちで一杯になっていた。
…どうしよう。全然気づいてくれない。
マルティナは迷った末、ここは一度去るべきだと判断した。
どうやらナイジェルは気づいてくれているようだし、自分がいなければ伝えてくれるだろう。そう思い、マルティナは思い切って彼に切り出した。
「わ、私、カルロ様にダンスに誘われているので、申し訳ありませんがこれで失礼します!」
「カルロ殿に?」
「ええ、ですから、もう戻りませんと…」
「そうですか…いや、しかし…」
アルバートは先ほど見たカルロに集まる人々を思い出す。
令嬢たちにあれほど囲まれていては…と、マルティナを痛まし気に見た。
「残念ですが、きっと彼と踊る事は難しいでしょう」
「え? どういう事でしょうか? 確かにダンスは得意ではありませんが…」
「ああ、貴女が悪いわけではないのです。ただ、ホールに戻って待っていても、きっとあなたの順番は回ってきません」
あれほど、女性たちに囲まれていたのでは、彼女の順番まで回ってこないだろうことは目に見えている。
「あの、でも…約束したのです」
「カルロ殿は今頃、日々婚約者から受ける精神的苦痛を令嬢たちに癒されているのでしょう。貴女にもきっと癒しを求められたに違いありません。きっと、貴女以外にも…」
「カルロ様は約束を破る方ではありませんわ」
マルティナはニッコリと笑って立ち上がる。
「もう行きますわね。殿下、美味しいお食事をありがとうございました。では、失礼いたします」
「待ってください! あの、宜しければカルロ殿の代わりに私がダンスを…!」
アルバートは慌てて立ち上がってマルティナの腕を掴んだが、マルティナはびくともせず、アルバートは逆にマルティナに引っ張られる形になった。
「え…!」
「殿下!」
机の上に引っ張り上げられる形になったアルバートを、ナイジェルが慌てて引っ張るが、それでもマルティナは止められず、ナイジェルも一緒に引き摺られる。
「まさか、嘘でしょう!」
ナイジェルは悲鳴を上げながら、咄嗟に足をテーブルに引っ掛けた。
男二人を引き摺ったマルティナだが、流石に大理石で出来たテーブルまでは引き摺れず、体勢を崩してしまう。
「きゃっ!」
「マルティナ嬢!」
「ちょっとテーブル動いてる!」
後ろへ倒れこむマルティナを支えようとしたアルバートが足を縺れさせて逆にマルティナにしがみ付き、ナイジェルが背後のテーブルに気を取られたその時、マルティナの体は差し出された腕に支えられ、前へと引っ張り上げられた。
「マルティナ、大丈夫か?」
「カルロ様!」
「怪我は…ないようだな」
マルティナを軽々と支えたカルロが安堵の息を吐くと同時に、マルティナと一緒に引っ張られたアルバートが呆然とカルロを見る。
「え、カルロ・ブルーバード? 何故ここに…」
「………」
カルロはそれには答えず、マルティナから無言でアルバートを引き剥がした。
不機嫌そうにマルティナを自分の元へ引き寄せ、アルバートとナイジェルに淡々と言う。
「宰相子息、ナイジェル殿とお見受けする。その方は貴方がお仕えしているという王子殿下ですか?」
唖然とした表情のままカルロを見るアルバートに変わり、ナイジェルが答えた。
「この方はゴールドクラウン王国第二王子、アルバート・ゴールドクラウン殿下です」
「では、アルバート殿下にお願いいたします。マルティナは私の婚約者です。気安く近づかないで頂きたい」
「………え?」
「では、失礼いたします」
「カルロ様…え、えええ!」
「あの細身で彼女を抱き上げるとか…嘘だろ!」
明らかに敵意を向けながらも仕草だけは丁寧に礼を取ったカルロはマルティナを振り返り、その体を腕の中へと持ち上げ、ナイジェルが驚愕の余り目と口を大きく開く。
両腕で抱き上げられたマルティナが驚いてカルロに首に腕を回せば、カルロは満足そうに目元を緩めた。
そのまま軽くアルバート達に頭を下げ、カルロはマルティナを連れ、悠々と歩き去る。
アルバートとナイジェルはそれをただ茫然としたまま見送った。
入れ替わりで、飛び出したカルロを追いかけてきたエドがやってくる。
「申し訳ありません。ここに誰か来ませんでしたか?」
「…先ほどまで、カルロ・ブルーバード殿とマルティナ・ホワイトハート令嬢がいましたが、もうお帰りになりましたよ」
「ありがとうございます。入れ違いになったのか。全く、カルロ様は…マルティナ様の事になると他のものが見えなくなるんだから」
エドのボヤキにアルバートがぼんやりとしたまま反応した。
「カルロ殿は、本気でマルティナ嬢の事を…」
その言葉に、エドは苦笑する。
「あの方は周りからは分かり辛いですが、ずっとマルティナ嬢を本気で想っていますよ。それこそ、彼女の為に馬鹿みたいな努力出来るくらいにはね」
そう言ってエドは会釈し、踵を返した。
残されたアルバートは小さく笑う。
「私の方が馬鹿だ」
「殿下…」
「何も知らず…カルロ殿の事もマルティナ嬢の事も何も知らず、勝手な思い込みで彼女の前で彼女を侮辱するなど…まるで道化ではないか」
苦い表情で笑うアルバートにナイジェルは気遣うように言った。
「知らなければ、知ればいいだけです」
「ナイジェル…」
「無知は罪かもしれません。けれど、それを自覚し、学び始める事に意味があるのです。貴方は初めて自分から踏み出した一歩で大切な事を学べた。私は貴方を変えてくれたマルティナ嬢に感謝します」
「…ああ」
泣きそうな顔をしたアルバートにナイジェルは微笑む。
「マルティナ嬢の事は残念でした」
「うん…」
「けれど、これからきっと貴方にはもっといい出会いがある筈です」
「ああ…それはいらない」
「大丈夫です。アルバート殿下ならきっと………え?」
ナイジェルがポカンとする中、アルバートは真っ直ぐに言い切った。
「新しい出会いなどいらない。私はマルティナ嬢がいい」
「殿下!」
ギョッとするナイジェルに、アルバートは言う。
「君が言ったんだろう。婚姻している訳ではないのなら、どうにでもなると」
「え、確かに言いましたが、それを否定したのは殿下ですよね?」
「ああ、私は馬鹿だった。知らなかったのだ、諦められないものだって世の中にはあると。初めてだったんだ。初めて好きになった女性だったのだ。このまま何もしないまま、私は諦めたくない!」
「えええ!」
ナイジェルが顔を青ざめさせる中、アルバートは宣言した。
「カルロ殿はマルティナ嬢の為に努力したと聞いた。だから、私も努力してみる。せめて彼女を抱き上げられるように!」
「そんな無茶な!」
アルバートが引っ張っても全く動かず、男二人を余裕で引き摺りながら大理石のテーブルを動かす彼女を持ち上げるなど、かなりの大男でも大変な事なのにアルバートがだなんて! このモヤシっ子殿下に出来る筈がない!
そんなナイジェルの心情も知らず、アルバートは意気込む。
「まずは王宮まで走って帰る! ついてこい、ナイジェル!」
「えええ! そんな殿下、お待ちください!」
凛々しく走り出したアルバートに、ナイジェルが慌てる中、勢いよく走り出したアルバートは直ぐに失速し、十数メートル先で壁へ凭れ掛かった。
「で、殿下、どうしました?」
「ナイジェル…」
ナイジェルが駆けよれば、アルバートは荒い息のまま、苦し気に言う。
「脇腹が、凄く痛い…!」
「このモヤシ殿下!!」
まだまだ先は長いようだ。
★★★★★
カルロは無言のまま王宮の通路を歩く。
幸いにも夜会は中盤で、通路には人気がない。
カルロの腕に抱かれたまま、マルティナはカルロの横顔を見つめた。
「カルロ様」
「…何だ?」
「重いなら、下ろしてくださってもいいのですよ」
「………」
カルロは答えず、無言で歩く。
「カルロ様」
マルティナは柔らかく微笑んだ。
「重いなら下ろしてくださっていいのです」
「…別に重くなど…」
「婚約の事も」
カルロが足を止める。
ようやく合った視線に、マルティナは笑みを深める。
「私がカルロ様の人生の重荷になるというのなら、下ろしてもいいのですよ」
ずっと考えていた事だった。
婚約してから変わってしまったカルロの事を。
冷たい態度もきつい言葉も、それがカルロの本心ではないと分かっていたから平気だった。
けれど、ならばカルロの本心はどこにあるのだろう。
苦しみながらマルティナを遠ざけようとするカルロ。それは、婚約が彼の重荷になってしまっているからじゃないのか。
そんな風に思ったマルティナの目を見つめ、カルロは口を開く。
「…お前は婚約を解消したいのか?」
「私は…」
「オレはマルティナじゃなければ嫌だ」
クシャリと、カルロは今にも泣きそうな表情を浮かべた。
「酷い態度を取った事は謝る」
「そんな事は…」
「酷い悪口も言った。謝って許してくれなんて虫がいい話かもしれないが、許して欲しい」
「カルロ様…私でいいんですか?」
戸惑いながらそう言えば、カルロは泣きそうな顔のまま笑う。
「マルティナ『で』いいんじゃないんだ。マルティナ『が』いいんだ」
マルティナはその言葉に目を瞬かせる。
ゆっくりゆっくりその言葉を噛みしめて、そして、とてもとても幸せそうに笑った。
「はい、カルロ様」
「うん」
その笑顔を見て、カルロは顔を赤くしながら頷き、再び歩き始める。
「ねぇ、カルロ様」
「何だ?」
「私、お姫様抱っこなんて子供の頃以来です。すごく嬉しくてドキドキするわ。ずっと憧れていたんですよ」
「ああ」
眩しそうに目を細めてカルロは笑った。
「知ってたよ」
だから、ずっと努力していたんだから。
ようやく追いついたエドがその光景に目を見開く中、カルロは楽しそうに声を上げて笑った。
★★★★★
「マルティナ、少し用事を済ませてくるから待っていてくれ」
「はい、カルロ様」
マルティナを馬車へとエスコートした後、カルロは踵を返した。
その後をエドが追う。
カルロは軽い足取りで人気のない物陰へ歩いて行き、倒れこむように膝をついた。
「う、腕が痺れて動かない…ひ、膝が笑って立てない…!」
「やっぱり無理してたんですね! オレ、その内、マルティナ様を落とすんじゃないかってハラハラしてたんですよ!」
エドが突っ込むのに、カルロは息も絶え絶えに震えながら言う。
「そんな、へまは、しない! だが、まさかあれほど重さが増しているとは…だから食べ過ぎるなといったのに…! クソ、鍛え直しだ! もっと走り込みを強化しなくては…!」
「このドンチ! 無茶しやがって…!」
王子様たちの苦労はまだまだ続く。
お付き合い頂けて嬉しいです。読んでくださってありがとうございました。




