【中編】
申し訳ありません。後編を更新する予定でしたが長くなってしまった為、中編を挟ませて頂きます。最後までお付き合い頂ければ幸いです。
アルバート・ゴールドクラウンは王子様である。
自称でもなく、あだ名でもない。正真正銘、ゴールドクラウン王国国王の第三子にして、第二王子だ。
月の光を溶かしたような淡い金色の髪に、澄んだ紫色の目。容姿は整っており、今は亡き王妃によく似た、どちらかと言えば女性的な線の細い美しい王子である。
そんな彼は、幼少期の頃より王は勿論、第一王子である兄にも、第一王女である姉にも可愛がられていた。
彼を溺愛している父であるゴールドクラウンの現国王は、アルバートとは似ても似つかない厳つい大男で、決して不細工ではないが美形とは言い難い強面をしている。
大体の子供は彼を見ただけで泣き喚くか、ごく一部の勇敢な少年は彼を退治しようと斬りかかってくる始末。今でも、彼が少し怒気を露にするだけで、後ろ暗い秘密を持つ者は勝手に腰を抜かすほどだ。
だが、国王は見かけとは裏腹に平和主義者で、温厚篤実を体現したような名君として名高い。そして、実は大の可愛い物好きという見かけによらない部分があった。
そんな国王は、小柄で線の細かった麗しい王妃を熱愛していて、彼女に生き写しであるアルバートを子供の中でも一番可愛がっている。
勿論、一番上の第一王子である息子も、その次の第一王女である娘も、アルバートより後に生まれた第四子の第二王女も皆可愛いがっているが、アルバートは別格だった。
何故なら、四人いる子供の内、三人は自分に似て厳つく、アルバートだけが可愛らしかったからだ。
第一王子は国王ほど強面ではなく、精悍な顔をした男前だが、アルバートよりも頭一つ分大きい筋肉の塊だ。
第一王女は中々の美人だが、背はアルバートより高く、美しい曲線を描く体はガッシリとしている。
第二王女は容姿こそ王妃に似て麗しいが、やはり背が高く、既に姉と並んでいるほどだった。
因みに、アルバートは線が細いためそれなりに身長があるように見えるが、女性の平均と同じか、少し低い程度である。
小柄で線が細い上、幼い頃は病弱だったアルバートは、風邪一つ引いたことのない健康優良児な兄弟姉妹たちからも心配され、大切に大切に育てられた。
普通なら父に明らかに贔屓されているアルバートは兄弟に嫉妬されてもおかしくはないが、兄も姉も彼を可愛がり、妹からも慕われている。何故なら、兄弟姉妹たちもまた、自分とはまるで違うお人形のように可愛いアルバートが大好きだったからだ。父の可愛いもの好き遺伝子は子へとしっかり受け継がれていたのである。
父や兄弟姉妹たちに愛されて育ったアルバートは、心優しい素直な少年へと成長していった。
唯一の難点は、余りにも大切にされ過ぎて、かなり世間知らずな箱入りになってしまった事だ。
父も兄も姉も妹も、彼に対して何も文句は言わない。彼の言うことを何でも叶えてしまうのだ。
そもそもアルバートは内気で、人見知りな少年だったので、彼の言う我儘など可愛いものであったのもある意味では災いしたのだろう。
「これ、もう食べられない」
苦手な野菜、食べにくい肉や魚、酸っぱい果物。
彼は少しだけ口をつけて、食べられないと首を振り、周りはそれを許す。
この国では女性にも王位継承権があり、彼の継承権が第三位だったことも理由の一つだった。優秀で丈夫な兄と姉がいて、大きな責任のない可愛らしい王子だったから、簡単に甘やかされる事を許されてしまったのだ。
それでも王妃が健在の頃は、彼女が叱って、多少なりとも食べさせていたのだが、彼女が流行り病で亡くなると、アルバートの偏食は一気に進んでしまった。
食が細くなったアルバートは益々線が細くなり、心配した周りは又、甘やかす。その繰り返しだ。
アルバートはどんどん華奢になり、宰相子息であるナイジェルが彼の従者となった頃にはすっかり儚くて華奢な虚弱少年になってしまっていた。
そんな彼に仕える事になったナイジェルは頭を抱える羽目になる。
いくら跡取りから遠いとはいえ、仮にもこの国の第二王子。このままではいけない。
そう思い、何とか体裁を整えようと、ナイジェルは試行錯誤を繰り返した。
最初は珍しい食べ物で釣ってみたが効果は薄い。
食べたくない。美味しくない。
そう言って俯くアルバートに、ナイジェルは別の方向からアプローチしてみる事にした。
アルバートは王位からは少し遠いが、間違いなくこの国の第二王子だ。
そんな彼には幼い頃から選ばれた婚約者候補達がいた。
才色兼備で名高い公爵令嬢に、華やかな魅力を持つ侯爵令嬢、明るく愛らしい属国の姫君。
ナイジェルは彼女たちに頼んで、アルバートを王宮という箱庭から連れ出して貰おうと考えたのだ。
彼女たちの誰かに好意を抱けば、きっと王子は変わろうとする筈だと。好意を抱かなくても、美しい令嬢たちを見れば、男として何かが変わるのではないかと、そんな期待を持っていた。
しかし、これは完全に失策で、最悪の結果が出る事になる。
婚約者たちは美しく優しいアルバートに好意を抱き、彼に好かれようとアプローチし始めた。
恋をして可愛く美しくなる令嬢たちにアルバートも好意を抱き、彼女たちも彼を大切にする。
アルバートは会って間もない婚約者候補たちに直ぐに心を許した。
彼にとっては初めて親しくなった他人であり、初めての友達でもあったのだ。夢中になるのも無理はなかった。
幼い頃から愛されて育ったアルバートは疑う事も、気持ちを偽る事もしない。
彼女たちに好意を告げられれば、素直に「とても嬉しい、私も君が好きだ」と返し、彼女たちが望めば、望むだけ欲しいものを渡した。
花やお菓子、綺麗な装飾品―――愛の言葉。
それがどんな意味を持つかなど考えもせず、愛してほしいと言われれば愛を囁き、抱きしめてほしいと言われれば抱きしめる。悪気なんて全くなかった。彼は彼女たちが大好きで、彼女たちを喜ばせたかっただけだったのだ。
それは、まるでエデンの園。
何の穢れもない、美しい愛の世界。
だが、この状況を客観的に見てほしい。二股どころか、三股である。
彼女たちが誇り高く、貞節を弁えた女性であり、まだ幼く、恋のやり取りも子供の様に微笑ましいものであったので最悪の結果は免れたが、その後の結末は言うまでもなく修羅場一直線だった。
自分を選んでくれたのだとばかり思っていた王子が、自分以外にも同じように愛を囁いていたのだ。本気で想いを寄せていた分、余計に彼女たちは大激怒したのだ。
事態はそれだけでは終わらなかった。恋の熱に暴走した彼女たちは、口々に自分以外の女性の悪口を王子へ吹き込んだのだ。勿論、それにより自分だけが愛される為である。
しかし、王子は彼女たちの言葉に混乱した。
素直で人を疑わない世間知らずな王子は、彼女たちの言葉を全て鵜呑みにしてしまったのだ。
各自が好き勝手に捏造している言葉に総合性などある訳もなく、最終的にアルバートは彼女たちから逃げ出した。彼女たちの言葉を信じた故に、彼女たち全員が恐ろしくなってしまったのだ。
初めて人間の醜い部分に触れた彼は、すっかり塞ぎ込んでしまった。
元々内気だった性格は益々内側を向く。
精一杯考えたナイジェルの作戦は、王子の食も体も痩せ細らせた上、軽い人間不信と女性恐怖症まで発症してしまう最悪な結果となった。やらなければ良かったと後悔したのも無理はないほどに。
その後、彼は他人を恐れる余り、人との関わりを避けるようになり、家族に依存するようになった。
ナイジェルは色々な策を講じたがどれも上手くいかず、現在に至る。
誰か何とかしてくれと、彼が投げやりに日々祈っていることは割と有名な話だった。
アルバート・ゴールドクラウンは王子様である。
彼は美しく、素直で優しい。そして、虚弱体質で、繊細過ぎるメンタルを持つ典型的な『もやしっ子』王子様であった。
★★★★★
その日、アルバートが夜会へ出ようと思ったのは、父に何日も前から出るように要請されていた事と、その日が大切な姉の誕生日パーティーだった事からだった。
普段、人の多い場所へ出る事をしない彼は勇気を振り絞って大広間へ行き、その足で中庭へと引き返す。
何故なら、そこに彼の婚約者候補だった女性たちがいたからだ。
彼女たちから逃げ出したあの日、アルバートは父である王に泣きつき、彼女たちと無理やり距離を置いた。
余りにも怯える息子に婚約を強要することは出来ず、王は候補だった彼女たちに話して、アルバートの婚約話を白紙に戻すことにしたのだが、彼女たちは諦めなかった。
絶対に振り向かせてみせる、強要はしない、いずれアルバートが選んでくれたら婚約させてほしいと王に頼み込んだのだ。
多分、アルバートと関わっていない状態ならば、彼女たちは引き下がってくれただろう。
だが、既にアルバートを知ってしまい、恋が燃え上がってしまった後では、彼を諦めきれなかった。
元々華奢で儚げな息子の後ろ盾になってくれればと選んだ令嬢たちだ。全員が全員、美しく優秀で、高い身分と強い後ろ盾を持っている。更に、息子を愛してくれている彼女たちを王は無碍に出来なかった。
その結果、婚約話は宙ぶらりんとなり、アルバートは彼女たちから虎視眈々と狙われ続ける事になる。その姿は肉食動物に捕捉された小動物のようだ。
中庭に隠れながら、アルバートは溜息をつく。
アルバートももう十八だ。あの頃とは違い、自分の状況も情けなさも理解している。
けれど、どうしても踏み出せない。足が竦んでしまう。人々の好奇に晒されるのも恐ろしいが、何よりも彼女たちの何かを求める目が恐ろしくて仕方がなかった。
隙を見て部屋に戻ろうと木の陰で座り込んでいると、そこへ誰かがやってくる。
見つかったのかと思わず身を固くするが、やってきたのは一人の見知らぬ令嬢だった。
彼女を一目見た瞬間、無意識に大丈夫だと確信し、彼は緊張を解く。
彼女は平凡で人の好さそうな容姿をしている、小柄でふくよかな令嬢だった。
彼女はアルバートには全く気付かず、白いベンチに座って、山の様に盛られた料理を食べ始める。
「おいしーい! 何て美味しいの!」
一口食べた瞬間、彼女は幸せそうに頬を緩ませた。
アルバートは、その表情に見惚れる。
だって、彼女は本当に幸せそうに美味しそうに食べるのだ。
思わずといったように笑みが零れるその様子は、見ている彼まで笑みを誘われた。
何て幸せそうな笑顔だろう。
何て美味しそうに食べるのだろう。
何て、何て。
気が付けば、彼女の前に立っていた。
彼女は明らかに不審なアルバートにも優しく声を掛けてくれる。
それから、彼女に誘われて一緒に食事をする事になった。一緒に食べた料理は不思議なくらいあっさりと腹の中へ入っていく。こんなに食事を楽しく美味しく思ったのも、こんなに沢山食べたのも生まれて初めてかもしれない。
美味しい美味しいと幸せそうに食べる彼女を見ていれば、簡素な料理も食べたことがないほど美味なご馳走のように思えた。
出逢ったのはつい先ほどで、共に過ごした時間は僅かなものだったが、一緒にいてこれほど満たされたと思えたのは初めての事だったのだ。
彼女にまた逢いたいと思うのは必然で、その為にアルバートは生まれて初めて、自発的に夜会へ参加したいと父である国王へと申し出た。
国王は息子が初めて言った前向きな我儘に喜び、予定になかった夜会を強引に開催することにし、国中の貴族が招待されることになった。名目は兄と姉の婚約者を探す為ということになっており、これならば国中の令息令嬢が集まる事だろう。
「きっと彼女も来るに違いない。又、彼女に会えるんだ」
アルバートは麗しい顔を期待に輝かせ、胸を高鳴らせていた。
それをナイジェルは何とも微妙な顔で見ている。
アルバートが前向きになった事は喜ばしい事だが、彼には王子が見初めたという令嬢に若干不安があったからだ。
そもそもアルバートは素直で世間知らずだから、簡単に騙される。アルバートが言う、優しくて温かな心を持つ女性など眉唾物だと思っていた。そもそも、見た目が美しいなり愛らしいというなら理解できるが、出逢ってすぐに優しく心が温かいなど、どうやって判断したというのか。胡散臭い。
挙句に中庭のベンチに大量の料理を持ち込んで食べていたというから、それは本当に令嬢なのかと顔が引き攣るのも無理はないと思う。本当に令嬢ならば怪しい事この上ない。
期待一杯のアルバートと、不安一杯のナイジェルが迎えた夜会当日。
心配性な兄から護身用のナイフを、姉からは危険な女性リストを手渡され、妹からは要注意人物の説明を受けたアルバートは意気揚々と会場へと入った。
王宮の奥へと閉じこもり、滅多に見かけない彼を王子だと気付く者は少ないが、その麗しさで人の目を惹きながら、彼はナイジェルを連れて、真っ直ぐに料理の並ぶテーブルへと向かう。彼女はそこにいると確信していた。
脇目も振らず真っ直ぐ向かう途中、とても大きな人集りがあり、賑やかなそこを通り過ぎる時は、流石に気になって目線を向ける。
「随分と人が集まっているようだが…一体なんだ?」
「令嬢たちの声からして、中心にカルロ・ブルーバード殿がいらっしゃるようですね。姿は見えませんが」
ナイジェルが状況からそう答えた。
「カルロ・ブルーバード…姉上から聞いた事がある。国一番と言われる美男子だとか」
「ええ、更に優秀な事でも有名です。何でも十四歳で事業を立ち上げ、成功を収めているとか。姫様はかの御仁に大層ご執心ですからね」
「だが、婚約者がいると…」
「ええ、それも『曰くつき』の」
含みを持たせたその言葉に、アルバートは眉を潜める。
「あの噂の『極悪非道で醜い男爵令嬢』の事だな」
彼に纏わる噂は王宮に閉じこもっているアルバートでも知っているくらい有名だ。
借金の代わりに下位貴族に売られた『悲劇の貴公子』だと。
「女という生き物は時に愛を得るためには手段を選ばない。何と気の毒な事か。他人事とは思えない…」
「女性は魔物と言いますからね。その中でも、カルロ殿はとんでもない女性に捕まってしまったものだ。美貌の侯爵令息の不幸はあまりにも有名ですよ」
心底同情しながらナイジェルが言えば、アルバートは憤りを感じていた。
金で愛を買おうなどと、何と醜く無様な女だろう。想像するだけで、身の毛がよだつ。
「おぞましい女だ。きっと彼はその女から自身を守るために事業を立ち上げ、努力しているのだろうな。何て高潔な男だ」
「全くですね」
痛ましそうに視線を逸らし、アルバートは前を見た。
そして、嬉しそうに顔を蕩けさせる。
ああ、やっとまた逢えた。
「こんばんは」
震える声でそう言えば、彼女は直ぐに振り返ってくれる。
不思議そうに、自分を真っ直ぐ見つめる温かな目に胸が甘く高鳴った。
「また逢えましたね」
女は魔物。愛を求めて、何にでも変わる恐ろしい生き物。
けれど、彼女は―――彼女だけは。
初めて逢ったあの時から。彼はその透き通るような心根の美しさから目を離せない。




