05
朝。ベッドの上で体を起こしてまず目に入ったのが扉近くに置かれていた照明器具だった。
窓は木ので作られた戸がはめられており、隙間から光が差し込んでいた。採光のためにわざと隙間を開けて作ったのか、偶然適度に隙間ができたのか。今気にすることではないな。
昨日は特に気にせずそのまま寝てしまったが、服を着替えていなかった。ベッドの横のテーブルに服が畳まれて置いてあるのは、寝る時はこれに着替えろということなのだろう。いやはや、全く気付かなかった。
色々と気が回っていないのはマヨネーズ分が足りないからだろう。細かい配慮のできる人が居てくれればいいのだが。
頼んだらお世話係とかで誰か来てくれたりしそうだけど。常に誰かが傍にいるというのもどうかと思う。
今が何時頃なのかわからないので、とにかく部屋を出て誰かに会わないと。隙間から見える光の強さを見ると、日が昇って一時間は経っているだろう。
部屋を出ると、ドアのすぐ横に人が居た。気配を感じさせないとは、とか思って見たけれど、元から気配を感知することはできない。
「おはようございます、ハジメ様。昨晩はよく眠れたでしょうか」
「おはようございます。それはもう、ぐっすり」
そこに居たのは昨日と同じような地味なドレスを着た姫様だった。いつからここに居たのかが気になるが、聞かない方が良い気がする。
「部屋の中には寝間着しか用意していなかったので、何着か着替えをご用意しました。防御魔法を編み込んでいますので、不意の一撃を防ぐのに役立つかと思います」
魔法って編み込めるのか、等と思いながら受け取る。せっかくなので着替させてもらおうと、出たばかりの部屋の中へ戻っていく。
厚手の生地のズボン。肌触りは悪くない。
薄手の生地のインナー。肌触りは割と良好。
ズボンよりは薄いが厚手の生地のシャツ。ワイシャツのようだがボタンがない。他も同様である。どうしたものかと思うが、前は開けたまま着替え終えたことにする。
再び部屋の外に出ると、先ほどと同じ場所で姫様が待機していた。
「あら、ハジメ様は暑がりさんなのでしょうか」
「いえ、そうでもないですが」
昨日外を歩いた感じでは、春の初めごろの気温だったように思う。そう考えるとこの格好は寒そうに見えるだろう。事実、少し肌寒い。
「留め方がわからなかったのでそのままにしてあるんです」
「それは、気が付かず申し訳ありません」
謝ってすぐに姫様は、俺の着ている服に手をかけた。
「一番上を合わせて、そこから指を下におろすと閉じるようになっています」
姫様は説明しながらシャツの前立て部分を指でなぞっていく。やり方が分かれば自分でできますよ?
「これも魔法ですか」
「はい、そうです。私たちは魔法に頼り切った生活をしていますので……」
それも悪い事ではないだろうが、魔法が使えなくなると何もできないことと同義か。
魔法が元いた世界の科学だと考えてみる。科学技術が使えなくなっても、ある程度は何とかなる程度の知恵と技術はあったように思う。俺ができるかどうかは別としてね?
この世界の人類は、おそらく原始時代に相当する頃から魔法が使えたのかもしれない。そうであるなら、魔法がない時に生き延びる知恵なんかはなくて当然だろう。
「今は少しずつですが、魔法無しで戦う術を模索しております。魔法無しでは、武器を作ることもままならないのが現状ですけれど」
ヴァラドガムスを倒せるようになるのは、一体何十年後の話になるのか。技術の発展というのは、それだけ長い時間が必要なはずだ。
俺が戦えなくなった時、その水準まで達していなければ再びどこかの誰かを召喚することになる。この世界の人間には聖剣が使えないからだ。是非ともそうならないように頑張ってもらうためにも、数十年の安全と卵を確保しなければいけない。
昨日に引き続いてスガラジャの肉が使われた朝食を食べながら、現在魔法無しでできることについて聞かせてもらった。
つい最近火を起こせるようになったことと、小さな倉庫を建てたことが聞けた。始まりが火を起こす事なのはどこでも同じなのか。
柔らかいパンに深い味わいの具沢山スープ。マヨネーズのかかっていないサラダにメインの肉料理。朝から重いように思えるが、体を動かす予定なのでこのくらいがちょうどいい。
フォークを持つ手が震えていたので、サラダにマヨネーズをかけて食べた。最高に美味しい朝食になった。
「ハジメ様に同行する者の選定も完了しましたので、すぐにでも出立は可能ですが、いかがいたしましょう?」
一人旅じゃなかったのか。いや、一人だと食事もままならないのだから、同行者がいてくれないと困るな。ありがたい。
「いえ、まだ魔法が使えるようになっていないので、せめて今日は訓練をしたいと思います。明日には必ず行きますが」
「かしこまりました。ではそのように手配しておきます」
さて、生存率を上げるためにも魔法を今日中に使えるようにならないといけないな。あと、魔法の結界を聖剣で斬れるかの確認もか。
「では魔法を教えることが得意な者を呼んできますので、しばらくお待ちくださいね」
「ここでするんですか?」
訓練場でひたすら実戦練習かと思っていたのだが。座学か。座学なのか。
「最初は理論をある程度知っておいた方が良いかと思います。なので、昼頃までは基礎理論を学んでいただきます。勝手に決めてしまいましたが、よろしいでしょうか」
「魔法の事はわからないので、それでお願いします」
座学か。マヨネーズ不足の状態で頭がどれだけ働くか心配だが、頑張って覚えようじゃないか。
数分待っていると、白い髪を後ろで一つにまとめた眼鏡のおじさんを連れて、姫様が戻ってきた。眼鏡があるのか。
「ハジメ様、お待たせいたしました。こちらは魔法の研究をしています、ニーヴェラルダ=リハネガウダという者です」
「ほう、あんたが聖剣使いか」
「ラルダ! ハジメ様に対して失礼な言葉遣いを」
「あーあー、すまんな、姫さんよ。俺は上品な言葉遣いができねぇんだ。勘弁してくれ」
「ハジメ様、申し訳ありません……」
「いえ、お気になさらず」
別に口が悪い事は気にならない。大事なのは言葉遣いよりもマヨネーズが好きかどうかだ。この世界に存在していなかったのだから、それ以前の問題だろう。だからこそ人に対してなにか気にするようなことはないのだ。
などということを説明することはしないが。
「寛大なお心に感謝しますわ…… とにかく、この男は魔法の知識については誰よりも詳しいので、魔法の使い方を知るには最適な人物です」
「ま、実践よりも理論派だからあまり役には立ってないがね」
このまま食堂で座学が始まるのか。机の上はすでに片付けられているから、普通の部屋で通じるのだが。
「とりあえずは、だ。魔力を感じられねぇと魔法は使えない」
そう言うとニーヴェラルダさんは懐から一本の棒を取り出した。魔法の杖だろうか。
「この杖の先端をよーっく見てろよ」
言われた通りに杖の先端をじっと見つめる。顔の高さに掲げられているため、杖の向こうにおじさんの顔が見えてなんか嫌だな。
「ぼんやりとでも光ってるのが見えたら言えよ。それで魔力の感知はできたことになる」
光ってるのが見えればいいんだな。
……これはただ見てるだけでいいのか? なんかコツとかないのか?
とりあえず「魔力、魔力」と念じながら杖の先端を睨んでいると、ぼんやりと光っているように見えてきた。青っぽい色だ。
「見えたみたいだな。何色だ?」
「青色に見えます」
「よし、じゃあ次は魔法がどうやったら発動するかと、なぜ発動するかの話をしてやろう」
ここで俺は姫様と王様の例から、長時間のお話になることを覚悟して姿勢を正した。