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恋コゲ

作者: 木下秋

 二日目の朝、みのりが目を覚ますともう向日葵ひまわりはいなかった。枕やシーツ、掛け布団は人が抜け出た後の形そのままになっていて、もぬけの殻。ベッドに変形するタイプのソファでは、まだつぼみが大人しく寝ていた。


 みのりは部屋の乾燥を感じて一つコホンと咳をして、立ち上がると遮光性の高いカーテンを開けに歩いた。強い光が部屋に射し込む。雲一つない濃い青空に、エメラルドグリーンの海。クリーム色の砂浜に、風に揺れる南国の植物。みのりは少し、その景色に見惚れたように動かなかった。



     *



「ひまちゃん、本当にあの人のとこ行っちゃったんだね」


 パンにバターを塗りながら蕾が言った。朝食のバイキング会場はがちゃがちゃと賑やかで、蕾の持ってきた大皿の上は山盛りの食べ物で華やかだった。サラダにソーセージ、ケチャップがたっぷり乗ったスクランブルエッグにスパゲッティ。形の違うパンが三つにジャム各種。身長百五十センチ程の小柄で細身な体型に似合わず彼女は大食いだったが、それは気の知れた友人の前でしか見せない一面だった。


 それに対してみのりの皿の上はというと、小さな皿の上にフルーツとヨーグルト、小さなパンが二つにコーヒーだけ。せっかくの食べ放題、バイキング形式の朝食だったが、彼女は朝、特に食が細かった。


 「昔っからそうでしょ」コーヒーにミルクを入れ、ゆっくりかき混ぜながらみのりは言った。「熱くなるとそれしか見えなくなって突っ走っちゃうタイプだから。あのコは」


「機関車みたいだね」


 蕾はニコニコと楽しそうに言った。パイナップルジュースをゴクゴクと飲み干すと、窓の外をうっとりと見る。みのりもそれにつられて外を見た。いつまで見ていても、飽きることのない景色だった。


 部屋に戻った二人は三十分ほどベッドに寝転び、外国語でなんと言っているかもわからないテレビをぼぉっと眺め休憩すると、やがて水着に着替えて外に出た。日焼け止めクリームをお互いにしっかり塗り、木陰に荷物を置いて海に入った。ジリジリと照りつける陽射しに肌は暖められたが、透明で、優しく冷たい海水が身体を冷やした。二人はきゃあきゃあ言いながら水を浴び、大きな水中メガネで海の中をのぞいた。人間のことなどお構い無しにそこいらを魚が泳ぎ、漂い、すいすいとやって来てはどこかへ行ってしまう。大きな浮き輪につかまって、海の上に顔を出した二人は感嘆のため息をついた。


 昼食を海の近くのレストランで済まし、午後は船に乗って沖に出てダイビングを楽しんだ。二人は明るいうちに部屋に戻り、シャワーを浴びて着替えを済ますと夕陽を見に外に出た。海風が髪をなびかせて、雲を千切れさせ流れて行く。オレンジ色から紺色へと変わるグラデーションが空を塗り、太陽は輝きながら地平線へと落ちて行った。



     *



 ジャーキーとナッツをつまみに部屋で酒を飲んでいると、部屋の扉が開いたので二人はそちらを同時に見た。


「ひまちゃん!」


「ただいまぁ〜」


 髪を後ろで二つに結った向日葵は少し腰を曲げ、疲れた様子で現れた。昨日より浅黒く肌が焼けている。


 「おかえり」落ち着き払った態度でみのりは言うと、空いたコップに酒を注いで向日葵に渡した。


 「今日ずっとお手伝いしてたの?」蕾が聞いた。向日葵は酒を一口飲んで「うん」と答える。


 「これ、おみやげ」そう言って向日葵が二人に渡したのは、硬く繊維のしっかりとした、濃い緑の葉を編んで作ったブレスレットだ。


「向日葵が作ったの?」


「そう。やり方教えてもらって。作れるようになった」


 「すごい〜」蕾は早速腕に付けて眺めていた。


「私さ、昨日も言ったけど……本当にここに残っちゃうかも」


 二人は固まった。「マジ?」


 「マジよ」向日葵は真剣な顔で言った。


「人生一度っきりでしょ。今まで私ずっと日本で暮らしてきて、これからもずっと、日本で暮らし続けて、死ぬんだって思ってた。でも、昨日マイクに会って……なんか運命を感じたのよ。結婚した人の話とか聞いてて『初めて会った瞬間にビビっと来た』ってよく言うでしょ? まさにアレよ。ビビっと来たの。信じられない話かもしれないけど。私、思うの。ここでマイクと結婚して……一生二人でアクセサリー作って、裕福でなくても細々と暮らしていくのも、いいのかなって。今日ずっと考えてたんだけど」


 「ちょっと待って」みのりは手で遮るようなジェスチャー付きで言った。


「向日葵の人生だからね、いいのよそれでも。私は。でもね、向日葵今日マイクと一緒に居てさ。……何話してんのか、わかったの?」


 「わかんない」向日葵は少し不安げな表情を見せた。「でも単語がなんとなくわかってきた。葉っぱはね、ウェーチー、って言うのよ。ウェー、チー」


 はぁ、と二人はぼんやりとした相槌を打った。


「でも赤ちゃんだって生まれたての時には言葉を知らないでしょ。生きていくうちに単語を一つづつ学んでいって喋れるようになるじゃない。今日だってボディランゲージでなんとなく会話は出来てたもの。大きな問題ではないわ」


 向日葵の目があまりに真剣なので、二人はそれ以上何も言えなかった。



     *



「ひまちゃん、本当にここに残る気かなぁ」


 浮き輪で海にプカプカ浮きながら、蕾は言った。みのりは濡れた前髪を指でかき分け、言った。


「不可能なことでも無いものね。ありえるんじゃない」


 「さみしくなるねぇ」脱力しているので、一定間隔で押し寄せる波で首がぐらりと揺れる。


「そしたらまた旅行しに来たらいいんじゃない。今時Skypeだってあるんだから無料で顔合わせながら話すことも出来るんだし。それにここに向日葵が住んでくれたら宿泊費浮くわ」


 そう言うと二人は笑った。相変わらず天気は快晴で、目を開けていられない程の強い陽射しが降り注いでいた。


「すごいなぁ、ひまちゃん」


「すごいね」


「日本にお母さんもお父さんも居て、大学だってまだ卒業してないのに」


「恋って、人をおかしくするもんよ」


 彼女はそう言いながら、内心何やら思い出して恥ずかしくなった。


「……他人から見たらバカげた行為や決断なのかもしれないけど、本人がそれを望んでいたり、本人にとってそれが幸せなんだったら、いいんじゃないかなって私は思う。だから向日葵がそうしたいんだったら、私は応援したいかな」


「私、ちょっとひまちゃんが羨ましいな」


 みのりは蕾の目を見た。


「そんなに一人の人を強く、好きになったことないかも」


「……まぁ私も人のこと言えたアレじゃないけど。蕾もきっといつかそれくらい好きになれる人ができるわ。その時は向日葵くらいためらわずに、突っ走ればいいのよ……機関車みたいに」


 みのりは頭の上に手を乗せると「熱い!」と驚いて、二人はまた海に潜った。



     *



 「ただいま」そう言って帰って来た向日葵は肩を落とし、目を泣き腫らしていた。みのりと蕾は彼女に駆け寄り、最悪の事態を想定して戦慄した。


「……どうしたの?」


 みのりは彼女をベッドに座らせて、背中に手をやり話を聞いた。


「マイク……結婚してたの」


 (へ?)二人は呆けた。


「指輪してなかったから結婚はしてないんだ、って思ってたんだけど……今日彼が夜ご飯食べさせてくれるみたいな感じになって、彼の家行ったら、奥さんも子どももいて……よくよく見たら彼ネックレスしてて、それに指輪、通してあったの。……ぼおっとしたままとりあえずご飯食べて……でも外出た瞬間に泣けてきて……」


 向日葵は子どもみたいに肩を震わせ、わんわん泣いた。二人は内心ホッとしながら彼女をなぐさめ、蕾はティッシュを持ってきた。


「痛い……」


 鼻をかみながら、向日葵は言った。


「そらまぁね、そんな体験したら……」


 心も痛いでしょうよ。そう思い二人は背中をさすってやった。


「違くて……」


 向日葵はショートパンツから出た自らの太ももを指差した。日によく焼けたその肌にみのりが触れると、熱を持っていて熱かった。


 マイクは現地民で、自然由来の植物や貝殻でアクセサリーを作って売っているアーティストだった。彼女は三日間彼の手伝いで、大して日焼け対策もせずに炎天下の中動いていたのだ。


「蕾、部屋にあるタオル全部水で濡らして、硬く絞って持ってきて」


 向日葵の露出していた肌の焼けは黒を通り越して少し赤くなり、軽い火傷状態だった。みのりは泣きじゃくる彼女の服を脱がせ、ベッドに寝かせた。


「ごめんね……」


「いいって」


「この三日間、一緒に遊べなくって」


「あと二日あるでしょ」


「うん」


「ちゃんと大人しくして治して……ありがと、蕾。広げて脚にかけてやって……」


「つーちゃん、ごめんね」


「いいよー」


 ベッドで大の字になった向日葵の手脚、顔に、二人は丁寧に、甲斐甲斐しく冷たく濡れたタオルを巻いてやった。


 そうして三日目の夜は過ぎていった。

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