神霊魔法
亜麻色のアンダーシャツにラベンダーグレイのミニのジャンバースカート。うん、ぼくにはこういった普通の格好が似合っている。昨日は男の子風にパンツルックにしたけれど、一応女の子っぽくスカートをはいてみた。いや、フェルに負けたくないとかそんなわけじゃないとぼくは内心言い訳をする。昨日の件は意外と僕の中では尾を引いているらしい。男の子に負けるぼくって女の子の魅力がやはりないってことだよね。悲しい。
「あれっ、そうだ。フェルの奴、変なこと言ってたっけ?」
ぼくはドアを開けた。フェルは忠実な犬みたいにドアの前で待っていた。ああ、駄目だ。完全にフェルが子犬化している。見えないはずの耳と尻尾がだらんと垂れて、思わず頭をなでなでしたくなる。あれ、泣いていたのかな、睫が濡れている。ぼくよりも数倍、いや数十倍の乙女度がある。う、羨ましくなんかないからね。
「フェル、さっき、変なこと言ってたよね」
「ぼ、ぼく、モエギさんの気、気に触るようなこと言いました?」
「ううん、そうじゃないんだ。ぼくが魔術士とか何とか言ってたよね」
「そうなんです!ぼくは感激しました!」
「それって何?」
「えっ?」
フェルは絶句して、口をパクパクと動かした。ぼくはフェルの顔を穴が開くくらいに見つめた。あれっ、ぼくは気が付いた。髪の色と瞳の色が違うだけで、フェルはあの男の子に似てる。ぼくの胸が不自然にドキドキと高鳴る。カァーッとぼくの頬が赤く染まっていく。なにこれ?なんの効果?もしかして、共に危険にあう男女が一時的に恋に落ちるって吊り橋効果ってやつ?フェルにこのぼくが?いや、ない、ない、絶対にない。
「モエギさん?」
ぼくがじっと見つめているとフェルも赤い顔になり、ぼくを見つめ返してくる。ぼくたちは互いの顔を赤く染めて、立ち尽くしていた。これは恥ずかしい現象だとぼくは思う。羞恥心で穴を掘りまくって、自分自身を埋めたくなる。
「どうしたのですか?こんなところで?」
レンダークさんが階段を昇ってきた。ぼくはフェルから顔を背ける。途端に力尽きたみたいに身体がクランと揺れた。ぼくの身体はレンダークさんに抱き止められた。レンダークさんの手がぼくの額に触れる。ヒンヤリとしていて、気持ちがいい。ああ、やはりレンダークさんは素敵だ。その魅力にぼくはいつもどうしてよいのかわからなくなる。
「モエちゃん、無理しないで下さい。やっと熱が下がったのに、また出てきたようです」
熱?あっ、そうか、熱があったんだ。だから、こんなに身体が熱いのか。決して、フェルと見つめ合ったからじゃない。レンダークさんが軽々とぼくの身体を抱き上げた。
「殿下、しばらくはここに滞在します。急激な魔法の発動で身体が弱っているのです」
「レンダークさん、モエギさんは大丈夫なんですか?」
「ええ、安静にしていれば、大丈夫です」
魔法の発動?ぼくが?十三年間、一度も魔法を使うことができなかったぼくが?変?何かおかしい。あまりにもおかしすぎて笑いたくなる。魔法が使えたら、ぼくはこんなに悩みもしなかった。もっと気軽に生きられた。ルーイ家にしと、オーダ家にしろ、一族直系のぼくには才能がない。それは一族の中でも才能あふれる従兄や親族たちを見て、いつも思っていたことだ。
胸が痛い。痛くて痛くて誰かに助けてほしくて堪らなかった。でも、誰もぼくを救ってくれない。だから、家事に励んだ。それだけがぼくがあの家にいていい拠り所でもあったからだ。
ぼくはベッドに戻された。おばちゃんが来て、ぼくをパジャマに着替えさせてくれた。ぼくは心の中でレンダークさんに謝る。変な妄想をしてごめんなさい。たぶん、昨日もおばちゃんが着替えさせてくれたんだ。おばちゃんと入れ替わりに、レンダークさんがまた部屋に戻ってきた。
ぼくは聞きたくてたまらなかった事実を知ろうとした。本当に魔法が使えるなら、ぼくはうれしい。
「ぼく、魔法を使ったの?」
「ええ、そうですよ」
レンダークさんは椅子を引いてきて、ぼくのベッドの脇に置いた。腰掛けると、ぼくを覗き込んだ。その瞳はルイさんを思い出させる。ルイさんと違うのは、彼の瞳が常にぼくに向けられるときは思いやりにあふれていたことだと思う。それゆえに彼のそばにいると心地よくて、それが罪悪感にもなる。ぼくが縛り付けていい人じゃないから。
「ぼくが?本当に?」
「ええ、昨日、あの暗黒魔法使いが引き下がったのは、モエちゃんの魔法が発動されたからです」
「レンダークさん、魔法の発動って何?ぼく、気になるよ、その言葉。フツー、皆は魔法を使うっていうのに、どうして、レンダークさんは魔法の発動と言うの?」
レンダークさんの手が優しくぼくの頭を撫でる。懐かしくてくすぐったい。
「モエちゃん、この世界の魔法は幾つあるのか知っていますか?」
「うん、一般的な魔法は精霊の助けを借りて使う精霊魔法。それから、北エリシュオーネに残存する暗黒時代の神の怒りの力を借りて使う暗黒魔法。それと、異世界の生物の力を借りて使う召喚魔法。その三つでしょう」
「よくできましたと言いたいのですが、一つ足りません」
えっ?他に何かあったかな。ぼくはうーんと唸る。レンダークさんが微笑みながら、ぼくを見る。
「神代では当たり前だった神の力を借りて使う神霊魔法です」
「えっ?それって、暗黒時代に消えた魔法でしょう?」
「そうですね。一時は神の力が途絶えたものですから、神霊魔法使いは力が使えなくなりました。たいていの神霊魔法使いは、暗黒時代に姿を消したそうです」
「でしょう?神霊魔法使いはいなくなったんだもの、省いて当然でしょう?」
レンダークさんが静かに首を振る。
「暗黒時代が過ぎた頃から、神の力が少しずつ復活してきたのです。神霊魔法使いの血筋は、精霊魔法使いとなって細々と繋がってきました。それが私たちの一族です。元はマース王家にも繋がります。つまり、神霊魔法の発祥はマース王家なのです」
ぼくは口をポカンと開けて、レンダークさんを見つめた。それって、それって、あのフェルにも使えるっていうこと?ぼくは浮かんだ考えを口から出さずにゴクンと飲み込んだ。
「結論から言います。モエちゃんの魔法は、神霊魔法です。ただ、モエちゃんの場合は、急激に発動したのです。つまり、暴走です。魔法を使ったのでなく、暴走して発動しただけなのです」
「あの、あのね、レンダークさん、ぼくにはよくわかんないよ。魔法を使うのと魔法の発動ってどう違うの?」
「あっ、すみません。つまりですね。どの魔法を使うにしても、私たちは自分の意思でこの魔法を使いたいと決めるわけです。当然、意識して使うので、どの位の規模でどんな魔法を使うのか、身体はきちんと把握します。使った魔法力に見合った精神力がなくなるだけです。でも、それは意識して使うので、精神力が急激になくなることはありません」
ぼくはうんうんとうなずいている。魔法を使わないぼくでも知っている基本的なことだ。
「魔法の発動とは、自分が意識せずに魔法を使ってしまうことです。つまり、暴発です。意識がありませんから、たいていは最大級の魔法力を発揮して、一気に精神力がなくなります。ただ、精神力がなくなったのだけなら、別に問題はありません。眠るだけですからね。殆どの者は、一晩眠れば回復します」
レンダークさんが言葉を切った。心なしか緊張気味にぼくを見据える。あれ?レンダークさんの雰囲気が変わった?どこがどう変わったのかわからないけれども、彼はぼくの前では穏やかな微笑みを絶やさなかった。それが何か言いたそうな言いにくそうなじれったいような焦りに似た顔をしている。それが緊張となってぼくに伝わったのだ。
「もえちゃん、疲れませんか?」
「うん、大丈夫だよ」
話が聞きたいぼくは、元気一杯に答えた。レンダークさんが眉をひそめる。
「駄目です。続きは一休みしてからにしましょう。さっ、ゆっくりとお休みなさい。話は逃げて行きませんよ」
レンダークさんはぼくの布団を掛け直すと、
-我願う。大地の精霊よ、契約に従い、我の力となれ。誘、眠砂。-
ぼくに眠りの魔法をかける。ぼくの瞼が意識に関係なく塞がっていく。ぼくは首をブンブンと振る。眠気を追い払いたかった。ぼくの努力も虚しく、頭が霞んでいく。
「モエちゃん、ゆっくりとお休みなさい」
レンダークさんの声が微かに届いた。
「いいのですね」
コクンと小さくうなずいた。グレーのローブ服が目の前で揺れる。あのお方によく似たパールグレイの長い髪。女の人としても通用する整った顔だち。ラピスラズリの瞳が悲しみに曇っている。
神々は世界を作られたあとはすべてその地に住まう者たちに委ねる。我が神はそれができなかった。自分が作られた存在が愛おしすぎて、行く末を見守ろうとこの世界にとどまり続けた。神が願うとおりに、世界は温かな光に満ちて、誰もが争いもなく幸福に暮らすことができた。それは神が与えた楽園という名の世界。
楽園に暮らす者は幸福だ。だが、それは元始の神の意志に反すること。一つの世界だけが特別ではなく、この世の中には神々が作られたたくさんの世界が存在する。一つだけの世界に神がとどまるのは不公平であり、歪みを招く。その歪みの元は一人の巫女姫によってこの世界にもたらされた。
「私たちには、一つの世界に留まることは許されていないのです。エリシュオーネがここから離れることができないのは、あなたの存在があるからです。私はあれの兄として、あなたという存在を消さなければなりません」
突然現れたあのお方の兄と名乗る神は、淡々とそう告げる。葛藤が幾日も続いた後で、やっと自分が死ぬことに同意できた。巫女姫は自分が消えることで、この世界も元の理に戻ることを望んだ。
「なぜ、なぜ、モエギを殺す。モエギが何をした?もえぎはただ、ぼくを愛しただけだ。ぼくはその愛に応えただけだ。なぜ、皆、ぼくたちの邪魔をするんだ?ぼくが神というたったそれだけの理由か?なぜ、ぼくは神などに生まれたのだ!」
誰かがバシンと拳で思いっきり地面を叩いた。何度も、何度も繰り返し、叩く。泥にまみれた手に血が滲む。その姿が憐れでそれでいて愛おしい。彼は思った。そうだ、すべてが狂ってしまえばいいのにと。ほんのささやかな願いも聞いてもらえないのなら、すべてが消えてしまえばいいのにと。
「ぼくはこの世界を憎む。人間を、神を、全ての生命を憎む。たった一つの生命を守れなかったのに、なぜ、この世界はこんなに美しすぎるんだ。モエギがいない世界などいらない!全て、壊れてしまえ!」
声を張り上げて、全世界に呪いの言葉を投げつけた。歪みが大きくなる。
愛しくて愛しくてたまらなかったこの世界から、すべての色が消えたその日。
話を作るのは好きだけれども、文章力がない、語彙が少ない。これは致命的だと思うこのごろです。