エチゴヤさん
ぼくたちの旅は順調で、心配したトラブルもなく、ウエストエンドにたどり着いた。その頃にはぼくもすっかり隊商に馴染んでいた。ウェンさんとセレインさんの仲は、いいのか悪いのかわからない。エチゴヤさんはとらえどころがなくて、どうもこの隊商は普通ではないと薄々気づいている。
切り立った崖の隙間に道があった。こんなところで襲われたら、一溜りもない。警備頭のウェンさんを筆頭に警備のお兄さんやおじさんたちは、馬車を守るものを除いてサッと辺りに散開した。傭兵や冒険者崩れにしては手際がよすぎる。ぼくは黙ったままセレインさんと後方を守った。下手な口出しは禁物だ。疑問はいくつもあっても、それを口にしたらお終いだ。
しばらく、進むと海が見える高台に出た。東側は地の壁となり、西側は海。先程と違って道は広く曲がりくねっている。終わりの道はどちらもこんなものらしい。こうした道は様々なものを隠すのに都合がいい。崖の上の方には幾つもの風穴もあるとセレインさんが教えてくれた。ここが有名な山賊などの住み家になっているという噂のウエストエンドなのだと思い知る。
キャンプ地は海を見渡せる小高い丘だった。ここは隊商のキャンプ地として定着しているらしく、ぼくたちの他に二組の隊商がいた。向こうはトレェードからの戻り組で、エチゴヤさんとは知り合いらしく、当然メンバーも顔なじみで夜遅くまで皆で騒いでいた。ぼくとセレインさんは女というだけで、あちこちに花を添えるために借りだされて、大変だった。特に向こうは男所帯。セレインさんは適当にあしらって、ぼくのこともしっかりとガードしてくれた。彼女はきつい物言いや行動もするが、認めたら懐に入れたものを大事にしてくれる。そんな人だった。ノブユキさんが彼女に手を出さなかった理由がなんとなくわかる気がした。
ただ、こんな時もウェンさんたち警備の者は油断なく辺りに気を配っている。それが当たり前なのか異様なのか初めてここに来たぼくにはわからない。
騒ぎがお開きになって馬車に戻ってからも、ぼくは興奮して眠れないでいた。寝ていたセレインさんがカチャッと剣を取り上げた。ぼくも身構える。辺りはシンと静まりかえっていた。切り立った崖に波の砕け散る音が繰り返す。その合間をぬって、ウェンさんの呪文を詠唱する低い声と剣が重なり合う音が聞こえてきた。セレインさんが外を覗く。ぼくはセレインさんの後ろに陣取った。
ぼくは目を閉じた。別に目を閉じる必要はどこにもないのだが、目を閉じた方が状況を見やすかった。辺りを取り囲んでいるのは人間だけではない。魔物たちもたくさんいる。
「駄目だ!」
ぼくは夢中で馬車から飛びだした。
「見つけたぞ。このガキ!」
ぼくは猫みたいにヒョイと首ねっこを掴まれた。そうか、ぼくが家を出てから、三ヵ月、そろそろ発見されてもおかしくない。男の声はアザレイの手下の声だった。
「手を離しな!」
セレインさんが怒鳴った。男はぼくを捕まえたまま、セレインさんと対峙する。
「ウォォォォォォォーーーーン!」
猛獣の吠える声。セレインさんがビクッと肩を震わせた。
「俺たちには暗黒神がついてるんだ」
男が勝ち誇ったように言った。ぼくは目を閉じた。何人もの人狼さんが周りから押し寄せてきた。暗黒神が死んでから、人狼さんたちはここへ住み着いた。安住の里を求めたはずだ。なのに、彼は、アザレイはまた彼らを狂暴な殺戮集団に変えるのか?ぼくの心に悲鳴が響いてくる。「もう、嫌だ」「たくさんだ」操られた人狼さんの心だ。ぼくはどうすればいいのかと悩む。
「ウェン!」
ぼくは顔を上げた。セレインさんを襲った人狼さんからセレインさんを守ったのだろう。人狼さんと相打ちになって倒れている。地面に流れる血を見て、力が欲しいとぼくは切に願った。
「ウェンのバカ、あたしはまだうんと言ってない。うんと言うまで付きまとうはずじゃなかったのか」
セレインさんの悲鳴のような声。ぼくの中の何かがドクンと揺れる。身体が熱く感じる。
「ああ、そうさ。ぼくはしつこいんだ」
ウェンさんの口から、血がゴボッと吹きでた。たまらない。ぼくは男の腕に容赦なくガブッとかみついた。男が悲鳴を上げた。弛んだ腕から、ぼくは必死で逃げ出したと同時にぼくの口からこぼれた呪文。
-光よ!仮の太陽を創れ!-
ぼくは両手を差し伸べた。光の精霊が集まって、天に光輝くまぶしい光球を創り上げた。夜行性の人狼さんたちは、キャンキャンと負け犬が吠えて逃げるように辺りに散らばっていく。
-大地よ!悪しき者を捕縛せよ!-
ぼくの呼びかけに応じて、大地が脈動する。アザレイの手下たちだけが、大地よりいでた精霊の見えない手に囚われる。
ぼくはぼくを捕らえていた体格のいい男をにらみつけた。
「ぼくは逃げはしない。アザレイに言え。北の神殿で待っていると。そこには先にエルシュラン兄様も行っているはずだ。ぼくたちは決着をつける」
ぼくはそこで大地の戒めを解いた。男たちが転がるように逃げ去って行く。
「ウェン!」
セレインさんの悲鳴だ。ぼくはハッと後ろを振り向いた。ウェンさんの生命が尽きかけている。ぼくは両手を胸の前で組んだ。ぼくは必死に願った。このままこの人を逝かせるわけにはいかない。もう、ぼくは哀しい思いを見たくない。愛する人を失う哀しみを誰にも負って欲しくない。
-水よ!ぼくが願う、エリシュオーネが命じる、この尽きる生命に再生を!-
ぼくの呼びかけに応じた水の精霊たちがウェンさんを取り囲んだ。ウェンさんの血の気を失った身体が、見る見るうちに生気を取り戻し始めた。そこでぼくはやっと落ち着きを取り戻した。もう、ぼくの出る幕はない。
「ウェン!ウェン、よかった。助かったのね。助かるのね」
セレインさんが両手を顔で覆って、泣いている。ウェンさんが弱々しく手を伸ばして、セレインさんの髪を撫で始めた。その二人の姿を見て、ぼくは余計に納得した。ノブユキさんはきっとウェンさんの気持ちを知っていたのだと。ノブユキさんは武骨な大人だ。それでいて自分の信頼する人たちにはとても優しい。ウェンさんの気持ちを知っていて、セレインさんに手出しなどできるわけがない。そこでぼくはニヘラって気持ち悪い笑みを浮かべてしまう。ぼくは自分の両親が大好きなのだとここでまた改めて思った。
「ぼくは死なないよ。きみがうんと言うまで、いや、きみと暮らすんだ。きみはノブとルイちゃんの子に負けないくらいかわいい子を産んで、ぼくたちは一緒に暮らすんだ」
うん、うんとセレインさんは何度も何度も頷いている。
「よかった、よかった。きっかけができたようだ。あの二人にはほんの少しのきっかけが必要だった」
「エチゴヤさん」
気が付くとぼくの隣にエチゴヤさんが立っていた。他の隊商の人たちはぼくを怯えたように見ている。ぼくと目が合うのを恐れて、馬車に逃げ込む者もいた。そうだ、ぼくの力は人間のものでない。エリシュオーネはまだ、暗黒神なのだ。俯いたぼくの肩をエチゴヤさんが優しく抱き寄せた。
「ノブユキが言っとった。『元始の神様から預った大事な娘だ。もし、娘と出会うことがあれば、力になってほしい』とな。一目でわかった。事情は知らない。向こうも話す気はなかった。私にわかることは、きみは暗黒神ではないということだ」
「エチゴヤさん、あなたは一体、何者ですか?普通の商人ではありませんよね」
ぼくは前から思ってた質問をぶつけた。エチゴヤさんは苦笑しただけだった。しばらくしてから周りが落ち着いてからぼくは光球を無に返した。
「クルルルルゥゥゥゥ」
光球を消すと人狼さんたちが悲しげに泣きながら、ぼくを遠巻きに見ていることに気づいた。
『エリシュオーネ様、お帰りをお待ちしておりました』
毛皮が銀色に輝いた人狼さんがぼくに近寄ってきた。人狼さんたちの長なのだろう。ぼくに敬意を表しているがわかる。
『我々は自ら人間に仇名すことはしません。全ては暗黒神と化せられたもう一人のお方の仕業です。どうぞ、この世界に永遠の幸福をお与え下さい。我々は静かに暮らすことが望みです』
銀色の人狼さんはチラッと人間たちを見遣った。エチゴヤさんはぼくの隣で平然としているが、他の隊商のメンバーは全員が馬車に逃げ込んだようだ。人狼さんに圧倒されつつも、エチゴヤさんの隊商のメンバーは成り行きを見守っている。
『北の神殿に行かれるのでしたら、我々がお供します。人間では役に立たないでしょう』
ぼくはエチゴヤさんを見た。エチゴヤさんは首を軽く振った。
「私には人狼との会話はわからないのだよ。きみが何かを目指すのなら先を行きなさい。我々のことは気にしなくてもいい」
「エチゴヤさん、ぼくがいると迷惑をかけてしまいそうです。ぼくはもう一人のぼくと決着をつけなければならないのです。それが、ぼくがこの世に生まれてきた望みです」
「そうか」
エチゴヤさんはぼくの耳に口を近付けた。
「私はこれでもマース国の参謀の一人だ。人外のことは私では何とも言えないが、もし、きみが困ったことがあればすぐにトレェードに来なさい。少なくとも、半年は滞在する予定でいる」
ぼくは口をあんぐりと開けて、エチゴヤさんを見た。
「あー!もしかして、お父さんが言ってた………」
ぼくの口は簡単にエチゴヤさんに塞がれた。
「大声で言うものじゃない。商人というものは結構重宝する仕事でな。各国間の情報は自然と手に入るようになっている。当然、この国の種々の問題もだ」
ぼくはやっと納得できた。ということは、隊商の皆がマース国の騎士かもしくは魔術士で、つまり影と言われる人たちなのだ。どうりで物事に動じる人が一人もいないわけだ。
「モエギ、これを持っていけ」
セレインさんがぼくに袋を差し出した。何日か分の食料が入っている。ぼくはセレインさんに抱きついた。ウェンさんもまだ顔色が蒼ざめているが、ぼくに近寄ってきて頭を撫でてくれた。
「本当はトレェードまで送っていきたかったが、どうやら先を急ぐ必要がありそうだな」
ぼくはみんなに礼儀正しく、ペコンとお辞儀をした。これは大事。ノブユキさんとルイさんにも関わることだからだ。ぼくの評価は両親の評価にも繋がる。たくさんお世話になりながら、お礼もできない最低な娘にはなりたくない。あの二人の娘だと胸を張って言えない娘になりたくない。
「ありがとうございました」
そんな僕の心を知ってか知らずか、エチゴヤさんたちは笑顔をぼくに向けてくれた。その心遣いが今はうれしい。




