理不尽な日々
始まりは混沌としていた。凝縮されたカオスは始まりの爆発の後で元始の神から作られ現れた神々によって、幾つもの星に変わっていった。神々は元始の神の命令により手分けして、星々にたくさんの世界を創り上げた。神々によって、幾つもの世界は生命に満ちあふれていった。
我が神、エリシュオーネは宇宙の片隅にたった一つの世界を創り上げた。神になったばかりのエリシュオーネにとって、世界を創る仕事は初めてのことだった。神はこの世界を丁寧に時間をかけて大切に育成した。創り上げた世界に神は自分自身の名を付けた。だから、ぼくの住むこの世界はエリシュオーネと呼ばれる。
「モ・エ・ちゃーん」
今日のルイさんはご機嫌だ。ぼくはスープの味見をしながら、少し塩を足した。もう一度おたまで味見をしてから火を止めると、同時くらいにルイさんの手が背中からぼくを抱きしめた。ルイさんご自慢の蒼バラの香水がぼくの鼻に仄かに香ってくる。くすぐるような甘い香をベースにして、爽やかなミントを噛んだようなすがすがしさをも感じさせる不思議な香が辺りを心地好く漂っている。自分で調合した香水は一人前の女性魔術士の印。誰もが認める天才魔術士のルイさんは、六才の年から魔法で創った蒼バラの香水を身につけている。
「モエちゃーん、聞いて、聞いて」
ルイさんの声はかなりのハイテンション。ぼくの背筋をいやぁぁぁぁぁぁーな予感が一目散に走り抜けた。ルイさんの機嫌がいい時には必ず何かが起こる。
実の娘のぼくが言うのだから間違いはない!
あっ、ぼく?ぼくの名前はモエギ・オーダ。これでも一応は十三才になる女の子。後一ヵ月ほどで十四才になる、そこら辺に当たり前に転がっているごくごく普通の女の子だよ。女の子のぼくが私でなく僕というのはどうしてかって?うん、ぼくにもよくわからない。ただ、ぼくは私というよりも小さなころからぼくと言った方がしっくりくるんだ。何度も女の子らしく私って言いなさいって言われ続けているけれども、ぼくはぼくであってぼく以外の言い方に納得できないから、この年になってもぼくのままだ。
今、ご機嫌な様子でぼくを抱きしめたのは、一応ぼくを産んだ母親のルイさん。これでも、ぼくの住むマース国の宮廷魔術士長補佐の地位にいる、やり手、バリバリのキャリアウーマンなのだ。当年とって二十八才、外見上は二十才ぐらいにしか見えない力ある魔術士のお得な体質。事情を知らない人から見たら、ぼくたちは姉妹にしか見えないよね。そのせいというわけでもないけれど、ぼくは小さい時から《お母さん》を意味する言葉でルイさんを呼んだことはない。
ルイさんに限らず、ノブユキさんのこともそうだ。ノブユキさんは一応ルイさんの夫でぼくの父親にあたる人だ。マース国近衛騎士団隊長を務めている。当年とって男盛りの三十六才、娘のぼくも認める浮気者で、いつも、妙齢のご婦人方が彼の周りにたくさんいる。そのせいでルイさんとは派手な夫婦喧嘩が絶えない。なのに、二人ともバカップルと言いたいくらいに仲がいい。まあ、昔から喧嘩するほど仲がいいっていうしとぼくは他人事のように冷めた目で二人を見ている。
ぼくの一番の不幸は、この二人の子供として生まれてしまったことなのだ。
ぼくの住むマース国には二つの公爵家がある。魔術士を多く輩出しているルイさんの生家のルーイ家と騎士を多く輩出しているノブユキさんの生家のオーダ家。両家ともマース国建国からの古い家柄で王家とも姻戚関係にある。ルイさんはルーイ家の直系の一人娘で、ノブユキさんはオーダ家の直系の嫡男だった。
魔術士と騎士という家系のせいで、ルーイ家とオーダ家はずっとライバル関係にある。本来、直系の二人が結婚することなどありえないことだった。二人が結ばれた経緯の詳細は、二人とも子供のぼくには何も語ってくれないのでわからない。知っているのは、二人が大胆にも駆け落ちという暴挙に出たという事実だけ。当然のごとく両家の当主であるおじいちゃんたちは、怒りまくってルイさんとノブユキさんを勘当処分にした。今でもその勘当処分は半分は解けていない。
お陰で、ぼくが両家の後継者に指定されている。ぼくは五才という年で三人の婚約者を決められた。一人はルーイ家の決めた婚約者、ルイさんの従弟のレンダークさん、既に宮廷魔術士の一員になっていて、年は二十三才。ルイさんと同じ銀の髪をした女の人みたいにきれいなお兄さんなのだ。
あとの二人はオーダ家の決めた婚約者、ノブユキさんのお姉さんの子供、つまりはぼくの従兄にあたる双子の兄弟のタクミくんとタクトくん、騎士見習い中で、年は十七才。タクミくんにはガールフレンドがたくさんいて、いつも違う女の子とデートしているという噂がある。ノブユキさんと同じ血が流れている分、浮気者なのだ。それに引き換え、タクトくんは品行方正な本の虫で、いつも難しそうな本を読んでいる。タクトくんが魔術士になりたかったという噂はあながち嘘ではないらしい。
ぼくは十五才になるまでに、この三人の中から、誰かを選ばなければならない。それが今のぼくの最大の不幸だ。おじいちゃんたちには、ぼくが一人しかいないとわかっていない。ぼく一人では、ルーイ家とオーダ家の二つを同時に継ぐことはできない。ましてや、どちらか一つを継ぐことなどできるものか。なのに、おじいちゃんたちはどちらもぼくが自分の後を継ぐと信じている。嘆息。
ぼくは手にしていたおたまをお鍋に戻して、ルイさんの抱擁から逃れた。ルイさんは辟易するくらいベタベタとぼくにまとわりつく。それがぼくには時々うっとうしい。今もルイさんはちょっと拗ねたようにぼくを見た。
「もう、モエちゃんったら、あたしの愛情がわかってくれないのね」
そんなものわかるかっていうの!ぼくは腕組みをしてルイさんを恨めしそうに見た。ルイさんは何でも魔法で片付けようとするのでいつも言葉が足りなさすぎる。一を言えば十言ったつもりで、何度もそれでぼくは煮え湯を飲まされてきた。
そりゃーね、ぼくだって、一応実の親の事だから悪口は言いたくはない。そう、ぼくはいつも思うんだ。なんで、ぼくはもう少しまともな親のところに生まれてこなかったのかって。
だいたい、ぼくがこうして六才の時から、家事一切する羽目になっているのもルイさんが全部魔法で誤魔化そうとして派手にやらかしてくれるからだ。魔法で簡単に家事ができると豪語する割に、掃除をすれば家の中に竜巻が起こり家具一切が駄目になる。洗濯も同じく、ルイさんに任せたら盥の中でなぜか全てが襤褸切れと化す。料理はもっと悪い。ぼくの知らない極上の魔法薬はいとも簡単に作り出すというのに、何故か、ルイさんの作り出す料理のお鍋の中身は紫と黒とに彩られ、ブクブクと泡立ち、そのうちにお鍋に穴が開くのだ。もう、それは人間、いや魔物ですら食べられるものじゃないと思う。それにいつも仕事だと言い訳して家事から逃げ出すルイさんの代わりに、ぼくが小さい時からマーサおばちゃんから家事全般を仕込まれたのだ。家族の平和な生活のためにだ。
確かにルイさんは、生まれつき魔法能力に飛び抜けていて、八才の時に修業の旅へ出た程の凄腕の魔術士である。そう、魔術士としては最高なんだけどね、母親としては最低だ!生まれてこの方、ぼくの一切の面倒を見てくれたのは、七年前に亡くなったマーサおばちゃんで、ルイさんの乳母としてずっとルイさんの面倒を見てきた人なのだ。ルイさんはノブユキさんと駆け落ちした時でさえ、マーサおばちゃんを連れて行ったくらいだもの、ルイさんがいかに家事が駄目かわかるってもの。
ただ、ちょっと、ぼくが残念なのは、ぼくはルイさんにもノブユキさんにも才能は似なかったってことだ。ぼくにも一応は魔法能力はあるらしい。なのに、もうすぐ十四才にもなるっていうのに、ぼくは未だにその魔法能力を引き出せないでいる。
魔法が駄目なら、剣というわけでもないのだけど、これでも一応五才の時からノブユキさんの手ほどきを受けている。それがちっとも物にならない。まだ何とも言えないとノブユキさんは言うけれど、ぼくには才能がないってつくづく思う。
ぼくが唯一誇れる才能って、情けないことに家事能力だけだ。これだけはマーサおばちゃん直伝でルイさんもノブユキさんも認めてくれる。自分で言うのも何だけど、ぼくはマース国王主宰のお料理大会でここ三年ほど優勝している。一時期、真剣にぼくは料理人になろうかって考えた。もうじきぼくは十四才になる。一人前の大人として認められる成年式まで後一年。ぼくの人生はぼく自身で決めたい!って一応は思っている。
「モエちゃん?」
ルイさんの不機嫌そうな声にぼくは我に返った。ルイさんの周りで、小さなつむじ風が目に見えるほど渦巻き始めている。そうだ、ルイさんは何かぼくに聞いて欲しかったんだっけ?ルイさんの機嫌が悪くなると手が付けられない程厄介だ。ぼくは手早くルイさんお好みの香草茶をお気に入りの白磁のカップに注いだ。爽やかな香がキッチンにあふれた。
ぼくは居間のソファーにルイさん用の特別あつらえのふかふかのクッションを置いた。今日、極上のお天気だったので、干しておいたのだ。ルイさんはぼくが用意したクッションに寄り掛かると、テーブルに置いたカップを取り上げて、香を楽しみながら、一口、口に含んだ。ルイさんの顔がニコッて微笑んだ。娘のぼくも見惚れるほどに彼女は美人過ぎる。その美の片鱗を少しでもいいから僕は分けてほしかったとつくづく思う。ぼくはいたって平凡な顔立ちで、本当にこの人の娘なのかと本気で疑ったこともある。
ルイさんを取り巻いていた風が、ぼくの脇をスゥッと駆け抜けた。窓から広い世界へと帰っていく精霊が、悪戯にぼくの黒髪を巻き上げたのだ。ともかく、あの優美なスマイルが出ると一安心。ぼくはほっとして、ルイさんの向かいのソファーに腰掛けた。
「そう、そう、モエちゃん」
ルイさんはテーブルにカップを置くと、ニコニコと微笑みながらぼくを見た。ぼくは途端に緊張した。ルイさんがこんな調子で話をする時は必ずぼくに災難が降りかかる。この前はレンダークさんの誕生日に、なぜかぼくが手料理を作ってお祝いするという約束を勝手にしてきて、ノブユキさんはもちろん、おじいちゃん二人を巻き込んだ壮絶なバトルにまで発展したっけ。お陰で、ぼくはタクミくんとタクトくんの誕生日にも手料理を作らざるを得なくなった。溜息。
「フェルくんって知ってる?」
「はあ?」
緊張の糸がぶっちぎれて、ぼくはぽかんと口を開けた。ぼくの脳裏に即座にフェル・リンリンの情けない顔が浮かんでくる。
ぼくが就学年齢の五才に達した時に、一応公爵家の血筋であるぼくは、当然貴族の子供が通う学校か、もしくは魔術士学校に入れられるものと思い込んでいた。ところが、ノブユキさんはぼくを一般庶民の通う学校に入れた。ルイさんはぼくを魔術士学校に入れたかったらしい。少しごねたけれど、どういう理由か、すぐに納得した。フェルはその学校のクラスメートだ。
つたない文章ですみません。