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裏野ハイツ幻想  作者: 松宮星
第2話 幻想と現実の間
6/14

鏡     【201号室】

 死にたい……?


 ダメよ。

 ぜったいにダメ。


 あなたは何も悪くないもの。


 悪いのはぜんぶあなたの旦那さんでしょ?

 働かないで、パチンコばかり。それで、暴力をふるうんでしょ? 浮気もしてるの?


 ひどいわ……。

 クズね。


 そんな男のせいで、あなたが死ぬだなんておかしいわ。


 あなたは何も悪くないんだから。


 消えるのは、あなたじゃない。旦那さんの方よ。



 ああ……

 違うわ。殺してしまえって言ってるんじゃないの。


 そんなクズのせいであなたが刑務所へ行くだなんて、おかしいもの。


 暴力夫がいない所へ逃げてしまいなさいな。


……無理?

 逃げられない? ご両親はいないの? 逃げては連れ戻されて……。そう……大変だったのね。


 でもね、あなた……

 それは……


 逃げ方が悪かったのよ。


……あなたが望むのなら……

 ぜったい旦那さんに見つからない所へ連れて行ってあげるわ。


 私なら……


 私のお部屋なら、それが出来るの。






 さあ、どうぞ。


 ここが私のお部屋。

 裏野ハイツ201号室。

 狭いけれど、とてもステキなお部屋なのよ。


 年寄りの一人暮らしだから、お気兼ねなくね。


 え?


 誰かいる? 何か動いた?


 あら……?


……違うわ。

 リビングには誰も居ないわ。人間は誰も……ね。


 よぉぉく見て。


 ほら。




 うふふ。


 ごめんなさいね、びっくりした?


 玄関灯だけだと、リビングに誰か居るみたいに見えるのよねえ。


 明るい所で見れば、わかるでしょ?


 鏡よ。


 あなた、自分の影に驚いちゃったのよ。


 玄関の正面……リビングのつきあたりの壁に鏡を設置してあるの。


 あの鏡はね……

 魔除けなの。

 玄関の正面に鏡があると、玄関から入って来る気を全て追い払えるんですって。悪い気は、鏡が全部弾いてくれるのよ。


 特注品の鏡なのよ。

 大型鏡専門の業者さんに注文してね、バレーのお教室やフィットネスクラブに置くような大きな鏡を取り付けていただいたの。

 歪みがほとんどない鏡なんですって。

 くっきり映ってキレイでしょ?



 さあ、どうぞ。あがって。


 エアコンを入れるわね。


 お茶でもいかが?


 お腹すいてない? 何かつくりましょうか?



 怯えなくても、大丈夫よ。この部屋に、あなたの旦那さんは入って来られないから。

 悪いものはぜんぶ、玄関正面の鏡に弾かれるもの。

 本当よ。


 ここにいれば安全よ……。


 私を信じて……。


 うふふ。

 あなたは素直で、本当にいい子ね。あの女とは大違い……。




 深夜零時まであと一時間ちょっとね。


 もうすぐあなたは新しい世界へ行ける。

 幸せになれるのよ。


 この部屋の魔法の力で、ね。



 どんな魔法か? ですって……


 うふふ。


 あそこ。

 あの扉の先は、洗面脱衣所でね……

 扉を開けると、洗面台が見えるの。

 洗面台の幅一杯に、大きな鏡があるのよ。洗面台の上から天井までの高さのね。とってもステキな鏡よ。



 それとね……

 こっちよ。

 ほら、リビングの北側のこの窓……


 うふふ。


 ここと、あちら。


 よぉく見て。


……わかるかしら?


 あの洗面脱衣所の扉を開け放っておくと……

 洗面台の鏡と窓で……



 合わせ鏡になるのよ。



 うふふ。

 ステキでしょ?

 私もね、最初は気づかなかったのよ。引っ越してすぐの頃はね……いろいろあって……とても落ち込んでいたから……


 でも、ある日ね、ふと気づいたのよ。

 この部屋の魔法に……。


 おかげで、不幸のどん底から這い上がれたわ。

 本当の世界で幸せになれたのよ……。




 うふふ。


 合せ鏡の不思議な力って……

 聞いたことない?


 深夜零時に合わせ鏡をつくって覗き込むと……


 悪魔が見えるとか……


 自分の未来が見えるとか……


 魂が吸いこまれるとか……


……いろいろ言われているわね。


 鏡に映った私を、後ろの合わせ鏡が映し、合わせ鏡の中の私を鏡が映し……何人もの私が鏡に映し出されて……

 鏡の中に『気』の道ができるのよ。


 だからね。

 その道を見つめながら……こう言うだけでいいの。


『ここは私の世界じゃない。本当の世界へ行きたい』って。


 後は……

 鏡が導いてくれるわ……。



 これが、このお部屋と私の魔法よ。



 鏡の先は、ほんの少し違う世界……

 あなたの旦那さんは違う人かもしれない。

 見違えるほど働き者になってるかもしれない。

 ご両親はご健在で、あなたを護ってくれるかもしれない。


 行ってみなければ、どんな所かわからないわ。


 でも、少なくとも……こことは違う世界よ。


『その世界のあなた』は、『あなた』が行けば消える。

『あなた』は、『その世界のあなた』になりきって生きればいいの。


 幸せになれるのよ。



 もしも……

 その世界があなたをまた不幸にしようとしても……

 大丈夫よ。


 またやり直せばいいだけだもの。

 嫌なことがあったら、またここにいらっしゃい。違う『本当の世界』へ連れて行ってあげるわ。


 何度でも何度でも……

 あなたが満足できるまで……やり直してあげる。




 並行世界(パラレルワールド)……?


……そう。そういう言葉があるの。

 私はずっと『本当の世界』って言っていたわ。

 お若い方は学があるわね。



……私のこと、気のふれたおばあさんだと思ってくれてもいいわ。


 あなた……死のうとしていたでしょ?

 死ぬ覚悟があるのなら、何がどうなっても構わないはずよ。

 何でもできるでしょ?


 騙されたと思って、午前零時の合わせ鏡……やってみない?



 ありがとう。あなたなら、そう言ってくれると思ったわ。


 本当に、あなたはいい子ね。

 素直で可愛いわ。




……まだ時間があるわね。



……零時まで、私の話を聞いてくれるかしら?


 私が何故、このみすぼらしい部屋に来て、魔法を見つけることになったのか……お話したいわ。


 聞いてくれるわね?


……私のこと、あなたならわかってくださるわよね? そうだと、信じているわ。




 昔はね……

 私、一人じゃなかったの。


 優しい主人と息子と、幸せに暮らしていたわ。



 それを壊したのが……あの嫁。

 息子に取り入ったクズ女よ。


 可愛げのない(ヒト)だったのよ。


 常識ってものがなかったわ。年長者への尊敬の念もね。


 気が利かなくて、不器用で愚図で、口下手で、ほんとになぁんにもできない(ヒト)だったの。そのくせプライドだけは高かったわ。私がやんわりと諭してあげても、すぐふてくされちゃうの。私を睨みつけてきたのよ……嫌な女でしょ?

 容姿も平凡。ご実家もうちとは釣り合いがとれてなくって……


 もちろん、結婚には反対したわ。主人もよ。でも、お腹に息子の子供がいる、もう堕ろせないって言われて……仕方なく……。



 それでも、私、いい姑になろうとしてあげたのよ。


 結婚祝いに、近所にマンションを買ってあげたわ。本当は同居したかったけど。新婚の間は自由にさせてあげようと思って。

 車もプレゼントしたわ。


 初孫が産まれてからは、マンションに頻繁に通ってあげたわ。

 嫁が育児疲れで何もしないから。

 荒れ放題の家じゃ、息子たちが可哀想だから。家事をしてあげたのよ。


 お料理はお出汁からとってきちんと作ったわ。三日に一度はデパートで美味しい物を買って行ってあげた。

 孫の服も玩具もいっぱい買ってあげたわ。息子の下着や靴下、シャツもね。

 汚いお部屋も、隅々まで掃除したわ。

 すぐに汚れ物をためこむから、お洗濯もしたわ、あの女の趣味の悪い下着だって洗ってあげたのよ。


 なのに、あの(ヒト)ったら、感謝するどころか……

 ひどい暴言を吐いたわ。


『もう我慢できません。ここはお義母さまの家じゃないんです。出て行ってください』だなんて……。


 私がおかしい?

 プライバシーの侵害?

 これ以上勝手な事をするのなら住居侵入罪で訴える?

 もう関わらないでください?


 冗談じゃないわ。

 おかしいのは、あの女の方よ。

 ろくに家事もしないあいつの代わりをしてあげただけなのに。

 合鍵をつくったのだって、変な時間に嫁が寝るからよ。チャイムを鳴らしても出ないからよ。

 私は息子の母よ、身内よ、息子の家に入って何が悪いって言うの?

 被害妄想が強すぎるわ。私の善意をまったく理解しないなんて!

 義理の母親を犯罪者にしようだなんて……あの女、頭がおかしいのよ!


 なのに、息子ったら……

『しばらくマンションに来ないでくれ』って……。


 信じられなかったわ……


 あの優しかった子が、嫁のいいなりになって私を責めるだなんて。


 あの女が、あることないこと息子に吹き込んだのよ。


 ぜったい、そうよ。


……悪いのはぜんぶあの女。


 あの女のせいで……


 会いたい時に息子にも孫にも会えなくなって……


 一年にほんの数回しか……


 だから……


 その一回で、孫と楽しい時を過ごしたくって……


 最高級の物を……


 ご馳走しようと思って……。




 でも!

 私は悪くないわ!

 悪いのは、あの女!

 私にきちんと説明しなかったんですもの。


 アレルギーのこと……

 よく知らなかったのよ。


 孫がそうだとは聞いてたけれど……。


 ほんの数口で、あんな……

 ブツブツがいっぱい出て、口が腫れあがって、息が……できなく……なって……。


 あんな姿になるだなんて……。



 本当に美味しい物をあげれば、嫌いな物でも口にできるようになると思ったの。

 小さいうちに偏食を直してあげようと思って、それで……。



 悪意なんかなかったわ。


 二十年以上前の話よ。

 現代(いま)とは違うの。TVで食物アレルギーのことなんてほとんど取り上げられてなかったわ。


 知らなかっただけなの。

 私はぜんぜん悪くないの。


 私にきちんと説明しなかった嫁が悪いのよ。


 だって、昔は何でも食べたのよ。子供を甘やかさないで、嫌いな物でも食べさせたわ。食べ続ければ苦手も克服できるもの。私は普通のことをしただけよ。


 入院はしたけど……

 無事に退院できたのよ。後遺症もなかったわ。ぜんぶ元通りでしょ? 何の問題もなかったはずなのに……



 何で……絶縁されなきゃいけないの……?



 わかってるわ……。


 悪いのは、ぜんぶ嫁よ。

 あの女が、主人まで洗脳したのよ。私の悪口を吹き込んで、私一人を悪役にしたのよ。

 ぜんぶぜんぶぜんぶあの女のせい。

 この私が息子にも孫にも会えないだなんてひどいひどいひどい始めから気に食わなかったのよあの女が家族を引き裂いたのよちゃんとした家の女じゃないくせに家事も満足にできないくせにあんな女に育てられたら私の可愛い孫がダメになってしまうわ嫁そっくりなダメ人間になってしまうあんな女殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ私があの女を殺してあげなきゃ……




 あら?


 どうしたの?

 そんなに震えて……。

 寒いの?


 外に行きたいの?

 ダメよ。

 旦那さんに捕まっちゃうわ。


 だから、ダメよ。


――無駄よ。


 玄関の扉はもう開かないわ。


 だって、あなた……

 午前零時の合わせ鏡、やるんでしょ?

 やるって言ったわよね?


 みんな期待してるのよ。あなたを逃がすわけないじゃない。



 みんなはみんなよ。

 私と……このお部屋。ここにある全ての物よ。


 うふふ。

 玄関扉も窓も、あなたが約束を果たすまで……決して開かないわ。



……もうすぐ零時ね。

 洗面所に行きましょう。

 さあ、立って。


……キ●ガイ?


 失礼な方ねえ。

 私、あなたを助けたいだけなのに。


――私の善意……わかってくださらないの?



 そうよ。

 こっちよ。

 さあ、洗面台の前に立って。


 ほら。

 ステキな鏡でしょ?

 ここも、特注品に取り換えてもらったの。

 とっても澄んでいて、歪みが無い。いい鏡でしょう?


 それから……


 ほら!


 うふふ。


 驚いた?


 リビングとの境の引き戸にもね、鏡を埋め込んでもらったの。


 窓だと遠すぎて、ぼんやりしか見えなかったから。


 これだけ近い合わせ鏡なら、何もかもをくっきり映し出せるわ……。


 さあ、見て。


 あなたと私がいっぱい映ってるわ。前の鏡にも後ろの鏡にも。


 ひどい泣き顔のあなたが……何人もいるわ。


 うふふ。

 みっともない顔……。


 鼻水くらいお拭きなさい。

 はい、ティッシュ。


……早くして。愚図は嫌いよ。



……あと五分ね。


 午前零時に一人で合わせ鏡の前に立つのよ。


 そうしないと、思った通りの魔法にならないわ。


 ちゃんと鏡の中の自分を見つめ続けるのよ?



 私、鏡に映らない位置へ行くわ。お風呂場の扉の陰に隠れて見てるわね。


 でも、ここからでも……

 刺そうと思えば、いつでも出来るわ。

 包丁は届くわよ。


 しっかり立って。


 合わせ鏡の前から動いたら……私、怒るわよ?


 ちゃんと『本当の世界』へ行ってね。

 あなたは、行き損ねるような愚図じゃないわよね……?


 私を怒らせないでね……?



 行きたい世界を、心の中で思い描くといいわ。


 思いが強ければ、望む通りの世界へ行けるから……。



 二十年前に魔法を見つけてから……

 たくさんの『本当の世界』へ行ったわ。


 だってねえ……


 憎いあの女を罰っしても……

 むなしいだけだったから……。


 たった一度じゃねえ……。


 だから……

 殺して殺して殺して……。刺して、殴って、焼いて、轢いて、切って、吊るして、潰して……どうして?って目を見開くあの女を、命乞いするあの女を、この手で何回も何回も殺してあげたの。

 数え切れないほどね。



 うふふ。


 でもね、最近はやってないの。同じことを繰り返しすぎて飽きちゃったのよ。

 この世界の嫁はまだ生きてるわ。

……生かしておいてあげてるの。

 殺したくなったら何時でも殺せる……。


 そう思うだけで、ゾクゾクするほど幸せなのよ……。



 あなたもね……

 旦那さんを殺してみたら?


……虫の息寸前の旦那さんを想像して。

 入院中にしちゃダメよ。

 人目がない場所……

 一人で自宅で寝ている旦那さんを思い描くといいわ。


 動けない相手なら……あなたでもやれるわよ。


 クズを罰し終えたら、またここにいらっしゃいな。

 次の『本当の世界』に連れて行ってあげる。

 心のシコリが無くなるまで、旦那さんに怨みをぶつけ続けるのよ。すっきりするわよ。



 もうすぐ零時ね。


……あと十五秒。


 さあ。想像して。


 あ な た の 本 当 の 世 界 を。

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