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裏野ハイツ幻想  作者: 松宮星
第3話 タクシーの怪談
13/14

老婆

……ええ、そうです。

 そのお嬢さんの助言、聞いてませんよ。


 現在、絶賛営業中です。



 いや、だって……

 年末なんですよ?

 一年で一番の稼ぎ時なんです。


……昼営業だけで帰れますか。


 わたしらは休めば休むだけ、自分の首を絞めちまう。歩合制ですからね……お客様を運んでなんぼなんです。

 ましてや、まだ宵の口についたばかり。


 ここで稼がなきゃ、見えないお客にビビッてる暇なんかない、そう自分にハッパをかけてですね……。



 でも、まあ……


 怖いことは怖かったんで。


 営業場所は変えようかな〜と。


 ○○線沿線を離れ、都心へ都心へって移動してったんです。



 深夜割増料金タイム前に休憩とって……

 メシでも食って……

 釣銭がこころもとないから両替しといて……

 気味の悪いお嬢さんのことは、冗談めかしてツイッターでつぶやいてみるかー

 それで、厄落としだ。


 な〜んて思ってたら、ま〜た無線。


 ドキッ! として……

――未了解でスルーしました。


 いやね……

 昔の無線なら迎車先や時間を先に教えてもらえたんですけどね、イマドキは応答を押さなきゃ中身がわからないんで……。


 応答して……

 もしもまた裏野ハイツだったりしたらと思うと……


 正直、怖くって……。



 頭の中に『運転手さん、魅入られかけてます』って声が何度も響いてねえ……。



 ともかく遠くへ行こう、都心まで『回送』だ……そう思った瞬間、手が挙がりました。


 まだ『空車』のままだったんです。

 信号待ち中でしたからねー 逃げ場無し。乗車拒否と思われないよう、ちゃんとお乗せしましたよ。


 おばあさんとお孫さんかな?

 手を挙げたのは、おばあさんの方。こざっぱりとした感じのお洒落なおばあさんでしたね。コートとバッグが高級品ぽかった。

 いっしょの女性の方は、地味め。マスクをしてたんで、はっきりとはわかりませんが、二十代ぐらいですかねえ。


「どちらまで参りましょう?」ってお尋ねしたら、おばあさんが「○○線の△△駅の近くまで」とかおっしゃって……


 △△駅……?



 どくんと、心臓が鳴りました。



 つとめて明るく言ったんですよ、「△△駅ですかー 今日はあの辺りよく走ってますよー」ってね。

「不思議なことにねー 同じ建物に三回続けて行ってるんですよ」とも。


 何処かって聞かれたんで、素直に『裏野ハイツです』ってお答えしたんです、小さな共同住宅なのでご存じないでしょうけれどもねとも付け加えて……


 なのに、おばあさんが嬉しそうにおっしゃったんですよ。


「あら偶然ねえ。私もそこに住んでるのよ」って……。



 耳を疑いました。



「私達も裏野ハイツまでお願いね」


 またまたまた裏野ハイツだなんて……


「運転手さん、裏野ハイツとご縁があるのねえ」


 さすがに、ゾーッとしましたよ。


 何でこんなに被るんだ? 目に見えない何かに操られてるんじゃないかって……?


 ハンドルを握る手が震えてきました。




 そのおばあさんは、201号室の長谷川さん……?

……そうですか。

……ええ、しゃきっとした方でしたね。

 マスクの女性は、無口でしたが。



 静かになったわたしの後ろで、二人の女性はひそひそ話をしました。


 最初は聞き流してたんですよ。

『運転手さん、魅入られかけてます』って言葉ばかり何度も何度も頭の中に蘇ってね……他のことに頭がぜんぜん回らなかったんです。



 けどね、そのうち。

 開き直ってきました。

 魅入られたから何だ! ……って気分になってきたんです。

 行先が被ったからって、それがどうした。それで死ぬわけじゃなし! ってね。


 ただの偶然だ。


 このお客様たちを降ろしたら、裏野ハイツからう〜んと遠くへ行こう。

 それで、偶然は終わりだ。

 で、次のお客様に、『こんな事があったんですよ。同じ建物につづけて四回も行きましてね。呪われてるんじゃないかとヒヤヒヤしましたよー』と笑い話にして聞かせて、厄を落とそう……。



 そういう心持になったら、余裕が出てきて。

 聞くとはなしにお二人の会話が耳に入ってきましてね……

 いや、会話じゃないか。

 おばあさんが一方的にしゃべってたから。



「怪我でも病気でもいいわ」


「起き上がれないほど具合を悪くすればいいの」


「初めての時は手元が狂いやすいから、縛るといいわ。猿轡もあった方がいいわね。口汚くののしられたら、こわくて体が動かなくなっちゃうもの」



――何の話だ?


 ルームミラーで覗いてみれば……


 朗らかなおばあさんに比べ、ご同乗の方は表情が硬い。

 マスクの女性、左眼をしかめているんですよ。目が開けづらそうに、ね。瞼が腫れぼったいし、青あざまである。そう気づくと、マスクまで口元隠しのように見えてくる。


 そんな痛々しい女性に、おばあさんは笑顔で話しかけ続ける……。


「睡眠薬で眠らせたら? 反応が薄くて物足りないかもしれないけど、暴れられるよりはいいもの。失敗しないようにしましょう」


「要は、慣れね」


「繰り返していくうちに、加減もわかるわ」


「そのうち、うまくやれるようになるから。妥協しちゃダメよ。あなたがすっきりするまで続けましょうね」



――何を?



 聞き耳を立てました。


 小声だったんで、エンジン音や外の音に何度もかき消されました。

 けど、それでも、明らかに……『殺す』って言ったんですよ、おばあさん……。あとは『鏡』とか『本当の世界』とか……。


 マスクの女性は、ぴくりとも表情を動かさないのに。

 おばあさんはずっとにこやかで……

 タクシーの中だってのに……

 運転手(わたし)もいるってのに、殺人を促すような会話を延々と続けるんです。

 無邪気な顔で、ね。


 よく見ると、そのおばあさん……何処を見てるんだかわからない。

 目の焦点がね、合ってないんです。


 なのに、ね。

 ふと。

 ルームミラーの方に顔を向けてきたんですよ。

 後ろをうかがってるわたしを凝視するように、ね。


 ぎょろっと目玉が、動いて……。


 あわてて目をそらしたんで、チラッとしか見えませんでしたが……

 やっぱ……目のピントが合ってなかったんです……。


「運転手さん……聞こえちゃいました?」

 とか話しかけてくるし!


 声は明るいし、顔は笑ってる。

 でも、目が怖いんですよ……。何にも見てない目だ。


 わたしは、つとめて穏やかに答えました。

「何でしょう? 外がやかましいので、今までお声がよく聞こえなかったんですが?」


「そうかしら?……本当は聞こえてたんでしょ?」


 うふふと笑うおばあさんは、それはもうにこやかでにこやかで……


 鬼気迫る感じで……


「私……嘘つきは嫌いよ?」

 とか言うんですよ。



 ヤバイの乗せちまった。

 今日はもう営業やめとけば良かった〜って後悔しましたが、今更だ。



「いやいや、ほんとに。何も聞いてませんよ?」

 話題を変えたくて、適当なことを言いました。

「ところで、お客様。年末年始はそちらのお孫さんと過ごされるんですか?」って。


 そしたら、後部座席のお二人がきょとんとしちゃってね。

 顔を見合わせてから、おばあさんがクスっと笑ったんですよ。

「孫じゃないわ。この方は、お友だちよ。小説講座の」って。


 へ? てなもんです。


「今晩は、うちに泊まっていただいて、二人でいろいろアイデアを練るの」


 お友だちにしては、年の差が……。

 祖母と孫にしか見えませんでした。


 それに、マスクの女性は荷物を持っていない。着の身着のままでした。おまけに顔には青あざ……。


 気のいいおばあさんがDV被害女性をみかねて自宅にかくまおうとしてる……そんなドラマがあってもおかしくなさそうな。



「なぁんだ、小説の話をしてたんですか」

 ホッと息を漏らしました。

「ミステリーを書かれるんですね。もしかして、鏡をつかったトリック殺人もの?」って聞いたんですよ。


 そしたら……


 ダン!と座席が揺れました。


「あなた……やっぱり聞いていたのね……」


 声が……やけに近い。

 すぐ近くから息遣いまでする……。


「……嘘つきは嫌いって……言ったわよね……?」


 運転席の背に手をついて、おばあさんが身を乗り出していたんですよ。

 透明な防犯パネルに、ぴったりと額をこすりつけて……。


 ひぃぃぃぃっと身が縮まりました。


 もう怖くて怖くて!


 けど、どうにか、

「走行中は危険ですのでお座りください!」って叫べました。声は裏返ってましたけどね……。


 おばあさんは、うふふと笑って、

「……許してあげる」

 料金トレイの上に、掌のものを置いて席に戻られました。


――のど飴でした。


「でも、次はないわよ……」


 ルームミラーで見ると、おばあさん、顔をこっちに向けてるんですよ。あのうつろな目を見開いて……


「教えてあげる……私達、クズの罰し方を考えてるの。胸がスーッとするような、ステキな殺し方をね……」


……背中がゾワゾワしました。



 その後は景気がどうの天気がどうの……どうでもいい話をして……


 お二人を裏野ハイツの前に降ろして、わたしゃ……


 回送にして、急いでその場から離れたんですよ。



 後のことは知りません。


 知りませんよ。

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