密室
昼過ぎまではねー
普通だったんですよ。
無線の集中砲火で、○○線沿線ばかりでしたけどね。
わたしの車しか近くにいなかったんでしょうね。無線が続いちゃって。
△△駅と□□駅の辺りを行ったり来たり。
ワンメ、ワンメ、ワンメーターの嵐。
まあ、それでも空車よりはマシですから。ボチボチやってましたよ。
ただねー 千円札がピンチになっちゃって……
……客商売なんだから、釣銭ぐらい用意しとけ?
おっしゃる通りです。
けどねー 釣銭って自前なんですよ。
出庫前に営業所で両替してはもらえるんですけど。
ほら、タクシー強盗とか。いろいろと物騒ですからねえ。多額の現金は車内に置いておけないんですよ。警察の指導もありますしね。
万札ワンメが続くと、すぐに顎あがっちゃうんです。
今ですか……?
ありますよ、お釣り。
でも、細かいのをお持ちでしたら、そちらから出していただけるとたいへんありがたいです。タクシーはね、お客様の思いやりに支えられているんですよ。
で、まあ。
それでね。
コンビニに行ったんですよ、ホットコーヒーを買いに。
今日、ほんっと寒いですからねー
で、万札崩して車にもどったら、窓コンされましてね。
「……いいかしら?」ってね。
安っぽい旅行カバン抱えて、布の手提げ袋を持ったオバ……女性でした。
暖かそうな分厚いコートに、マフラー。旅装っぽい。
ロングか? と期待したんですが、
「裏野ハイツまで……」って言うんですよ。
正直、は? でした。
東京タワーとかならともかく。その辺の建物名を言われてもねえ。
まあ、番地のメモみせてもらったんで、ナビ入力で場所はわかりましたが。
△△駅そば。て、いうか、駅向かい。踏切渡って2分の距離。
またまたショートかいなって……ほ〜んともう、がっかりでした。
「……改札、間違えたのね……昔、一度来ただけだから……。ごめんなさい、ここまで、お願い……」
小さい声でそう言って、黙っちゃうし。
話しかけても、小さく頷くだけ。うんともすんとも言ってくれなくてね。
そのうち、わたしの方も黙っちゃってさー
車内が、こうシーンとなっちゃって……
それからしばらくして……
ふと気がつくと、車内が耐えがたいほどに……
ハハハ。
違いますよ、車内が寒くなったんじゃない。消えた幽霊の二番煎じじゃないですよ。
車内がね、耐えがたいほど……
臭くなったんですよ。
そのお客様、香水がキツくてねー
暖房入れてるから、臭いがこうむわむわ〜っと籠っちゃって。
これみよがしに窓を開けるわけにもいかないじゃないですか。
狭い車内に、お客様の香水の匂いが充満しちゃったんです。
そのくせ妙に生臭い。香水臭の中に、魚河岸みたいな臭いまで混じってて……。
たとえるなら……生魚に香水ふりかけた感じですかね。
なんなんだって、ルームミラーでお客様の様子をうかがったんだけど……
特にねー 変なところも無いんですよ。
うなだれて、床を見てるんですよ。荷物は座席に置いて、左腕に布バッグをかけてね。
で、よく見ると……
布バッグから木製の柄がのぞいてるんですよ。
それがね、大きさといい、握りの形といい……
何度直しても……包丁にしか見えなくって……。
いやー
どくんと、心臓が鳴りましたよ。
落ち着け……包丁とは限らないぞ……
あれが包丁だとしても、強盗なら隠し持つだろう。あんな目につきやすい場所に、無造作に放り込んでおくものか。
強盗なわけがない……そう思いながらも……
……防犯灯のスイッチを意識しました。
よしんば強盗だとしても、走行中には仕掛けてこないはず。
わたしがハンドルを誤ったら、自分も道連れですからね。
走ってる間は、何かしてくるはずがない……まともな人間ならね……。
だけど、世の中には……そうじゃない人間もいっぱいいますでしょう?
もうね、心臓がバクバクしましたよ……。
後部座席のお客様とわたしの間には、防犯パネルがありますけどね。
それでも、刺そうと思えば隙間からやれちゃいますからね……。
とっととお客様を降ろしたいのに。
こういう時に限って、踏切につかまっちゃうんですよ。
カンカンカンカンやかましい音を聞きながら、嫌な汗をかいていました。
密室の中に、わたしとお客様だけ。
二人っきり……。
早く踏切あがってくれ。早く早く早く……って念じてました。
ルームミラーで見たらね……
お客様の右手がね、ゆっくりとあがって。
ゆっくりと、ゆっくりと……柄をつかんだんですよ。
ぎゅっとね。
で。
それまで静かだったお客様が、突然、
「ねえ、運転手さん……」って話しかけてきたんですよ。
――その瞬間、空気が凍りましたね。
で。
おっしゃったんですよ。
「運転手さんは……どんなお肉料理がお好き?」って。
は? でしたよ。
「ステーキ? しゃぶしゃぶ? それともハンバーグ?」って薄く笑いながらね。
「……今晩は、なににしようかしら……?」って。
何でもね。
息子さんに会いに、来たらしいんですよ。
東京で就職して一人暮らししてる息子さんに、ね。
手料理をつくってあげるために、地元の野菜とかお肉とか、わざわざお持ちになったみたいで。
包丁もね、使い慣れた包丁の方がいいからって、それで……。
ハハハ。
バカバカしい。
気が抜けちゃいましたよ。
いちおね、言いましたよ。そんな見える所に包丁入れちゃ駄目だって。銃刀法違反で捕まっちゃいますよーってね。
けどねー 「平気……。持って来たの、お料理のためだから……」とか言っちゃって。
暖簾に腕押し、だ。
女の人は、そーいうとこ、ほ〜んと逞しいというか、無頓着というか。
ただね……
変なんですよ。
わたし、言ったんですよ。作るんなら、息子さんの好物にしたら?って。
そしたらね、
「嫌いなのよ……肉……あの子……」って。
ん? って、思うでしょう?
なら、なんで、肉を持って来たんだ? 田舎からわざわざ? って。
「私一人じゃ、食べきれないから……」とかおっしゃってねえ。
うっすら笑いながら。
「肉だらけになったの……あの子のせいだから……。あの子が帰って来なかったから……お父さんがうるさくて……グダグダグダグダ……グダグダグダグダ、毎日毎日毎日毎日……だから、私……」
ご自宅の冷蔵庫も冷凍庫も、お肉で一杯なんだそうです。
息子さんの所にも既に宅配してあるらしいんだけど、まだまだいっぱいあるんだそうで……。
「せめて半分は明弘に食べてもらわなきゃ……食べたら、あの子だってきっと……胸がすっとするわ。……気分がよくなるはずよ。……ざまあみろってね」
ほんと……。
――何の肉なんでしょうね?
……何号室のご家族かって?
さあ?
そこまでは、知りませんよ。
裏野ハイツの前で降ろしましたからね。どの部屋に向かったのかはまったく。
お客様は大きな荷物を抱えて、クスクス笑いながら降りて行きました。
それが裏野ハイツへ行った一回目でした。




