sub イグナシオが生まれた日 3
10/29 掲載
昨日の早朝から、丸一日掛けてリュウとロナは王都に到着した。
日暮れのオレンジ色の夕日が光指す街で、二人は適当に宿を取ってそこに居た。
ロナはここまでの旅路で疲れたのかベッドでもう眠っている。リュウはそんなロナの寝顔を見ながら頭を撫でた後に、立ち上がる。
少し汚れた黒の上着、ベージュのズボン、そして腰に隠し持ったサバイバルナイフ。
いつもの格好で、いつもの様に、彼は殺しに行くのだった。
オレンジ色の夕日はいつしか消え去り、月と星の光だけが街を照らす。
そんな街の薄暗い路地裏で、リュウは大きな屋敷の正面を見つめていた。
――さて、どうやって攻め込むか……
そう心の中で呟きながら、リュウは辺りの様子を観察するのだった。
屋敷の周りは鉄柵で囲まれている。よじ登る事は不可能、飛び越えることも不可能だ。
それならば正面突破しか方法がないだろう。都合の良い事に、屋敷外の護衛は門番二人だけの様子なので、騒ぐ前に殺せば静かに侵入できるとリュウは考えた。
リュウは路地裏に捨てられている空き瓶を手に持ち、右の方から屋敷へ続く鉄柵の入口へ近づいて行った。
勿論、リュウの姿はすぐに見つかり門番に警戒される。
酒瓶を片手にふらふらと歩み寄って来るリュウを見て、門番は酔っ払いが来たと思いながら面倒そうな顔をしてリュウを警戒する。
そしてリュウは右側に居た門番にかなり近づいて、門番の男が何か警告しようと声を上げる前に手に持った空き瓶を振り上げる様にして投げ捨てた。
リュウが投げた空き瓶は縦長の放物線を描きながら宙を舞う。右に居た門番は突然投げられた空き瓶に、無意識に視線を奪われる。その隙をリュウは見逃さなかった。
宙を舞う空き瓶に視線を奪われた門番の一瞬の隙を突き、リュウは腰に隠し持ったサバイバルナイフを手慣れた手つきで抜き出し、目の前の門番の首に差し込み、引き抜く。
次に、宙に投げた空き瓶が地面にぶつかる。その音に驚く左側に立つ門番の後ろを取ったリュウは、門番の首を切り裂いた。空き瓶が宙を舞い、地面と衝突するまでの数秒でリュウは二人の門番を見事に仕留めた。
「……」
リュウは自分が殺した二人の門番を虚ろな目で見つめ、自分が手に持つサバイバルナイフに視線を落としながら彼は気が付いた。自分が今まで以上に強くなっているということを。
移動速度、反応速度、攻撃速度、その全てが今までに無い程スムーズで素早い。
今ならどんな屈強な大男でも殺せそうな気がした。それ程までに彼は自分の力を実感した。
だから彼は少し試したくなった。自分がどれだけ強くなったのかを……。
屋敷の中に侵入したリュウは次々と人を殺して行った。
武器を持った貴族の護衛達が侵入者である彼を殺しに来る。だがそれを彼はサバイバルナイフ一本と己の身体一つで返り討ちにする。そして、今までにない高揚感が彼を襲う。
圧倒的で絶対的で揺るぎない勝利。リュウにとって殺しというモノはタダの仕事に過ぎなかった。
楽しくも無く、悲しくも無く、ただ殺して金を奪い生きて行く為の方法に過ぎなかった。
だが、今の彼は違った。屈強な護衛達を圧倒する程の力を手に入れた彼はその力に溺れていた。
笑顔で陽気に、彼は高らかな笑い声を上げて一方的な殺戮を楽しんだ。
そしてリュウは貴族の目の前までやってきた。
「アンタが……こいつらのご主人様かい?」
そう言いながらリュウは血まみれの護衛を数人引きずって、貴族の青年の前に並べる。
それを見て貴族の青年はリュウにこう尋ねる。
「貴様……自分が一体何をしているのかわかっているのか?」
「ああ、わかってるさ……人殺しだよ……」
「そうじゃない!! 私はマルク・ルシアーノだぞ!? レイナ―王国に名を連ねる名門貴族が一人!! マルク・ルシアーノだ!! いいか!? 貴様はその貴族に、国に対して反逆を行っているんだ!! それがどういうことか理解しているのかと聞いているんだ!!」
「さぁ? そんなこと、俺が知る訳ないだろ?」
「貴様……下等生物にも程が在るぞ……」
「まあ、好きに言ってろよ」
そう言いながらリュウはルシアーノにこう尋ねる。
「なあ……最近、一人の料理人を殺さなかったか?」
「は?」
「俺はその料理人を殺した奴を探してるんだよ」
「……」
「俺が聞いた話じゃ、アンタの所の護衛が殺したらしいんだ。その護衛はどれだ?」
そう言いながら、リュウは引きずって来た死体からロナの両親を殺した護衛を彼に選ぶよう促した。
そしてルシアーノは二人の死んだ男に指を向ける。
「たぶん……そいつとそいつだ……」
「そうか……それじゃ、残ったのはアンタだけだな?」
そう言いながらリュウはサバイバルナイフを片手に、ルシアーノの方へと近づいて行く。
ルシアーノは怯えながら部屋の隅へと逃げようとする。だが、それ以上の逃げ道は彼になかった。
だからルシアーノはリュウにこう提案するのだ。
「ま、待て!! 今、ここで私を見逃してくれるなら大量の金貨を君に渡そう!!」
だが、その言葉を聞いたところでリュウは止まる事は無い。
「なら、そうだ!! 土地はどうだ!? 君の領地の人間は好きにして構わない!!」
ルシアーノの目の前まで来たリュウは彼に対してこんな質問をした。
「なあ、殺さなかったら。なんでも言う事を聞いてくれるのか?」
「ああ!! 勿論だ!! 私はレイナ―王国に名を連ねる……」
「なら、死んだ人間を甦らせれるか?」
「そ、そんなもの無理に決まっ……」
「ああ、知ってるよ……そんなこと……」
そう言ってリュウはルシアーノの眉間に勢い良くナイフを突き刺し、引き抜いた。
全て終わった。ロナの両親を殺した貴族とその護衛は皆死んだ。後は、彼女にこの事を報告するだけ。
リュウはそう思っていた……。
「やっぱり、異世界人は強いね~。惚れ惚れしちゃうほどカッコ良かったよ~おに~ちゃん」
その聞き覚えの在る声にリュウは驚きながら振り向いた。
そこに立っていたのはロナだった。だが、いつも大人しく遠慮がちな口調は何処かへと消えていた。それを不思議に感じながらも、リュウはロナにこう聞いた。
「ロナ……なんでここに居るんだ?」
リュウは幼いロナにこんな光景を見せたくは無かった。自分が人を殺す様を、人が死んでいく様を、見せるつもりは一切なかった。もしもそんな姿を見られてしまったら、彼女に拒絶され、二度と一緒に居る事はできないと思っていたからだ。
だがロナはそんな事はおかまいなしといった様子で、近くに転がる死体の傷口に手を突っ込むのだった。
それを見たリュウは戦慄した。そしてリュウは慌てながらにそれを力尽くで止めようとする。
「ロナ!! 何やってるんだ!! やめろ!!」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。手を放して?」
「駄目だ!! 今すぐここから出て行くぞ!!」
ロナの様子がおかしい。そう直感したリュウはすぐにここから離れないと、何か取り返しのつかない出来事が起きそうな予感がした。だからリュウは無理矢理にでも彼女を連れ出そうとする。だが……。
「放して」
ロナのその言葉にリュウは逆らう事が出来なかった。身体の言う事が利かず、リュウは目に見えない何かによって引き剥がされる様にロナの手を放すことしか出来なかった。
「駄目だよ、お兄ちゃん……お兄ちゃんは私の従者なんだから、私の言う事は絶対。逆らっちゃダメなんだよ?」
そう言って、ロナはまた死体の傷口に手を入れる。そして血に染まった手で床に何かを描いて行くのだ。
大きな円の中には六芒星が描かれ、円の周りの内側に見慣れぬ文字が書き込まれて行く。それは忘れる事の無い光景。リュウがロナに召喚された時に見たモノと同じ、血で描かれた魔法陣だった。
「何が、どうなってるんだよ……」
リュウはロナにそう尋ねる。すると魔法陣の細かな部分を書き足しながらロナはこう説明する。
「簡単だよ、この娘が悪魔と契約して願いが叶った。その代償として悪魔はこの娘の全てを得た」
「悪魔? 契約?」
「そうそう。この娘のお願いは両親を殺した人間を殺すこと。その為に召喚されたのがお兄ちゃん。そしてその手助けをしたのが私達、悪魔って訳」
「お前は……一体誰なんだ?」
「私の名前はファルサリア。この娘に憑りついた悪魔で、お兄ちゃんの唯一のご主人様」
「じゃあ、ロナは居なくなったのか?」
「まだこの身体に残ってるよ。まあ、もうすぐ私の魂に浸食されて消えちゃうけどね」
「……」
リュウは考える。彼女を助ける為にどうすればいいのかと……。
だが、彼が幾ら知恵を巡らせた所で何も浮かばない。だから、彼はロナにこう尋ねる事しか出来なかった。
「どうしたら、ロナの身体から出て行ってくれるんだ?」
「そうだね~私が死んだら出て行ってあげるよ~」
そのふざけた口調を聞いたリュウはロナを仰向けに倒し、身動きが取れない様に上に乗りながら、手に持ったサバイバルナイフを彼女の喉元の向けて叫ぶ。
「冗談を聞いている余裕は無い……死にたいのか?」
リュウのその言葉に対して、ロナは震えて涙を流しながらこう答える。
「や、やめてよ……お兄ちゃん……私、ロナだよ……」
その言葉を聞いてリュウはすぐさま、首元に向けたサバイバルナイフを退かす。だがそれと同時にロナは口調を変え、不敵な笑みを浮かべてリュウにこう言う。
「優しいね~おに~いちゃんは~。今のどうだった? 凄く似てたでしょ?」
その言葉にリュウは怒りを覚えた。手に持ったサバイバルナイフを振り上げて、力一杯それを振り下ろす。そして、その刃先はロナの顔から数ミリ離れた真横に突き刺さる。リュウが攻撃を外す事を確信していたロナは不敵に笑ってこう続ける。
「ねえ、やっぱり殺せない? そうだよね? あんなに懐いてくれた女の子を殺したりできないよね? だってお兄ちゃんは優しい人殺しだもんね」
「俺は……俺は……くそっ!!」
そんな怒声を上げながら彼は拳を床に叩き付けた。不甲斐無い自分に、何も出来ない自分に、彼は憤りを感じていた。どうすればロナが助かるのか、どうしたらロナを取り戻せるのか。リュウの頭はロナを救い出す方法を探していた。だが、その方法を彼は知らない。
「そんなに助けたいなら、一つだけ方法が在るよ? お兄ちゃん……」
ロナのそんな言葉にリュウは耳を傾けて聞き入った。
「お兄ちゃんが悪魔と契約するんだよ」
「……」
「お兄ちゃんが悪魔と契約する。その契約の代償はお兄ちゃんの全て、そして得られる報酬はこの身体に宿る私という悪魔の除去。どう? これならこの娘が助かるよ? まあ、お兄ちゃんの身体は犠牲になるけどね~」
ロナの中に宿る悪魔の言葉が、何処までが本当で、何処までが嘘なのかはわからない。
だが、もしそれが仮に本当の言葉だとしてもリュウは自分自身を犠牲にしてまで彼女を取り戻したいとは思っていなかった。自分の身が一番大事、自分さえ良ければいい。自分勝手で利己主義。
だから彼は他人を殺して今まで生きて来た、生きて来れた。ならば、今もこうやって生きて行くしかないのだろう。我が身可愛さに、まるで妹の様に親しくなった彼女を犠牲にして……。
「俺は……」
「いいんだよ、お兄ちゃん。私は、お兄ちゃんの事を恨んだりしない。だってぜ~んぶ私が望んだことなんだから。だから、ありがとう。お兄ちゃん」
「俺は……くそっ……」
そんな言葉を吐き捨て、苦しい表情をしながらリュウはロナの上から退いた。
「俺はこんな事を望んだ訳じゃない!! 俺はただ……ただ……」
リュウは自分の言葉をそれ以上、言葉を口に出来なかった。怒りと悲しみが混ざった感情を拳と共に壁にぶつける。だがそれは空しく、痛々しいだけだった。そして壁に背を預け、無気力にその場に座り込んだ。
その様子を尻目に、ロナは魔法陣の上に次々と死体を乗せて行く。その様子を見て全てを諦めたリュウはこう彼女に聞く。
「お前、今度は一体何をする気なんだ……?」
「ん? 勿論、悪魔召喚だよ。お兄ちゃん」
「また悪魔か……悪魔なんて呼び出してどうするんだよ……?」
「そうだね、簡単に言うと世界征服かな……」
「世界征服……別の悪魔を呼び出して人間を支配しようって事か?」
「まあ、そんな所~」
「そうかよ……」
そう呟くリュウは、全ての出来事がもうどうでも良くなっていた。ロナが悪魔に乗っ取られてようが、ロナを乗っ取った悪魔が別の悪魔を召喚しようが、悪魔が世界征服という目標を掲げていようが、どうでもよかった。もう自分にはどうする事もできない、自分には殺すこと以外に何も出来ない。
そう身を持って確信したのだ。だから彼は全てを諦め、考える事を辞めた。
「ねぇ、お兄ちゃん!!」
ロナの声でロナの様に近づく少女。だが中身は別物だ。ロナじゃない。
そう自分に言い聞かせるが、どうしてもリュウは彼女の事をロナとして扱ってしまう。
「なんだよ……ロナ……」
「その……お願いがあるんだけど……いい?」
可愛らしく、人見知りな素振りを見せるロナ。それが悪魔の演技だと頭で理解していても、彼は彼女の事をロナだと認識してしまう。だから彼はこう返答するのだ。
「ああ、何でも言ってくれ……」
そしてロナは優しい笑顔をリュウに向けてこう言うのだ。
「召喚する悪魔にもっと力を宿したいの……だからお兄ちゃん……死んで?」
それは逆らう事の出来ないロナの命令だった。リュウは手に持ったサバイバルナイフを両手で握り、刃先を内側に向ける。どんだけ必死に抵抗しようとも、それは逃れる事の出来ない死だった。
だから彼は諦めた。抵抗することも、一人だけ生きる残ることも、全てを諦めた。
ここで死ぬ。無様に死ぬ。自分の手で死ぬ。死を覚悟し、死を受け入れる。だから彼は目を瞑る。
そして最後にこう呟くのだ。
「ロナ……ありがとう……少しの間だったけど……凄く楽しかった……」
今まで誰にも愛されなかった殺人鬼は一人の少女の些細なお願いの為に戦った。
その報酬として彼は少女から人の温もりを貰った。
そして人の温もりを知った殺人鬼は、初めて他人に興味を持つようになり、初めて他人を救ってやりたいと思うようになった。鬼は少女と一緒に喜び、鬼は少女の為に怒り、鬼は少女の為に哀み、鬼は少女と短くも楽しい時間を過ごした。少女に触れ合い、喜怒哀楽を知った鬼はいつの間にか人としての感情を取り戻したのだ。だから彼はそんな言葉を呟いた。だから彼は涙を流していた。だから彼は泣きながら笑顔を浮かべていた。そんな彼の言葉だから、その言葉が彼女に届いたのだろう。
「ダメ……だよ……死んじゃ……」
そのぎこちない言葉を聞いたリュウは驚いた様に目を開く。
リュウの目の前には、口を食いしばる様にして涙を流すロナの姿がそこには在った。
「リュウ……お兄ちゃん……は……死んじゃ……駄目……だよ……」
そう言ってロアは涙を流しながら、ぎこちない口調でこう続ける。
「全部……私の……せい……だからさ……リュウ……お兄……ちゃんは……死んじゃ……ダメ……」
そう言ってロナはこう続ける。
「だから……だから……私を……殺して……」
にこやかに優しい微笑みを浮かべながらロナはそう呟く。その言葉に従う様に、リュウは自分に向けていた刃先の向きをロナの方へ向ける。その行動はリュウの意志では無く、ロナ命令で在り、ロナ自身の願いだった。自分はもう助からない。それならば助けられる人を助けようとする彼女の意志だった。
「やめろ!! ロナ!! 俺はお前を殺したくはない!!」
「リュウ……お兄……ちゃんと……一緒に……料理……作れて……楽しかった……」
「駄目だ!! ロナ!! やめてくれ!!」
「一緒に……寝てくれて……嬉しかった……よ……」
「ロナ!! やめろ!!」
「だから……」
リュウは全身全霊を込めて彼女の命令を拒絶し続けた。
だが、主従契約という絶対的な命令の前に彼は逆らう事は出来なかった。
リュウが手に持った刃は、いつも彼が人を殺す時と同じ様にロナの喉元に突き刺さる。
深く刺さった刃は彼女の呼吸を止め、言葉を止め、愛おしい彼女の命を摘み取った。
ロナは横に倒れ、涙を流し、ゆっくりと息を引き取って行く。そして声の出なくなった彼女は、最後に「ありがとう」と聞こえる事の無い感謝の言葉を彼に呟くのだった。
その言葉を聞いた彼は彼女を力一杯抱きしめ、怒りと悲しみに満ち溢れた大声で叫ぶ事しか出来なかった。
レイナー王国で狂気的な殺人事件が起きた。
貴族の屋敷が襲撃され、その護衛多数と一人の少女が殺されたそうだ。
そして、その沢山の死体が転がる部屋には悪魔でも呼び出すのではないかという、血塗られた魔法陣が大きく描かれていたそうだ。王国は事件の被害者に有名な貴族が含まれていた事も在り、迅速な調査に乗り出した。その調査の末、一人の黒髪の異世界人が関与しているのではないかという結論に至った。
何故なら、屋敷の中で死んだ少女と共に宿に宿泊した黒髪の異世界人らしい男が行方不明だからである。
だからこそレイナ―王国はその黒髪の異世界人を探す為、宿屋の店主の証言を元に似顔絵を制作し、西の国中に拡散させるのだった。この黒髪の青年こそ真犯人に違いないと王国側は確信していたのだ。
そんな黒髪の青年が写る手配書を手に取り、全身を薄汚いフードで顔を隠した男はこう呟いた。
「全く……こんな所にまで手配書が回ってるのか……」
そんな言葉を呟きながら、彼は一軒の酒場へ入って行く。
そしてカウンター席に座り、銀貨を一枚置いて酒場の店主にこう尋ねる。
「なあ、何かいい仕事はないか?」
「あ~冒険者の仕事ね……護衛仕事の口添えなら幾つか在るよ、まあ、雇ってくれるかどうかはアンタ次第だけどな……」
「ああ、どんな仕事でもいいよ……俺は金さえ稼げれば何でもするさ……」
「そうか、それならすぐに働き口が見つかるな……所でアンタ、名前は?」
「ああ、俺は紫藤……」
そう言って彼は自分の名前を口にしようとした瞬間。優しい笑みを浮かべながら「リュウお兄ちゃん」と呼ぶ少女の事を思い出してしまった。助けることが出来なかった少女の、殺してしまった少女の、無垢で優しい微笑みが彼の心を蝕んだ。忘れたい過去で在りながら、忘れたくない過去だった。
だから彼は本当の名前を隠し、こんな名前を口にした。
「いや……俺の名前はイグナシオ……そうイグナシオだ……」
その言葉に意味なんて無い。彼が良く使うハンドルネームの様なモノだった。
だが、彼が隠した本当の名前には意味が在る。ロナと過ごした儚くも愛おしい記憶、そしてロナを殺してしまった記憶。ロナとの記憶を忘れない様に、ロナとの記憶をいつでも思い出せるように、決して忘れる事の無いであろう自分の名前と共に、彼は心の奥底に仕舞い込んだ。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
イグナシオが生まれた日は結構良い印象でした。
そこそこ息抜き程度にかけて楽しかったです。
第三章はノーキルで進む予定です。
なので今回の話を見た後だと少し物足りない気がしますが、目を通して頂ければ幸いです。
では次話は月を初めの平日に投稿予定となっております。
ブックマークなどもありがとうございました。では。
次話 11/2 午後五時掲載予定




