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三題小説

三題小説第四十二弾『宝石』『武器』『ネオン』タイトル『涙は女の……』

作者: 山本航

Side:Gemma


 薄暗い路地裏は表通りの喧騒とは裏腹に乾いた沈黙が広がっていた。壊れた街灯と壊れていない街灯が等間隔に並んで無作為な光と闇を並べている。日はとおに沈み、代わりに下弦の月が冷たく明るい。通りには人影がなく、代わりに表通りの人々よりも沢山の落書きに覆われている。


 私は話に聞いていた店を見つけたようだ。店名は637。看板はないが扉に赤いペンキでそう描かれていた。私は少し躊躇いつつ薄汚れた扉を引きあける。蝶番が金切り声をあげ、ドアベルの電子音が派手に鳴った。


 中も薄暗い。蛍光灯が灯されているが山積みになった物の壁が不躾に聳え立って影を作っている。幼児の玩具に医療器具、パルプマガジン、懐中時計、絨毯。およそ共通点などというものは見出せそうにないジャンクが所狭しと鎮座している。物の迷宮を縫うように進み、店の奥のカウンターにまかり出た。


 一人の老人がカウンターの向こうに立っている。鷲鼻で白い髭を大いに蓄えている。昔読んだファンタジー小説に出てきたフェアリーを思わせる出で立ちだ。だけどその眼はナイフのように鋭く鋭く、とても客を歓迎している風には見えない。


「ここは子供の来るところじゃねえ。帰んな」と、老人は髭の茂みの奥で言った。

「それってとっても失礼ね。私は客よ。冷やかしじゃないわ」


 老店主はカウンターから乗り出すようにして、一層鋭い眼差しで私の全身を眺めた。


「金はあんのかい?」

「ないわ。私は売りに来たの。ここって質屋でしょ? 違った?」


 老店主はため息をついてカウンターの向こうに引っ込んで椅子に座った。


「確かにここは質屋だが、嬢ちゃんは法律を知らねえらしい。未成年には売れねえんだ。そう法律で決まっている。もちろん保護者がいるなら別だが……。そうでもなさそうだ」


 知らなかった。この質屋ならほとんど何でも買ってくれると聞いてきたのに。でも……。


「本当に? それがどんなに得な取引だったとしても?」


 老店主は大いに笑った。そのまま椅子から転げ落ちてしまうのではないか、と思えるほどにのけ反った。


「こりゃ傑作だ。嬢ちゃんが俺に法律を犯したくなるような取引を持ちかけるってえのかい?」

「そうよ」


 私はコートから黒いビロードの袋を取り出してカウンターの上に置いた。なかなかの重量だ。中身の事を踏まえて言えばかなりの重量だ。

 老店主は椅子を引きずってカウンターに近づき、ポケットから取り出した老眼鏡をかけて袋の中身を覗き込んだ。


「盗品か」


 老店主は信じられない物を見たかのように眼を見開き、力なく呟いた。私は間髪いれずに得意げに反論するのだった。


「本当にそう思う? それほどの量のダイアモンドが盗まれたとしてニュースにならないと? しかも私みたいな可憐な少女がそれを成し遂げた大怪盗だとでも? 違うわ。全て私の持ち物よ。私以外に所有権を持つ人はいない。勿論交渉次第よ。まとまったお金が必要なの。多少は色つけるわ」


 老店主は引き剝がすように袋の中身への視線をこちらに向け、初めて私の存在に気付いたかのように目を見開いた。


「何にせよ鑑定しなきゃなんねえ。信じ難えからな。これだけの量だ。時間がかかると思うがオレンジジュースでも飲むか?」

「コーヒーをいただけるかしら」


 私は上品に微笑み、老店主は引きつった笑顔を見せた。


「分かったよ。ちょっと待っててくれ」


 私は近くにあったカウンターチェアを引き寄せて座る。埃っぽい空気に少しせき込んだ。

 奥に引っ込んだ老店主に追うように声をかける。


「ミルクも砂糖もたくさん入れてね!」

 返事はなかった。



 私はジェマと呼ばれていた。それが本名でなかったのは確かだ。私のルーツは中央アジアの少数民族にあり、ラテン語で宝石を意味する名前をつけられるはずがないからだ。

 でも私はこの名前を気に入っている。それは私を表すのに適当であり、私が皆の宝物であることを強く意識させるからだ。

 研究施設のみんな、沢山の父親と母親、彼らは勿論仕事の為に私の特異体質を研究し始めたのだけど、そこには確かな愛があった。仕事は出会いのきっかけであって愛そのものではないかもしれないけれど、そうしてできた絆は確かに確かな愛の賜物だった。不満も不自由も沢山あったけれど、そこから出ていきたいだなんて微塵も考えてはいなかった。



 カウンターの上にダイアモンドを出していて異変に気付いた。店の奥があまりに静かな気がする湯を沸かす音もコーヒーの匂いもしない。


 私はカウンターチェアからカウンターを乗り越え、忍び足で店の奥に忍び込んだ。すぐに老店主がいなくなったわけではないことに気づく。何やら話し声が聞こえる。廊下を進み、一つの扉の前で耳をそばだてた。老店主が中で話している。どうやら電話をしているみたいだ。


「確かだ。怪しまれる前にすぐに来てくれ。ああ、間違いねえ。大量だった。あれが涙が宝石化するという少女のはずだ。いや、顔は知らんかったが裏では噂になってたからな。ああ、よろしく頼む。俺はこれからコーヒー入れなきゃなんねえんだ」


 私は回れ右して走る。相手は老人、追いつかれはしないはずだがぼさっとしている場合ではない。廊下を忍び足で急いで戻り、カウンターの上に散らばったダイアモンドを急いでかき集める。老店主はまだ気づいていないようだ。ビロードの袋を引っつかみ、カウンターを踏み超える。外へのドアを押しあけるとドアベルが派手に鳴った。店の奥で老店主が慌てているらしい物音が聞こえる。私は店の外に飛び出した。


 表通りに逃げようとしたが、向かいから黒いバイクが迫ってきていた。私のほうへ真正面に近づいてくる。逃げ切れるわけがないのに、直感的に反対側に走ろうとしたが、誰かに首根っこを掴まれてしまった。老店主だ。悔しさに腹立ったが涙は堪えた。精一杯暴れるけれど老人にしては力があって全く抵抗できない。


 バイクでやってきたのは女だった。真黒なライダースーツにフルフェイスのヘルメットでまるで死神のようだ。女がバイクから降り立つ。


「この子が例の少女?」


 ヘルメット越しのくぐもった声で女は言った。


「あんたは?」と老店主が私の首根っこを引き寄せて言った。


 女がヘルメットを脱ぎ、豊かな、私と同じく琥珀色の髪をかき上げた。現れた目は今から殺す害虫を見る目だ。


「同郷人よ」と、女は吐き捨てるように言った。


 そうして女は自分のヘルメットで自分自身の顔面を殴った。涙目で恥ずかしそうに私を見ている。

 すると私の意識が遠のいた。



 気がつくと私はバイクの後部に跨っていた。両腕を女の前に回し、手は拘束されているようだ。


「ちょっと。これって何なの。助けて!」

「暴れないでください。今停めますから」


 ネオンの煌めくビル街だ。月にも届かんばかりの高層ビルが立ち並ぶ。広告と広告、それに広告や広告が津波のように街の中空に溢れている。そこをランプを灯した車やバイクが行き来している。信号も、街灯もちかちかと存在を主張している。行き交う人々も光ってこそいないが派手な服を着て楽しげな様子だ

 バイクはレールの上を滑るようにスムーズに流れていく。


「助けてくれたの?」と、少し冷静になって私は言った。

「そうですね。ねえ。お腹空いてません?」


 女がそう言って私は自分の空腹に気付いた。胃が捻じれているようだ。


「そうね。空いたかもしれない」


 私は街頭ビジョンの中の映画女優に向けて言った。彼女は微笑み返した。


「私もです。ハンバーガーショップでいいですか?」と、女は言った。

「ハンバーガーは好きよ、どちらかっていうと」

「どちらかっていうと?」

「つまり好きか嫌いかでいえば好き」

「それならよかった。話は食べながらという事で。あ! ありました」


 原色でド派手な看板のジャックスバーガーを横目に、バイクは脇の道に入って停まった。女はエンジンを停止させ、私の手の拘束をほどいてバイクを降り、ヘルメットを取った。


「ジャックスバーガーはお好きですか?」と、女は言った。

「どちらかっていえば好き」


 女は眉根を寄せて微笑み、軽くため息をつく。


「さっきからどうも煮え切らない答えですね」

「お店のハンバーガーなんて他に食べたことないんだもの」

「そうですか。そうなんですね」


 そういって女は寂しそうな顔をした。



 研究所の食事は厳密に管理されていた。私の涙の成分にどのように影響するかを測定する必要があったのだろう。それでもハンバーガーを食べたいと言えば買ってきてくれる日もあった。それがジャックスバーガーだった。単に近所に店舗があったからだ。

 どちらかっていえば研究員の一人であるイルザの手作りハンバーガーの方が好きだった。何といってもイルザはハンバーガーマニアで仕事と同じかそれ以上に研究していたらしい。柔らかくって分厚いパテ、どろりとして酸味のきいたグレイビーソース、挟まれたレタスはどれも新鮮で瑞々しく爽やかで、バンズの程よいさくりふわりとした感触は今でも忘れられない。



 二人で店舗に入る。ファストフード店にしては店内はかなり広い。カジュアルダイニングのようだ。


「ジャックスバーガーが好きなの? あなたは」と私は言ってみる。

「正直私も普通にしか思ってないですね。でもこういう広い店舗の方が好きです。色々な人が楽しげに食事している雰囲気が素敵でしょう?」


 そう言って女はこちらを向いて微笑んだ。


「注文してきますので、適当な席に座ってください。好き嫌いはありますか?」


 子供扱いされているようでむっとしかけるが、それこそ子供っぽいので気を取り直す。


「何だって食べるし何だって飲むわ。性悪爺の淹れたコーヒー以外なら何でもね」


 女は自分に分かりえないジョークに首をかしげた後、注文に行った。私は手近な椅子に座る。

 懐に手を当てる。ビロードの袋は確かにある。だけどあの時全てを回収できなかったのが悔しい。別に惜しくはないけれど、あんな奴に得させてしまったのかと思うとむかついた。


 それにしても何だって正体がばれたのだろう。裏では噂になっているとあの爺は言っていた。裏というの裏社会という事だろうか。

 私のことはある程度世に知られていると『不当に利用される子ども達を救う会』の人が言っていた。ある程度ってどの程度なのだろう。


 女が戻ってくる。二つのトレイの上にはハンバーガーが六つ、フライドポテトが八つ、サラダがあ四つ、飲み物が三つ、他にもいくつかサブメニューが乗っていた。


「他にも誰かここに来るの?」


 ハンバーガーが六つという事はあと四人は来るという事だろう。


「いいえ。どうしてです?」

「いいの。何でもないわ。あなたのお金だし、あなたの体だものね」


 かなり鍛えられた体には見えるけれど一体どこにこれだけの量が入るのだろう。


「アルマです。よろしくお願いします」

「ジェマっていうの。よろしくね。アルマ」


 そう言った私とアルマは握手を交わした。


「改めてお礼を言うわ。助けてくれて本当にありがとう。それにしてもどうして私のことが分かったの?」

「私も『不当に利用される子ども達を救う会』のメンバーの一人なのです。ジェマが寄宿舎から逃げたと聞いて急いできました」


 ついついアルマを睨みつけようとしてしまってやめる。


「アルマが私と同じ民族だという事については?」


 フライドポテトを一つ摘まんで口に運ぶ。塩気が効いている。


「それは偶然ですね」

「あなたも涙が宝石になるの?」

「いいえ。私の場合は流れた涙がすぐに気化して睡眠ガスになります。私には効かないですけど」

「どおりで私はバイクに乗りながら眠ってたってわけね」

「すみません。一応銃は持ってるんですけど取り扱いに慣れていなくて」

「そういえば何で自分を殴ったりしたの?」


 アルマは気恥ずかしげに俯いた。


「他に泣く方法がなくて……」

「呆れた。助けてもらっといてなんだけど、なんだか頼りないわね」

「すみません。でもジェマ。私も『不当に利用される子ども達を救う会』に救われた一人で、なのでこうして私と同じ目に遭っている子どもを救うために頑張っています」

「ねえ。何度も言ってきた事だけど、研究所で私は不当に利用されたりしていないわ。皆優しくて慈しみ深くて、親を失った私の親代わりになってくれていたわ。不当に利用しているだなんて失礼よ」


 するとアルマは可哀そうなものを見るような眼で微笑んだ。


「ええ。分かりますよ。寄宿舎だってそうでしょう? 誰もあなたを不当に扱ったりしない。初めは何も分からなくて不安でしょうけど心配しなくてもいいんですよ」


 これは話が通じそうにない。『不当に利用される子ども達を救う会』の他のメンバーも終始同じような態度だった。自分の信じる事以外全て偽物だとでも言うかのように。


「アルマも救われたって言ったわね。あなたも私たちの体質を研究されていたの?」


 アルマは目を伏せ、横に首を振った。


「私はただ利用されていただけです。組織犯罪集団に涙を採取する家畜として飼われていただけです。ジェマも私のように、いいえ、私以上に彼らのような悪人が欲しているのです。私と違って涙がダイアモンドになるのですから、注意しないと。その存在を隠して生きなければ地獄に落ちるより酷い目に遭いかねません」


 フライドポテトを一箱食べてしまい、二箱目に手を出す。


「それを言えばあの研究所はどこよりも安全よ。このフライドポテトの数より沢山の警備員がいたんだから。女の子一人脱走させてしまうような寄宿舎よりはよっぽど安全に決まってるわ。違う?」


 アルマははっとしたような表情をした。


「それはそうかもしれませんが。何だって研究所なんかに……。裁判で証明されたはずでしょう? 子どもを育てるのには不向きだって」

「どんな裁判をしたのか知らないし、不自由があったのは認めるけど。今なら分かるわ。不自由のどれもが私の身の安全のためだったって事が」


 アルマはやはり納得していないようだ。ずずずと残りわずかな飲み物をストローで吸いとっている。

 このままではあの寄宿舎に逆戻りしてしまう。何としてでも逃げおおす。お金が手に入らなかったのが痛い。でもとにかく私は研究所に戻るんだ。

 私は立ち上がり、アルマを見下ろす。


「デザート食べたい。買ってくるからお金頂戴」

「カードですので私が行ってきます」

「そう」


 アルマが立ち上がり、私は力なく再び椅子に座る。まあお金なんてなんとかなるはず。


「何を食べたいんですか?」

「アップルパイ」

「わたしも好きです」


 アルマはレジカウンターの方に歩いて行った。私はハンバーガーを一つ手に取りポケットに入れる。



Side:Arma


 気がつけば店はとても混雑している。雑多な人の声が耳を塞ぐ。時間が時間だから仕方ないが、七、八組ほどが待っているレジに並ぶのは憂鬱だ。アップルパイは私も食べたいけれど。


 ジェマの言うとおり少なくとも痛い目は見ていないのだろう。それこそ普段接触していた人物に関してはジェマの事を大切に思っていたのかもしれない。しかしそうは言っても営利企業にジェマが利用されなければならないいわれはない。実際に裁判に勝ったのは『不当に利用される子ども達を救う会』だ。


 店内を見渡しているとふと視界の何かが引っ掛かった。見覚えのある何か、それは『不当に利用される子ども達を救う会』の人間だった。ジェマの保護を担当している女性だ。名をニナ。黒いウェーブのかかったロングヘアを束ねて肩にかけている。いつものように柔和な笑みを浮かべていた。

 向かいの椅子に座っているのは知らない女だ。赤毛をひっつめて銀のフレームのメガネをかけている。若干厳しい表情をしている。


 一息ついてから連絡しようと思っていたけれど手間が省けた。ジェマを見つけた事を報告しなければならない。話し相手が誰かを見極めた後だけど。ニナの背後から回り込み柱の陰に隠れる。そこに貼られたメニューを眺めているふりをする事にした。


「だから何度も言ったんじゃないですか! 警備体制は万全を期してくださいって。それが何ですか。攫われたのではなく逃げられた? 女の子一人に出し抜かれるような状態で、あの子を保護するだなんてよくも言えましたね!」


 赤毛の女は興奮気味だ。声を張り上げたいけれど押し殺しているという感じがする。


「確かに私たちの落ち度は否定できませんよ。だけどですね、ミス・ブラウン。今はそんな事を言っている場合ではないでしょう。ジェマの居場所に心当たりはないんですか?」

「だから言ったでしょう? きっと研究所に戻ろうとしているんだって。でも道に迷っているか、お金が足りないか。きっと心細い思いをしているわ」

「お金が足りない? それってジョークですか?」


 ニナが小さく笑う。ミス・ブラウンがニナを睨みつけて乗り出すように言う。


「そりゃ余程追いつめられた時には換金する知恵はありますけどね。やたらめったら泣くような子じゃないです!」

「どうですかね。たとえば警備員を買収する知恵は元々彼女が持っていたんですかね?」

「それってどういう意味ですか? 我々を疑っているんですか? ジェマを攫ったと?」


 ミス・ブラウンは今にも怒鳴り散らしそうな表情になっている。


「もちろんですよ。第一の容疑者です。当然でしょう? 元々あなた方が所有していて、合法的に我々が彼女を解放すると、こうして逆恨みしている」

「なんて酷い! 私たちは誰よりジェマの幸せを願っていたわ。多少不自由な思いはさせていたけれど彼女の体質を考えれば当然のことでしょう? 悪人じゃなくたって彼女を羨むわ。彼女を守るための当たり前の措置よ」


 ニナが呆れたような様子で反論する。


「だから鳥かごに閉じ込めていたと? ジェマにどんな体質があろうとも当たり前に自由に生きる権利が彼女にはあります。これは裁判の時にも言いましたね。結局あなた方の金儲けの為の言い訳に過ぎないんですよ、それは。ミス・ブラウン」

「違います。営利企業が慈善事業を出来ないわけじゃない。それに彼女の体質を解明することは確実に彼女自身の為になる事です。他にも彼女と似たような体質で苦しんでいる人達を助けるきっかけにもなる」

「だとしてもあなた方が囲う理由にはならないでしょう?」

「それは『不当に利用される子ども達を救う会』とて同じ事じゃないですか。それに私は、ジェマさえ良ければ、彼女を養子にしても良いと考えています」


 ミス・ブラウンの目には涙が浮かんでいた。


「裁判の時と同じ流れですね。まあ、あなた方がどう考えようと、どうしようと、裁判所は我々に正義があると判断したんです。お手洗いに行きます。これ以上話す事はないので帰っていただいても構いませんよ」


 ニナは立ち上がり、トイレの方へと歩いて行った。私は柱を陰にしてニナに見つからないようにした。

 いつの間にか私はこのミス・ブラウンと話したくなっていた。


「初めまして。ミス・ブラウン。少しお時間よろしいですか?」


 ミス・ブラウンは涙を拭いながら新たな人物に警戒していた。


「あなたは?」

「アルマといいます。『不当に利用される子ども達を救う会』のメンバーの一人です。私は雑用みたいなものですが」

「そう。アルマさん。初めまして。それで何の御用ですか? 今さっきまであなたのお仲間と話をしていたんですよ」

「ええ。失礼ながら聞かせてもらいました。私がお尋ねしたいのは先ほどの事なのですが」

「先ほど」

「ええ。ジェマさえよければ養子にすると。それは本当ですか?」


 ミス・ブラウンは神妙に頷き、強い眼差しを私に向けて答える。


「ええ。私の気持ちにすぎませんが。そこに嘘偽りはありません」

「それは何故?」


 怪訝な目を向けられる。


「何故っていうのはどういう意味?」

「だってあなたにとっては商売道具でしかなかったはずでしょう?」


 このような挑発的な事を言いたかったわけではないのに自然と口から滑り出てしまった。


「最初はそうです。それは事実です。だけどだからこそ私たちは出会えたのだし、その後親子のような情を持つ事は何の不思議もないことだと思います」


 私は再び、このミス・ブラウンを観察した。ヒステリック気味な女性かと思っていたが、その瞳の奥には芯の強さが見て取れた。ジェマを想い、ジェマの幸福を真に思っているように感じる。


「分かりました。実はジェマを見つけたんです」


 ミス・ブラウンは勢いよく立ちあがった。


「え!? 今どこに!? ここにいるんですか? この店に?」

「はい。ついてきてください」


 ミス・ブラウンを私たちの席の方へと案内する。


「良かった。本当に心配していたの。これでそのまま連れ帰れたらどんなに素晴らしいでしょうか」

「容易にはいかないでしょうね。一度決着したものをひっくり返すのは」

「ええ。でもその為なら弁護士と何時間でも顔を突き合わせて策を練ってやります」


 私たちが座っていた席には見知らぬ家族連れが座っていた。思わず私は駆け寄って父親と思しき男に詰め寄る。


「ここにいた女の子はどこにいったのですか?」

「いや、知らんよ。ここは空席だったぞ」

「どういう事? ジェマは? いないの?」と、ミス・ブラウンが言った。

「分かりません。ここにいたはずなのですが」

「トイレじゃないの?」

「そういえばニナが遅いですね。もしかして……」

「あの人が見つけて連れ帰ってしまったって事ですか? ああ、一目見たかったのに」

「そこにいた女の子なら女と出て行ったよ。タクシーで行っちまったね。あれ母親じゃなかったのか?」


 隣の席の男がそう言った。男に礼を言い、店の外へ出る。夜は更けて、それでもこの街は賑やかさを増す一方だ。


「追いましょう。ミス・ブラウン。寄宿舎に入る前なら会話くらいできます。別に接近禁止令が出ているわけじゃない。少しくらい話したって罰は当たりませんよ」


 ミス・ブラウンは強く頷く。

 ヘルメットを渡し、二人でバイクにまたがった。通りに出て制限速度ぎりぎりで走る。エンジンは獣のように唸りをあげて、リアサスペンションは強靭に跳ねる。光の塊になった街が後ろへ飛び過ぎていく。


 タクシーを見かけるたび横付けして中を確認した。三台目の外れを引き、遠くに四台目を発見した瞬間、横付けした黒いフルサイズバンがそのタクシーに体当たりした。

 一瞬、何が起こったのか分からなかったが、そのタクシーにジェマが乗っているのだと理解した。私たちの敵は手際良かった。バイクが追いつく前にバンにジェマを押し込み、発進する。

 凹んだタクシーの横を通り過ぎる時、ニナが反対側から出ているのが見えた。私はバンから距離を取り、つかず離れず様子を見る。


「追いつけないんですか?」と、ミス・ブラウンが心配そうに言った。

「追いついても奪還方法がないんです。護身用の銃が一丁あるだけです。ただ少なくともジェマが殺されるようなことはないはずです。あいつらの狙いはジェマの涙ですから。金の卵を産む鶏を殺したりはしない」

「殺しはしなくても苦しめられるわ。そんなの私耐えられない」


 涙がダイヤモンドになる。少女に涙を流させるおぞましい手段がこの世には幾千通りとある。私は身をもって知っていた。



Side:Gemma


「それでどうするんで? 兄貴」と青白い肌の小男が言った。


 椅子に縛り付けられた私はどこかの小さな倉庫にいた。私を横目に兄貴と呼ばれた大男は壁にもたれかかって携帯電話を取り出した。


「まずはボスに連絡だ」

「ま、待ってください。兄貴。まず確認が先じゃないですか?」

「ああ? 確認だ? 何を確認するってんだよ」

「この娘の涙が本物かどうかですよ」


 二人して私を見下ろしたので精いっぱい睨み返す。


「そんなもん、こんな小娘が大量にダイヤモンドを持ってる時点で確定だろうが」

「念には念をってやつですよ、兄貴。もしも間違ってたらボスにどやされますぜ」


 兄貴と呼ばれた大男は大げさにため息をつく。そして煙草に火をつけ吸い始めた。


「まあいいや。まだ時間はある。涙がダイヤモンドになるんだよな? ならちょいと引っぱたけば終いだ。やっちまえ。ドニ」


 ドニと呼ばれた小男が私の前に立ちはだかる。椅子に座る私よりは少し高い。


「一応聞いとくけど。自分で涙を流せるかな? 嬢ちゃん」


 私はそっぽを向く。こんな奴らなんかの為に涙を流してやるものか。それがダイヤモンドじゃなかったとしてもお断りだ。

 平手が頬を打つ音が高らかに響いた。音のわりには痛くない。少しじんじんするけど、こんなの何てことない。

 兄貴と呼ばれた大男は大笑いした。


「そんなんじゃあ赤ん坊でも泣かねえよ。どけ」

「ちょ、ちょっと待ってください。兄貴みたいなのが殴ったら死んじまいますよ」

「殴りゃしねえよ。ほれ」


 激痛が手の甲に走る。そこに火のついた煙草が押しつけられている。

 怒り狂った獣のような呻き声が私の喉から迸る。私の意識が強引に揺さぶられるように取り留めのない混乱に襲われる。

 火は既に消えているが大男は構わず煙草を焼け爛れた皮膚にねじ込む。


「よしよし。出たぞ」


 大男が私の瞳から出たダイヤモンドをすくう。


「砂粒みたいですね。兄貴」

「しっかしマジだったんだな。ダイヤだぞダイヤ」

「こいつがいりゃあ、いくらでも稼げますね」


 大男が何かを閃いたような顔をした。


「そうだ。そうじゃねえか。ドニ」

「何ですか?」

「わざわざボスに渡す必要はねえ。こいつがいりゃいくらでも稼げるんだ」

「ボスを敵に回すんですか? 兄貴」

「それこそ金さえありゃ怖いものなしよ。お前はどうする?」

「もちろん兄貴についていきますよ。しかし煙草の火で砂粒みたいな涙しか出ないとなると」

「こりゃ指を一本一本折っていくしかなさそうだな」


 大男は禍々しい笑みを浮かべた。


「兄貴!」と呼びかけたのは新たな男だった。


 小男よりも背が高く、大男よりも背が低い。そして一番若い男だ。


「エーリク。何だその女は」


 エーリクと呼ばれた若い男は両腕を拘束された若い女を連れてきていた。


「ここを嗅ぎまわってたんすよ。レイモンさん。んで捕まえたんすけど。さっきから取引がしたいの一点張りなんすよ」

「私ならその子をいくらでも泣かせられるわよ」


 そう豪語したのはイルザその人だった。研究所の誰よりも私と仲よくしていた。母娘のように親しくしていた。いくつもハンバーガーを作ってくれた。イルザだった。


「イルザ! 何でここに!?」


 私は手の甲の痛みにも構わず叫ぶ。つい数週間前まで毎日のように見ていた顔を見れてここまで感極まるとは思わなかった。でもぐっと涙を堪える。


「んー? 知り合いなのか? お前ら」


 レイモンと呼ばれた大男が値踏みするようにイルザを眺めて言った。


「彼女が元々いた研究所の研究員の一人よ。私なら彼女をいつでもいくらでも泣かせられる。彼女のツボを全て把握しているの」


 イルザ。一体何しに来たの? 何でこんな危険な事を……。


「ほう。それで何を取引するってんだ? イルザさん」と、レイモンが言った。

「決まってるでしょ。ダイヤよ。ダイヤ。私は研究所でずっとこの日を待ってたの」


 イルザが初めて私を見る。私の爛れた手の甲を見て微笑んだ。


「しかしなあ、そう易々と取り分を減らすわけにもいかねえ」

「取り分? 何を馬鹿なことを言っているの? いくらでもダイヤモンドが手に入るのに取り分も何もないでしょうが。それにこの子はそうそう泣かないわよ。もともと強い子なの。もう分かってるでしょうけど」

「兄貴!」


 そう言ったのはまたもや新たな人物だった。今度は誰より太っている。先ほどのエーリクと呼ばれた若い男と歳は近いようだ。


「おいおいおいおいおい。次から次と何だ。その女は何だ」


 アルマだった。やはり両腕を拘束されて倉庫の中に突き飛ばされ、床に倒れた。計七人が狭い倉庫に閉じこもった。


「ミス・ブラウン。あなたジェマを裏切るんですか?」と、アルマが言った。

「別に裏切らないわ。ジェマだってその内に自身の価値とどう生きるべきかを理解するわ」

「嘘でしょう? イルザ」


 私は絞り出すように言葉を綴るが、イルザは微笑むだけだった。


「さあ、証明してみせるわ。彼女をいくらでも泣かせてあげる。彼女を傷つけることなくね。拘束を外して」

「いいだろう。ドニ」


 ドニと呼ばれた小男がイルザの拘束を外す。

 アルマが立ち上がり、イルザに噛みつかんばかりに詰め寄るが、エーリクに抑えられた。


「ジェマはあなたを信じているのに!」と、アルマは言った。

「知ってるわ」


 イルザは解かれた腕の調子を確認するようにストレッチする。


「さあ、見せてもらおうか」

「ところで」とイルザが言った。「これで全員?」

「ええ。これで全員です。さあやってください」と、アルマが返事した。

「ごめんね」


 イルザが謝るとアルマの顔面に目がけて思い切り拳を振り抜いた。アルマの鼻から鼻血が出て、もちろん目からは涙が出ていた。

 たぶんアルマが睡眠ガスへと揮発する涙を流していなくても、そのあんまりな光景に私は気を失っていたと思う。



Side:Arma


 ジェマはここに来た時と同じように最小限の荷物を持って門の前に立っていた。


「ニナさんは?」


 私を見上げてジェマは尋ねた。


「ニナと仲良くなったの?」

「ううん。でもいっぱい議論したわ。とても子供思いの良い大人だった。その癖大人は悪い人しかいないって思いこんでるようだったわね」

「私もそうでした。あまりにも真っ暗な場所にずっといたから、そこに照らされた救いの光しか見えなくなっていました」

「でももう違うんでしょ?」

「どうでしょうね。でも他にも輝かしい光は沢山あるという事が分かりました」

「アルマって強情ね」

「ジェマほどじゃないですよ」


 二人して笑っているとイルザ・ブラウンの運転する軽自動車がやってきた。ジェマは後部座席に乗り込み、窓を開ける。


「それじゃあまたね。アルマ」

「ご、護衛はいないんですか!? イルザさん」


 運転席の窓も開き、イルザが顔を出す。


「今求人出してるんですけどね。中々良い人材がいなくて。心当たりありません?」


 イルザが悪戯っぽく笑った。


「あります。今バイク乗ってくるんで待っててください」


 ジェマとその母の笑い声に押し出されるように私は走った。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

ご意見ご感想ご質問お待ちしております。


登場人物もうちょっと減らせた気がする。

最後にあんなに増えるとは思わなかった。

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