第1話 会議
本編スタートです。
「祟りなんて迷信ですよ」
何十回と繰り返した台詞をまた繰り返す。
「増して生贄なんて、馬鹿げている」
皆の視線が集中するのを感じる。寄合所には村の大人たちのほとんどが集まっており、部屋に入りきれない者たちが廊下にまで溢れ出ている。
皆、無言だ。敵意と懐疑と侮蔑が入り混じった視線が突き刺さる。
「いいですか。この世には祟りだとか呪いだとかいったモノは存在しないんです。だから当然、祟りや呪いで人が死んだりもしない」
茂彦爺さんと目が合った。露骨に肩をすくめられる。隣の源太朗爺さんは欠伸をして鼻毛を毟っている。
「沙耶花が沼に沈んだからって、それでオサカナ様の怒りが鎮まるわけがない。居ないものが怒れるわけないでしょう。疫病は、そんなことじゃ静まりません」
「祟りはあるぞ」
皴枯れた声。茂彦爺さんだ。
「わしが子供のころ、沼で魚を獲っとった男が居らんようになった。その晩から嵐が続き、疫病が流行ってたんと死んだ。ちょうど今のようにじゃ。そのときも、娘を一人、オサカナ様に娶わせたら疫は止んだ」
一単語づつ区切るようにして話す。出来の悪い子供を諭すように。集まっている大人たちもしきりに頷いている。
「逆ですよ。祟りがあるから疫病が流行ったんじゃありません。疫病の流行を祟りで説明しようとしてるだけです。溺れた男の人と疫病の流行は何も関係がない。ただの偶然です」
周りを見渡す。孤立無援だ。
「だが、実際に疫病は収まった」
茂彦爺さんが疑り深げに言う。
「疫病が時とともに収束するのは当たり前のことじゃないですか。生贄を出そうが出すまいが、そのうち収まるんですよ」
こんな当たり前のことをわかってもらうのに、どうしてこれほど苦労しなければならないのか。
化生ヶ沼には、オサカナ様は居ない。居ないモノの祟りなど、考えるだけでも馬鹿らしい。居るのは漁られる危険がないため大きく成長した鯉や鮒だ。
もし本当にオサカナ様が居るなら、真っ先に水中に引きずり込まれるのは、毎晩のように化生ヶ沼で魚を獲っている僕の筈じゃないか。
化生ヶ沼にオサカナ様は居ない――
「――居るよ」
毟った鼻毛をこねくり回していた源太郎爺さんが、僕の思考を遮った。
「オサカナ様かどうかは知らないがね。あそこには、何か居るよ」
ふぅっ、と指先に息を吹きかける。白髪の混じった鼻毛が飛び散る。汚らしい。
「5日前の夕方、沼の近くの草むらで鬼火がでた。わしは腰を抜かしてしまってのぅ。その場にへたり込んでおったら、鬼火がわしのほうにこう」
すぅっ、と爺さんは人差し指を左から右に動かす。
「鼻先まで近づいてきおってな。振り払おうとしたら、ほぅっ、と掻き消えおった。あれは――」
この世のものではないわい、と、どこか恍惚の表情を浮かべている。
今度は鬼火か。
「この世のものに決まってますよ。鬼火や狐火、それに人魂といったものは、別に、死者の怨念だとか妖孤の霊力で起きるものじゃない。エレキテルの凝ったものです。純然たる自然現象です」
「えれきてる、って何だべ」と、源太郎爺さん。
「雷の塊とでも思ってください」と、僕。
「じゃあ、鬼火じゃなくてカミナリ様じゃねえだか」と、今まで黙って僕らのやり取りを聞いていた大人が言い出したのを皮切りに――
「違うべ。カミナリが固まったのは雷獣っていってだな、普段は雲の上に住んでるんだが、雨が降るとカミナリ様が地上にお使いにやるんだ」
「俺も沼のほとりででっかい蛇に会ったぞ。真っ黒な体で、目ん玉だけが真っ赤でな--」
「俺は羽の生えた兎に出会った――」
「女が水面に立って手招きしていた――」
「沼から置いてけぇ、置いてけぇ、と声が聞こえた――」
やいのやいのと、すっかり怪談発表会の様相を呈してきた。
――何なんだ、この状況は。
俄かに百物語会場と化した寄合所をどうまとめようかと、僕が途方に暮れていると、一人の男が座の中央に歩み出た。
生贄となる娘の父親だ。
しん、と、場が静まり返る。
「き、君のお話はとても面白いよ。けれど――」
矢っ張り、それは只のお話なんだなぁ、と、男は言う。
「それを言うなら、オサカナ様だってただのお話です、泰造さん」
言い返す僕に、虚ろな目を向け、泰造は酷薄な笑みを浮かべる。
「ォ、オサカナ様はァ、居る。村の皆が信じているから。居る」
――そんなの、論点先取りじゃないか。
「そ、そうじゃない。オサカナ様も。君の言う、えれきてぇるも、どちらも怪異を説明する為の装置だろうさ。そ、そして、この村では、オサカナ様の方が、より上手く怪異を説明できちゃうんだ、なぁ」
なぁ、と、泰造は舌をだらりと垂らす。口の端には涎が泡となって張り付いている。目の焦点は相変わらず合っていない。
狂って、居るのか。いや――
先程の整然とした説明は、狂人のそれではない。僕の頭にある疑惑が浮かぶ。
「泰造さん。あなたはそれで良いんですか。沙耶花を、実の娘を生贄にするだなんて」
「崇りを鎮める為だかァら、仕方がないさ」
「僕にはあなたが、沙耶花を殺したがっているように見えます」
僕の言葉を聞いた泰造は、一瞬能面のような表情になり、見る間に顔面を紅潮させる。
「娘が大切でない親が居るものかッッ」
寄合所の障子がびりびりと震える程の音量で叫ぶ。途端に、立ちすくんでいる僕に向かって卑屈な笑みを浮かべる。
矢っ張り、この人は――
「あなたは、沙耶花を、身を挺して村を救った英雄に仕立て上げる積もりなんですね。
沙耶花は盲目だ。生きていてもあなたの負担になるばかりです。ならばいっそ、オサカナ様への生贄としてしまえば――
あなたは一人娘を泣く泣く差し出した哀れな父親として、この村の中で磐石たる地位を得る」
泰造は焦点の合わない目で僕を見つめる。顔には卑屈な笑みが張り付いたままだ。
「泰造さん、あなたは今回の崇り騒ぎに乗じて、沙耶花に片をつけようとしているんだ」
泰造は何も言わない。
なぜ否定しない。
そんなものは僕の妄想だと。狂って居るのは僕のほうだと、毅然として否定して欲しい。
むしろ僕は、自分が狂っていることを望むのに。
何故――
何故、媚びるような顔をするのですか。
こんな小僧一人に、何を卑屈になっているのですか。
そんな空っぽの目で僕を見るな――
「あなたは卑怯だッ」
堪らず僕は叫ぶ。
これ以上、泰造の虚ろな瞳に見続けられていたら、気が狂いそうだ。
「これだけ侮辱されても何一つ言い返さない。そのくせ自分の考えは一寸たりとも曲げる積もりは無いんだ、あなたって人はッ。
あなたの中では、他人は石ころと同じ、生命の無い存在なんだ。
こっちを見てください、泰造さんッ。
死んだ世界であなたがどう生きようと勝手だ。けれど沙耶花を巻き込むな。彼女は暗闇の中で生きているけど、あなたよりもよっぽどか生きているんですッ。
生贄には、あなたがなればいいッ」
溢れ出した激情は瞬く間に僕を包み込む。沙耶花を失いたくない。こんな男に殺させはしない。何としても――
泰造は中空に向けて呟く。
「六年間、だ」
両手の指を六本立てて、その場でくるりと一回転する。
「沙耶花が目を患ってから六年間、私があいつの面倒を見てきた。食事、風呂、下の世話まで、全てだ。私が居なければあいつは何も出来ない。だから――」
ニイッと、黄色い歯をむき出して笑う。獣じみた、厭らしい顔だ。
「だから、アレは私のモノだ。
私のモノを私がどう使おうと、勝手だよなぁ」
その言葉を聴いた途端、僕は目の前が暗くなり、その場にへたり込んでしまった。
なぁ、と、泰造は舌をだらんと垂らして僕を見下ろす。舌の先から涎が糸を引いて流れ落ちる。
「君が沙耶花の事を悲しんでくれるのは良く分かる。私も悲しい。たった一人の娘なのだ。だけど仕方が無いじゃないか――
祟りは、怖いだろう」
僕は力無く泰造を見上げる。無力感が押し寄せてくる。この人には、屹度何を言っても無駄なのだ。
「おや、君。気分が悪そうだねぇ。おぉい、誰か。この子を横になれる場所まで連れて行ってくれ」
泰造がそう言うと、人ごみから大人が二人歩み出てきて僕の両脇を支えた。
男たちに引きずられて泰造の傍らを通り過ぎる時、微かに呟きが聞こえたような気がした。
――いつの間に男を誑し込んだのだ、あの、淫売め。
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