ザロメの回想
【ザロメの回想】
まだ村に住んでいた頃。両親の営む街の宿屋で、私は毎日のように両親の手伝いをしていました。部屋の掃除や洗濯、夜はお客に酒や料理を運んで。地方の田舎村での生活というのは同じような毎日で退屈でした。
行商人の方々から王都や他の国々の話を聞くうちに、自分もいつか世界を見てまわりたいとそう思うようになっていったのは、年頃の娘としては当然のことだったと思います。
そんなある日、私はあの人に出会いました。
まだこの村にやって来たばかりのその人は、あのグゼル男爵のお屋敷に客人として招かれている学者様で、名をレオンハルトと言いました。
「強めの酒と、何か適当に摘みをくれ」
その日はもう遅く、客も彼一人だけ。そこで私は彼と話してみたいと思いました。学者というと少し気難しそうというか、取っ付きにくそうな印象を持っていた私でしたが、有り体に言ってしまえば彼からは庶民的な香りがしたのです。
「珍しいですね。お屋敷の方がこのような場所に、しかもこんな遅くにいらっしゃるだなんて」
「あぁ。少し気分転換をしたくてね。ずっとああいう場所にいると疲れるんだよ」
何の臆面もなくそのようなことをいう彼に、私は驚いてしまいました。
「まぁ、疲れるだなんて」
「事実は事実なんだ。しょうがないだろ。元々そんなに良い家の生まれじゃないんだ。どうもああいう堅苦しい感じはいけない」
強いお酒を煽る彼は、本当に疲れているように私は感じました。それと同時に、そんなに良い家の生まれでないという彼の言葉を聞いて、私はますます彼に対して勝手に親近感を感じたのでした。
「学者様も大変なのですね」
「あぁ。楽じゃないね」
それからというもの、彼は度々お屋敷を抜け出してうちの店にやって来ました。それはいつも人が少なくなってからで、彼自身そういう時間を選んで来ているようで。そして私自身彼と話すのが楽しみで、お客が少なくなると彼がやって来るのを待ち望むようになっていました。その頃になると、私の中で彼に対する私の気持ちは友人以上のものとなってしまっていたのです。
「お疲れ様。はい、いつもの」
「ああ、ありがとう」
いつも話してくれる、彼の王都での生活や大学の話に私は心を躍らせて。いつの間にか自分も学問を学びたい、彼と一緒に彼の打ち込む学問に取り組みたいと本気で思うようになっていました。それは恐ろしいことでもした。
「いいじゃないか。素敵だと思うよ」
私には分かっていました。そんなことは無理だってことぐらい。我が家には娘に学問をさせるような余裕なんてなかったのです。彼がこんな町娘が学問をしたいだなんていう戯言を素敵だと言ってくれたこと。偶にお店にやってきてお話をしてくれること。そして毎晩ベッドの中で自分があのお屋敷で彼と同じ学問をしている姿を妄想するだけで、私は満足でした。
しかしある頃から、彼がお店にやって来ることがピタッと無くなりました。それは彼がお屋敷にやってきてちょうど一年ほど経った頃です。
私は毎日毎日、彼を待ち続けました。しかし待てども待てども、彼がお店を訪れることはありませんでした。
歩けばすぐの距離であるはずなのに、彼との距離は大きく隔てられてしまったかのように、私には思えたのでした。しかしお屋敷に私の方から出向くなど、とてもできる話ではありません。
かと言ってそのまま我慢ができる訳もなく、私は考えに考え抜いた末にとうとうとんでもない考えに至ったのです。
私は両親に、お屋敷で学問を習いたいと申し出ました。
両親は私の話を軽くあしらいました。何を馬鹿なことを言っているのだと。
それは至極当然の結果でありました。それでも私は諦めがつかず、両親への態度への不満もあり家を飛び出しました。この時になって、私にはやっとお屋敷に出向くことへの決心が付いたのです。と言うよりもそれは、決心と言うよりその場の勢いと言えるものでした。
朝日の柔らかな日差しと、秋の冷たい風の中、私は走りました。




