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教祖冷笑  作者: 巳使雄介
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潜入編

 草野晋平は、柚木崎正一と電車で調査に向かうところだった。

 協会の人間には柚木崎がネットで、晋平の名前でコンタクトを取ってある。お膳立ては柚木崎が済ましてくれたので、晋平の仕事は直接会って話すだけだった。

 晋平自身は普段どおり、学生らしいラフな服装。柚木崎は珍しくスーツに身を包み、古びたジュラルミンケースを抱えていた。中身については、柚木崎からは何も聞かされていない。

 目当ての駅で高校生の一団とすれ違いつつ、晋平と柚木崎は電車を降りた。乗る人間と比べて降りる人間は格別に少なく、ホームは一気に寂しい空気に包まれた。

「よし、今のうちに準備をしておこう」そう言って柚木崎はベンチに腰を下ろした。ジュラルミンケースを開けると、中から小型の通信機を取り出し、晋平に手渡した。

「ジャケットの内ポケットに本体を、イヤホンは袖の中に隠しておいてくれ。マイクは反対側の袖に仕込んでおく。こちらから連絡する場合は通信機が振動する。感づかれないように、さりげなく応答して」

 晋平は言われたとおりに、通信機をジャケットの裏側に仕込んだ。その間に柚木崎は、小さなマイクと、ケーブルで繋がれたレコーダーとイヤホンを取り出した。

「これは盗聴器だ」柚木崎は晋平のジャケットにマイクを仕込んだ。「通信機のマイクは、ごく近くの小さな音しか拾えない。だから、向こうでの会話はこれで聞くことにする」

 そう言うと、さらにもういくつかの盗聴器を晋平に手渡した。室内に設置するためのものだ。

「盗聴器を通した音声はワイヤレスでこの受信機に伝えられる。いったんレコーダーに録音されてから僕が聞くことになる」柚木崎が続けた。

 晋平は頷くと、残りの盗聴器をポケットにしまっておいた。

「柚木崎さんはどうするんです?」

「ある程度距離はとるけど、君の半径100m以内にはいると思うよ。ワイヤレスだから送受信の範囲には限界があるし」言いながら、柚木崎はジュラルミンケースを閉じた。「いいかい? この階段を降りたところでイマジニア協会の人間が待っている、そういう手筈になっている。次の電車が着いたら、その電車に乗ってきた風を装って階段を降りるんだ。待っている奴の名前は吉井和人。申し送り事項は昨日確認したとおりだ。怪しまれないよう、話を合わせること」

 いいね、と言うように柚木崎が念を押した。

 晋平が頷きかけたとき、ホームに電車が入ってきた。晋平は柚木崎と目を合わせると、電車を降りた乗客に混じり、ジャケットの中の通信機が目立たないように襟を正しながら、階段を降りていった。


 階段下で待っていたのは、茶髪の優男だった。宗教に関わるタイプには思えなかったが、他に自分を待っているような人間がいない以上、彼が吉井和人なのだろう。晋平は迷わず男に近づいていった。

 男の方も晋平に気づいたようで、こちらに向かって片手を挙げた。

「吉井和人さんですか?」晋平は慎重に尋ねた。

「あぁ、そうだよ。草野晋平君だよね」吉井が言った。「協会の事務所はここからそう遠くないよ。歩いていこう」

「あっ、はい」晋平は慌てて返事をすると、吉井の後について歩き出した。

「草野君は法学部だっけ?」

「はい。S大の法学部です」晋平は答えた。「吉井さんは?」

 一瞬、吉井が妙な表情をした。晋平はそれをすばやく見咎め、しまった、と思った。柚木崎からもらった申し送り事項には、互いの学部に関する会話もあったはずなのだ。

 怪しまれたかもしれない、晋平はそう考えた。誤魔化す必要があった。

「いえ、あの、芸術工学部ということは知っていますが……その、ご専門は?」

「あぁ」合点がいったという感じで、吉井が言った。「言ってなかったね。都市環境デザインなんだ」

「環境デザインというと、建築論とか?」

「まぁ、メジャーなとこではね」吉井が苦笑した。「ただ……そうだね、通常の工学部の建築学科とは違うかな。いわゆる建築学が人間の居住環境に関わるものなら、都市環境デザインは、もっと公共性が高い。国土計画から、小さな公園まで関わってくるからね」

 そうですか、と話を合わせながら、晋平はボタンに仕込んだ盗聴器のことを考えていた。この会話も柚木崎は聞いているのだろうか。だとすれば、もっといろいろ聞き出すべきか?

 感づかれないように、横目で吉井を見る。晋平のことを警戒しているようには思えなかった。が、事務所とやらに行ってからのほうが詳しい話が聞けるかもしれない。焦る必要はないのだから、ここは慎重にいったほうがいいだろう。こちらから下手に切り出すべきではない。

「やはり、卒業後は建築の方面に進むんですか?」晋平は当たり障りのないことを尋ねた。

「いや、協会のほうに専念するつもり」こともなげに吉井が言った。「うちの会員にはね、多いと思うよ。そういう奴」

 思いがけず、向こうから協会の話を振ってきた。向こうから振ってきた分には話しても問題はないだろう。

「草野君はうちの協会のこと、T大の人から聞いたんだっけ?」

「えぇ」草野は即答した。柚木崎からの申し送り事項にも書かれていたことだ。「その友達は興味がないようなんですが、話を聞いていて関心が湧いたんです」

 晋平が用意していた台詞を言うと、吉井は憮然とした態度で「その友達は僕らのことを誤解しているね」と言った。

「僕らのことを新興宗教か何かだと思っている人間が多いけど、そんなものじゃない。怪しげな、金目的のものとは違う、本物なんだ。世間にはおかしなカルト宗教が繁茂しているから、誤解されるのは仕方がないことかもしれないけれど」

「しかし、宗教であるという自覚は持たれているのでしょう?」

「今の社会で認識されるカテゴリに属すなら、の話だよ」吉井は溜息をついた。「ただ直接的に宗教をアピールすれば、誤解を受けてしまう。だから翌檜イマジニア協会などと名乗っているんだけどね」

 そっちのほうが怪しげだけど、と晋平は思ったが黙っておいた。

「で、誰なの? 君の友達って」

 思わぬ質問に晋平はうろたえた。動揺が表情に出ないようにするだけで精一杯だった。

 全力で平静を装い「言ってませんでしたっけ?」ととぼけた。

「うん」吉井が頷く。「事務所にT大の人がいてさ、その人が、君の友達も勧誘したいって」

「どうですかねぇ、あいつは」何とか苦笑いに成功したが、内心はかなり焦っていた。柚木崎からの申し送り事項にはそんなこと、書いてなかった。適当な名前を言うか? しかしT大生に話されたらすぐに気づかれる。

 そのとき、ジャケットの中の通信機が震えた。髪をかきあげるふりをして耳元に袖を持っていくと、イヤホンから『法学部二年の道島悟』と柚木崎の声がした。その名前を口にしろということだろうか。とにかく、柚木崎の言うとおりにするしかなかった。

「法学部二年の道島って奴なんですけどね」晋平は平静を装って口にした。

「ふぅん」自分から聞いてきたわりには興味なさげに吉井が言った。

 何とか切り抜けることには成功したが、晋平にはこの吉井という男が掴めなかった。軽薄そうなルックスに、愛想の良い言動。しかし、それが彼のすべてとは思えなかった。宗教に関わる人間なんて、そんなものかもしれない。

「さぁ、着いたよ」吉井が前方をあごでしゃくって言った。「ここの二階と三階が事務所。ちょっと待っててね。中の奴らに話を通してくるから」そう言って吉井はビルの中に入っていった。

 吉井が完全に視界から消えるのを見計らって、晋平は袖を耳元に近づけ、マイクに向かって小声で「柚木崎さん、聞いてました?」と呼びかけた。

『ああ。そこが事務所だってね』

「柚木崎さんは今どこに?」言いながら周囲を探す。

『君の10mほど後ろだけど、君の位置からじゃ見えないかな。ところで、そのビルの一階には何が入ってる?』

「一階ですか?」晋平は再びビルに視線を戻す。「えぇっと……喫茶店みたいです」

『なら、都合がいい』イヤホン越しに柚木崎が笑った。『君が事務所に入っている間、僕はそこにいることにしよう。店の中なら、ノートパソコンも使える』

「わかりました」

『それと、一つ気にかかることがある』

 何ですか、と問い返そうとしたとき、吉井が戻ってくるが見えた。慌ててマイクを口元から話す。イヤホンはそのままにしておいた。

『吉井が戻ってきたようだね。手短に内容だけ言っておく。衣笠さんに連絡がつかない』

 それだけ言って一度通信は途絶えた。衣笠に連絡がつかないことがそんなに気にかかることだろうか。向こうも職のある身だ。いつも暇そうな柚木崎とは違い、忙しくて連絡がつかなくてもおかしいことではない。それとも、今日一日は柚木崎と連絡が取れるようになっているはずなのだろうか。そういう約束をしていたということもあり得る。

「やぁ、待たせてしまって悪かったね」吉井が言った。「実は、良い知らせがある」

「良い知らせ?」晋平は首をかしげる。「何ですか?」

「うん。君の友達の、T大法学部の学生……道島くんだっけ? が今日ここに来てくれるそうだよ」

 一瞬、表情が強張りかけた。しかし、道島という名前は柚木崎が無線で伝えてきた名前だ。何らかの手回しがあって口にしたのだろう。でなきゃ仮に本当にT大法学部に道島悟という男がいたとしても、ここへ来るという事態にはならないはずだ。

「へぇ」晋平は出来るだけ自然に見えるよう、軽く驚いてみせた。「もう、連絡をとられたのですか?」

「え、ああ……」吉井が少し動揺したように見えた。「うん。中にいる奴にT大の情報通がいてね、学生の名簿のようなものが手に入るんだ」

「そうですか……。へぇ、あいつも来るんだ……」と一人で頷きながら、晋平は次のことを考えていた。

 まず、学生の個人情報を宗教の勧誘に使うなどということは、犯罪の域に達しているのでは?

 そして……

 道島の存在を調べた、ということは彼らは……少なくとも吉井は自分を疑っている。

 晋平は小さく息を吸い込むと、吉井と共にビルの入り口をくぐった。

 

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