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吉祥寺宇宙人事情

非実在幼馴染

作者: 時雨煮

 夕焼け色に染まり始めた教室の窓側、後ろから三番目の机の横で、私は一人佇んでいる。一世一代の晴れ舞台、ここで失敗したら私には後が無い。替わりは他にいくらでも──それこそ、星の数ほどいるのだから。

 右手に持っていたノートを開く。数学の授業を板書したページの下半分には、腰辺りまである長い黒髪に下縁の眼鏡をかけた女子高生が落書きされている。ノートをめくりながら、数ページごとに現れる背の低い少女の線画と自分とを比較する。


「大丈夫」


 そうだ、大丈夫。二次元と三次元の違いはあれど、かなり似ているはず。こんなノートの落書きだけじゃなく、中学時代に書かれた設定や脳内走査ブレインスキャンまで使って形成したんだ。スタイリストも太鼓判を押していたじゃないか。現実に合わせて多少劣化してますが、かなりいい感じに仕上がってますよ、と。

 ……つまり脳内妄想に負けてるってことじゃないのか。今更気付いて、彼女への怒りと共に不安がよぎる。


「大丈夫」


 もう一度口に出して、気持ちを落ち着かせる。最初は戸惑ったこの高い音声ボイスにも、今では違和感を感じない。そろそろ、ノートを忘れたことに気付いたマナブ君が学校に戻ってくる頃だ。ネガティブな想像をしている場合ではない。

 風があった方がいいだろうか、と窓を開けようとして、途中で思い直す。校庭では運動部が練習中で、掛け声を拾ってしまう可能性が高い。窓に伸ばしていた左手を学君の机の上に置いて、表面の傷をなぞる。


 彼の高校生活も三年目に入って、マンネリ化による視聴率低下がいよいよ深刻になった。部活に入らず、恋人もおらず、成績は中の中。毎日のように男友達と遊び回っている彼が、夏休みに入って本格的に受験勉強を始めてしまう前に、なんとかしなければ。と、一か八かのテコ入れを行うことが決定した。

 学君の十七年間を見守ってきたディレクターは、ドキュメンタリーだとか地球人の人権とか、男子高校生の日常がどうとか散々渋ったものの、プロデューサーから異動をほのめかされて折れたらしい。そして、いくつか出た案から最終的に採用されたのが、今まさに進行中の“脳内彼女の具現化”なのだ。ホント馬鹿だな。実家に帰りたくない一心で、オーディションに応募した私が言うことじゃないが。


 校庭を横切って校舎に向かって走ってくる学君の姿が見えた。モニター越しでなく直接見るのは初めてだ。顔も背丈も悪くないのに彼女がいないのは、友人関係に恵まれていないのと、その脳内妄想というのが少しばかり酷かったからだとか。

 勿体ないと思わなくもないが、そのお陰で仕事にありつけているのだから、ここは感謝するべきだろう。ありがとう学君、さようなら底辺生活、だ。


 ☆


 教室の前側の扉が開いて、学君が入ってくる。一歩を踏み入れ、もう一歩進もうとした彼の視界に私の姿が入ったのか、その足が止まった。

 窓の方を向いていた私は、夕陽の効果や広がる黒髪を意識しつつ、ゆっくりと彼の方に向き直る。


 ──決まった、はずだ。


「……」


 驚きのあまり、口が半開きになった状態で固まっている学君の反応を、静かに待つ。しかし彼の視線は、私の顔ではなく、私が広げているノートの方に釘付けになっていた。

 彼は開いていた口を閉じると、真剣そうな表情になって、震える指先をこちらに向けてくる。


「……見た……?」


 私よりノートの方に大注目か。確かに余り他人ひとに見せられた内容ではないとは思うけど、全銀河に配信済みなので諦めるといい。

 私は両手でノートを閉じ、学君の机の上に置いて、首を横に振る。


「マナブはわらわのことが判らぬか。この馬鹿マナブめ」


 慣れない話し方に、やっぱりこの仕事諦めようか、と萎えかけた気持ちを無理矢理奮い立たせる。窓際から前に進み、黒板前を経由して学君に接近した。

 彼の目の前で仁王立ち、と言っても私が見上げる形になるのだが、胸を張って学君を睨みつけ、散々練習した台詞を口にする。噛みませんように。


「折角出てきてやったというのに、な、ん、だ? その反応は。他にもっと気のきいたことは言えんのか。会いたかったとか嬉しいとか神様ありがとうとか、これは夢かと頬をつねるとか。い、いきなり駆け寄って抱き締める、とか……」


 こんなんでいいのかよ、という考えを振り払い、右手を口に当てて恥ずかしそうに俯いてみる。こんなんでいいのかよ?

 ちらりと学君を窺うと、彼はこちらを指差していた手を下ろして、恐る恐る“彼女”の名前を呼んだ。


「本当に、ケイちゃん……?」

「う、うむ」


 腕を組んで、大仰に肯定して見せる。さあ、さっさと信じて私の生活を保障するのだ。

 そんな私の願望とは裏腹に、学君は未だに信じられない、といった表情を浮かべている。彼は、「まさか、本当に……」とかぶつぶつ呟いた後、意を決したように、


「なら、僕の質問に答えてくれるかな」


 と言ってきたのだった。


 ☆


 私は腕を組んだまま、教壇の横にあった教師用の椅子に腰を下ろし、斜め前に突っ立っている学君を半眼で見つめる。


「何故わらわが、馬鹿マナブの質問に答えねばならぬのだ」

「うん、実はね……」


 学君はポケットから黒い携帯電話を取り出して操作すると、中腰になって一通のメールを見せてきた。


「“彼女の偽物を信じるな。異星人が彼女に化けている”……ふーむ?」

「昨日の夜、友達から届いたんだ。そのときはよく分からない冗談だなあ、と思ってたんだけど」


 内心の動揺を抑えつつ、思考を巡らせる。タイミングといい内容といい、これは妨害工作じゃないのか。

 スタジオから中止のサインが出ていないかと、学君の背後を覗いてみたものの、空間ボードカンペに変化はない。どうやらこのまま続行するらしい。まあ、その方が私にとっては好都合だ。夢にまで見た憧れの天然食が待っているんだ、この程度の障害、どうということはない。


「これはまた、性質たちの悪い悪戯ではないか。その友人とやらはわらわのことを知っておるのか」


 学君は携帯電話を引っ込めて、うーん、と考え込んだ。困った顔でこちらを見て、ぼそぼそと話し始める。


「話したような、話してないような。小さい頃からの付き合いだから、よく覚えてない」

「直接聞けばよかろう?」

「メールの返事は返ってこないし、電話も出ないし、今日は風邪で休みなんだ」


 間違いなく妨害工作だな。こんな低視聴率男に対して横槍を入れてくるとは、どこのどいつだ。私に恨みでもあるのか。

 仕方ない、ここは正面突破だ。


「よかろう。その古い友人は後でじっくり問い質すとして、先にわらわの疑いを晴らすとしようか」


 ☆


栗栖恵奈くりすけいな、十六才。と言っても、ついさっき生まれたばかりではあるな」


 とりあえず自己紹介を、という学君のリクエストに、当たり障りのないところから話し始めた。読書のしすぎでかなりの近眼。猫派。きのこ派。ホラー好き。モンハンは指がつるから苦手、等々。どうでもいい設定が多いな。


「──と、こんなものか。どうだ馬鹿マナブ」

「その馬鹿っての止めない?」

「わらわのことを信じたら、考えてやらんでもないぞ」


 学君は私の正面の机に腰掛けて、考え込んだ。目をつぶり、首を左方に三十度傾けて、申し訳なさそうに口を開く。


「でもその辺、ノート読んでたら知ってることだろうし。正直なところ、むかし書いたのって僕も記憶が曖昧だし」

「やはり馬鹿マナブで合っているではないか」


 ノートを開いて、ここに書いてあるでしょう、と私から指摘するわけにもいかない。こうなったら、別の方向から攻めるしかないか。


「あれは小学三年生の頃だったか。鬼ごっこで逃げていた馬鹿マナブは、余所見をしていて鉄棒に気付かず、セルフラリアットを食らって保健室に運ばれたのだったな」

「何でそれを知ってるの!?」

「当然、見ていたからな」


 総集編で。友達は誤魔化せても、記録に残っているのだ。


「中学に入ってからしばらくして、急に“俺の真名まなはスヴァスティカだ”とか何とか言い始めて、親を困ら」

「待って!」


 妄想癖のある学君でも、中学時代の黒歴史は聞くに堪えないらしい。けど、悲しいことに、自分の耳じゃなくて私の口を塞がないと配信されてしまうのだよ。

 とはいえ楽しんでいる場合ではない。この辺で許してやろう。口を閉ざした私を見て、学君は耳から手をゆっくり離していく。


「少しはその足りない頭で考えたらどうだ。異星人がわらわに化けて馬鹿マナブに接近したとして、何の得があるというのだ」

「そ、そうだね……」


 視聴率の回復(願望)とか安定した収入(見込)とかがあるけど。

 私は椅子から立ち上がると、窓の方に歩いていく。すっかり赤く染まった教室の中、笑顔で振り返ってみせる。


「観念したらどうだ、マナブよ。そろそろ覚悟を決めて、わらわを楽しませるがいい」


 机から降りていた学君がこちらを見て、わずかに笑みを浮かべた。その口が何か言おうとした瞬間。


「ちょっと待ったァ!」


 大声と共に、教室の後ろ側の扉が勢いよく開いた。


 ☆


「騙されるなマナブっち! その女はお前に隠された力を狙っているんだ!」


 赤みがかった茶髪の少年が、こちらを指して叫んだ。着ている学生服は傷だらけで、その歩みはふらついている。

 彼は数歩進んだところで近くの机に片手をつき、身体を預けて大きく息を吐いた。


「ユート!?」

「行くな、マナブ!」


 予期せぬ乱入者の方に向かおうとした学君を呼び止める。不味い展開なのは間違いない。どうにかしないと。空間ボードに状況中止の表示が出ているが、ここまで来て諦められるものか。

 ユートと呼ばれた茶髪の少年はさらに叫ぶ。


「俺はそいつにやられたんだ! お前に危険を知らせようとしたんだが、メールを送ったところで携帯を壊されて……」

「たわごとに耳を貸すでない」


 後で上からいろいろ言われるだろうか、と迷ったものの、こちらから仕掛けなければ、学君がいいように丸めこまれてしまいそうだった。

 怪我をしているはずなのに、やたら元気な少年をスキャンする。怪しいと思ったが、やはり私と同じ形成体フィギュアボディのようだ。


「こやつ、人間ヒトではないぞ。怪我も自作自演だ。本当なら、ここまで来る前に校庭で騒ぎになるであろう?」

「マナブっち、俺を信じられないのか? 幼馴染だろ」


 収集つかなかったら謝って許してもらおう。今はとにかく、学君を味方につけることが第一だ。

 書き換わった空間ボードに目を向ける。人物識別完了、先月懲戒解雇された駄目社員の逆恨みと思われる……って、個人で地球に入り込めるほどセキュリティは甘くないはずだ。これは裏があるな。

 しかし、学君の幼馴染として潜り込んだのが最近なら、打つ手はあるか。


「馬鹿マナブよ。ユートとやらについて、覚えている昔の話はあるか?」


 学君は私と相手を交互に見て、不安に満ちた声で呟く。


「……思い出せない」

「そうだろうとも。こやつはマナブの記憶の隙間に入り込んだ非実在。精神の侵略者だ」


 私の指摘に相手は一瞬たじろいだものの、すぐに気を取り直して声を張り上げる。


「ち、違う! お前が記憶を操作したんだろう!」

「そんな必要があるものか。わらわは昔からマナブと一緒だ。なあ?」


 学君はこちらを見て、力強く頷いた。

 何しろ、こちらには十年近くの蓄積があるのだ。“彼女”と一緒に映画を見に行ったり食事をしたり、傍から見たらそれはもう痛々しかった。去年のクリスマスイヴに一人でぶつぶつ呟きながら街を歩く姿は、涙無しには語れない名シーンだ。


「ふん、愛の力の前には無力なものだな」

「くっ……こうなったら!」


 勝利を確信した私だったが、相手はまだ奥の手を残していたらしい。

 彼はズボンのポケットに手を突っ込み、小さな装置を取り出してこちらに向けてくる。護身用の電撃銃スタナーに手を伸ばしたが、間に合わなかった。


 ☆


 直後、教室の中央に立体映像が浮かび上がる。複雑な幾何学模様が教室を前後に仕切るように広がり、人間の可聴域外の音が鳴り始めた。


「魔法陣?」


 学君の口から漏れた言葉は、あながち間違いでもない。アレは禁忌中の禁忌だ。そしてアレが出てきたということは、黒幕は、


『“一度ハマったら抜け出せない”サルガッソー放送局、か』

『そうとも! これで視聴率はこっちのものだ!』


 銀河共用語の捨て台詞と装置を残して、奴は急ぎ足で教室から出て行った。無理に追うのは諦める。あの用心深い父親のことだ、あいつを捕まえても足がつかないようにはしているはずだ。

 だが、まあ、これで理由がわかった。狙われているのは学君ではなく、私の方だったか。耳聡い奴が今回の件を聞きつけたんだろう。


「ケイちゃん、今のは……」


 事態を飲み込めていない学君に近付いて、ちょっと、と手招きし、片膝をついた彼に耳打ちする。


「説明は後だ。一刻を争うのでな。アレは神の力を奪い取る、禁断の魔法陣。マナブの力が必要だ」


 実際には受信チャンネルを強制的に変更させるウイルス動画ムービーだけど、似たようなものだ。視聴者は神様である。

 空間ボードを横目に見て、代替放送中であることを確認する。今のうちに、私は巻き込まれただけの役者です、という感じにしておかないと、役を降ろされかねない。


「僕の……?」

「そうだ。マナブとわらわが力を合わせなければ、あの陣を破ることは難しい」


 そう小声で言って、ポケットに入れてあった小道具の指輪を手渡す。何の変哲もない、銀色の指輪だ。


「この指輪にわらわの力を込めてある。マナブがコレを握ってアレに叩きつければ、なんやかんやで破壊できるだろう」

「でも」


 言いかけた学君の口を、人差し指で止める。


「マナブなら、できると信じているぞ」


 彼の瞳をじっと見つめる。表情から迷いが消え、決意が浮かび上がる。指輪を右手に握り締め、立ち上がると立体映像に向き直った。

 彼は一度、深く深呼吸をした後、お世辞にも速いとは言い難い速度で走り始め、何やら叫びながら、変なポーズで右の拳を突き出した。それと同時に、私は装置に対して最上位の停止命令を送る。

 学君の目の前で、音も無く立体映像が掻き消える。


 絵面的には、非常に地味だった。

 空間ボードを見ると、放送再開までのカウントダウンと、本物の友人が心配して学校に戻ってきつつある旨が示されていた。急がないと。


「やったな、マナブ!」


 とりあえず、拳を突き出したポーズのまま固まっている学君に走り寄って、労いの声をかけてみる。


「……違うよ、ケイちゃん。いや、クリシュナ」

「はへ? クリシュナ?」


 予想外の返答に、変な声が出てしまった。学君はゆっくりと姿勢を戻すと、私の方に向き直って再び片膝をついた。

 そして何故か、彼は私の左手を取ると、右手に握っていた指輪を、薬指に通しながら、高らかに、


「俺はスヴァスティカ。世界を守るために選ばれた戦士だ」


 しまった。変なスイッチ入った。

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