4話 補助金がないなら、自分で財源を作ればいいのです
朝食は、マルグリットが作ってくれた。
正確に言えば、エリーゼが自分で作ろうとして、マルグリットに止められた。
「あんた、なんでパンを焼くのに塩と砂糖を逆にするんだい」
「……計量を間違えました」
「計量の問題じゃないよ。味見しなかったのかい」
「味見は品質管理の最終工程であり、調理中に行うものではないと認識していました」
「…………」
マルグリットが無言でエリーゼを台所から追い出した。
ハンコが足元で、にゃあ、と鳴いた。同情ではなく、呆れに聞こえた。
「……ハンコ、あなたまで」
(前世も料理はだめだった。コンビニ弁当と冷凍食品で8年間生きた女に何を期待するのか)
マルグリットが焼いた黒パンとスープを食べながら、エリーゼは今日の計画を確認した。
薬草の自生地調査。品質の確認。そして——値付け。
この村の未来は、薬草で切り拓く。
裏の森は、領主館から歩いて半刻ほどの場所にあった。
マルグリットとフィンが案内してくれた。
「このあたりだよ。ほら、足元」
マルグリットが指さした先に、青い葉の草が群生していた。
エリーゼはしゃがみ込んで、一本を手に取った。
葉を指で潰すと、鮮烈な香りが広がる。前世の知識はないが、この世界で宰相府にいた頃に薬師ギルドの報告書を読んだことがある。
「……これ、青嶺草ですね。炎症止めと解熱に効く。王都の薬師ギルドでは、乾燥品が1束あたり銀貨2枚で取引されています」
「銀貨2枚?」マルグリットが目を丸くした。「あの行商人、銅貨3枚で買い叩いてたよ?」
「1束銅貨3枚……」
エリーゼの目が細くなった。
銀貨1枚は銅貨100枚。つまり銀貨2枚は銅貨200枚。それを銅貨3枚で買っている。
「66倍の差ですね」
「ろ、66倍?」
「仲買人が複数介在しているのでしょう。産地から末端消費者まで、中間マージンが積み重なって、生産者の取り分が限りなくゼロに近くなる。前世——以前の職場で、よく見た構造です」
フィンが横から口を出した。
「つまり、間に入るやつを減らせば、俺たちの取り分が増えるってことか?」
「その通り。直接取引ができれば、仲買人のマージンを全部こちらに持ってこれる」
エリーゼは森の中を歩きながら、自生地の範囲を目測した。
広い。かなり広い。
「マルグリットさん、この森の薬草、月にどのくらい採れますか」
「うーん……本気で採れば、200束は余裕だろうねぇ。でも採りすぎると翌年減るから、100束くらいが——」
「持続可能な採取量が月100束。年間1,200束。銀貨2枚で直接取引できれば、年間2,400枚の銀貨」
マルグリットが絶句した。
「に、2,400枚……?」
「さらに加工すれば付加価値がつきます。乾燥品は保存が利くし、軟膏に加工すれば単価は3倍から5倍。薬湯として売れば観光資源にもなる」
(前世のふるさと納税で学んだ。一次産品をそのまま売るより、六次産業化——生産・加工・販売を一体化した方が、地域に落ちるお金は圧倒的に大きい)
エリーゼの頭の中で、数字がぐるぐると回り始めていた。
収穫量の試算。加工コスト。輸送手段。取引先の候補。
「……ねえちゃん、またすごい顔してる」
「すみません。興奮すると顔に出る癖がありまして」
「いや、いいんだけどさ。ねえちゃんが興奮するのって、数字の話のときだけだよな」
「そうですか?」
「そうだよ」
マルグリットが笑った。この人の笑い声を聞くのは、初めてかもしれない。
「あんた、変わった領主だねぇ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
午後。エリーゼは村人を集めた。
全九世帯。領主館の前の広場に、二十数人が顔を揃えた。
不安げな目。警戒する目。また税の話か、という目。
エリーゼは深呼吸して、口を開いた。
「皆さんにお伝えしたいことがあります」
沈黙。
「この村の裏の森に自生している薬草——青嶺草は、王都では銀貨2枚で取引されています」
ざわめきが起きた。
「今まで皆さんが行商人に売っていた価格は、銅貨3枚。本来の価値の66分の1です」
ざわめきが大きくなった。
「私はこの薬草を、正当な価格で売るルートを確保します。仲買人を通さず、直接取引で」
村人の一人が手を挙げた。
「でも領主様、誰に売るんです? 王都は遠いし、こんな辺境まで買い付けに来る商人はいない」
「王都には売りません」
エリーゼは視察報告書を広げた。
「売り先は——隣国クラウゼン公国。国境の街バルトハイムです」
空気が変わった。
「く、クラウゼン? あの軍人の国かい?」
「はい。クラウゼン公国は軍事国家です。常備軍を維持するには大量の薬品が必要になる。傷薬、解熱剤、消毒用の薬液。需要は確実にあります」
(前世の防衛省の調達予算を思い出す。自衛隊の医薬品調達額は年間数十億円。軍隊がある国は、薬の消費量が桁違いに大きい)
「でも、あっちには怖い将軍がいるって——」
「交渉は私が行います。正式な交易許可申請書を作成し、公国の商務担当に持ち込みます。軍事国家だからこそ、手続きを踏めば話は通る。法と書面を守る国は、交渉しやすい国です」
村人たちが顔を見合わせた。
半信半疑。でも——目の色が少し変わっている。
マルグリットが腕を組んで頷いた。
「あたしはこの人を信じてみるよ。少なくとも、帳簿を見て目が光る領主なんて初めてだ」
「マルグリットさん……」
「それに、やらなきゃどのみちこの村はおしまいだ。だったら、賭けてみる価値はあるだろう」
ぽつりぽつりと、村人たちが頷き始めた。
全員ではない。でも、半分以上。
それで十分だ。全会一致は最初から必要ない。成果を出せば、残りはついてくる。
(前世の議会もそうだった。反対派を説得するのは言葉じゃなくて実績だ)
その夜。エリーゼは領主館で書類を書いていた。
交易許可申請書。取引条件の草案。想定問答集。薬草のサンプル品質報告書。バルトハイムまでの行程表。
「ねえちゃん、まだ書いてるのか」
フィンが眠そうな目で覗き込んだ。最近はこの少年、夕食後に領主館に来て、エリーゼの仕事を見学するのが日課になっている。
「交渉に必要な書類は、事前に全部揃えておくの。相手に『持ち帰って検討します』と言われたら負けだから、その場で即決できるだけの材料を用意しておく」
「はぁ……ねえちゃんって、戦い方が変わってるよな。剣じゃなくて紙で戦うんだ」
「紙と数字は、剣より強いわよ」
「……かっこいいな、それ」
エリーゼは少し照れた。褒められ慣れていない。前世でも、今世でも。
「フィン、留守の間、ハンコの世話をお願いね」
「任せろ。あと、ねえちゃんがいない間の薬草の収穫管理もやっとく」
「……あなた、本当に優秀ね」
「へへ」
膝の上でハンコが丸くなっている。この猫は、エリーゼが書き物をしていると必ず膝に乗る。前世のデスクワークには猫がいなかったので、生産性が30%くらい上がっている気がする。
(なんの根拠もない数字だけど)
最後の書類にペンを走らせて、インクを乾かす。
交易許可申請書。宛先は、クラウゼン公国バルトハイム市場管理局。
書式は完璧に整えた。余白の取り方、文字の大きさ、項目の配列。見る人が見れば、これを書いた人間の実力がわかるように。
(書類は名刺だ。一枚目で相手の信頼を勝ち取れなければ、二枚目はない)
窓の外には星空が広がっていた。
明日の準備は整った。
あとは——国境の街で、まだ見ぬ交渉相手を説得するだけだ。
「さて」
エリーゼは立ち上がった。ハンコが不満そうに鳴いた。
「行ってきます、ハンコ。いい子にしててね」
にゃあ。
(……その鳴き方は『お土産よろしく』に聞こえるわ)
翌早朝。エリーゼは薬草のサンプルと書類の束を抱えて、国境の街バルトハイムへ向かった。
交渉相手は、まだ知らない。
国境の街で、どんな壁にぶつかることになるかも、まだ知らない。
——文字通りの意味で。




