24話 ざまぁ──ではなく、正当な法的処分です
審問の結果は、翌日に出た。
エリーゼは審問廷の傍聴席に座って、審問官の声を聞いた。
「第一。聖女ルナリアに対し、『浄化の聖女』の称号を剥奪する。讒言の流布及び国政への不当な介入を理由とする。加えて、王都からの追放を命ずる」
ルナリアが崩れ落ちた。
白い法衣が床に広がる。涙が溢れている——今度は本物だった。
「そんな……わたくしは、王国のために——」
誰も、同情しなかった。
昨日まで聖女に群がっていた貴族たちが、目を逸らしている。半年前、エリーゼを嘲笑ったのと同じ人間たちが——今度はルナリアから目を逸らしている。
人の世は、こういうものだ。前世でも見た。権力を失った人間に差し伸べられる手は、驚くほど少ない。
エリーゼはルナリアを見ていた。
憎いかと聞かれれば——もう、そうでもなかった。この人も結局、権力に振り回されていたのだろう。聖女という称号に縋りつかなければ、自分の価値を信じられなかった人。
(でも同情はしない。あなたは自分の意志で、他人の帳簿を汚した。それだけは——許せない)
ルナリアが連れ出されていく。白い法衣の裾が、石の床を擦る音が響いた。
「第二。宰相グラーフに対し、職権乱用及び横領の罪により罷免する。財産の没収を命ずる」
グラーフは動かなかった。椅子に座ったまま、目を閉じていた。
この男はエリーゼの能力を知っていた。宰相府の決算業務の三割を一人で回していた女の力を。知っていて、保身のために見捨てた。
今日、その判断の代償が来た。
グラーフが立ち上がった。一礼して、審問廷を出ていく。振り返らなかった。事なかれ主義の男は、最後まで事なかれのまま退場した。
「第三。第二王子リヒトに対し、王位継承順位の降格を通達する。聖女の讒言に加担した責任を問う」
リヒトは立ったまま、拳を握っていた。顔が白い。
「第四。エルデ領を、エリーゼ・ヴァイスフェルトの正式な世襲領として認定する」
世襲領。
「追放先」ではなく、「世襲領」。エリーゼと、エリーゼの後に続く者たちの土地。
エリーゼは静かに頭を下げた。
「ありがたくお受けいたします」
それだけ言った。
勝ち誇らなかった。拳を突き上げもしなかった。
勝ったのは自分ではない。証拠が勝ったのだ。書類が勝ったのだ。
審問が閉廷した後、廊下でリヒトに呼び止められた。
「エリーゼ」
振り向いた。
第二王子——いや、もう王位継承順位が降格された王子が、そこに立っていた。半年前の華やかさは消えていた。白い軍装が、妙にくたびれて見える。
「すまなかった」
低い声だった。
「お前の価値に、気づけなかった。俺は——間違っていた」
エリーゼは黙って聞いた。
「戻ってきてくれないか。宰相府に。お前ほどの人材が、辺境に埋もれているのは——」
「殿下」
エリーゼが遮った。
「お気持ちは、書面にてお送りください」
リヒトが目を見開いた。
「なお、婚約再締結の申請には国王陛下の決裁が必要です。書式は法務局にございます」
一拍。
「また、私にはその意思がございません」
静かな声だった。怒りもない。恨みもない。ただの事実確認。
リヒトの顔が歪んだ。
「……意思がない、だと? かつてはお前も、この婚約を——」
「かつては。でも今は違います」
エリーゼはリヒトの目を見た。
「私には、帰る場所があります。帰りたい場所が」
リヒトが何か言おうとした。でも——言えなかった。
エリーゼの目に迷いがなかったからだ。
半年前、大広間で婚約破棄を言い渡されたとき、エリーゼは泣かなかった。怒らなかった。でもあのとき——心の奥底には、かすかな未練があったかもしれない。王都への。宰相府への。
今はない。
一片も、ない。
「殿下。お元気で」
頭を下げて、背を向けた。
リヒトが追いかけてこなかったことに、エリーゼは気づいていた。追いかけるだけの覚悟が、この人にはない。最初から、なかった。
(あの人なら——追いかけてくる。剣を置いてでも。馬を潰してでも)
比べてはいけない。比べるまでもない。
王都を出る前に、一つだけやることがあった。
宰相府の書庫を訪れた。
かつての自分の職場。半年前まで、毎日通っていた場所。
書庫の扉を開けると、埃の匂いがした。以前より——少し荒れている。
(後任を決めなかったんだろうな。私の仕事を引き継ぐ人間がいなかった)
書棚を見て回った。帳簿の配列が崩れている。分類が乱れている。ラベルが剥がれている。
手が伸びそうになった。直したくなった。
——やめた。
もうここは、自分の場所ではない。
書庫を出た。振り返らなかった。
馬車は、夕方に王都の門を出た。
護衛のレオン隊長と兵士1名が同行している。
馬車が動き出して、王都の街並みが遠ざかっていく。尖塔が小さくなる。城壁が霞む。
エリーゼは窓の外を見ていた。
半年前、この門を出たときのことを思い出す。あのときは見送りがなかった。一人きりの馬車で、5日間揺られた。
今は——違う。
護衛がいる。帰る場所がある。待っている人たちがいる。
フィン。マルグリット。レオン隊長と護衛兵たち。ハンコ。
そして——
窓の外が暗くなった。王都の灯りが見えなくなった。
一人になった。
レオンたちは馬車の外にいる。中にはエリーゼだけ。
そのとき——涙が落ちた。
不意に。予告もなく。
頬を伝って、顎から落ちて、膝の上の証拠書類の鞄を濡らした。
「……あ」
自分で驚いた。泣いている。私が。
怒りの涙ではなかった。悲しみの涙でもなかった。
解放の涙だ。
前世から抱えてきたものが——溶けていく。
真面目に働いても報われなかった日々。深夜のオフィスで一人残った夜。「君の仕事、AIで代替できるよね?」と言われた朝。倒れても「困るなぁ」としか言われなかった入院。
この世界に来てからも——「書庫の地味令嬢」と呼ばれ、婚約を破棄され、辺境に追放された。
でも。
辺境で出会った人たちがいた。マルグリットが最初に笑ってくれた。フィンが「ねえちゃん」と呼んでくれた。ハンコが膝に乗ってくれた。
そして——あの人が。
書式が美しいと言ってくれた。書類は武器だと言ってくれた。心臓を根拠に、戻ってこいと言ってくれた。
全部——終わった。
全部終わって、全部報われて、全部つながった。
書類で戦って、書類で勝って。自分の力で、自分の場所を守った。
誰にも助けてもらわなかった——わけではない。たくさんの人に助けてもらった。
でも最後に審問廷に立ったのは、自分だ。ペンを握ったのは、自分の手だ。
(……やっと。やっと、泣ける)
声を殺して泣いた。馬車の揺れに紛れるように。
しばらく泣いて——泣き止んだ。
鞄の上の涙を拭いた。証拠書類は無事だった。
(……泣いても書類が無事なら、問題ない)
少し笑った。目が腫れているだろう。明日の朝にはマルグリットに「泣いたね」と言われるに違いない。
でもいい。
もう、泣いたことを隠す必要はない。
翌日。馬車は街道を南に——いや、北に走っている。辺境に向かって。
3日目の朝。国境が近づいてきた。見覚えのある山脈が見える。
あの山を越えれば、エルデ領。
レオンが馬車の窓を叩いた。
「令嬢。前方に——人影があります」
「人影?」
「街道の真ん中に、一人で立っています。武装はしていません。馬が一頭」
エリーゼは窓から身を乗り出した。
街道の先に、人影が見えた。
逆光で、シルエットしかわからない。でも——
銀色の髪が、朝日を反射して光った。
馬車が近づく。
人影の輪郭が、はっきりしてくる。
長身。広い肩。鎧を着ていない。シャツ姿。
街道の真ん中に、ただ立っている。
——待っている。
エリーゼの目から、また涙が溢れた。
今度は——拭かなかった。




