23話 王都審問廷にて──証拠書類を提出します
王都の審問廷は、石造りの円形広間だった。
高い天井。アーチ状の窓から差し込む冷たい光。正面に審問官席。左右に傍聴席。中央に被審問者の立ち位置を示す石の円。
半年前にこの王都を追われた女が、今この場に立っている。
エリーゼ・ヴァイスフェルトは、背筋を伸ばして円の中に立った。
鞄を足元に置いた。中には73点の証拠書類。重い鞄だ。でもこの半年で——もっと重いものを背負ってきた。
傍聴席を見渡す。
貴族たちが並んでいた。あの夜と同じ顔ぶれだ。婚約破棄の夜、エリーゼを哀れんだ目、嘲笑った目、無関心だった目。
今日は——違う目で見ている。
興味。期待。そして、畏れ。
「伝説の事務官」の噂は、ここまで届いているらしい。
「審問を開始する」
審問官が宣言した。白髪の壮年。法務官僚の出身だろう。顔は厳めしいが、目は冷静だ。
「被審問者、エリーゼ・ヴァイスフェルト。嫌疑は、隣国クラウゼン公国との通敵。告発者の証言を聞く」
左手の扉が開いた。
聖女ルナリアが入ってきた。
銀色の長い髪。白い法衣。大きな瞳。半年前と同じ——いや、少し痩せたか。
ルナリアが証言台に立った。目に涙を溜めている。あの日と同じだ。完璧な被害者の顔。
「わたくし……ずっと心を痛めておりました」
震える声。広間に同情のざわめきが広がる。
「エリーゼ様は、辺境に追放されてなお、隣国の将軍と結託して我が国の機密を漏洩し——」
「異議があります」
エリーゼが口を開いた。
静かな声。感情を含まない、事実を述べるためだけの声。
広間が静まった。
「審問官殿。告発者の証言に先立ち、一点確認させてください」
「許可する」
「告発者に質問いたします。聖女ルナリア殿——漏洩されたとする機密の具体的な内容と、その証拠をご提示ください」
ルナリアの目が、一瞬だけ揺れた。
「それは……わたくしは直接見たわけではありませんが、確かな筋からの情報で——」
「確かな筋とは?」
「それは……申し上げることが……」
「具体的な内容、具体的な証拠、具体的な情報源。いずれもご提示いただけないということですか」
ルナリアの涙が——引っ込んだ。
あの日と同じだ。台本にないことを聞かれると、この人の目から演技が消える。
「では、こちらから提示いたします」
エリーゼは鞄を開けた。
73点の証拠書類を、一つずつ机の上に並べた。整然と。番号順に。
広間が、息を呑んだ。
「審問官殿。これは本件に関する証拠書類の全目録です。お配りいたします」
目録が審問官と傍聴席の貴族たちに配られた。
「まず、証拠第1号から第15号。エルデ領とクラウゼン公国との通商協定に関する書類一式です」
エリーゼの声は、窓口で制度を説明するときの声だった。淡々と。正確に。
「通商協定は王令第15条に基づく辺境領の通商裁量権の範囲内で締結されたものであり、王家の事前承認は法令上不要です。先例も3件ございます。証拠第12号から第14号をご参照ください」
審問官が書類を確認している。目が動く。眉が上がった。
「次に、証拠第16号から第40号。これが本件の核心です」
エリーゼの声が、わずかに硬くなった。
「2ヶ月前、エルデ領に身分を偽った間者が侵入し、領地の帳簿を改竄しました」
広間がざわめいた。
「間者は通商記録を書き換え、通常の薬草取引を『軍事物資の横流し』に見せかけようとしました。証拠第16号が改竄された帳簿の原本、第17号が原本のコピー、第18号が改竄箇所の比較対照表です」
エリーゼは帳簿を広げた。
「改竄は、インクの成分の違いと筆跡の不一致により発見しました。証拠第19号がインク分析の記録、第20号が筆跡鑑定書です。改竄者は左利きであり、元の記帳者——私——は右利きです」
ルナリアの顔から、血の気が引いていた。
「間者は国境で確保され、自白しました。証拠第21号が自白調書です」
エリーゼは一拍置いた。
広間を見渡した。
「自白によると、間者への指示者は——宰相グラーフ殿」
傍聴席の一角で、白髪の壮年が立ち上がりかけた。宰相グラーフ。顔面蒼白。
「そして、首謀者は——聖女ルナリア殿です」
広間が騒然とした。
「証拠第22号が、間者の所持品から発見されたグラーフ宰相の署名入り密書です。第23号が、ルナリア殿の名前が記された指示書の写しです」
ルナリアが叫んだ。
「嘘です! そんなものは——捏造です!」
「捏造かどうかは、筆跡鑑定で証明できます。証拠第24号をご確認ください。密書の筆跡とグラーフ宰相の公式文書の筆跡の対照結果です。一致しています」
グラーフが崩れるように椅子に座り直した。
「証拠第25号から第40号は、讒言の流布経路と、聖女ルナリアの周辺から発信された噂の記録です。バルトハイムの商人と王都の貴族から聞き取った証言を、時系列で整理しました」
エリーゼは目録の後半を示した。
「証拠第41号から第73号は、エルデ領の行政実績を示す書類です。決算報告書、税収推移、人口動態、インフラ整備の記録。辺境の荒れ地を半年で大陸有数の交易拠点に育てた過程の、全記録です」
エリーゼは証拠書類の最後の一枚を机に置いた。
「本件の真の首謀者は、聖女ルナリアと宰相グラーフです。証拠は全73点。目録をお配りしました」
広間が、静まり返った。
審問官が証拠に目を通している。ページをめくる音だけが響く。
長い沈黙の後、審問官が顔を上げた。
「……被審問者の証拠は、極めて精緻である。告発者側に反論はあるか」
ルナリアが口を開きかけた。閉じた。開きかけた。
何も出てこなかった。
グラーフが立ち上がった。
「待ちたまえ。この証拠は——隣国の協力のもとに収集されたものだ。つまり、被審問者は隣国と結託して証拠を捏造した可能性が——」
「証拠第25号をご確認ください」
エリーゼが遮った。声は一段も上がらない。
「間者の確保は、クラウゼン公国の領内で行われました。これは国際法上、自国の領内における犯罪者の逮捕であり、我が国への介入には当たりません。また、間者の自白は我が国の法務官立ち会いのもとで記録されたものです。証拠第26号に立会人の署名がございます」
グラーフの口が開いたまま閉じなかった。
「なお、グラーフ宰相殿。密書に使用された紙は宰相府の公用紙であり、透かし模様が一致します。証拠第27号をご参照ください。これも捏造とおっしゃいますか?」
グラーフは——もう、目を伏せていた。
傍聴席のざわめきが変わっていた。
半年前の大広間では、エリーゼに向けられたのは哀れみと嘲笑だった。
今——傍聴席の視線は、ルナリアとグラーフに向いている。
あの夜と、立場が逆転していた。
貴族の一人が隣に囁いた。声が聞こえた。
「47条の法令引用に、73点の物的証拠……。これは勝負にすらなっていない」
エリーゼは聞こえないふりをした。聞く必要はない。書類が全てを語っている。
その時。傍聴席から、声がした。
「エリーゼ」
金髪碧眼。白い軍装。第二王子リヒト。
立ち上がって、エリーゼを見ていた。
「お前がここまで——」
驚愕の顔だった。半年前に「お前はもう不要だ」と言った男が、今——追放した女の力に、打ちのめされている。
エリーゼはリヒトを見た。
怒りはない。憎しみもない。あるのは——静かな事実確認だけだ。
「殿下。ついでに申し上げますが、婚約破棄の書類にも不備がございます」
「書類?」
「婚約破棄の正式な手続きが、まだ完了していません。半年前の大広間で申し上げた通り、口頭での破棄には法的拘束力がございません。慰謝料の条項も空欄のままです」
広間が、ざわめいた。
「先にそちらを片付けましょうか? 私の方で書式を用意することもできますが」
リヒトの顔が歪んだ。
エリーゼは——笑わなかった。勝ち誇りもしなかった。
ただ、事実を述べた。事務処理を提案した。
半年前と——何も変わっていない。
泣かない。怒らない。事務処理で返す。
それがエリーゼ・ヴァイスフェルトだ。
最初から——ずっと。




