22話 王都から召喚状が届きました
召喚状は、赤い封蝋で届いた。
王家の紋章ではない。審問院の紋章だ。
エリーゼは封を切った。手は震えなかった。
『エルデ領領主 エリーゼ・ヴァイスフェルト殿
貴殿に対し、隣国クラウゼン公国との通敵の嫌疑に関する審問を実施する。下記の期日までに王都審問廷へ出頭されたい。
なお、正当な理由なく出頭を拒否した場合、領地の没収及び身柄の拘束を行う。
レヴァイン王国審問院』
期日は——10日後。
エリーゼは召喚状を机に置いて、深く息を吐いた。
(来た。ついに来た)
間者を捕まえたことで、向こうも後がなくなったのだろう。噂と帳簿の改竄で失敗した以上、次は国家権力で直接叩きに来た。
審問。通敵の嫌疑。
有罪になれば——領地没収。最悪、投獄。
「ねえちゃん……」
フィンが召喚状を覗き込んで、顔が青くなった。
「大丈夫よ」
「大丈夫って——これ、裁判でしょ?」
「審問よ。裁判とは少し違う。でも——やることは同じ。証拠で戦う」
エリーゼは椅子に座り直した。
頭を切り替える。感情を切り離す。
(まず、法的な整理。通敵の嫌疑に対して、何を立証すればいいか)
第一に、通商協定の合法性。これは第12話の反論書で既に証明済みだ。王令第15条。辺境領の通商裁量権。先例3件。
第二に、間者の証拠。自白調書、改竄された帳簿の原本、筆跡鑑定書、密書の写し。これも整理済み。
第三に——逆告発。聖女ルナリアと宰相グラーフが讒言の首謀者であることを、審問の場で立証する。守るだけではない。攻める。
(証拠は73点。全て揃っている。準備は——できている)
マルグリットが入ってきた。
「聞いたよ。王都に行くのかい」
「はい。出頭します」
「一人で?」
「一人で」
マルグリットが唇を噛んだ。
「……あんたを追い出した連中の前に、また立つのかい」
「今度は追い出されるためじゃありません。追い出した連中を、追い出すために行きます」
マルグリットが目を見開いた。それから——笑った。
「あんたは、本当に——大した女だよ」
ヴォルフに書簡を送った。
返事は来なかった。
本人が来た。
馬を降りるなり、領主館に入ってきた。クルトが後ろにいるが、珍しく笑っていない。
「召喚状を見せろ」
エリーゼが差し出した。ヴォルフが読んだ。
紙を握る手に、力が入っている。羊皮紙が軋んだ。
「……俺も行く」
「だめです」
即答した。
「閣下が同行されると、通敵の証拠にされます。『隣国の将軍が審問に介入した』——そう使われます」
「わかっている。だが——」
「わかっているなら、来ないでください」
ヴォルフの拳が白くなった。
エリーゼはその拳を見ていた。この人の怒りは、いつも拳に出る。声ではなく、手に。
「閣下」
エリーゼはヴォルフの目を見た。
「大丈夫です。書類で勝ちます。それが私の戦い方ですから」
「…………」
「前にも言いましたよね。ペンは剣より強いと」
「お前の書類が武器なのは知っている。だが——審問廷は戦場だ。書類だけでは——」
「書類だけで十分です」
静かな声だった。
ヴォルフが黙った。
この人は——わかっている。エリーゼを止められないことを。止める権利がないことを。
エリーゼの戦いは、エリーゼのものだ。
でも——それでも。
出発は3日後と決めた。
王都まで馬車で5日。到着後、審問までの2日で最終準備を行う。
3日間で、エリーゼは証拠書類の最終確認を行った。
間者の自白調書。改竄された帳簿の原本とコピー。筆跡鑑定書。インク分析の記録。宰相グラーフの署名入り密書。聖女ルナリアの名前が記された指示書。通商協定の合法性を示す法令引用集。エルデ領の決算報告書。
全73点。目録を作成し、一つ一つに番号を振った。
フィンが手伝ってくれた。書類の複写。証拠の整理。目録の確認。
「ねえちゃん」
「なに」
「絶対勝ってね」
「勝つわ」
「約束だよ」
「約束する。——フィン、留守の間、帳簿をよろしくね」
「任せろ。ねえちゃんの帳簿は、俺が守る」
マルグリットが弁当を用意してくれた。5日分の旅の食料。黒パンと干し肉とチーズ。
「体に気をつけなよ。倒れるんじゃないよ」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃなかったことが最近あっただろう」
「……気をつけます」
ハンコが足元にすり寄ってきた。にゃあ、と鳴いた。
「行ってくるね、ハンコ。いい子にしてるのよ」
にゃあ。
(……その鳴き方は「お土産よろしく」に聞こえるんだけど)
出発の前夜。
レオン隊長が報告に来た。
「令嬢。護衛の編成ですが——部下全員が同行を志願しています」
「全員? 8人全員?」
「はい。帳簿の授業のお礼がしたいと。……ヤンセンに至っては、薬草の収穫が途中なので戻ってきてほしいと申しております」
エリーゼは少し笑った。あの護衛兵たちは、いつの間にかエルデ領の一部になっていた。
「2名で十分です。残りは村を守ってください」
「了解であります。……令嬢」
「はい」
「必ず、お戻りください。閣下も——我々も、お待ちしています」
レオンが敬礼した。真っ直ぐな敬礼だった。
出発の朝。
驚いた。
領主館の前に、村人たちが集まっていた。
大工の親父。薬草の収穫を手伝っている婦人たち。学校の子どもたち。この半年で移住してきた家族たち。
誰も声をかけなかった。ただ、並んで立っていた。
マルグリットが代表して、一歩前に出た。
「あんたの村だよ。あんたが作った村だ。——待ってるからね」
エリーゼは頭を下げた。
深く。
顔を上げたとき——馬車の向こうに、ヴォルフが立っていた。
昨日の夜から、ずっとここにいたとクルトが言った。
「閣下、お体に——」
「見送りだ。これくらいは許せ」
エリーゼは馬車の前で、ヴォルフと向き合った。
護衛のレオン隊長と兵士2名が同行する。国境までは護衛をつけられるが、レヴァイン王国に入ってからは——エリーゼ一人だ。
「証拠書類は全て持った。審問の想定問答も作成済み。法的根拠に不備はありません」
「ああ」
「通商協定の原本の写しも持参しています。あと、閣下にいただいた書簡の——」
「エリーゼ」
ヴォルフが遮った。
低い声。震えてはいない。でも——硬い。何かを必死に抑えている声。
「必ず戻れ」
エリーゼは微笑んだ。少し意地悪な気持ちが湧いた。
「……それは命令ですか?」
「……命令だ」
「命令の法的根拠は?」
ヴォルフが口を開いた。閉じた。また開いた。
業務の建前を探しているのだ。いつもならここで「国境地帯の安全保障上」とか「通商協定の継続のため」とか、何かしらの理由を用意する。
でも——出てこなかった。
出てこなかったのではない。出す気がなくなったのだ。
「俺の心臓だ」
法的根拠は、俺の心臓だと。
この人は——この人は、ついに。
建前を、全部捨てた。
業務でも、効率化でも、安全保障でもない。俺の心臓が、お前に戻ってこいと言っている。
エリーゼの目が潤んだ。
泣きたくない。泣いたら——もう行けなくなる。この人の腕の中に飛び込んで、行きたくないと言ってしまいそうだ。
でも——行かなければならない。
この人が守りたいと言ってくれた場所を。この人が心臓を根拠に戻れと言ってくれた場所を。自分の力で、守らなければ。
「…………受理します」
声が震えた。初めて。エリーゼの声が。
「その命令、受理します。必ず——戻ります」
ヴォルフが手を伸ばした。
エリーゼの手を取った。
握った。強く。でも——痛くないように。
初めての、意図的な接触。
事故対応でも、書類の受け渡しでもない。この人が、自分の意志で、エリーゼの手を握った。
大きな手だった。温かかった。震えていた。
エリーゼは握り返した。今度は——力を込めて。
「閣下」
「何だ」
「帰ったら——ちゃんと話しましょう。猫のいないところで」
ヴォルフの目が見開かれた。
それから——耳が赤くなった。
「……ああ」
手が、離れた。
エリーゼは馬車に乗り込んだ。
扉が閉まる。馬車が動き出す。
窓から後ろを見た。
ヴォルフが立っていた。銀色の髪が朝日に光っている。
動かない。ずっと立っている。馬車が見えなくなるまで——ずっと。
エリーゼは前を向いた。
膝の上に、73点の証拠書類が入った鞄がある。
重い。でも——心強い。
この書類が、私の剣だ。
そしてあの人の心臓が、私の盾だ。
王都へ。
決着をつけに。




