18話 閣下の誕生日祝いの品について、予算を検討します
その情報は、クルトからの手紙で得た。
『来週の水曜日は閣下の誕生日です。ご本人は何も言わないと思いますので、お知らせしておきます。なお、閣下は甘い物が好きですが、人前では絶対に食べません。ご参考までに。——クルト』
エリーゼは手紙を三度読んだ。
一度目で情報を把握し、二度目で計画を立て始め、三度目で——途方に暮れた。
誕生日の贈り物。
贈り物だ。
業務ではない。通商協定でもない。報告書でもない。純粋に、個人的な贈り物。
エリーゼ・ヴァイスフェルトは、前世を含めて、誰かに個人的な贈り物をした記憶がほとんどなかった。
前世の職場では義理チョコを配った。全員に同じものを。選定基準は「最寄りのコンビニで買える500円以内の品」。そこに感情は一切なかった。
今回は——そうはいかない。
翌朝。エリーゼは羊皮紙を広げた。
表を作った。
『誕生日贈呈品 検討一覧表』
列:品目名 / 推定価格 / 入手難易度 / 閣下の嗜好との適合度 / 業務上の正当化理由
「……ねえちゃん、何やってるの」
フィンが後ろから覗き込んだ。
「贈り物の選定です」
「……一覧表で?」
「比較検討しないと最適な選択ができないでしょう」
「好きな人の誕生日に一覧表って……」
「好きな人の、ではありません。業務上の感謝として適切な品を——」
「はいはい」
フィンが諦めた顔をした。もう何も言わないことにしたらしい。
一覧表を埋めていく。
候補1:高級ワイン。推定価格:銀貨30枚。適合度:不明(飲酒の好みを知らない)。業務正当化:通商協定の祝い酒として。
候補2:軍用の短剣。推定価格:銀貨100枚。適合度:高い(武人だから)。業務正当化:国境警備の備品として。
候補3:書物。推定価格:銀貨10〜50枚。適合度:やや高い(最近書類を読むようになった)。業務正当化:決裁業務の参考資料として。
候補4:手作りの菓子。推定価格:材料費のみ。適合度:高い(甘い物が好き)。業務正当化:不可能。
候補5:手書きの感謝状。推定価格:紙代のみ。適合度:???。業務正当化:業務遂行への感謝は公式な行為である。
エリーゼはペンを置いて、一覧表を睨んだ。
どれも——違う気がする。
「マルグリットさん」
「なんだい」
「……贈り物って、どう選ぶんですか」
マルグリットが目を丸くした。それから、椅子を引いてエリーゼの隣に座った。
「あんた、本気で聞いてるの?」
「本気です」
「一覧表で選ぶもんじゃないよ。相手のことを考えて、自分がしたいことをするんだ」
「自分がしたいこと……」
「あんたが、あの将軍にしてあげたいことは何だい?」
エリーゼは黙った。
しばらく黙って——答えた。
「……ありがとう、って伝えたいです」
「うん」
「帳簿を見てくれと頼んでくれたこと。護衛を送ってくれたこと。花をくれたこと。コートをくれたこと。報告書を全ページ読んでくれたこと。隣で一緒に仕事をしてくれたこと。全部に、ありがとうって」
マルグリットが微笑んだ。
「じゃあ、それを伝えればいい」
「でも、それだけでは贈り物として——」
「十分だよ。あんたからの『ありがとう』は、どんな高級品より価値がある。あの将軍なら、絶対にそう思う」
エリーゼは一覧表を見た。
それから、くしゃくしゃに丸めた。
ハンコが飛びかかった。おもちゃだと思ったらしい。二度目だ。
「……ハンコ、それは私の迷いの残骸です」
結局、二つ用意した。
ひとつは——手書きの感謝状。
これが、難しかった。
感謝状の書式は知っている。宰相府で何十通と書いた。文面も、体裁も、手が覚えている。
問題は——何を書くか、だ。
最初の草稿を書いた。破った。二枚目。破った。三枚目。破った。
ハンコが破かれた紙の山に埋もれて遊んでいる。
「ねえちゃん、何枚目?」
「……七枚目」
「感謝状で七回書き直すの、初めて見たよ」
公式の感謝状なら、5分で書ける。定型文を流し込むだけだ。
でも——定型文では、伝わらない。
「この半年間、ありがとうございました」と書きたい。でもそれは私的すぎる。
「閣下の国境地帯における貢献に感謝します」では、他人行儀すぎる。
この人に宛てる手紙を、公文書と私信の間のどこに着地させればいいのか——それが、わからない。
八枚目。
宰相府仕込みの正式な書体で、最高品質の羊皮紙に、金のインクで書いた。
『クラウゼン公国軍将軍 ヴォルフガング・ゼルスト殿
閣下の国境地帯における安全保障上の貢献に対し、深く感謝申し上げます。
また、エルデ領の発展にあたり賜りました数々のご助力に、重ねて御礼を申し上げます。
末筆ながら、閣下の益々のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
エルデ領領主 エリーゼ・ヴァイスフェルト』
結局、公式の形式に落ち着いた。
七枚破った末に辿り着いたのが定型文というのは、我ながら不器用だと思う。
でも——一文字一文字に、今の自分の全てを込めた。書体の一画一画に、感謝を載せた。
この書体を美しいと言ってくれた人だから。この人になら——伝わる。
そう、信じたかった。
——でも、これだけでは足りない気がした。
だからもうひとつ。
手作りのクッキーを焼いた。
「ねえちゃん、やめた方が——」
「大丈夫よ。レシピ通りに作れば——」
「ねえちゃんの『レシピ通り』は、前回塩と砂糖を間違えたよね」
「今回は間違えません。ちゃんとラベルを貼りました」
3時間後。
出来上がったクッキーは——控えめに言って、岩だった。
形は不揃い。色はまだら。一枚試食したマルグリットが、真顔で水を飲んだ。
「……あんた、レシピのどこを間違えたんだい」
「間違えていません。全てレシピ通りです」
「レシピが間違ってるのか、あんたの手が呪われてるのか……」
フィンが一枚齧って、無言で吐き出した。
「ねえちゃん、これを将軍に出すの? 暗殺未遂になるよ?」
「……そこまでひどくないでしょう」
「ひどいよ」
でも——捨てられなかった。
下手でも。不格好でも。自分の手で作ったものを、渡したかった。
(マルグリットさんが言っていた。自分がしたいことをする、って。私は——この人に、自分の手で何かをしたい。それがたとえ、壊滅的な出来のクッキーでも)
小さな箱にクッキーを詰めて、感謝状と一緒に包んだ。
箱の隅に、小さなメモを添えた。
『お口に合わなければ、遠慮なく処分してください。——エリーゼ』
処分してほしくはないけれど。本音を言えば。
誕生日の当日。ヴォルフが砦にいる時間を狙って、贈り物を届けた。
手渡しではない。そんな度胸はなかった。クルトに託した。
1時間後。クルトから報告が来た。
「閣下、感謝状を黙読された後、長い沈黙がありました。それから、こう仰いました」
「何と」
「『……これは一生持っておく』と」
エリーゼの心臓が跳ねた。
「クッキーについては?」
「全部召し上がりました」
「全部? あれを全部?」
「はい。一枚目を口に入れた瞬間、かなり厳しい表情をされましたが……全部、食べました。一枚も残しませんでした」
「……味は、やはり」
「私も一枚いただきましたが、正直に申しますと——」
「言わなくていいです」
「——閣下は『悪くない』と仰っていました」
悪くない。
この人の最高の褒め言葉。
「……あの味で『悪くない』は、お世辞にも程がありますね」
「お世辞を言えない方だということは、令嬢がよくご存じでしょう」
その通りだった。
ヴォルフはお世辞を言えない。ということは——本当に食べたのだ。壊滅的な味のクッキーを、一枚も残さずに。
(……どうしてこの人は、こういうことをするんだろう。こういうことをされたら——)
夕方。ヴォルフから書簡が届いた。
『エリーゼへ
感謝状を受領した。これは公文書ではない。お前からの手紙だ。生涯、手元に置く。
また、菓子は全て食べた。お前の手で作ったものだと聞いた。
味については——次は、俺にも手伝わせてくれ。
ヴォルフガング・ゼルスト』
「次は俺にも手伝わせてくれ」。
一緒に菓子を作りたいと言っている。
将軍が。「北の鉄壁」が。一緒にクッキーを焼きたいと。
エリーゼは書簡を胸に当てた。
そのまま、しばらく動けなかった。
泣いてはいない。泣いたらインクが滲むから——ではなく、泣く必要がなかった。
ただ——幸せだった。
こんなに幸せだと思ったのは、二つの人生を合わせても、初めてだった。




