表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元宰相府の事務官令嬢、追放先で無双する ~将軍閣下、決裁書類ではなく婚姻届を持ってこないでください~  作者: 一条信輝


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/32

16話 将軍閣下の護衛が24時間体制になりました──過剰です

 朝靄の中を、騎馬の一隊がエルデ領に入ってきた。


 先頭の騎士が掲げる旗には、獅子と剣の紋章。クラウゼン公国軍。


 村人たちが不安そうに窓から覗く。商人が足を止める。子どもたちが指をさす。


「ねえちゃん、兵隊が来た。8人いる」


 フィンが息を切らせて領主館に飛び込んできた。


 エリーゼは机から立ち上がった。兵隊。8人。事前通告なし。


 嫌な予感がした——が、旗の紋章を確認して少し安堵した。クラウゼン軍だ。敵ではない。


 外に出ると、騎士たちが整列していた。鎧が朝日を反射して眩しい。


 先頭の騎士が馬を降り、片膝をついた。


「エリーゼ・ヴァイスフェルト殿。ヴォルフガング・ゼルスト将軍閣下の命により、貴殿の護衛任務に就きます。隊長のレオンと申します」


 護衛。


「……護衛?」


「はい。24時間体制で、貴殿の安全を確保せよとの命令です」


「24時間?」


「はい。交代制で昼夜を問わず——」


「少々お待ちください」


 エリーゼはレオンを制して、領主館に戻った。机の上にヴォルフからの書簡が置いてあった。今朝届いたもので、まだ開封していなかった。


 封を切る。


『エリーゼへ


 王都でお前に対する讒言が流れている。「辺境の令嬢が隣国と通じている」という噂だ。発信源はまだ特定できていないが、聖女ルナリアの周辺から出ている可能性が高い。


 噂だけなら放置できる。だが、噂が行動に変わる前に手を打つ。護衛を送った。受け入れてくれ。


 これは業務上の判断ではない。


 ヴォルフガング・ゼルスト』


 最後の一行を、二度読んだ。


 「これは業務上の判断ではない。」


 この人が「業務ではない」と明記するのは——初めてだった。


 いつもは「国境地帯の安全保障」だの「投資」だの、業務の建前を用意する人だ。それが今回は、建前を一切省いた。


 (……それだけ、切迫しているということか。あるいは——もう、建前を使う余裕がないほど、心配しているということか)


 外に出た。レオン隊長が直立不動で待っている。


「護衛の件、承知しました。ただし、条件があります」


「条件、でありますか」


「まず、村人を怯えさせないでください。武装は最小限。巡回は目立たない形で。この村は武力に慣れていません」


「了解しました」


「次に、私の業務を妨げないでください。執務室の中には入らないで。書類は機密です」


「……将軍閣下から、『令嬢の業務を妨げたら俺が斬る』と言われております」


「……そうですか」


 (閣下、過保護すぎます)


 護衛兵たちが配置についた。領主館の周囲に2名。村の入り口に2名。巡回に4名。確かに24時間体制だ。


 マルグリットが横に来た。


「大事おおごとだねぇ。何があったんだい」


「王都で私に対する讒言が流れているそうです。隣国と通じているという噂」


「通じてるって……あんたが将軍さんと仲がいいのは、通商協定の——」


「ええ。正当な外交関係です。でも、悪意を持って歪めれば『通敵』になる」


 マルグリットの表情が険しくなった。


「……あの王都の連中、まだ懲りないのかい」


「懲りないでしょうね。前回は書面で勝ちましたが、今度は噂という形のない攻撃で来た。書面では戦いにくい」


「どうするの」


「まず情報を集めます。噂の内容、広がり方、発信源。対策はそれからです」


 エリーゼの目が鋭くなっていた。書類を前にしたときの目——いや、それ以上に冷たい目。


 大切なものを守るときの、目だった。



 護衛兵がいる生活は、想像以上にやりにくかった。


 市場に行けば後ろに兵士がついてくる。畑を視察すれば横に兵士が並ぶ。薬草の乾燥小屋を確認すれば、入り口で兵士が直立不動で待っている。


「……少し、距離を取ってもらえますか」


「申し訳ありません。閣下の命令で、10歩以上離れるなと」


「10歩」


「はい。10歩であります」


 (10歩。なぜ10歩。その数字の根拠は何ですか閣下)


 夜間の巡回も徹底していた。深夜に目が覚めて窓を見ると、月明かりの中で兵士が立っている。交代は6時間ごと。


「レオン隊長、兵士たちの休息は十分ですか。睡眠不足は業務効率を下げます」


「ご心配なく。将軍閣下直属の精鋭です。3日寝なくても戦えます」


「3日寝ないのは労働基準法に——いえ。ちゃんと休ませてください」


「労働基準法とは?」


「……忘れてください。とにかく、適切な休息を取らせること。これは領主としての要請です」


 レオンが困惑した顔をした。この人は根が真面目で、将軍の命令と領主の要請の板挟みになるタイプだ。


「あと、食事は領主館で一緒に取ってください。マルグリットさんが多めに作ってくれていますから」


「よろしいのですか」


「護衛していただく以上、飢えさせるわけにはいきません。それに、村人と食事を共にすれば、お互いの警戒心も解けます」


 レオンが目を瞬いた。それから、不器用に頭を下げた。


「……閣下が貴殿を守れとおっしゃった理由が、わかる気がします」


「何がですか?」


「いえ。独り言であります」


 フィンが笑っていた。


「ねえちゃん、すごいね。将軍の精鋭がねえちゃん専属って」


「笑い事じゃないの。これじゃ仕事がしにくくて——」


「でもさ、守ってもらえるのは悪いことじゃないだろ?」


「……それは、そうだけど」


「ねえちゃんが素直に『そうだけど』って言うの、初めて聞いた」


「帳——」


「帳簿の練習でしょ。もう行ってるよ」


 フィンが笑いながら走っていった。いつの間にか、この少年はエリーゼの言葉を先読みできるようになっている。


 その日の夕方。ヴォルフ本人が来た。


 護衛の配置確認、という名目。でもエリーゼにはわかっていた。自分の目で確かめたかったのだ。


「過剰な警備は領民を不安にさせます」


「必要な措置だ」


「8人は多すぎます。4人で十分です」


「足りない」


「閣下——」


「お前が危険に晒されることは許容できない」


 エリーゼは言い返そうとした。業務上の判断として、4人が適正であると。コスト面でも、村人の心理面でも。


 でも——ヴォルフの目を見て、言葉が止まった。


 怒りではない。焦りでもない。


 恐れだ。


 この人は、怖がっている。エリーゼに何かが起きることを。


 「北の鉄壁」と呼ばれる男が、戦場で千の敵を前にしても揺るがない男が——たった一人の女のことで、恐れている。


「……業務上の判断ですか?」


 聞いた。聞かずにいられなかった。


「違う」


 即答だった。


「個人的な感情だ」


 二度目。ヴォルフが「個人的」と言い切った。


 前回は「お前個人として守りたい」と言って、直後に「忘れろ」と撤回した。


 今回は——撤回しなかった。


 エリーゼの心臓が跳ねた。


「閣下……」


「8人は減らさない。これだけは譲れない」


 エリーゼは黙って、ヴォルフの目を見た。


 碧い目の奥にある恐れ。この感情を、数字では測れない。書類では処理できない。


 ——だから、受け取るしかない。


「…………わかりました。8人、受け入れます」


 ヴォルフの肩から力が抜けた。


「ただし」


 肩が戻った。


「条件があります」


「……条件?」


「護衛兵全員に、帳簿のつけ方を教えます。巡回以外の時間は識字教育に参加してもらいます。人手を遊ばせるのは行政の怠慢です」


「…………」


「あと、薬草の収穫も手伝ってもらいます。体力のある方が8人もいるのに、護衛だけでは資源の無駄遣いです」


「……お前は、護衛兵を行政職員にする気か」


「使える人手は全て使います。閣下の精鋭なら、帳簿も薬草も3日で覚えるでしょう」


 ヴォルフが絶句した。


 それから——口元が動いた。笑いを堪えている。堪えきれていない。


「……好きにしろ」


「ありがとうございます。では明日から、レオン隊長には複式簿記の研修を行います」


「レオンが泣くぞ」


「泣いても覚えていただきます」


 譲った。


 エリーゼ・ヴァイスフェルトが、交渉で譲った。通商協定で1%の関税率も譲らなかった女が、この男の前では——譲った。


 ただし、譲った上で自分の条件を通すあたりが、この女だった。


 クルトがいたら記念日に指定するだろう。


 そのとき、ハンコが現れた。


 三毛猫は、いつものようにまっすぐヴォルフに向かった。


 今日は足元に擦り寄るだけでは終わらなかった。


 ヴォルフの膝に——飛び乗った。


「……っ」


 くしゃみ。


「ハンコ、降りて。閣下がアレルギーで——」


「いい」


「よくありません。目が充血して——」


「この猫は、お前の家族だろう」


 ヴォルフが赤い目のまま、ハンコを見下ろした。


「なら俺も慣れる」


 エリーゼの心が、ぎゅっと掴まれた。


 この人は——アレルギーで涙を流しながら、エリーゼの猫を受け入れようとしている。


 「お前の家族だから」。


 その一言に込められた意味を、エリーゼは正確に理解した。


 お前の大切なものは、俺も大切にする。


 そう言っているのだ。言葉にはしないけれど。


「……閣下」


「何だ」


「ハンコは、人を見る目があるんです。この子が懐く人は——信頼できる人だって、私は思ってます」


 ヴォルフの手が、そっとハンコの背中に触れた。くしゃみをしながら、撫でた。


 ハンコがごろごろと喉を鳴らした。


 エリーゼは、その光景を目に焼き付けた。


 涙目の将軍と、喉を鳴らす三毛猫。


 世界で一番不器用で、世界で一番優しい人。


 (——守らなきゃ。この人のことも、この村のことも、全部。讒言ごときで壊させてたまるか)


 エリーゼは立ち上がった。


「閣下、護衛の件は了承しました。その上で、私からも提案があります」


「何だ」


「讒言への対策を、攻めの姿勢で行います。噂の出所を突き止め、証拠を押さえて、こちらから叩く。守るだけでは、この手の攻撃は止まりません」


 ヴォルフが顔を上げた。膝の上にはまだハンコがいる。赤い目。でも——その奥に、見慣れた光がある。


 信頼の目だ。


「……お前の書類は武器だったな」


「はい。今度は、盾ではなく矛として使います」


 エリーゼは執務室に向かった。


 ペンを取る。羊皮紙を広げる。


 書くべき書類は山ほどある。情報収集の依頼書。バルトハイムの商人への聞き取り項目。王都の法令集の取り寄せ申請。


 守りの書類ではない。攻めの書類だ。


 背中に、8人の護衛兵の気配を感じながら——エリーゼは、ペンを走らせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ