7.未来はきっと明るい
あのあと何度か熱がぶり返して夢現に肌を重ねたけれど、急な発情期は一日で終わった。
リラがもりもりご飯を食べながら疑問を口にすると、ヴァールハイトは父に聞いたという話を教えてくれた。番になっていない運命同士が出会うと、発情期を誘発することがあるらしい。
リラが王宮でヴァールハイトにずっとくっついていたおかげで、別れるとき父から「遠からずリラに発情期が来るかもしれない」と事前に伝えられていたようだ。
「だから昨日あんなに来るの早かったんだ……」
「リラと番になるのを分かっていたんだろうな。呼ばれてここへ来たとき、悔しそうにハンカチを噛んでいたぞ」
「そうなの……? 早く僕に番ができてほしかったんだと思ってた」
「それとこれとは別だろ。昨日だってずっと睨まれてたし……とても愛されてるな、リラは」
「……そっか」
つねづね過保護だとは感じていたけど、他人からそう評されるのはくすぐったい。アインス国王様も家族とは一歩引いた関係のようだし、ヴァールハイトのところも帝権争いが激しくて家族とはそこまで仲が良くないという。
リラは父からこれだけ愛されている事実を、もっと素直に受け取ってみてもいいかもしれない。
食事を終えたとき、ヴァールハイトはリラに薬を差し出した。見たことのない丸薬は発情抑制薬とも違うし、なんだろう?
「用意してもらった避妊薬だ。飲んでおけ」
「……いいの?」
ヴァールハイトとの子どもは欲しいと思うけど、まだ心の準備ができていない。
でも国同士の友好のために結婚するていなのだから、リラの仕事は子作りじゃないかと思うのだ。だって……オメガだし。
「すぐにでも子が欲しいというなら止めないが……もしできたら、国の移動も身体に負担だと思うぞ?」
「そ、そうだね。向こうに行ってからがいいよね!」
「リラ……急がなくてもいいんじゃないか。俺の国は広いし、あちこち見せてやりたい景色がある。今まであまり遠くへ出かけたこともないだろ」
リラはぱちくりと目を瞬く。これは、もしかして……すぐに生まなくてもいいって伝えようとしてくれてる?
ヴァールハイトがそれでいいのならと心が軽くなって、つい、リラは俯き気味に本音を吐露してしまった。
「僕……じつは怖い……。母様がそれで亡くなったようなものだし……」
「……俺もだ」
え?
予想外の反応にパッと顔を上げると、彼の目が躊躇いに揺れているのを目撃する。それは、奴隷商でリラと別れるときに彼が見せた表情に似ていた。
ヴァールハイトの母親は男性のオメガだったが、二人目の子である妹を生んだ直後に亡くなったという。それはまだ甘えたい盛りだった彼にとって相当な衝撃で、出産に対する恐怖が植え付けられてしまった。
ガリア帝国の医療技術は大陸でも最高峰だというものの、出産が命がけであることには変わりない。しかも出会った運命は華奢な男だ。
ヴァールハイトは、リラに生んでもらうのが怖い、と正直に告げた。
まだ出会ったばかりで、この先の未来はどうなるかわからないのに……未来の皇帝で戦闘の腕も並外れているという人が、リラを失うのが怖いと言って目を伏せている。
素直な感情をぶつけられて、心臓をぎゅっと掴まれたみたいに切なくなった。リラは食卓を挟んで向かい側にトトトっと歩き、座っているヴァールハイトを両腕で抱き締める。
「ゆっくり……焦らず考えよう? 僕はこう見えて健康だし、お互いに怖くなくなって欲しいと思ったときに元気な子を生めると思う!」
程度はあれど、怖くない人なんていない気もする。それを乗り越える何かが、お互いの中に生まれる日が来るのかもしれない。
そんなことを考えていると、ヴァールハイトは笑った。
「ふはっ、前向きだな。俺は今のところ一生リラとふたりきりでもいい」
……それはそれで魅力的だ。
リラとヴァールハイトは出会ったばかりの運命で、ようやく恋を実らせ番になった。ヴァールハイトはこれから皇帝になるかもしれないし、リラが嫌と言えばならないかもしれない。一生ふたりでいいと考えるかもしれないし、子どもがほしいと思ったって授かれるかもわからない。
未来予想図はまだはっきりと描けないけれど、見えない絆で結ばれた僕たちが離れることはないと断言できる。ふたりでいれば、未来はきっと明るい。
◇
「り、リラ……それ、焦げてない?」
「そう? だってあんなにふにゃふにゃした生地、ちゃんと焼かないと不安にならない?」
厨房に立つリラを応援に来た父は、口元を引きつらせてかまどの中を見つめている。
リラが丸めた白パンの生地は赤く踊る火に囲まれて、ぷっくりと膨らんで……見えるような見えないような。
外では庭師が「この煙も見るのが最後だと思うと感慨深……ごほっごほ!」などと咳き込んでいることを知る由もなく、リラは旅路に向けたパンを焼いている。
厨房にまで焦げ臭さが充満してきたころで、リラは料理長にお願いしてパンを取り出してもらった。危ないので火とは一定の距離を置くのがリラに決められたルールだ。
「リラ様〜。そろそろ着替えないと、お迎え来ちゃいますよ?」
「ほんとだ! 父様、それ味見していいからね!」
「あ……ありがとうリラちゃん……」
ザインに呼ばれて、リラは急いで厨房を出た。玄関ホールを通って上階の自室へ向かおうとしたとき、何かに気づいてぴた! と足を止める。
「む! 外からいい匂いがする!」
「焦げ臭さしか感じませんが……?」
今日は開け放たれている玄関扉の向こうに、リラは一歩踏み出した。
屋敷の門をくぐって、ひとりの男性が騎馬でこちらに向かってきている。土煙が立つほどすごいスピードだ。
「ヴァル‼︎」
「リラ、なんなんだ? 火事か⁉︎」
ヴァールハイトがさっと馬を飛び降り、殺気立った様子で確認してくる。こちらへ向かってくる途中で屋敷から煙が出ていることに気づき、単騎で駆けてきたらしい。
ザインがぷっと吹き出して笑い、リラは口を窄めて頬を膨らませる。
「パンを焼いてただけ! 持って行こうと思って……」
「あー、あの黒い……。そういえば懐かしい匂いかもしれないな」
「ねぇ、食べた? 美味しかった?」
「……リラ。何事も一生懸命なのはいいが、王宮では厨房に近づかないでくれ」
「んっ」
ポケットから取り出したハンカチで鼻の頭を拭かれ、リラは煤がそこについているらしいと察する。確かに顔に煤をつけた皇后(仮)なんて見苦しいし、リラだって生まれ育った屋敷じゃなかったら厨房にお邪魔して迷惑をかけようとは思わない。
これが最後だろうな……と考えながら、ヴァールハイトの手にあるハンカチを目にしたとき、既視感に声を上げた。
「あれ! それ、僕の……?」
白いハンカチに描かれた菫の花。ザインに「前衛的すぎる」と評されたそれは、間違いなくリラが刺繍したものだ。
「奴隷商でくれただろ? 自分の目を刺繍で描くなんて斬新だな」
「スミレですけど!!」
「……すぐに馬車も追いついてくるから、早く着替えてこい。全身焦げ臭いぞ」
「え!」
それはいけない。なんだか誤魔化された気がしないでもないが、慌てて部屋に戻って簡単に湯を使う。
鏡台の前に座り侍女に髪を拭いてもらっていると、ヴァールハイトが部屋までやってきた。侍女が緊張したように顔を強張らせるが、彼は気にもしない。
自分の容姿に迫力があることに気づいていないのだろうか。背丈があり、立ち姿には――座っているときでさえ――油断なくいつも隙がない。鏡越しにリラを見てくる目は切れ長で、アイスブルーの瞳は冷たそうにも見える。
しかし鏡越しにリラと目が合えば、ふっと目尻が細まる。ときおり見せる柔らかな表情にリラの胸はほわっと温まり、侍女まで淡く頬を染めた。
「……それ、似合ってるな」
「えへへ、贈ってくれてありがとう!」
リラの首元には粗野なネックガードではなく、シルクのチョーカーが巻かれている。番になったあともネックガードを着けていてほしいと周囲に頼まれたので、慣れているリラも言われた通りにしていた。
しかしヴァールハイトが一度国に帰った直後、わざわざ早馬で屋敷にチョーカーが送り届けられたのだ。
黒く艶のある生地の中心に、彼の瞳の色そっくりなアーモンド型のサファイアがぶら下がっている。項に当たる留め具の部分にもふんだんに宝石があしらわれた、珠玉の逸品だ。
身につけると、シルクが軽くて首に優しくフィットする。光を受ければサファイアが星の瞬きのように煌めく。ヴァールハイトの瞳の中を覗いたときのような美しさに、何度見てもうっとりとしてしまう。
いままで着飾ることには無関心だったので、こんなにも綺麗なものを身につけたのは初めてだった。
次の発情期に間に合うよう大急ぎで準備が進められ、ついにリラはガリア帝国へ嫁入りする。不安がないとは言わないが、楽しみな気持ちの方が大きい。
「道中は危険だから俺から離れるなよ。従属に反対するバイエルン王国の国民が、国境付近で野盗化しているらしい」
「えっ……」
「帝国へ入ってからも危険だ。兄弟からの妨害があるかもしれない……というか確実にある」
「ええっ⁉︎」
一気に不安が優勢になったリラの肩を、ヴァールハイトはポンっと気軽な調子で叩いた。
「俺は強いよ? それに、最強の戦闘集団を護衛に連れてきた。どんな障害物も蹴散らして進むさ」
もしかしてリラは、とんでもないところへ向かおうとしているんじゃ……?
髪まで結い終わったところで、両腕をヴァールハイトに向かって伸ばす。すると当たり前のようにリラを抱き上げてくれた。逞しい身体にぎゅっとしがみつき、間近にある精悍な顔に頬を擦りつける。
「ぜったい離れないからね!」
「……ああ」
泣き崩れる父と使用人たちに見送られ、ムキムキの護衛たちに守られた馬車は王都の石畳を滑るように走り出す。
パン忘れた! と騒ぐリラはヴァールハイトに宥められ、そのうち眠くなってきて彼の膝で眠った。久しぶりに会えるのが楽しみで、昨日は眠れなかったのだ。
目を閉じたリラの髪を、大きな手が繰り返し撫でてくれる。
――幸せだ。未来もきっと、運命の番と一緒なら。




