5.どういうことか、説明してください!!
混沌とした場を鎮めたのは、ヴァールハイトのひと言だった。至急近くの部屋が整えられ、先に父は国王様に引きずられながら移動して行った。
リラは鏡台の前に座り、自分で乱れた服や髪を直しはじめた。でも鏡越しにさっきの寝台が見える。王子はとっくに回収されそこには誰もいないけど、今さらながらに手が震えてきてなかなか進まない。
安堵したとたんにこれだ。みんなが待っているから、早くしないといけないのに……
鏡越しにじっとリラを見つめていたヴァールハイトは、椅子ごと動かしてリラを横に向け、正面に膝をついた。突然のことにリラは目を丸くする。
「俺を見ろ」
そう言って、ヴァールハイトはリラの服を整えはじめた。取れたボタンを留めブラウスの襟を整え、鏡台からブラシを取って解いた髪を梳く。
慣れない手つきは優しさに溢れていて、胸の内に安堵が広がってゆく。
疑問だけは胸にしまい、控えめに言っても今日は眩しいほどに格好いいヴァールハイトを見つめた。
上質な生地の使われた衣服は、先ほどまで大立ち回りをしていたとは思えないほど彼にぴたりと合っている。
(奴隷じゃ、なさそうだなぁ……)
リラはまだ混乱のさなかにある。ぼうっとしている間に髪はリボンでひとつに結われた。
「これくらいでいいだろう」
「あ、ありがとう……。じゃ、行こっか。――うわぁ!?」
椅子から立とうとすると、脇の下に手を差し込まれ子どものように持ち上げられた。浮遊感に慌てて首に掴まると、腰の下を支えられそのまま彼が歩きだす。
視線の高さにびっくりしているうちに、父たちが待っている部屋へついてしまった。
「ちょっと、下ろして! 子どもじゃないんだから!」
「……歩けるのか?」
「え? ――あっ」
扉の前でヴァールハイトの肩をポカポカ叩き床に下ろしてもらうと、リラは脚に力が入らずぺたんと座り込んでしまった。
なるほど、腰が抜けていたのか……きみ、よく分かったね?
むうと口を尖らせ、リラは不服ながら腕をヴァールハイトの方へ伸ばす。何も言わなくてももう一度抱き上げてくれたので、昔からこうやっていたかのような自然さで身を預ける。
彼とくっついている方が落ち着くなんて、不思議な感覚だ。
「リラちゃんんっ! この不届き者っ。リラを離せぇ!」
「クランツ、この方は不届き者じゃないから……私たちなんて頭も上がらないから」
部屋に入ったとたん突進してこようとした父を、国王様が宥めている。「だってアインス……」と口を尖らせる父の姿は、家では見たことのないものだった。
息子としてはなぜか、見てはいけないものを見てしまったような後ろめたさもある。
リラはソファに下ろしてもらって、そのすぐ隣にヴァールハイトが座った。まずはとリラが説明を求められ、王宮に来てからの出来事を語る。
王子の奸計と愚行には国王様が頭を抱え、貞操の危機のくだりでは父が「殴ってきていい?」と立ち上がる始末だった。ヴァールハイトは「……半殺しにしておけばよかったか?」と隣で呟いていて、ちょっと怖かった。
結果としてヴァールハイトが守ってくれたから、リラは平気だ。……腰が抜けてたのは内緒にしてくれるかな。
当初リラを案内しようとしていた侍従が父のところへ確認しに行き、仰天したふたりがリラの元へと駆けつけたらしい。
「どうしてヴァールハイトがここに?」
リラはついに本題へと触れた。正面に並んで座る父と国王様に尋ねると、なぜかふたりとも同じ方向へ首を傾げる。仲いいね?
他人に聞かせられない話なのか、国王様は侍従たちに合図して部屋から出してしまった。
「彼はガリア帝国から来た使者だ。紛争を終わらせ、我が国を属国とするための話し合いをしていたんだ。ちなみに、皇帝の第二皇子でいらっしゃる」
「は……? え……第二皇子ぃぃぃ〜〜〜!?」
実は高貴な身分の人なのかな……とは考えていたけど、現実は予想を遥かに超えてきた。
「あのときどうして殿下まで飛び出して、我々より早くリラくんの元にたどり着いたのかが分からないんだ」
「リラ、彼と知り合いなのかい? そもそもどうしてそんなに密着しているんだ。助けてもらったことには感謝するが、もう少し危機感を持ちなさい」
「ちょ、ちょっと待ってください。だって彼は奴隷で……僕の運命なんですよ!?」
「は……? 運命ってあの……? っ同一人物なのか!?」
父はあんぐりと口を開け、今度は国王様が「奴隷ってどういうこと!?」と父の肩をガクガクと揺らしている。情報を出し合えば出し合うほど混沌とする状況に、今度は三人の視線がヴァールハイトに集まった。
どういうことか、説明してください!!
「あー……兄に嵌められた。気づいたらこっちの奴隷商人に拾われていて、そうしたら運命に出会った。だから一旦国に帰って皇太子になって、運命を迎えに来た」
「え……どういうこと?」
ようやく口を開いた彼のあまりにもざっくりとした説明に、リラはさらなる説明を求めた。国王様だけは先に理解したようで仰天している。
ヴァールハイト曰く、ガリア帝国の皇帝には五人の子どもがいるらしい。帝権争いに巻き込まれたくなかった彼は率先して紛争地帯での戦闘に身を投じた。
しかし第一皇子は戦果を上げ続ける弟に危機感を抱き、奸計を巡らしてヴァールハイトをぼろぼろの状態でバイエルン王国の領地に打ち捨てた。
折を見て逃げ出そうとしていた彼は奴隷商でリラと出会い、何度も邂逅するうちに運命だと確信したという。
「ガリア帝国では運命と一緒になったアルファが一番強いとされる。王位継承権をもつ者なら問答無用で皇太子となれるから、なってきた」
「でもでもっ、皇太子になりたくなかったんでしょう?」
「リラを迎え入れるのに一番手っ取り早い方法がこれだったんだ。皇后になりたくないのなら、あとから別のやつに譲ったっていい」
特大の告白にも思える言葉を聞いて、リラの胸は甘く締めつけられた。ヴァールハイトは淡々としているように見えて、実は大きな情熱を内に秘めている。
「リラちゃーんっ。お嫁に……行っちゃうの? パパとなかなか会えなくなるよ!?」
「だって、僕と一緒になるためにここまでしてくれたんだよ! すごい、父様みたい!」
感動に目をキラキラと輝かせながら答えると、パタリ……と父はソファの背もたれに倒れた。しくしく泣いて「ローザ……」と母様の名前を呟いている。
ようやく全てが明らかになり、すっきりとしたリラはなんだか眠くなってきた。会話は国同士の交渉に戻り、三人に任せて目を閉じる。
そもそも聞いちゃいけない内容な気がするし、存在感を消すほかない。ヴァールハイトに身を預けると、柔らかく身体を支えてくれた。
ガリア帝国はわずかな年貢をもらい属国に特権を与えることで周辺国を従属している。国力の差は明らかで、バイエルン王国も紛争で疲弊していた。
和平のきっかけを探っていた国王様は、互いにメリットの多いこの提案を喜んで受け入れることにしたようだ。さらにはリラを娶ることで関係は他国より抜きん出て深く、良好なものとなるだろう。
友好の証に第三王子もいらない? と国王様に訊かれて、ヴァールハイトは断っていた。たとえ人質だとしてもリラも近くにいてほしくないのでほっとした。罰は国王様にお任せします。
話し合いがひと区切りついたところで、残りは明日以降にしようと解散した。リラは断腸の思いでヴァールハイトと別れ、父と自宅へ帰ることにする。
やっと再会できて離れたくない気持ちは強かったものの、すぐに結婚できるはずもない。まずは帝国と協定を結ぶところからだ。
「父様、ヴァールハイトはいつまでこっちにいるの? すぐ帰っちゃう?」
「ああ、今月いっぱいだと聞いている」
「意外と長いね! けど……次の発情期は間に合わないか」
リラがため息をつくと、父はぴくりと肩を揺らした。父親としては複雑な思いがあるのかもしれない。
けれどリラは、早く彼と番になって安心したい。父様もそうじゃないのかな?
彼が帰るまであと十日ほどあるが、リラの発情期は終わったばかりなのであと二ヶ月は待たないといけない。ヴァールハイトのことを考えると、手の届かない存在で突然消えてしまいそうな不安がどうしても消えないのだ。
アルファとオメガのあいだで結ばれる特別な結びつき。番関係にあれば、結婚するまで離れていても心配せず過ごせるのでは……なんて。
甘えた考えだと自分でも分かっている。彼と結婚できるのだから、それだけで満足しなくちゃ……!
「リラ、運命は……」
「なあに?」
「いやっ、なんでもない。今日は大変だったね。危険な目に遭わせて悪かった……。もう休んで、もし不調が出たらすぐに言うんだよ」
リラは言葉に甘えて部屋に戻り、すぐに湯浴みの準備をしてもらった。服を脱いでいくと、腕には紫に変色した痣がある。ネックガードを外すと首にも痛みがあって、そこも痣になっていそうだ。
洗っていても身体が怠く、本当はすぐに休むべきだったことがわかる。でもあの時は、ヴァールハイトから離れるほうが無理だった。彼も……きっとそう。
ちなみに、本来のお見合い相手には結局会わずじまいだ。温厚で優しい感じの人だったらしいが、結局断るのなら会わなくてよかった。
リラが父にその話を切り出したとき、ヴァールハイトの機嫌が急降下したような……あれはなんだったのかな?
嫌なことを思い出しそうになったけど、ヴァールハイトのことを想像したら気分が上向いてくる。
かっこよかったなぁ。リラはひとりくすくすと笑って、運命から想われている幸福を反芻した。
彼のことを考えると、胸の中がぽかぽかする。お腹の中までじんわりと温まって……むらむらと……
「……はっ!」
リラは自分の思考に驚いて、ザパァっと湯船から立ち上がった。発情期でもないのになんだか身体がそわそわと落ち着かない。きっと疲れすぎているからに違いない。
まだ早いけど眠ることにした。寝台へ横になってもずっと身体が熱くて、本当に変な感じだ。これじゃまるで発情期の前兆みたいじゃないか!
寝よう。ヴァールハイトの隣でうたた寝したときの心地よさを思い出しながら、リラは目を閉じた。
「――ぅんっ? ……あ……はぁっ、は……」
朝方、リラは身体の異変を感じて目を覚ました。肌が敏感になって、寝間着が肌に当たるのさえぞくぞくとした刺激を運んでくる。下腹部が性的欲求に疼き、触らずとも反応しはじめていることがわかった。
もう誤魔化しようがない。これは――発情だ。
「なんでぇ……?」
ついこの間終わったばかりなのに。オメガとして成熟途中の周期が安定しなかったころでさえ、ここまで短期間で来たことはなかったと思う。
ぎゅっと自分の身体を抱き締めて耐えようとしてみるも、身体の中の熱は高まる一方だ。そわそわと動きたくなって、リラは水を飲むことにした。
寝台を下りて、ふらつく足取りで水差しの置いてあるテーブルへと向かう。水を飲み、グラスをテーブルに置こうとしたところで手が滑った。
あー、やっちゃった……。
パリーン! とガラスが床で割れ、即座に誰かが駆けてくる足音がする。「リラ様!?」と扉を開けたのは案の定ザインだった。
「うぉっ……とぉー!? え……発情期じゃないスか! じ、侍女呼んでくるから待ってろ! 割れ物に触らないでくださいよ!」
アルファは番がいてもオメガのフェロモンを多少感じるという。部屋に入りかけて踏みとどまったザインはすぐさま走っていった。
頭がぼうっとしてきたリラはそのまま寝台へと戻って、気づいたときにはグラスも片付けられていた。
手の届きやすい位置にサイドテーブルが置かれ、軽食や飲み物が置かれている。グラスは銀製のゴブレットに変わっていた。
屋敷で唯一のオメガである侍女が準備してくれたのだろう。基本的には姿を見せず近くで待機して、リラが眠ったり自室のバスルームに移動すると、片付けやあれこれ準備をしてくれるのだ。
リラは半分熱に浮かされた思考で、服を脱いだ。昨日思う存分ヴァールハイトを堪能してしまったせいで、身体があの香りを求めている気がする。
だって奴隷商にいたときよりも他の匂いに邪魔されず、いい匂いがした。もっと、もっと彼の香りが……フェロモンが欲しい。リラを落ち着かせる、甘い紅茶のような香りの。




