4.ヴァールハイトのことが好き
※性暴力(未遂)表現がございます。苦手な方はご注意ください。
それからしばらく、リラは自宅謹慎を言い渡され大人しく従った。
さいわい怪我は深くもなく痣がしばらく残った程度だったが、泣かせるほど父様に心配をかけてしまったので反省せざるを得ない。
ザインもきつく叱られたようだ。ごめんね。
事情はすべて明るみにされ、第三王子アングリフも王様から自宅(王宮)謹慎を仰せつかったという。
違法に奴隷を確保していたことが発覚し、あの奴隷商は摘発されヘルシャーも捕まった。
さらには奴隷に麻薬という薬物を使用して従わせていたことも分かっているらしい。言葉が不明瞭だったり様子がおかしかったのはそのせいだったのだろう。
「父様、ヴァールハイトは?」
「……どこに行ってしまったのか分からないんだ。誰かに買われたわけではないようだから、脱走したんだろう」
「大丈夫かなぁ……」
「奴隷商人いわく、国境の紛争地帯で倒れていたところを拾ったようだ。ガリア帝国の兵士かもしれないな。――リラ。父様が探してみるから、自分で動くのはもうやめてくれ」
きっともう、リラの手の届かないところにいる。懇願する父にはぁいと返事をして、リラはヴァールハイトに思いを馳せた。
やっぱり犯罪奴隷ではなかったんだ。隣国の人だったのなら、彼はもう帰ったのかもしれない。
ガリア帝国とは長らく紛争が続いている。気軽に行き来できるはずもなく、もう二度と会えない可能性は高い。
薬物の影響は……大丈夫だと思おう。彼は分かっていて、食事を拒否していた可能性は高い。目には理知的な光が見えたし、最後にリラを助けてくれた。
だからこそ――リラは自分の気持ちに気づいてしまったのだけれど。
(どうしよう。ヴァールハイトのことが好き……)
ヴァールハイトを間近に感じたとき、こらえがたいほどに心が惹かれた。リラを軽々と抱える手つきは思いのほか優しくて、大切に扱われていることが伝わってきた。
彼にそのつもりはなかったとしても、性根に優しさを持つことがリラには嬉しかった。
理屈を超えた感情があふれかえり、胸が苦しい。これが運命というものなのだ。結ばれる保証などなく、現実はひどく切ない。
「父様……前に言ってた人、いつ会えるの?」
「……! すぐ手配しようっ」
なにもかも理解している父は、しっかと頷いた。嬉しそうな哀しそうな、複雑な表情でリラを抱きしめてくれたので抱きしめ返すと、大きな背中にほっとする。
母を一途に愛する父のことがリラは大好きだ。
「……父様みたいな人だったらいいな」
「ッリラちゃぁーーーん!!」
ヴァールハイトのことは忘れよう。父いちおしの人と結婚して番になれば、きっと幸せになれるだろう。
そう決意したリラだったが、その後迎えた発情期では嫌というほど彼のことを思い出した。ヴァル、とうわ言のように何度も名前を呼び、自分に触れる彼の手を想像する。
これまでの発情期よりいっそう甘く、狂おしいほどに彼を求めた期間だった。
「はぁ……」
「色気、えげつないッスね」
発情期を終えて、リラはいつものようにご馳走を用意してもらっていた。しかし空腹のはずなのに食欲は湧かず、料理を見ながら甘い紅茶だけを飲んでいる。
ため息ばかりつくリラを見てザインはちょっと引いていた。屋敷にいるアルファの者はみんな番がいるし、ベータでも独身の人はいない。
にもかかわらずリラの変化は屋敷を揺るがすほどで、みんないつもより一歩引いて接していることにリラは気づいていなかった。これが恋の力である。
「もう、準備しないと。迎えの馬車が来ちゃうよね」
「あー……今日見合いって、やめといたほうがいいんじゃないスか?」
「そう言ったって仕方ないじゃない。……僕もそろそろ身を固めないと」
「……くれぐれも気をつけてくださいね。オレも権力には逆らえないんで」
なぜかいつもより発情期が長引いたせいで、まだ身体も怠いままお見合いの日が来てしまった。父様も心配していたし、失礼がないように気をつけないと。
馬車の窓から、久しぶりに王宮の門の内側を見た。父が仕事でどうしても長時間王宮を離れられず、宰相権限を使って王宮内でお見合いすることになったのだ。
父様、まわりの反感買ってない? 国王様もいいよって? ……ならいいか。
そもそも政略結婚なら互いの顔も知らずに進めてしまうことも少なくない。
それでもやはり会って相性を確かめさせてくれるのは、恋愛結婚だった父なりの優しさだと思う。相手の態度を見極める点も大いにありそうだが。
馬車を下りると、いつもより綺麗に結ったピンクブロンドの髪がふわりと揺れる。同色の睫毛が光を孕んで瞬き、憂いを帯びたヴィオラの瞳が垣間見えると、周囲の人がこそこそと色めき立つ。
出迎えた侍従は顔を赤くしてリラたちを案内した。
「父様は?」
「先に部屋で待っていてほしいとのことです。今は緊急の来客がありまして、その対応をされていらっしゃいます」
本当に忙しいみたいだ。父がいないまま相手に会うわけにもいかないし、待つほかないだろう。
すぐに会うわけじゃないと分かってリラもそっと肩を撫でおろす。
急ぎたいと言ったのは自分なのに、リラの心のなかはいまだヴァールハイトに占められている。
そもそもあんな発情期が想定外だったのだ。こんな気持ちで他の人とお見合いするのは申し訳なくて、憂鬱だった。またひとつ、ため息が零れ落ちる。
「こ、ここからは私がご案内しますっ」
「え?」
リラたちを案内していた侍従が突然立ち止まり、リラも何事かと顔を上げる。
そこには別の侍従が立っていた。新人なのか歳の若そうな男で「部屋が変更されたので私がご案内するよう仰せつかりました!」と必死な表情で告げる。
もともと先導していた侍従も戸惑っていたが、急かされて勢いのままリラたちは新たな侍従についていく。元の侍従は首を傾げながらその場で別れた。
「申し訳ありませんが、急いでください」
「まさか、先方はもう来ているの?」
彼がコクコクと青い顔で頷くので、リラも焦った。もしかして、遅刻にとっても厳しい人なの? 時間に余裕があると思っていたのにとんだ誤算だ。
速歩きに必死で、いつの間にか王族の居住区に足を踏み入れていたことにも気づけなかった。
ザインが「……リラ様、なにかおかしいのでは」とこっそり話しかけてきたのと、リラが違和感を覚えはじめたのは同時だった。リラは頷いて、若い侍従に尋ねる。
「父様は? 僕一人で会うわけにはいかないんだけど……」
「心配いらない。こっちだ」
「!」
リラの質問に答えたのは、正面に現れた第三王子アングリフだった。どうしてここに? と思うもここは王宮だ。だが偶然会うとは到底思えない。
その疑問は若い侍従が王子に頭を下げ、役目を終えたようにほっと息を吐いたことで明らかになった。彼は王子に指示され、嘘をついてリラをここへ連れてきたらしい。
リラは部屋の中へ入るようにと促されるが、そこから動かなかった。オメガで番もいない自分が、結婚しているとはいえアルファで立場も強い王子と個室に入るのは得策ではないと判断したのだ。
「どうしてこんなことを? 今日は大事な用があって来たんです」
「見合いだろ? その前に話したかったんだ。――リラ、私の側室にならないか?」
「は……?」
「久しぶりに会って、お前の磨かれた美しさを気に入ったんだ! 妃はいま妊娠中だしな、お前がいればちょうどいい。私のものになるなら、先日の無礼も赦してやろう」
背後で静かにザインが激怒しているのを感じる。リラも王子がまともな神経で発言しているとは思えなかった。
この男は、なにを、提案している?
「あのとき奴隷を買えればよかったんだがな、いまは王宮の外にも出られなくて退屈なんだよ。リラ、私の相手をしろ。これは命令だ」
「はぁぁぁ??」
リラは頭に血がのぼり、何かがプッツンと切れるのを感じた。まぁるい目を三角に尖らせ、王子の目の前まで進んでキッと真下から睨みあげる。
立場とかそんなことは今どうでもいい。この男のねじ曲がった根性は、誰に似たの!
「僕が喜んで側室になるとでも? まさか! 妊娠中のお妃様を放って遊び歩く王子なんてこっちから願い下げです。僕がちょうどいいって? 僕は貴方の遊び相手になるほど低俗じゃありません。まだ謹慎中なら大人しくしているべきでしょう? 退屈って当たり前ですよ。貴方が楽しめば楽しむほど、迷惑をこうむる人がいるんです。少しはそのちっぽけな頭を使って考えたらどうですか!」
「はっ? お前……正気か?」
ザインが「リラ様、どうどうどう!」と暴れ馬をなだめるように声を掛けてくるが、かんかんのリラには聞こえていない。あっけにとられた王子が後ずさるほどの勢いで詰め寄った。
「正気かって、こっちの台詞です! 僕の運命を痛めつけたこと、一生赦しませんからね! 王子のくせに、もっとまともに生きたらどうです!!」
「…………」
リラは決して、王子の想像していたような大人しいオメガなどではない。
母親譲りの自由さ。そして父親譲りの行動力と決断力をあわせ持った、立派な青年なのである。
たとえ王子がリラに不敬だと文句を言ってきたとしても、ここまで駄目王子なら国王様はリラに味方してくれるだろう、と頭の隅で計算するずる賢さも兼ね備えていた。
しかし、王子のどうしようもなく直情的なところは読み切れていなかったようだ。王子はリラのネックガードを掴んだかと思うと、部屋の中に引きずり込んでカチャリと扉の鍵を閉めた。
突然のことでザインは外に締め出されてしまう。リラにもなにが起きたのか分からなかった。いつの間にか背中にシーツの感触があり、寝台に押し倒されている。
「へ……」
「リラお前、何様なの? オメガはオメガらしくアルファの下で喘いでればいいんだよ!」
「痛っ!」
動こうとすると強く腕を掴まれ、押さえつけられる。その手には優しさなんてひと欠片もない。瞳には嗜虐的な色が混じり、リラを見下ろして楽しそうに嗤う。
彼にとってはオメガなんて奴隷と一緒に違いない。
怖い……!
いつも周囲に守られてきたのは、自分が無力だからだ。リラにできることはいつもちっぽけで、こうやって力で簡単にねじ伏せられてしまう。これからどうなってしまうの?
「お前が処女じゃなくなれば、貰い手なんてなくなるさ。安心しろ、発情期が来たら私が番にしてやる。私が、低俗じゃないというお前を一生性奴隷のように扱ってやるんだよ。あー楽しみだな!」
リラの顔から血の気が引き、真っ青になった。想像することさえ恐ろしい未来だ。この人にはそれができる。いや、やる気でいる。
――ああこんなことなら、もっと早くにお見合いしておくんだった。
初めての発情期が来てから何年もあったのに、ずっとひとりで過ごすのは辛かったのに、リラは躊躇い同じ場所で立ち止まっていた。
オメガに番ができれば、高確率で子を生むことになる。そのために自分は誰かに娶られるのだ。
それが……怖かった。周りの人はみんな口を噤んでいるけど、リラのせいで母は亡くなったのだと知っている。
健康な人にとっても出産は命がけだ。身体の弱い母に自分がどれだけ負担を与えてしまったのか、父はリラより母を守りたかったんじゃないかと、何度も考えた。
リラには自分が母と同じことをできるとは思えない。いざ子ができても、生むのを嫌がってしまうかもしれない。そんな気持ちで誰かと結婚なんて。
父様に甘えて時期を引きのばし、ほとんどの人が出会わずに一生を終えるという運命を探したりして。でもやっぱり父様のためにできることはそれしかないと思って、諦めることを繰り返した。
――それなのに。ヴァールハイトという運命に出会い、リラは母の気持ちを理解してしまった。
好きだと思ったとき、自然に番いたいと感じた。発情期のあいだ、腹の中に彼の子種をもらって彼との子どもがほしいと、浅ましい想像までしてしまっていた。
これはリラに下された天罰かもしれない。自分の都合で周囲を振りまわし、いざ出会ってみれば運命は手の届かない人だ。そして、一番嫌な人に自分の大事なものを奪われようとしている。
ぎゅっと目を閉じると、目尻から涙が零れ落ちる。どうする? たとえ天罰だったとしても、無抵抗で自分を明け渡すなんて……
「嫌だぁ!!」
「――ッ!?」
動けないならすっごく煩くしてやろうと、声を張り上げたときだった。
突然身体の上の重みがなくなり、リラは拘束から解放される。風が通り抜け、すっと爽やかな香りが鼻先をくすぐる。
「え……?」
ドスッ。「うぐぁっ」、ドゴッ。「やめてくれぇ!」……鈍く乾いた音の合間に、王子の悲鳴が部屋に響き渡っている。
リラは王子をボコボコにしている人の後ろ姿に見覚えはない。銀の装飾や刺繍のされた黒いウエストコート、首元に巻かれたシルバーグレーのクラヴァット。
背の高い貴族の男性は格式高い服装をしていた。艶のある黒髪はこれだけ動いても乱れておらず、襟足が少し長い。
――嘘。リラは彼が誰なのか、見慣れない格好をしていても分かってしまった。いまは見えないけれど、その目は優しい青色をしているはずで。
「ヴァールハイト!」
確信を持って呼びかけると、男の動きが止まる。王子はとうに気を失っていて、床に放り投げられた。
ゆっくりと振り返る。ネモフィラブルーの瞳が、まっすぐにリラを捉えた。
「ヴァル……」
こちらに近づいて、腕を伸ばしてくれたからリラはその身体に抱きついた。背中に腕が回り、優しくゆっくりと抱き起こされる。
乱れて額に張りついた髪を手で梳いて、目尻の涙を親指でぬぐい取ってくれた。リラに触れる手はこれ以上ないくらい優しく、また涙があふれてくる。
「待たせたな、リラ」
「遅いよ……っ。――ってゆーか! なんでここにいるの!? 何者なの!? 王子殴っちゃって大丈夫なのーっ!?」
「……元気だな」
肩を掴みガクガクと揺さぶるが、体幹がしっかりしすぎて揺れたのはリラだけだった。混乱のままヴァールハイトに畳みかけるも、当の本人は相変わらず飄々としている。
こっちは心配してるんですけどー!
そのとき、壊された扉から飛び込んできたのは息を切らした父と国王様だった。
「リラッ!! 大丈夫かー!?」
「ヴァールハイト殿下! と……リラくん!? えっアングリフ!? いったい何が……いや、なんか想像ついたな……」
「父様……ていうか……殿下って誰ぇ!?」
「とりあえず……移動しないか?」




