3.ヴァル、だいじょうぶ……?
リラの父、クランツはフリューリング侯爵家の次男だ。
リラ自身が継ぐべき爵位はないものの、父は宰相として国内で多大な力を持っている。宰相のひとり息子がオメガだったこともあり、あらゆる有力貴族がリラを伴侶にと望んでいた。
クランツも妻の忘れ形見であるリラを溺愛していることは間違いない。しかしオメガの体質のことを考えると、番になれるアルファの元へ嫁がせるべきだと彼も分かっていた。
ひとりで乗り越える発情期はオメガの身体に大きな負担を与え、寿命さえも縮めてしまうといわれているからだ。もちろん相手はしっかりとした家柄で、かつリラを愛してくれる人がいい。
……という考えを父が持っていることも、リラはちゃんと分かっていた。それどころか父のため、父の愛する王国のためになるような結婚をすべきだとまでリラは考えている。
だからかつて、あまり素行がよろしくないと言われているこの国の第三王子の婚約者候補になったときも、リラはなにも言わなかった。まぁ、すぐに父様が揉み消してしまったんだけど。
それからしばらく婚約者候補は現れなかった……というか父のお眼鏡にかなう人はいなかった。しかしついに現れたらしい。
リラもつい先日までは(父様の選ぶ人なら誰でもいい。その人が運命かもしれない!)なんて呑気に考えていたのに。
でも……出会ってしまった。つまり、婚約者候補は運命ではないということだ。
運命の相手は戦闘奴隷で、とてもじゃないがリラの伴侶に迎えられる身分ではない。
リラもわかっているのだ。まだ……折り合いがつかないだけで。
そう、まだリラは諦めきれなかった。運命と番になれないとしても様子は気になるし、不幸な目にあっていてほしくない。
あのとき、ヴァールハイトはリラの差し入れを喜んでいたように思う。きっと調教で食事をもらえていないのだろう。
飢え死にさせられることはないはずだが、つらい状況であることは間違いない。
「リラ様、包丁だけはご勘弁を……!」
料理長が額に大汗を浮かべながらリラを見つめ、懇願する。今日は出来合いのパンを使って、サンドイッチを作ろうと思い立ったのだ。
火を使わなければ必ず成功する。周囲に心配をかけることもないはず……だったんだけどなぁ。
「切らなきゃ自分で作ったことにならないでしょ?」
「お怪我をなされたら大変です! パンに具材を挟むことも立派な料理ですし……あっ、ソースを作りましょう! 一段と手作り感がでますよ!」
「うーん……わかった!」
はぁ〜〜っ……と安堵のため息があちこちから聞こえるなか、リラは世界一のサンドイッチにしようと意気込んだ。葉物野菜は自分でちぎり、香りと見た目でこれぞ! という調味料を混ぜたソースをつくる。
なぜか色の悪い、形容しがたい香りが漂い始めたが、具材と合わされば美味しくなるはずだ。切ってもらったパンにソースを塗り、野菜と燻製肉を挟む。
たっぷり挟もうとするとパンからはみ出してしまったが、紙で包みぎゅぎゅっと押さえればなんとか丸い塊になる。
今度は煙を出さずにできた!
よっぽど素晴らしい手際だったのだろう、周囲の使用人たちからはパチパチ拍手が贈られ、リラもにこにこしてしまう。ザインだけは「評価がデロ甘……」と呟いていたが。
「父様のと、多めに作ったのでみなさんも食べてくださいね!」
リラがみんなに告げると笑顔が曇ったように見えたけど、気のせいだろう。料理長は若干青褪めた顔で「こ、光栄です……」と答えた。
「俺はいりませんからね」
「もうっ、ザインのぶんは最初からありませんよーだ」
自分の分は庭で食べるからと嘘をついて、バスケットに詰めてもらう。こんなことをできるのも、あとしばらくだけだろうから――
「あれェ、またひとりで来たの? 見たいならいいけど……いまからお客さん来るんだけどなぁ」
「あの……僕ひとりでいいです!」
「ンフッ、迷っちゃうんでしょォ? ああ、ほら来た」
ラッキー! と思ったのは一瞬で、先日の嘘が自分の首をしめる。
リラたちの背後から新たな人がやってきて、ヘルシャーが「お待ちしておりました」とことさら丁寧に出迎えた。がっかりしつつ振り返ると、きらびやかな格好をした男が馬車から下りてくるのが見える。
「え……第三王子……」
「まじすか?」
ヘルシャーと来客が声を交わし合うのを目にしながら、リラはザインにだけ聞こえる声で呟いた。
第三王子アングリフには、父に連れられて行った王宮で何度か会ったことがある。やけに気に入られて婚約者候補になってしまったことも過去の話で、いまはオメガのご令嬢と結婚していたはずだ。
低いとはいえ王位継承権を持つ人が、奴隷を買いに来るのか……。リラがなんともいえない気持ちになっていると、目が合ってしまった。
「フリューリングの……? リラか! どうしてこんなところに? ははぁ、俺に会いに来たのか。可愛いやつめ」
「殿下、ご無沙汰しております……」
どういった思考回路でそうなるのか、第三王子は喜んでリラの腰を抱いて歩きだす。ぞわぞわと不快感が背筋を通り抜けたものの、身分的になにも言えない。
リラたちはそのまま中を案内されることになった。ヘルシャーは饒舌に奴隷を紹介しはじめるが、王子はすぐさま「違う!」と言い放つ。
「私はアルファの奴隷を探しに来たんだ! 同じ二次性を持つやつを虐げる遊びは楽しそうだろう?」
「おお、そうでしたか! さすが、高尚な趣味をお持ちだ!」
「…………」
聞いていて気分が悪くなってくる。奴隷は主人の命令に逆らえないものだ。特殊な器具を使わないと枷を外せず、枷がついているとどこでも奴隷扱いをされてしまう。
表立ってはいい顔をされないが貴族でも奴隷を買う人は多いらしく、奴隷制度の廃絶は難しいと父から聞いたことがある。
以前も見たアルファの奴隷がいる檻の前まで来ると、彼は膝を抱えるどころか床に転がっていた。
なんだかしんどそうだ。眼窩は落ちくぼみ、こちらを見ると「くす、薬は……」とぶつぶつ喋りだす。
するとヘルシャーが鞭を取り出し、ピシッと床に当て大きな音を出した。リラも突然のことにびょんっと飛び上がった。
「寝転がってんじゃねェ! お客様の前だぞ、しっかりしやがれ!」
「薬って……こいつは病気なのか?」
「いえいえ、ただの食事のことですよ」
男は震えながら座り直す。その身体は不健康な痩せ方をしていて、アルファらしい威厳はまったくない。
王子は「こんなの虐めがいがないな。もっとプライドの高そうなアルファはいないのか」と言い出し、興味なさげにきょろきょろと別の奴隷を見定めはじめた。
リラは嫌な予感にビクッと肩を震わせる。
「それなら、いい戦闘奴隷がいますよ!」
胸の中ではいっぱいに不安が膨らんでいた。
まさか、ヴァールハイトを紹介するの? 嗜虐趣味のある王子に、彼が気に入られてしまったらどうしよう……!
リラの願いは届かず、奥の部屋へとヘルシャーは進んでいく。あれから何日か経ってしまったが、調教とやらは進んでいるのだろうか。
なにもできない自分の無力さに、きつく手を握りしめる。父親が宰相だからといって、リラが偉いわけでもお金持ちなわけでもないのだ。
カーテンをくぐると、まっさきにライトブルーと目が合った……気がした。鋭い眼光で睨みつけられ、ここにいることが後ろめたく感じてしまう。
もしかして、リラも奴隷を買いに来た趣味の悪い貴族だと思われてる?
「ほぉ、屈服させたくなる生意気な面してるな。というかこの顔、どっかで……」
「扱いにくい奴隷ではありますが、戦わせるもヨシ、屈服させるもヨシ! アングリフ様が使役するのにぴったりですよォ」
ヴァールハイトは無言だった。しかしその逞しい身体からは、不機嫌そうなオーラがびしびしと発せられている。
リラはこんな風に会いたかったわけじゃないと隠れたくなったが、王子に腰を抱かれたままで離れることもままならない。
ヘルシャーが横柄に命令した。
「おい! お前のご主人様候補だぞ。ご挨拶くらいしろ!」
「…………」
「無視してんじゃねェ!」
ピシィッと鞭が振り下ろされ、その甲高い音にリラは震え上がる。気付いた王子がよしよしと頭を撫でてくるのも気持ち悪く、全身に鳥肌が立った。
「よいよい、これくらいアルファらしく生意気な方が楽しそうだ。おい、鍵を開けて鞭を貸せ」
「その、まだ調教が済んでいないのです。抵抗される可能性が……」
「なにかすれば不敬罪で殺してやるさ。それに、私のほうが弱いとでも言うのか?」
「とっとんでもございません!」
ヘルシャーは王子に鞭を渡し、ガチャガチャ音を立てて牢の鍵を開けにかかった。王子がにやにやしながら革製の鞭を撫でている隣で、リラは震えが止まらない。
どうしよう、彼は案の定気に入られてしまった。これからその鞭でなにをするの?
牢の鍵が開き、檻の扉が開く。王子に連れられてリラは初めて牢屋の中に足を踏み入れた。多人数は入れないため、ザインは向こう側で心配そうに見守っている。
壁に背を預け座っているヴァールハイトは動じず、眉根を寄せてこちらを睨んでいる。リラを離した王子は一歩踏み出し、なにも言わず唐突に鞭を振り下ろした。
「っ‼」
思わずぎゅっと目を閉じてしまった。鈍い音が鳴り、恐る恐る見ればヴァールハイトのむき出しの二の腕に赤い筋ができている。
王子が「ははは!」と高笑いしながらまた腕を振りかぶる。
「やめて!」
「おいっ。リラ邪魔だ。こいつの味方をするのか?」
とっさにリラは王子の腕にしがみついた。これ以上の暴力を止めたかったが、容赦なく振り払われてしまう。
ドシンッと床に尻もちをつき、ザインが檻の向こうから「リラ様!」と叫ぶ。
その時だ。リラがいてて、と涙目で顔を上げたとき、見えてしまった光景に目を疑った。
ヴァールハイトが……王子の靴に唾を吐きかけたのだ。
「は……? ふ……っっざけんなよ!」
王子も一瞬呆然としていたものの、直後に激昂した。
(なんでわざわざ怒らせるようなことを……いや、あんな酷いことをされたらちょっとくらい反撃したくなるよね……。でも!)
立場的にまずいのだ。ヴァールハイトは枷のつけられた奴隷で、相手は加虐的な王子。彼が何倍もの罰を受けるだろうことは容易に想像できる。
悪い予感は当たり、王子が唾をつけられた方の足を振り上げる。蹴られてしまう。リラの運命が……!
そう思ったとき、リラの身体は勝手に動いた。彼らのあいだへ飛び出し、ヴァールハイトに抱きつく。
「っあ゙あ‼︎」
強い衝撃が身体を襲い、数秒遅れてから、脇腹をしたたかに蹴られたことがわかった。痛くて熱くて、吐きそうだ。
「は……? な、んで、お前」
「っ。ヴァル、だ、だいじょうぶ……?」
こんなにも間近で会話していることが不思議だった。ヴァールハイトの身体からリラの大好きな香りがして、苦しみが一時和らぐ。
汗の匂いもするけれど、運命のフェロモンにリラはくらくらした。彼を守れたらしいとわかって、ふにゃりと柔く笑う。
リラにできることがあってよかった。
とはいえ事態は収束していない。王子はリラに対しても怒りだした。
「はぁぁ? リラ、何やってんだ⁉︎ 馬鹿なのか? 私は何も知らないぞ!」
宰相のひとり息子に怪我をさせるなんて、王子といえどよろしくない。焦りが生まれ、王子はヴァールハイトに目をつけた。
「お前がリラを傷つけたんだ! そうだよな? ヘルシャー」
「は、はい! その通りです。指でも落としますか?」
「そうしよう。おいお前、リラをこっちに寄越せ!」
恐ろしい会話はリラに聞こえていなかった。痛みで朦朧としてきていたし、目の前に運命がいる奇跡をただ享受していたかったのだ。
命令されたヴァールハイトはリラからゆっくりと視線を上げ、王子とヘルシャーを睨みつける。
その視線の圧は喉元に剣を添えるかのように鋭く、冷たく、彼らは恐怖にガクンッと腰を抜かした。
「ひぃぃっ」
「おい、なんだ! 威嚇か?」
ヴァールハイトはリラを抱きかかえたまま立ち上がった。手枷はいつの間に外したのかとうに無く、足枷は剛力で引きちぎり悠々と歩いて牢を出る。
いったいどうやってそんなことが可能なのか、なにが起きているのか。王子とヘルシャーは座り込んだまま茫然と見ていることしかできない。
王子の護衛と揉み合っていたザインが最後のひとりを殴り飛ばしたとき、リラを抱えたヴァールハイトと行き合った。
「……えっ!? ありがとう、ございます……?」
「すぐに出ろ」
ザインに渡されそうになったリラは、最後の気力でヴァールハイトの肩をきゅっと掴む。彼はこのままどこかへ行ってしまう。そんな予感があったのだ。
初めてぴたりと見つめ合った。虹彩に銀の星が散りばめられたような美しい瞳がリラを映し、葛藤しているかのように揺れた。
「ヴァル……」
「…………」
ヴァールハイトはつかのま動きを止めたものの、無言でリラを振り払う。ザインは急かされて奴隷商をあとにする。
最後の瞬間、ヴァールハイトが落ちていたバスケットを拾うのを、リラは落ちゆく意識のなかで見た気がした。




