2.あなたのことを教えて?
リラは運命のことをなにも知らない。嫌われてるかもしれないけど、せめてもう少し相手のことを知りたいと思った。
あんな場所じゃなくて……忍び込まなくてもいい場所で、ゆっくり話してみたい。
晩餐のあと、紅茶に角砂糖を三つ入れてからリラは父に切り出した。
「父様、僕の運命のことなんだけどね」
「この前言っていた奴隷のことか。まさか、また会いに行ってないだろうな?」
「う、……うん! でも、一度話してみたくって……どうにかならないかな?」
「だめだめだめ! 戦闘奴隷だろう? 恐ろしく暴力的だとか聞いたよ。危ないから大事なリラに近づけられない」
もう調べたのか。確かにあの奴隷商は調教すると言っていたくせに近づけず、怯えていた。
でも、リラは檻のなかに腕を入れても平気だった。無視されていただけかもしれないけど、リラたちが見つかるのを防いでくれた……ように感じた。
「危なくないもん! だってあの目……優しそうだった。父様、運命が奴隷になってるって……つらいよ」
「リラ……運命とはときに残酷なものだ。相手がいい人か、どんな身分か、健康かどうかだって関係ないんだから」
「とうさま……」
父の、リラと似た紫色の目には憂いが浮かんでいる。母は元平民で、身体の弱い儚げな人だった。
リラが幼いころに亡くなってしまったから記憶も朧げだけれど、父がずいぶん苦しんだことは知っている。
「その奴隷のことは調べているんだが、素性がまったく知れないんだ。そもそも奴隷商が違法に運営されている可能性も高くてな……そちらは警吏に報告済みだから、もしその男が無実ならいずれ解放されるかもしれない」
「そう……かぁ」
「リラちゃんっ……! なにも運命じゃなくても、パパが良い結婚相手見つけてくるよ⁉」
「父様のばか! いまは結婚のことなんて考えられないよ!」
ガーン! とショックを受けた父がパタリ……と椅子の背もたれに倒れ込む。
リラだって……分かってはいるのだ。唯一の肉親である父を悲しませたくはない。でもいまは、寝ても覚めてもあの男のことが頭にある。これが運命の引力なのか、リラには分からなかった。
二度あることは三度ある。リラはまたこそこそと奴隷商まで来てしまった。
父は忙しくてほぼ毎日王宮へ出仕しているし、問題でも起きない限り使用人がわざわざ報告することもない……はずだ。訊かれなければ。
だがせっかく来たのに、今日は忍び込める隙がなさそうだ。フードの下から入口を覗くと、奴隷商のおじさんが暇そうに煙草を吸っていて運良く他の客が来てくれることもない。
そもそもこの辺りは物騒な感じである。建物は全体的に古く、物乞いが道端で寝ていたりする。物々しい首輪で明らかにオメガとわかるリラは、本来こんなところへ来ていいはずもない。
けれど周囲に睨みをきかせる護衛の存在と高貴すぎる容姿が、逆にその辺のごろつきでは手出しできない雰囲気を醸し出していた。
「あれ、きみは……確かこの前」
「どうも、こんにちは……」
リラが物陰からちらちらと見ていると、おじさんに見つかってしまった。
リラに見覚えがあるのは運命に出会った日、一瞬顔を合わせたからだろう。フードの下の顔を舐めるように見てくるので、背筋がぞわぞわとする。
「ボク、奴隷が欲しいのかい? 家にお金はあるんだろう。パパに買ってもらいなさい」
「ちがっ……。いや、欲しいです! 今度父を連れてくるので、下見……してもいいですか」
「ンフッ。いいよぉ。――おいで、案内してあげよう」
これでも成人男性なんだけど……と思いつつ、上手くいったぞと高揚する気持ちのほうが大きい。ザインのハラハラする視線を感じたものの、リラはここまで来て引き下がるつもりなど全くなかった。
奴隷商人のおじさんはヘルシャーと名乗り、先を歩く。
「こっちは家事が得意なもの。下級使用人にピッタリです。力仕事はこっちね。あとは……見目の良い性奴隷もいますよォ。こっちのアルファなんか、発情期の相手にどうですか? 犬歯を抜いてやれば番になる心配もないしね」
「…………」
物のように指差し、ヘルシャーが奴隷たちを紹介していく。
さまざまな人がいるが、みな共通して生気のない抜け落ちた表情をしていた。アルファと指された人でさえ、体格から立派なのにぶるぶると震え小さく縮こまっている。
「ウチの調教は特殊で、効果抜群なんですよォ! どんな暴れ馬も一日で素直になりますから。ンフフ……」
建物内の淀んだ空気に気分が悪くなってくる。世間知らずな自覚はある。けれどリラは、奴隷といえど人が物のように扱われることに違和感を禁じ得なかった。
「あのっ、奥の部屋は……?」
「調教中だ」
「え?」
「あのクソ野郎、飯を無視しやがるから調教が進まねェ……ん゙んっ。オッホン、近づくのも危険な珍獣がいるのでねぇ。さぁ、もう案内は終わりだ。帰りなさい」
突然追い返すような言い方をされて、リラは俯いた。
もう少しだったのに……。しかもまだ調教中だなんて。心を折られてしまうのも嫌だけど、調教でひどいことをされているなら可哀想だ。
ヘルシャーに促され、リラが渋々踵を返そうとしたときだった。
別の部屋のほうから人を呼ぶ声が聞こえ、ヘルシャーは慌てて「勝手に帰って!」と言い残し、先に行ってしまった。
よし! 呆れ顔のザインを無視して、リラはそそくさと奥の部屋へ足を進める。
カーテンをくぐると、ふわりと紅茶のようないい匂いがした。それだけで重苦しくなっていた胸の辺りがスッとすく。
男は、数日前に見たときと寸分違わない姿勢で座っているように見えた。
しかし鞭の跡のような赤いみみず腫れは増えているし、顔はいっそう血色が悪い気がする。頬も少しこけた?
静かに近づいたつもりだったが、男は気配に顔を上げた。
「――ッ!」
綺麗な薄青の瞳に胸を掴まれる。ネモフィラの花びらのように優しい色と目が合ったのは一瞬で、男はまた目を閉じてしまった。
でも、その目には生命力があった。ここにいる他の奴隷とは違う、強い力が。
リラはどうしても気を引きたくて、バスケットからある物を取り出した。包んであった紙を剥がすと真っ黒な物体がでてきて、とたんに焦げ臭い匂いが漂う。
男もその異常さに気づいたのかぴく、と眉をひそめたように見えた。
「リラ様……さすがにそれは……」
思わずといった様子でザインが苦言を呈する。
まだ少し温かい、白い手のひらの上で暗黒の存在感を放つのは、リラが先ほど初めて作った白パン……の予定だったものだ。材料は料理長に用意してもらったから、分量は間違いないはずだけれど。
料理長はリラの手つきを見て大汗をかき、出来上がったものをみて卒倒してしまった。ザインに気付けの酒を流し込まれていたから、大丈夫だと思おう。
「むう、初めてだからちょっと失敗しちゃったけど……ね。お腹、空いてない?」
「…………」
男はリラの手元を……いや、臭いの根源を見た。表情は険しいままだったが、ぐう、と腹が鳴った。
リラはぱああっと表情を明るくし「ほらね!」と得意げに笑う。
「僕はリラ! あなたの名前を教えてくれたら、この白……黒パンをあげます!」
「…………」
「ねぇ、あなたのことを教えて? もし教えてくれるなら……この紅茶もつけてあげます!」
さながら路上で巧みに商品を売りつける露天商だ。
とにかく名前だけでも知りたい。リラがおまけにしちゃおうとバスケットから自分用の小さな水筒を取り出したとき、男の喉がゴクリ……と本能的に動いた。
「……ヴァールハイト」
「ゔぁある?」
「それを寄越せ!」
「わああっ。はい!」
急に命令されて、思わず両手を差し出す。すると檻の中でも壁際にいたはずの男……ヴァールハイトが突然目の前にいて、リラの手から水筒を奪った。
いつの間に? というスピードだ。
黒くボサボサの髪で隠れていても印象的な目元、細く高い鼻梁。耳にはシルバーのピアスがたくさんついていて、近くで見てもかっこいい。
低く耳に残る良い声だなぁとリラはドキドキしつつ、「こっちも遠慮しないでくださいね!」と紙を敷いた上に黒パンを乗せる。
ヴァールハイトは水筒を傾けながら、目を細めてその物体を見つめる。左目の下にホクロがひとつあり、なんとも色気があった。
彼を見ていると、リラは胸がどきどきしてしまう。身体が熱い。ああ、初めて会話しちゃった……!
リラが高鳴る胸を服の上から押さえていると、カーテンの向こうからヘルシャーの声が聞こえた。
「おい、奥から声がしなかったか?」
ぴ! とリラは固まり、背後にいたザインと視線を交わす。まずい。どうしよう、ここには隠れる場所なんてない。見つかったら怒られちゃう?
――いや、それよりも……見つかったらヴァールハイトにひどい罰が下されるかもしれない。
そこまで思い至ると、リラはザインの服を掴みカーテンの向こう側に飛び出した。「ぎゃあっリラさま⁉」と煩いが無視して、リラも叫びながらヘルシャーの見えるところまで走っていく。
「うわあああ〜〜〜!」
「っなんだ? きみ、まだいたのか!」
「迷っちゃって、ぐるぐるして帰れなくて……怖かったぁぁぁ〜〜〜!」
「……はっ?」
「ごめんなさい……出口あっちですか⁉︎ 帰ります‼」
ポカンとするヘルシャーを置いて、リラは奴隷商を飛び出した。滅多に走らないので息は苦しいが、たぶん勢いでごまかせたはずだ。
ザインがぶつぶつ文句を言っているのも聞こえないふりをして、家に向かって足を進める。リラの胸には達成感だけが残っている。
(話せた! 差し入れもできた! 名前まで教えてもらった……!)
ヴァールハイト。高貴な響きの名前だ。それに……あの目。氷のような目つきだったけど、それがクールな容姿に合っていて痺れるくらい素敵だ。
ザインは「汚くてボロボロの奴隷って感じが強すぎて、どこが素敵かわからない」と言っているけれど。どこに目をつけているんだろうか。
「リラ様ってドMなんすか? あんなに冷たくされてるのに、それがいいなんて」
「どえむ……? そんなわけないでしょ!」
俗語の意味は分からなかったけれど、リラはヴァールハイトをそこまで冷たいと思わないし、ザインの見る目がないだけなのだ。
確かに、優しい彼を想像できるかと言うと……それはちょっと難しいかもしれないが。
『リラ、こっちへおいで』
――想像上のヴァールハイトが微笑み、リラを呼び寄せる。発情期を迎えた自分は彼によしよししてもらって……苦しいところを甘やかに慰めて…………
「……らさま。リラ様ぁ〜? その顔、外ではやめたほうがいいっすよ」
「はっ」
いつの間にか相当気持ち悪い顔をしていたらしい。周囲からリラを隠すようにザインが動くのを見て、表情を引き締める。うん、ちょっと妄想が行き過ぎたみたいだ。
その夜自室でくつろいでいると、使用人から父の書斎に呼ばれた。アルファである父は、たとえ息子だとしてもオメガの私室を訪れたりしないのだ。
とはいえ改めて呼ばれるのは久しぶりな気がする。食事のときに話せないようなことがあったのだろうか?
頭の中に疑問符を浮かべながら、リラは扉をノックした。
「リラ、今日厨房に入ったんだって?」
「えっ。あ……料理長が?」
「いや、すごい煙と焦げた臭いがしたと庭師から報告が」
「そっちかぁ……」
今日の晩餐も素晴らしかったから、料理長が無事に復活したらしいと内心ほっとしていたんだけど……思わぬところからバレてしまった。
ぜんぶ自分でやりたいと強行したものの、火の取り扱いがとても難しかったのだ。ヴァールハイト、あのパン食べてくれたかなぁ?
「リラは母様に似て不器用だからな。好きなことをやってほしいとは思うが、あまり使用人たちに心配をかけないでおくれ。それで……父様にはいつくれるんだ?」
目的は? あの男か? と尋ねられたらどうしようと焦っていたものの、父はそわそわとリラに尋ねてくる。
刺繍したハンカチなどこれまで作ったものは全て父に贈っていたから、今回の料理も自分のためだと思っているらしい。
運命のために必死すぎて思いつきもしなかった……なんて本音は押し隠して、リラはにっこりと提案する。
父様になら味見をしてもらってもいいかも!
「練習だったから。次は父様にあげる!」
「はぁ〜っリラちゃん世界一可愛いっ。ありがとう! ――それで、だな。こっちが本題なんだが……今度、リラに会わせたい人がいるんだ」
「え……それって」
「まだ結婚はしなくていいから! 父様だってリラをお嫁になんてやりたくない。でも、アインスと……国王と相談していてこの人ならばという人を見つけたんだ。話してみるだけでいい。会ってみてくれないか……?」
「……うん。会ってみるだけでいいなら」
宰相の父は国王様と非常に仲が良い。母と結婚するときも協力してくれて、母が亡くなってからは精神的な支えにもなってくれたという。
リラの結婚相手のことまで一緒に考えてくれているなんて、とっても申し訳ない。というか……断りづらいんですけど!




