1.運命の番は戦闘奴隷!?
「む! なんだかいい匂いがする!」
リラは小さな顎を上げて周囲を嗅いだ。今日こそ、運命の番が見つかったかも!
しかし一瞬感じた香りはすぐ風に攫われ、消え去ってしまった。諦めきれず、しばらくうろうろと歩く。
パン屋から漂う香ばしい匂いに惹かれ、スイーツ店から漂う甘い香りにふらふら近づき。長くひとつに編んだ撫子色の髪が揺れるたびに周囲の視線を攫っていることに、リラは気づきもしない。
「あっ。こっちかも?」
わずかに鼻を掠めたのは、本能的にリラを引き寄せる蠱惑的な……なにか。甘い紅茶の香りに近いかもしれない。
もはや周囲を見もせず、ずんずん歩みを進めていくと、視線の先にはどんよりと陰鬱な雰囲気を持つ奴隷商の建物があった。
まさか……ここで働いてる人?
リラが眉をひそめると、荷馬車から降ろされてきた数人の男が目の前を横切っていく。みんな手と足を鎖で繋がれ、虚ろな目をしていた。遠い距離を運ばれてきたのか薄汚れていて、怪我をしている人までいる。
そのうちのひとり、一番怪我が多くあちこち包帯を巻いている男に、リラの目は吸い寄せられた。
高い背丈に、すらりと伸びた手足。細身に見えるが痩せ細っていることもなく、豹のようにしなやかな筋肉が無駄なくついている。
なによりその美貌が目を引いた。端正な顔立ちと、乱れてボサボサの黒髪に隠れたネモフィラブルーの瞳。どこか冷たさを覚える切れ長の瞳と目が合った瞬間、リラの全身に電流が走る。
「っ、見つけた……!」
ボロボロの状態でも神々しく、美しい男だと感じた。喜びに心が打ち震える。こんなにも素敵な人が運命だなんて!
しかしリラが感動にぷるぷる震えているあいだに青い目はスッと逸らされ、そのまま建物の方へ歩いていってしまった。
……え。運命だって気づいたの、僕だけ⁉︎
もっとこう、目が合った途端に駆け寄ってきて、抱き上げてくるくる回って喜びを表現するような出会いを期待していたんだけど。
納得いかない。絶対あの人なのに!
ふんす、と鼻息を荒げリラは男を追った。すぐに追いつき、伸ばした手で男の腕に触れる。
「ねぇっ。ねぇってば!」
「っぶねぇな!!」
その瞬間、奴隷商のおじさんが転がるようにすっ飛んできて男の鎖をギリッと引く。男はびくともしない。
けれどリラは、男の吼えるような怒声を聞いただけで腰が抜け、座り込んでしまった。
「危ないですよォお客さんっ。むやみに触れないでください……! これは調教中の奴隷ですから」
「ど……れい……?」
「戦闘奴隷です。めちゃくちゃ強いので、人型の兵器といっても過言ではありません」
「は……? 戦闘奴隷ぃ〜〜〜っ⁉︎⁉︎」
◇
リラはバイエルン王国の宰相を父に持つ。母を早くに病気で亡くし、過保護な父に愛されるひとり息子だ。
優しい撫子色の髪に菫色の瞳、ぱっちりとした二重で快活な顔立ちをしている。
二次性はオメガで、例に漏れず身体つきは華奢だ。容姿に不釣り合いな黒い革製のネックガードは、まだ番のいないリラにとって必要不可欠なものである。
「あの人……アルファってことだよね」
湯船につかりながら、リラは今日会った男のことを考えていた。ネックガードを外しているあいだは誰も近づくことを許されていないため、いつも湯浴み中はひとりだ。
ちゃぷと足を遊ばせながら、温もりで淡く染まった手の指先を見つめる。この手で、一瞬だけ触れた。怒られてしまった。
「怖い人、なのかな? あんな風に感じたのは……僕だけ?」
父と母が運命の番だったというから、ずっと憧れを抱いていた。アルファとオメガを国中から集めたって、運命同士が出会う確率はとても低いという。
だから探してはいたけど、リラだって本当に出会えるとは思っていなかったのだ。
唯一の運命といえど、相手がいい人とは限らない。でもまさか……奴隷だったなんて。大半は罪を犯したり、借りたお金を返せなくて奴隷になる。
さっき父様に聞いたら、どこかから無理やり連れてきて奴隷にする違法な奴隷商もあるらしい。
(勝手な希望だけど、せめて犯罪奴隷じゃないといいな……)
あんなに顔立ちが綺麗なら、貴族出身ということもあるかもしれない。金に困って奴隷落ちする貴族もいないことはない。
それとも、違法にどこかから連れてこられた人だったりする? 黒髪はこの国では少ないと聞く。
少しでも話をできればよかったなぁ。そうしたら、彼がどんな人かわかる可能性もあったのに。
どんな人にせよ、運命の相手が奴隷商でひどい目に遭っているのは……嫌だ。あんなに怪我をしていたし。
『リラちゃんっ。ほんとのほんとにその人が運命だったの……?』
父様は目に涙を浮かべてそう言った。リラだって信じがたいけれど、絶対に間違いない。
あと、奴隷商は危ないから行かないでとお願いされた。護衛は基本リラに触れることを禁止されているので、リラが実力行使に出てしまうと意味をなさないのだ。
ざぱぁっと湯船から立ち上がると、温まった身体から湯気がたつ。もうすぐ主人が出てくると察した侍女がカーテンの向こうで湯上がりの準備をしている気配があった。
リラは首元をタオルで拭い、サイドテーブルに置いてあったネックガードをつけながら考える。
でも……見つけてしまったのに、なにもせずにいられる?
父様は平民だった母と結婚するため、宰相に成り上がって周囲を黙らせた。リラには……なにができるのだろうか。
「ねぇ、調教ってどんなことするのかなぁ?」
「エッ……」
ちくちくとハンカチに刺繍をしながら、リラは護衛のザインに尋ねる。だが返事はなく、顔を上げてザインの方を見ると口に両手を当てて頬を赤らめていた。
なに?その反応。
「昨日、丸っこいおじさんが言ってたじゃない。『調教中の奴隷』だって」
「アッ。あ〜〜〜そっちっスね!」
「?」
何に納得したのかわからなくて、首を傾げる。薄桃色の結われた毛先がふわりと揺れた。
ザインは「リラ様の口から調教ってワード、破壊力あるぅ〜」などと呟きながら、うーん……と明後日の方向を見てようやく答えてくれる。
「そりゃ、命令を素直に聞かせるために殴ったり蹴ったり」
「なぐったりけったり」
「食事を抜いて飢えさせたり」
「うえさせたり」
「『言うこと聞くので許してください!』って懇願するまで痛めつけるんじゃないすかね〜。あくまで想像っスけど」
「…………」
リラはあのとき見た男が傷だらけだったことを思い出し、顔から血の気が引いた。あんな大きな身体で食べ物を与えられなかったら、相当苦しいのでは。
リラは発情期が明けるころ、いつも空腹で泣きそうになっていることを思い出して薄いお腹を撫でた。
しかもまだ調教中ということは、傷が癒える間もなく増えてしまうんじゃ……?
リラは暴力の痛みを知らない。けれど刺繍針が指先に刺さるだけでいつもキュッと目を閉じてしまうのだ。
西の国境部ではたびたび紛争が起き、国は国軍のほかに傭兵や戦闘奴隷を送り込んでいるという。あの人も紛争地に送り込まれるかもしれない。いつ大怪我をしたり、命を失ってもおかしくない場所だ。
一番命を軽んじられそうな立場に運命が置かれていることに、ひどく胸が痛む。
リラはじっとしていられなかった。ソファから勢いよく立ち上がり、落ち着かずにうろうろと部屋の中を歩き出す。
自分に紛争を止める力があればいいのだが、宰相の父をもってしてもそれは難しいらしい。
「それ……毛虫、っスか?」
「葉っぱ‼︎」
リラが投げ出したやりかけの刺繍枠には、緑色のごちゃごちゃしたモザイク画のようなものが描かれていた。いくら見た目が可憐でも、手先の器用さは壊滅的である。
午後になって、リラはこっそりと家を抜け出した。もちろんザインはついて来ているが「り、リラ様ぁ〜」と口頭で引き留めようとしただけで無力だ。
「せめてこれだけは!」と懇願されたので、奴隷商の前まで来るとマントのフードをかぶる。
ちょうど別の客が入ってゆき、あの太ったおじさんが案内していくところだ。人手不足なのかそれ以外に人は見当たらない。
ラッキー! と意気込んだリラはとことこ入り口から侵入し、誰もいないホールからカーテンをくぐって奥の空間へと足を踏み入れる。
そこには無数の牢が並んでいた。汗を煮詰めたような臭いが鼻をつき、眼窩の落ち窪んだ目がリラを見る。
ほとんどが無気力に座り込んでいるが、ガシャン! と檻に体重をかけリラに近づいてこようとする人もいる。
「……ひっ」
言葉は不明瞭で、外国の人かもしれない。リラは小走りで奥へ向かった。本能がそこにいると伝えてくるのだ。リラの、運命が。
――いた!
もうひとつカーテンをくぐった先で見つけた。手前では大勢が一つの牢に詰め込まれていたが、彼はひとりで牢にいる。
壁に背をつけ、片膝を抱えて座っていた。黒繻子の髪が目元を覆い、ミステリアスな雰囲気だ。他の奴隷とはオーラが一線を画している気がする。
「あ、……あの!」
「…………」
闖入者の姿を見ても、男は表情さえ変えない。昨日から包帯はそのままで、汚れても交換なんてしてもらえないことが見て取れた。
檻の中にいるのに手枷と足枷はそのままだ。滲む血と、見え隠れする傷に胸が苦しくなる。
リラは無視されたが、檻へ近づいていって持っていたバスケットの中から林檎を取り出した。厨房から一番赤くて艶々に見えるものを持ってきたつもりだ。
手に持って、差し出す。檻は腕くらいなら容易に通してしまう。
「りーらーさーまぁ! 檻から離れてください! 危ないでしょう!」
ザインが痺れをきらしてリラのマントを引っ張ると、フードが取れて視界が明瞭になった。
ああ、やっぱり運命だ。リラの目に、やっぱり男は輝いて見える。
もう一度、秋の空みたいな淡いブルーが見たい。こっちを見てもらえないだろうか。
「あの、お腹減ってませんか? これあげるので、あなたのことを教えてください」
「…………」
無反応はさびしいなぁ。
重みのある林檎にちょっと腕が痛くなってきたところで、背後から人の声が聞こえた。こっそり入ってきたリラはビクッと肩を震わせる。
「ついでに昨日仕入れたばかりの戦闘奴隷を見ていかれます? 荒くれ者ですが見目もいいですし、少し時間をいただければしっかり調教して差し上げますよォ」
「おお、それは是非」
奴隷商のおじさんが客をここまで連れてこようとしているらしい。見つかったら……怒られちゃう!
ぎゅっと林檎を胸元に抱え、慌てて部屋の隅に寄る。この空間にも牢はいくつかあるが、奴隷は彼ひとりしかいない。
息を潜めていると、ふたつの足音が近づいてくる。ザインがリラを隠すように立ったときだった。
「来んな雑魚が!!」
「「ヒッ」」
牢の中からの叫び声に、リラも、カーテンの向こうにいた人たちも息を呑む。
「少しでも顔を見せたら、お前の肉を噛みちぎってやる……」
地の底を這うほど低い声は静かに、しかしはっきりと響いた。
「や、やっぱりやめておきますか。攻撃性が高くて、他の奴隷とも一緒にできないんですよまだ」
「そっそうだな! もういい奴隷は見つかったことだし、やめておくよ」
足音が遠ざかってゆく。警戒していたザインの肩も下り「やばいですよこの人! 今のうちに帰りましょうっ」とリラを急かす。
しかしリラはぽうっと頬を染めていた。低く身体に響くような声に、(かっこいい声……)と芯から揺さぶられるような感動を覚えていたのだ。
「助けてくれた……?」
「そんなわけないでしょう! もう出ないと、お父様に報告しますよ!」
ザインの脅し文句に、さすがのリラも引き下がった。これでも彼はリラの我がままを大目に見てくれている。
離れがたい思いで、リラは握っていた林檎と男を交互に見つめる。バスケットの中から傷用の軟膏と包帯を取り出して、ハンカチで林檎と一緒に包んだ。
「これ……お礼です。見つからないうちに受け取ってくださいね」
檻から手を突っ込み、コトと床に置く。早く! と手招きするザインに従い、リラはその空間をあとにした。
人が去ったあとも揺れるカーテンを、男が見つめている。




