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知ったことか、関係ないね

「なにを怒っているんだ? エリック」

 宇翔(ユーシャン)の問いかけに、世海(シーハイ)は不機嫌に答えた。

「別に怒ってない」

 怒ってるじゃないか、と宇翔は面倒くさそうに言ってハンドルを切る。

「ミホさんのことか?」

「馴れ馴れしく呼ぶな」

 噛みつくように言うと、宇翔はくすくす笑った。

 ホテルグロンブルを出た二人は、宇翔の車に乗り、仕事場へと向かっていた。後部座席にだらしなく座ってイライラしている世海に、宇翔は巧みなハンドルさばきを駆使しながら声をかける。

「俺はな、エリック。お前の事を本当に優等生だと思っている。暗い過去なし、おかしな性癖なし、スキャンダルなし! タバコも吸わない、ギャンブルもやらない。女遊びすらしない! もしかしてゲイか? と正直疑っていた」

「うるせー」

「でも分かったよ。ミホさんだな。彼女を見てすぐにピンときた。幼馴染とはなー」

 宇翔の訳知った言い方に腹が立って、世海は舌打ちして足を踏み鳴らした。何が言いたいんだ。

「あいつとは何でもない。何の関係もない。五歳の頃まで一緒にいただけの話しだ」

「そんなのは関係ないよ」

「関係あるだろ! なんで海帆を巻き込むんだよ! あいつの世話になんかなりたくないんだよ、こっちは!」

「なら、なんで反対しなかったんだ?」

 宇翔の静かな問いに、世海はぐっと言葉を詰まらせ、ぷいっと車窓に顔を背ける。

「グロンブルに滞在するって俺が言った時、お前なにも言わなかったよな。なんでだ? てっきり無茶苦茶反対するって思ってたよ。多分、ミホさんもそう思ってたはずだ」

 世海は答えない。答えられなくて、ただ窓の外を流れる景色を睨みつけて、唸っていた。

 ため息をつきながら、宇翔は優しく話しかける。

「なあ、エリック。心に負った傷っていうのはな、大抵、時間が癒してくれる。でも、時間だけじゃどうにもならない傷っていうのも、世の中にはある」

 世海は顔を歪めた。聞きたくもないのに、言葉が耳に入ってくる。

「そういう時はどうしたらいいか、分かるか? まずは専門医に診てもらう。でもお前の場合、医者は役に立たない。じゃあ、次はなんだ? 傷を負わした相手に対峙する。また辛い思いをしたくなくて避けるんじゃなくて、向かっていくんだよ。そうすることで傷が治ることもある」

「何が言いたいんだよ。俺の何を知っているんだ」

 吐き捨てる世海に、宇翔は再び大きなため息をついた。

「言わんでも分かる。お前のその対人恐怖症気味な潔癖な性格、絶対に昔の手痛い恋愛経験のせいだって思ってた。まさか五歳の頃の初恋だとはな。想定外だったけど」

 流れ去る景色を眺めながら、世海は海帆と再会した日の事を思い出していた。魅入られたように、車窓の景色を眺めていたきれいな横顔を。

 宇翔はそのまま話しを続ける。

「エリック、俺はお前はいい役者になると思っている。いや、確信している。俺の勘は当たる。多くのタレントのマネージャーをして培ってきた勘だ。だがその勘が俺に告げるんだ、お前はこのままじゃいけないって。打開策のカギはミホさんだ」

「……なんであいつなんだよ」

 反論する気力も失せて、世海は景色からようやく目を離した。

 そんな世海を、バックミラー越しに宇翔は見つめていた。

「初恋のトラウマを治せ、エリック。でないと、今後恋愛ドラマを演れないぞ。役者をやるからには、ラブロマンスものは必須だ。避けては通れない。だけど今のままじゃ、お前にはとてもできないよ。張俊凌(ヂャンジュンリン)だって、演りこなせるかどうか」

 張俊凌とは、世海がこれからやるBLドラマの役名だ。主人公の元カレで、支配的な愛情をぶつける難しい役なのだが、すでに監督からはかなりキツめに演技指導を入れられている。

 そんなことはない、と言い返したかった。でも、できなかった。その通りだからだ。

「今回の事件は不運だったけど、お陰でミホさんに出会えた。ラッキーだよ。これを機に、彼女ともっと交流を持て。なんだったら恋愛もしていいぞ。バレなければな。恋愛は人を成長させる。演技に深みが増す」

「あいつは恋人がいるぞ」

「知ったことか、関係ないね」

 はん、と鼻息荒く吐き捨てる宇翔に、世海はうんざりした。

 どいつもこいつも、無責任に言いたい放題言いやがって。

 何もかも嫌気がさして、世海は再び窓へと視線を向けた。

 知ったことか、関係ないね。


 そろそろ上がりだな。

 夜の八時。海帆は作業途中の仕事の有無を確認する。

 未到着のゲストへ連絡をしながら、退社時刻までチェックイン業務を行い、夜勤者への引き継ぎ・身の回りの片付けをして本日の勤務を終える。

 私服に着替え、すみやかに退社。

「ミホさん、上りですか? 今日はエリック帰って来なかったですね」

「ジェシカ、お疲れさまです。うん、今日は遅くなるみたいです」

 笑顔で返事をして、海帆は颯爽と更衣室から出た。

 世海がグロンブル台湾に滞在するようになって、数日。宇翔からエリックをお願いします、と言われていたが、思っていたよりも世海と接する機会はあまりなかった。

 それもそのはずで、彼はいま非常に忙しい。

 ドラマの撮影が始まった上に、出演した男性用洗顔フォームのCMが好評で、化粧品や清涼飲料水などのCMオファーが殺到しているそうだ。その他にも、ちょこちょことテレビのバラエティー番組に出演することも増え、寡黙だけど味のある受け答えをするキャラがウケて新しいファンを獲得し、いくつかの番組でレギュラー出演の話しも進んでいるらしい。

 なので海帆の仕事といえば、世海の衣類のクリーニングやプレス、好みのドリンクの提供、食事の手配ぐらいである。世海は気難しい性格ではあるが、生活習慣は割とまともなので真夜中に突然リクエストをされる、ということもない。ただ、俳優という職業は不規則なものなので、帰りが夜遅くなることはしょっちゅうだった。これから戻ると連絡が来た時は海帆は世海の帰りを待つが、まれに遅くなるから帰っていいと言われた時は帰宅するようにしてる。

 今日は、帰っていいと連絡が来た。

 待っていてもよかったのだが、どのみち世海も寝に帰るだけなので、海帆がいたところでやれることはあまりない。

 仕事が忙しいのは、いいことだ。

 幸いなことに、大物俳優と新人女優の不倫騒動の余波が世海の身に降りかかる気配は今のところなく、幼馴染が仕事に忙殺されている姿を見て海帆は安心した。

 この分なら、すぐにでも自宅に帰ることができるだろう。

 ホテル住まいは身軽で便利だが、外にいるという緊張感はどうしても残ってしまうものだ。仕事が忙しい時こそ、完全に気持ちをリラックスさせる時間は必要で、そのためには自宅で過ごすのが一番だと思う。特に世海は一本気で没頭しやすいので、オンとオフの切り替えがしやすい環境に身を置いた方がいいのではないか、と海帆は案じていた。

 世海からは余計なお世話だ、と怒られそうだが。

 むっと不機嫌な仏頂面を思い出して、海帆の顔に笑みが浮かぶ。帰宅が遅くなると言って海帆を帰した次の日の朝は、必ず呼びつけて朝の支度などをさせるので、今夜は早々に帰って寝た方がいい。

 ああ、そうだ。この前、行けなかったあのお店のお粥をテイクアウトして夕飯にしよう。

 ここ最近、行く機会がなかったお気に入りの店を思い出して歩き出した直後、とても無視することのできない強い視線を感じ、海帆は振り向いてギョッとした。

 全身黒ずくめの背の高い男が、自分の後をつけているのだ。

 身構えて叫び声を上げようとしたところで、はたと前にも同じようなことがあったなと思い出した。

 あの時は、すぐに寮に帰ったから不審者の姿は見ていないけど、今夜も同じ人物だろうか。そうならば、いい加減なんとかしたい。

 幸い、ホテルを出たばかりなので、何か起きても大声を出せば誰かが駆けつけてくれるだろう。

 海帆は腹をくくると、不審者と対峙するために体ごと向き直ったが、近づいてくるシルエットが見覚えのあるものだと気が付いた。

「世海、くん?」

 恐る恐る話しかけると、声をかけられた男は無言で頷いてサングラスを外した。

 暗い夜道、黒ずくめの格好に、世海の白い顔が浮かび上がる。無駄に美形なのが恐怖を煽る。

「びっくりしたー、脅かさないでよ。変質者かと思ったじゃん」

「……悪い。どう声をかけたらいいか迷って」

 めずらしく弱気な発言に、海帆は心配になる。なにかあったのか。

「こんな遅くにどうしたの?」

「……………………」

 海帆は世海が口を開くのを待ったが、彼は言いたいことがあるのにどう切り出したらいいのか分からない、という様子で言い淀んでいる。しばらく待っても何も言わないので、海帆の方から話しかけた。

「私さ夜勤明けでね、これから帰るんだけど、お腹が空いたからなにか食べてこうと思って。世海くん一緒にどう?」

「食うことばっかりだな」

 憎まれ口にも勢いがない。

(うーん、元気がないな)

 どうしたものかと思ったが、とりあえず表情だけは明るく話しかけた。

「まあね、台湾のご飯が合ってるみたいでさ。美味しすぎるから、食べても食べても太らないんだと思ってる」

「太るだろ、普通に。もういい年なんだし。若い頃にスポーツやっていた奴ほど、付いた肉を落とすの難しいんだぞ」

 ちょっと調子が戻ってきたかな。

 ほっとした海帆は「厳しいな〜」と笑った。

 世海はしばらくじっと海帆の笑顔を見つめ、ふと目をそらして呟いた。

「俺は俳優だし、太っちゃいけないって言われてる」

「ああ、そうか。そうだよね、じゃあまた……」

 今度、と言おうとしたら、世海が被せるようにやや早口で言った。

「だから、あんまり食えない。お前も食いすぎるな」

 なんとも素直じゃない言い方に、海帆は吹き出した。

「あはは、食べるんだ。じゃあ、付き合ってね」

 お店こっち、と先に立って歩くと、むすっとしながら大人しく付いてくる。

 そして案内された店を見て、呆れたように呟いた。

「どんだけ、お粥が好きなんだよ」

「多分、死ぬまで好きだと思う」

 軽口を叩き合いながら店内を移動して、今日のおかずを物色する。食事はビュッフェ形式で、カウンターに置かれている豊富な種類の一品料理のおかず小菜(シャオツァイ)を数種類選び、最後にお粥かご飯、もしくは麺を選んで会計。深夜とはいえ、それなりに客はいるので、俳優である世海に気を使って隅の目立たないテーブル席に座った。

「さて、いただきます」

「うん」

 海帆はいつもの小菜にもう一品、ゆで卵の塩漬けも特別にプラスして、中々豪華な夕飯になった。清粥と呼ばれる、サツマイモが入った白粥からふくいくとした湯気が立ち、食欲がそそられる。

 世海も厳密な体重管理をしている身としては、魚のお粥に合わせてしっかりめのおかずセレクトをしていた。

剥皮辣椒(バオピーラージャオ)。相変わらず辛いの好きだね」

「お粥って言ったらこれだろ。こいつは外せない」

 こっちが心配になる量の唐辛子の漬物を、世海は顔色一つ変えず、汗もかかずにお粥と一緒に口へ運んでいる。

 ピリ辛は好きだが、激辛には慣れていない軟弱な舌の持ち主の海帆からしたら、見ているだけで汗が吹き出しそうだ。

「お前も、昔はこのくらい普通に食ってたぞ」

「そうだった? 食べてたっけ?」

 首をかしげる海帆のお粥に、世海は漬物の唐辛子をのせた。

「食ってた。にこにこ笑いながら」

「えー、子供用に辛さ抑えてたのじゃなくて?」

「ばあさんがそんなことするか。大人用の味付けだったよ」

 さらに漬物をのせようとするので、もういいもういいと海帆はお椀を持つ手を引き寄せる。代わりに、自分のおかずの小皿を世海の方へ差し出した。

「ほら、これも好きだったでしょう?」

「うん」

 じゃことピーナッツのピリ辛炒めは、子供の頃の海帆と世海のお気に入りだった。

 世海はさらに、魚粥に揚げパンものせて中々の食いっぷりを見せている。

「おなか空いてた?」

「別に。お粥食べるの久しぶりだから」

 頬袋を膨らませて食べる姿は昔と変わらないな、リスみたいだ。と微笑ましく見ていたら、ぎろりと睨まれた。

「なんだよ」

「ううん、なんでもない。ほら、これも食べなよ」

 また不機嫌になったら困る、と手持ちの小皿をさらに差し出すと、世海は顔をしかめた。

「言っただろ、太るのは厳禁なんだ。もう食えない」

「そっか」

 つい、弟の(わたる)や雄一と一緒に考えてしまう。彼らは海帆以上によく食べるので、それに慣れてしまっている海帆は、同席した人に食べ物を勧めたくなるのだ。

「私のまわりはよく食べる人が多いからさ、なんか食べさせたくなるのかも」

「それ、彼氏?」

 何気なく言った言葉に、世海が反応する。

「…………お前の彼氏って、どんなやつ?」

 ぽつりと呟いた言葉には、どこか寂しさがあったが、自分の事を聞かれたのが意外で海帆は気づけなかった。

「どんな、か。うーん、難しいな。見た目はちょっとゴリラっぽい。ラグビーやってたから」

「ゴリラ……」

「うん。高校、大学とね。出会ったのはホテルに就職してから。私はコンシェルジュで、彼は営業」

「ふーん」

 面白くなさそうに相槌をする世海を見て、なんでこんな質問するんだろう、と海帆は首をかしげた。

「日本に帰ったら、結婚するのか?」

 本当にどうしたんだろう、何かあったのか。

 海帆は心配になってきたが、直感的に、この問いには真面目に答えなければいけない、と感じた。

「ここに来る前に、そういう話しはあったよ。ただ正直、あまり結婚は意識していないかな、今のところ。ここでの仕事が楽しいのもあるし、向こうもしばらくは忙しいみたいだから」

「そうか」

 世海の表情は読めない。まったくの無だ。

 機嫌が悪いわけではないようだけど、と内心首をひねりつつ、海帆は残りのお粥に取り掛かる。

 それからは当たり障りのない話題で二人は食事を続け、海帆は世海に寮まで送ってもらったのだった。


「すいませーん、もう閉店……おお、いらっしゃい」

 片づけ始めていた店に入ってきた友人を見て、俊宏(ジュンホン)はすぐに、世海のいつもの席を準備した。

「なんだよ、久しぶりだな。元気だったか」

「うん」

 世海はぼんやりしていた。瓶ビールを出してやったが、手を付けず考え事をしている。

「どうした?」

「俊宏」

 声を掛けたら名前を呼ばれたので、俊宏は片づけの手を止め、友人の向かいの席に座った。

「なんだ?」

「ゴリラに勝つにはどうしたらいい?」

 なんの冗談だ、と思ったが、世海の顔はこれ以上ないくらいに真剣だった。

「……………………俺は戦わない。あいつらの上半身の筋力はすごすぎる」

「うん」

「だから勝とうと思わない。でも、手持ちの札があるんだったら、それを使い切る努力はする」

「……………………」

 黙り込む世海に、もう一度ビールを渡すと、彼はそれを受け取り一気に飲み干した。

「俺は、ラグビーは嫌いだ」

「そうか。俺は、正直なんとも思ってなかったけど、まあ、嫌いだよ」

「あんなの全然おもしろくない」

「そうだな。ルール分かんないし」

 世海の独り言に律儀に返事をしながら、今夜は長くなりそうだな、と俊宏は内心ため息をついた。

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