予期せぬ業務追加
次の日、海帆が眠い目をこすりながら出勤すると、スタッフルームはちょっとした騒ぎになっていた。
「あ、ミホさん! 昨日エリック・スンが来たって本当ですか⁉ 本当ですか⁉」
興奮して詰め寄ってくるジェシカをさり気なくかわしながら、海帆は当たり障りなく返事をする。
「本当ですよ。夜中に突然ね。なあに、そんなに興奮して。芸能人がホテルを利用することなんて慣れてるでしょう?」
「そうですけど! エリックはいつも別のホテルを使っていたんですよ。うちに来たのは初めてです! なんかあったのかな? もしかしてスキャンダル⁉ だからいつも使うホテルじゃなくて、うちに来たのかな⁉」
ミーハーに騒ぎ立てるジェシカは昨夜の詳細を聞き回っている。海帆は手早く制服に着替えると、足早に更衣室を後にした。
「ミホさん」
呼び止められて振り向くと、アビーが急ぎ足で海帆のもとまで来た。
「アビー、おはようございます。昨日はご苦労さま」
「おはようございます。ミホさんこそ、夜中まで大変でしたね」
労われて、海帆は微笑んで首を振った。
「ありがとう、でも大したことはありません。それより、もう話しが広まってますね」
先ほどの騒ぎの事を言うと、アビーが申し訳なさそうに言った。
「引き継ぎの時にどうしても報告しないといけなくて。でもスタッフが知らないよりは、ある程度は把握しておいた方がいいとマネージャーに言われたんです。うちに来た時の様子もおかしかったし、本当にスキャンダルだったらホテル側も対応をしなければいけないから」
「そうですね」
海帆は真面目な顔で頷いた。
ホテル従業員は職場の性質上、スキャンダルには特に敏感だ。もしも巻き込まれた場合、スタッフやなによりもお客様の守秘義務の厳守を徹底しなければならない。そのためには事態の把握と情報共有を最優先して、責任者や関係部署と連携する必要がある。
世海はただ酔っ払っただけだと言っていたし、海帆もそう報告したが、やはりそれなりに対策を取ることにしたのだろう。
「ジェシカはミーハーなところはあるけど、ああ見えて仕事はちゃんとします。外部に漏らしたりはしません」
考え込んでいたら、アビーが真面目な顔をして言ってきた。スタッフルームでの騒ぎを、海帆がどう思っているか心配しているのだろう。
「もちろん、うちのホテルのスタッフは全員優秀です。そのことは心配していません」
実際、心配していなかった。ホテル従業員たちは全員、顧客に対する守秘義務の重要性を徹底的に叩き込まれているし、継続的に教育されている。大事な顧客情報が、グロンブル側から漏れるなんてことは到底あり得ない。
海帆は安心させるように微笑んだ。
「そんなに申し訳なさそうにしないでください。エリックをホテルに泊めたのは私の判断ですし。逆に、私が彼を介抱している間にマネージャーに報告しておいてくれて助かりました」
心から思ってる海帆の言葉を聞いて、アビーはほっとしたように明るく笑った。
「私、いろいろ報告しましたけど、でも海帆さんとエリックが知合いだとは言わなかったですよ」
「……ありがとうございます。助かります」
やはりバレていたか。昨夜は勢いに任せて世海を介抱して、その後は報告をしてすぐに帰ってしまったが、二人のやり取りを目のあたりにしたスタッフ達は、海帆たちのことをどう受け取っただろうかと気になっていた。
大騒ぎのスタッフルームで、二人はどういう関係なんだと聞かれなかったのでほっとしていたのだが。
「あの、聞いてもいいですか? 二人はどういう関係なんですか?」
アビーがもじもじしながら聞いてくる。軽々しく話しはしなかったが、やはり気になっていたのだろう。
海帆としては、二人の事を他のスタッフに言わないでいてくれただけで御の字だ。今だって、わざわざ人気のないタイミングを見計らって話しかけてきたのだから、触れられたくない話しをしている自覚はあるのだ。
世海とのことは誰にも言わないと決めていたのだが、事情を知っている人がいてもいいのかもしれない。突然、海帆はそう思った。
相談できる相手がいた方が気持ちは楽だし、なにより海帆は隠し事が苦手なのだ。
それに、これは別に隠すような事でもない。言いふらすことでもないけど。
「幼馴染なんです、エリックとは。小さいころに別れて、最近また再会したんです」
海帆の静かな告白に、アビーは目も口も丸くして、固まった。震えている。感動しているらしい。
「凄いです、ミホさん。なんか、なんか凄いです」
何が凄いのか分からないが、取り合えず海帆は「ありがとうございます」とお礼を言った。
「わたし、言いません。絶対に秘密にします。こう見えて口は堅いんです。安心してください!」
固い決意を双眸に漲らせて、アビーは拳をつくり、力強く言った。なんだか頼もしくて、海帆は笑ってしまった。
「よろしくお願いします。それじゃ、朝のミーティングが始まるから」
「はい。あ、でもミホさんはミーティング出なくていいですよ」
「へ? なんで?」
つい、素で聞き返してしまった海帆に、アビーはにっこりとほほ笑んだ。
「昨日の例のお客様がお呼びなんです。ミホさんが出社したらすぐに部屋に来てほしいって言われてました」
頑張ってください、応援してます! とアビーは両拳を握って海帆を激励した。
「おはようございます! ミホさん!」
ノックして来訪を告げた瞬間、勢いよくドアが開いて、世海のマネージャー陳宇翔が満面の笑みで海帆を出迎えた。
「…………おはようございます」
貼り付けた営業スマイルでやり過ごし、海帆は「失礼いたします」と入室する。
世海は起きていた。
シャワーを済ませ、新しい服にも着替えていて、さっぱりした様子だ。着替えは、宇翔が持ってきたのだろう。
「おはよう。よく眠れた?」
声をかけると、世海はうんと頷き、小さく「おはよう」と言った。
顔色は悪くない。一晩ぐっすり寝てだいぶ回復したようだ。
「いやーミホさん、今日はパリッとしていますね。とてもカッコいいです」
「ありがとうございます。昨夜はお見苦しい姿で応対してしまい、申し訳ございませんでした」
そんなことないですよー、と宇翔は大げさに手を振った。
そう言った宇翔も今日はジャケットに襟付きシャツ、きれいめなパンツという清潔感重視の、いかにも芸能人のマネージャーという出で立ちだ。よく見ると、世海が着ているシャツも、シンプルだがラインがしっかりしていて、ゆったりしているのに着こなしにだらしなさを感じない。むしろ、姿勢がいいことも相まって、スタイルの良さがよく分かる。
芸能人って凄いな、と海帆は感心した。
「ご用があると伺いました」
呼び出しの用向きを聞くと、宇翔は意味ありげに世海を見つめ、世海はうつむいて口ごもった。
なんだ? なにか問題でも起きたのか?
内心身構えていると、いつまでも話し出さない世海にしびれを切らした宇翔が話し出す。
「昨日のカイルのパーティーなんですが、ちょっと問題が起きまして……」
「問題、ですか」
嫌な予感がする。思わず世海に目を向けると、彼は眉間にたて皺をよせて、これ以上ないほど機嫌の悪い、凶悪な顔をしていた。
「パーティーにいた新人女優と大物俳優がですね、ちょっと仲良くなったようで」
宇翔は言いにくそうに言葉を濁し、海帆は察した。
「その大物俳優の方は、既婚者だったんですね」
「はは、そうです」
なにが面白いのか、宇翔はおかしそうに笑う。その笑い声は少し乾いていた。
「前々から噂があった二人だったんですよ。それが昨夜いよいよ撮られてしまいまして。パーティーの後、二人でホテルに入るところを」
よくある話だ。だが、それが世海とどう関係があるのだろうか。海帆は話しを聞く姿勢を崩さず、静かに立ってその先を待つ。
宇翔が話しを続ける。
「実はあのパーティー自体が、二人のためにお膳立てされたものだったんです。表向きは遊び好きの芸能人の飲み会、でもその陰では密会を楽しむ二人。大勢に囲まれていれば、二人で会っていてもバレにくいですからね。あのバーは何部屋か個室がありましたし」
「そうですか」
つまり、世海は道ならぬ恋を楽しむ二人の為に駆り集められた人員、だったということか。
海帆は呆れてしまった。世海にではない。大勢を巻き込んでまで欲求を満たしたい不倫カップルにだ。道ならぬ恋に燃え上がりながら、しっかりと保身を確保する周到さにだ。
ホテル業務に従事している者であれば、この手の話しは日常茶飯事で、心がざわつくことはない。海帆も日本で働いていた時は、何度も色恋の修羅場を目の当たりにしてきた。
だが、昨夜の世海の泥酔して憔悴しきった姿を思い出すと、少なからず腹が立った。火遊びを楽しむなら、二人で勝手にやればいいのに、なぜひたむきに努力し続けている俳優が巻き込まれるのか。
「カイルはその大物俳優に可愛がられてましてね、まあ、こういうことで色々手を貸していたのでしょう」
「彼は……」
「はい?」
聞き返す宇翔の顔を、海帆は見つめた。
「エリックには、なんの落ち度もありませんよね。それどころか、彼は被害者だと思います。問題とは、どういうことなんでしょうか」
不倫は芸能人にとって手痛いマイナスイメージで、並大抵の努力では、そのイメージを払拭することは難しい。だが、それは火遊びをしていた新人女優と大物俳優の話しであって、二人が密会するパーティーに、たまたま参加していただけの世海が責められることはないはずだ。これで彼がマスコミから取り沙汰されて、最悪芸能界から干されるなんてことになったら、さすがに酷すぎる。
海帆の心配に気づいて、宇翔は慌てて説明した。
「エリックに落ち度はありませんよ。もちろんです。彼が逃げ出した後も、カイル達は店を転々としていたみたいですし、写真を撮られたホテルは、彼が逃げた店からだいぶ離れてましたから。ただー」
そこで宇翔は眉をひそめた。
「不倫報道が出て、昨夜のパーティーが乱交めいたものだという印象がついてしまいました。エリックがあの場にいたことは事実です。大勢に目撃されてますしね。こればかりはどうしようもありません。幸いなことに、エリックもいたと言う人はまだいませんが、いつ名前を出されるか。しかも、今回のドラマ制作陣の関係者も何人かいたみたいで、今マスコミが話を聞き出そうと群がってきてるんです」
宇翔はふうとため息をついた。
「今朝、エリックの着替えを取りに彼の自宅に寄りました。そしたら、もうすでにカメラマンが何人かいたんです」
気づかれないように出入りするの、大変でした。うんざりして首を振る宇翔を、海帆は気の毒に思った。そしてそれ以上に、世海のことが痛ましかった。
世海は無言だ。ここまで、一言もしゃべっていない。だが、明らかに怒っていた。昨日の自分の軽率な行動を責めているのかもしれない。
「エリックがこのホテルに転がり込んでくれたのは、不幸中の幸いでした」
宇翔の言葉に、海帆はどういう意味かと首をかしげる。
「グロンブルは、いい意味で想定外です。立地はいいけど、我々からすると撮影所とかイベント会場に行きにくいので、あまり利用しないんです。だからこそ、誰もこのホテルのことは思いつかないでしょう」
彼にはしばらくこのホテルに滞在してもらおうかと思います。
宇翔の言葉を聞いて、海帆は世海に顔を向けた。
世海は、まっすぐに海帆の事を見つめていた。
「…………かしこまりました。まずは、この話は私が持ち帰らせていただき、改めてしかるべき者からご連絡差し上げます」
「いや、ミホさん、あなたがいいです。このホテルに滞在中は、あなたにエリックのことをお任せしたいです。幼馴染がホテルの有能なスタッフだなんて、こんなに都合のいい……いや、助かる状況なかなかないですよ! いかがですか?」
いかがもなにも、果たして海帆に断ることなんてできるのだろうか。
「それは、断れないな」
持ち帰って報告後のマネージャーの一言で、海帆に新たな業務が加わったのだった。




