表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/23

帰国

 羽田空港第三ターミナルの到着ロビーは、大荷物を転がす外国人や、それを出迎える大勢の日本人で活気に溢れていた。

 いたるところに笑顔で挨拶を交わす人々がいて、その中を海帆(みほ)はコロコロとキャリーケースを転がし、足早にロビー内を通り過ぎて行く。

 久しぶりの日本の空気だ。 

 数か月ぶりだろうか。

 聞こえてくる言語も当然だが日本語が多く、耳を慣れさせるのに少しだけ時間がかかった。

 台北松山空港から羽田空港まで四時間弱。

 天気は快晴、フライトは順調だった。

 到着ロビーの喧騒を通りすぎ、電車を使うかそれとも高速バスで帰ろうかと悩んでいると、後ろから誰かに声をかけられた。

(たちばな)さん」

 振り返ると、到着待ちの人だかりの中から、見知った小柄な女性が走り寄ってくる。

「舘石先生」

 海帆はびっくりした。先に帰国をしていた、舘石愛実(たていしまなみ)だったのだ。

「おかえりなさい、橘さん。お迎えに来ました」

「そんな、迎えなんてよかったのに」

「私が来たかったんです。荷物これだけですか?」

 愛実は手を伸ばし、海帆のキャリーケースを運ぼうとする。

 迎えに来てくれた上に、荷物まで運ばせるわけにはいかない。

 混乱した頭でもなんとかそう思えたので、海帆は丁寧に辞退した。

 愛実は少し残念そうな顔をしたが、すぐにこっちですと歩き始めたので、海帆はその後について駐車場へと向かった。

「なんか、すみません。迎えに来てもらっちゃって」

「いいんです。さっきも言いましたけど、私が来たかったんです」

 愛実はそう言って、海帆の隣を歩いた。

 駐車場まで誘導してくれる愛実の身長は海帆の肩くらいしかなく、本当に小柄だ。

 なぜか運転させるのが申し訳なくなって、自分が運転すると海帆は言ったが、愛実は笑って首を横に振った。

「わたし運転好きなんですよ。こう見えて結構走り込んでます」

 その笑顔には、どこか吹っ切れた清々しさがあった。

 案内された駐車場には、ミドルサイズのSUVがきちんと停められており、愛実は慣れた動きで海帆の荷物を載せ、運転席へ向かった。

「カッコいい車に乗ってるんですね」

 助手席に乗り込みながら言うと、愛実は嬉しそうに頷いた。

「実家の車なんです。家族でアウトドア好きで。初心者からずっと乗ってます。自分でも同じくらいのが欲しいんですけど、中々手が出ないですね。でも軽はどうしてもフワフワした感じがしちゃって。いつも借りてるんです」

 愛実はそう言って、車のエンジンをかけた。

 乗り慣れていると言っていた通り、発進はスムーズで空港内の複雑に入り組んだ道路を迷いなくスイスイと走っていく。

「本社オフィスに行きますか?」

「いえ、本社には明日行くことになっているので、とりあえずホテルへ向かって貰ってもいいですか? スタッフのみんなに挨拶をしたいんです」

「分かりました」

「使ってしまってすみません」

「いいんです。来たかったんですから」

 愛実は車を都内方面へと走らせた。

 しばらく他愛のない話をしていた。

 二人とも、明日は本社で先日起きた騒動の事情説明をしなければならないのだが、すでに腹を括っているからか焦燥感のようなものは感じられなかった。

 高速道路を快調に走っている時、ふと無言の時間が流れ、愛実はぽつりと話し出した。

「私、仕事辞める事にしました」

 突然の告白だったが、海帆は特に驚かなかった。

 再会した時から感じていた愛実の清々しさは、何かを振り切ったものだろうと思っていたからだ。

「残念です」

「向いてないなと思ってたんです、ずっと。先生って呼ばれるタイプじゃないし。だからいいんです」

 愛実は苦笑しながら、軽いハンドルさばきで前を見つめていた。

「今回のことで、それを痛感しました。私、先生として何もできずに、動けなかったんです。つくづく、何のためにいるんだろうって思いました。橘さんに迷惑をかけちゃって」

「迷惑とは思っていないですよ」

「いえ、違います。橘さんにやらせるべきじゃなかったんです。あれは、私がするべきだったんです。私が止めるべきだったんです」 

 愛実は噛みしめるように言った。

 海帆は何も言う事ができず、ただ前を見つめていた。

 琉奈を引っ叩いた時の感触が、右手に蘇ってくる。

「吉川さんも、学校を辞める事になりました。自主的です」

「…………そうですか」

「はい」

 感情のこもらない声で、愛実は話し続けた。

「もともと、あまり身が入ってない生徒だったんです。CAを目指していたそうなんですけど、挫折したみたいで」

 愛実は、抱えているものを吐き出したい様子だった。

 海帆は静かに聞いていた。

「…………ゴールデンウイークの時でした。熱海のホテルでバイト中に家庭持ちの宿泊客と関係を持ってしまって、相手の家族にバレて大騒ぎになりました。学校側もかなり非難されて、その時に退学の話しが上がったんですけど。本人が卒業したい、と訴えて。私も後押しをしたんです」

「先生が?」

 愛実は頷いた。

「脱落者を出したくなかったんです。GRBスクール卒の肩書は、今はそれなりに箔が付くから、全員、卒業させたかった。卒業生でCAになった生徒も、少ないですけどいるんです。吉川さんも、騒動の後はとても反省していました。でも――」

 海帆はため息をついた。その先は言わずともわかる。

「CAを目指していたからか分からないですが、吉川さんにはどこか、ホテリエという職業を下に見るところがありました。それがどうしても態度に現れて、友達もいなくなって孤立して、だんだん自暴自棄になっていったんです」

 仕事に於いて、その内容に上も下もない。客室乗務員とホテリエは、どちらも高度な接客業が求められ、高いホスピタリティと語学力が必須な職業である。状況に応じた機転、細やかな配慮ができて当たり前であり、その上で、客室乗務員は保安業務と安全管理を責務とし、ホテリエは多様なニーズに柔軟に応えるサービスのプロに特化しているのだ。

 そんなことは、海帆がいちいち言わなくても愛実は十分に理解している。

「――――吉川さんは、今回の事を何か言っていましたか?」

 海帆の問いに、愛実は小さく首を横に振った。

「いいえ、何も言いません。あの男性にはホテルで声をかけられたのだ、としか。それ以上は何も」

 常連男のことだろう。

 あの男はSeagullに入り浸っていたし、琉奈は研修初日にバーに出没して騒ぎを起こしている。その時に目をつけられたのかもしれない。

「私、見ていたんです」

 愛実はぽつりと呟いた。

 考え事を止め、海帆は運転をする愛実の横顔を見つめた。

「ハロウィンイベントの前日、機材が倒れる事故の前に、吉川さんがあの機材に細工をしていたのを、私は目撃していたんです」

「……………………どうして」

「その時は分からなかったんです。彼女が何をしているのか。あんな所で何をしているんだろう、としか思わなかったんです。でもその後、機材が倒れてオブジェが壊れた騒ぎを見て、ようやく理解して……」

 ハンドルを握る愛実の手が、力を籠めすぎて白くなっていく。

 海帆は焦った。高速道路を走行中で愛実の今の精神状態は危険だ。このままでは事故になる。

「わたし、わたし…………」

「舘石先生、落ち着いて。サービスエリア、サービスエリアに寄りましょう!」

 幸いにもパーキングエリアの標識は、そう遠くない場所にあると示していた。

 サービスエリアに入って車を駐車場に停めた直後、愛実は堪えていたものを吐き出すように泣き出した。

 海帆は、しばらく愛実の好きなようにさせ、飲み物を買ってきますねと言って外に出て温かいコーヒーを二つ買って戻ってきた。

 愛実はまだ泣いていたが、少し落ち着いてきたようで、泣き腫らした顔でしきりに謝りながら海帆からコーヒーを受け取った。

「すみません、本当に。本当にごめんなさい」

「いいんですよ、コーヒーぐらい。送ってもらってますし」

「コーヒーじゃないです。いえ、コーヒーもありがたいですけど……そうじゃなくて、今までのことです」

 愛実はそう言って、ぐずぐずと鼻を鳴らした。

「わたし、吉川さんに聞いたんです。機材をわざと倒したのかって。吉川さんは答えなくて、問い詰めたら払いのけられて。もしも自分がやっていたら今まで以上の大問題になるけど、それでも問い詰めるのかと言われて、どうしたらいいのか分からなくなって」

 海帆は愛実の背中をさすりながら、苦しい胸の内を聞いていた。

「ホテルスタッフの皆さんが夜通しで修復しているのを見て、とにかく何かしなきゃと思って」

「それで、手伝いを申し出てくれたんですね」

 海帆の言葉に、愛実は小さく頷いた。

「得意なことをして、罪滅ぼしになるわけではないんですけど……必死だったんです。なにかしなければって」

 海帆は打ちひしがれた周路陽(ヂョウルーヤン)の姿や、泣きそうだったアビーの顔や夜を徹して作業をしてくれたグロンブル台湾のスタッフ達のことを思い出していた。

 彼らのために何か言うべき事があるのではないかと感じていた。

 でも目の前で、小さく丸くなって背中を震わせる愛実を見ては、とても言う気になれず、背中をさするだけだった。

「…………一生懸命に考えて、こうしようって決めたことを全力で実行したんです。あの時のグロンブル台湾のスタッフ達も、舘石先生も。助かりましたよ。本当です。舘石先生が修復してくれたお墓のオブジェは見事でした」

 絵が描けると言っていた以上の出来栄えだった墓場の風景に、みんなでしきりに感心していたのだ。

 愛実はありがとうございますと消え入りそうな声で言ったが、しばらくの間泣き続けていた。


「ただいまー」

 久しぶりの実家。海帆が玄関で声をかけると愛猫のジーが現れ、びっくりした顔をして逃げていった。

「ミホちゃ~ん! おかえりなさい!」

「おかえりなさい!」

 愛猫の素っ気ない態度に少なからず傷ついていたら、小さな弾丸のような固まりがリビングから飛び出し、薄情な猫とは正反対な熱烈な歓迎をしてくれる。

「ソウくん、ナオちゃん、ただいま。また大きくなったね!」

 腰に抱き着いてきた小学校低学年生と保育園クジラ組さんを抱きしめ返し、海帆は想像以上に早い子供の成長速度に驚きの声を上げる。

「またそれ言ってる~、この間も言ってたよ!」

「言ってた!」

 表情までますます生意気になっていく男の子と、お兄ちゃんの真似ばかりする小さな女の子はケラケラと笑って海帆にしがみついてくる。

「だって本当に大きくなってるんだもん。びっくりしちゃった。何センチ伸びた?」

「わかんな~い」

「わかんない!」

 そっかあ、と言ってしがみついて離れない子供二人をそのままに靴を脱いでいると、しばらく見ていなかった顔がリビングからひょっこり顔を出してきた。

「おかえり~、ついでに久しぶり~海帆ちゃん」

 図体だけはやたらでかい能天気そうな顔を見て、海帆はちょっと意外そうに言った。

「ただいま。(わたる)、あんた帰ってきてたの?」

「海帆ちゃんが帰国するからメシ食いに来いって言われた。帆波(ほなみ)ちゃんもいるよ」

「ちょっとなんなのよ、その言い方」

 弟の航に続いて姉の帆波も顔を出してきた。弟の発言に嫌そうな顔をして、海帆を見て声を掛ける。

「おかえり、海帆。ちょっと太ったんじゃない」

「ただいま、お姉ちゃん。相変わらずだね」

 靴を脱いで廊下を歩き、リビングに入った海帆は帆波に微笑みかけた。

 帆波は長子特有の神経質そうな目付きで肩をすくめただけだった。

 海帆は台所にいた母美帆子(みほこ)にも声をかける。

「お母さん、ただいま」

「おかえりなさい。あら元気そうね。よかったわ」

 美帆子は少し安心したように笑いかけてきた。

「元気だよ。食べ物とかで困ったことないし。順調だよ」

「その割には突然の帰国じゃない。いきなりでびっくりしたわよ。なんかあったの?」

 帆波の質問に、海帆は微笑んで答えた。

「特にないよ。定期的なもの。明日、本社に行って仕事の報告をするだけ」

「ふーん」

 帆波は何か言いたそうだが、未だに海帆の腰にぶら下がっている子供達を見て眉をしかめた。

湊大(そうた)! 波音(なお)! いい加減離れなさい! 海帆ちゃんが動けないでしょ!」

「いやだ!」

「や!」

「やだっていう返事はありません!」

 目くじらを立てる帆波の剣幕に子供達も負けない。

 海帆はこの場を取りなすとっておきの言葉を口にした。

「お土産買って来てるよ~」

 わああという歓声を上げて、子供達はあっという間に海帆から離れ、荷物が置いてある場所へと走っていく。

 なぜか航も、いそいそとその後をついて行った。

「ミホちゃ~ん! 早く開けて!」

「はいはい」

 トランクの周りでうずうずと足踏みをしている子供達に急き立てられ、海帆は荷解き作業を始め、それぞれに買っておいたお土産を取り出した。

 しばらくは歓声とお礼の大騒ぎが続く。

「ペンケースだ!」

「なおちゃんポーチ!」

「あ、やった。台湾花布ポーチだ。ママとお揃いね、波音」

「お母さん、これ。前に割っちゃったって言ってた海老柄のお皿。似たようなのあったから買ってきたよ」

「あら~嬉しい。台湾で買ったあのお皿、大きさがちょうどよくて気に入ってたのよ。ありがとうね」

「サンダルだ」

「これ青白サンダルじゃん。人気あるんだよ」

「へえ~海行く時履いて行こう」

「ワタルくんいーなー」

「いーなー」

「急な帰国だったから、みんなの分は買えなかったの。今度買ってくるから、これで許してね」

 定番のパイナップルケーキと有名店のヌガーも出し、リビングはひとしきり大いに賑わう。

「そういえば、お父さんは?」

「仕事よ。あんたが帰ってくるから休めば、て言ったのに。夕飯までには、帰ってくるでしょ」

 一人足りない存在をようやく思い出した海帆に、美帆子は肩をすくめた。

 相変わらずの仕事人間だなと自分のことは棚に上げ、海帆は軽くなったキャリーケースを持って立ち上がった。

「着替えてくるね。私の部屋、使っていいんでしょ?」

「そのまんまにしてあるわよ。シーツも替えておいた」

 ありがとうございますと至れり尽くせりの待遇に感謝し、海帆は久しぶりの自分の部屋に向かった。

 記憶にあるよりも少しだけ殺風景になった部屋に入り、荷物を投げ出してベッドに倒れ込む。

 物凄く疲れた。

 しばらくベッドにうつ伏せのままじっとして、懐かしい実家のシーツの匂いを嗅いだ。

 あの後、愛実はなかなか泣き止まず、ようやく涙が止まっても運転できる状態ではなかったので、海帆が代わりに運転することになった。

 車の運転自体は好きなので構わなかったのだが、愛実が恐縮してひたすら謝るのをなだめるのが大変で、家まで送ると言い張るのをなんとか断って途中で別れてきたのだ。

 ため息をついて起き上がる。

 キャリーケースを開け、部屋着を取り出して着替え始めた。

 吉川琉奈は学校を辞めた、と言っていた。

 そうなるのではないかと思っていたから、意外ではなかった。

 ただそうなると、彼女と話しをする機会をどうしたらいいだろうか。

 あの夜の騒ぎ以来、海帆は琉奈としゃべっていない。お互いそれどころではなかった。

 明日はル・グロンブルホテル本社オフィスで、海帆の上司と東京GRBホテルスクール学校関係者等の前で質疑応答をすることになっている。

 愛実も出席するが、吉川琉奈は不明とのことだった。

 着替えを終えた海帆は、旅行用リュックからノートパソコンを取り出し、机に置くのももどかしく、ベッドの上で起動させた。

 すでに報告書は本社へと送ってある。

 私感は入れず、起きたことをそのまま事実として作成したつもりだ。

 メールを起動し、社内メッセージの確認をすると、明日の予定が改めた形で送信されていた。

 出席者の中に、吉川琉奈の名前はなかった。

 海帆は了解の返信をし、手早くノートパソコンを閉じた。

 リビングに戻るのが遅いと、心配した誰かが上がってくるかもしれない。

 立ち上がりかけた時、布団の上に無造作に置かれた携帯電話がメッセージの受信を知らせた。

 思わず身構えた海帆は、おそるおそる携帯電話をタップする。

 予想していた相手とは違い、ル・グロンブルホテルの同僚の吉岡明莉(よしおかあかり)からだった。

 海帆の帰国を聞きつけ、飲みに行こうという誘いだ。

 こちらの事情を知らないのか、それとも知った上で敢えて言ってくれているのか、どちらにしろ嬉しくないわけではないので、海帆は喜んで誘いに乗る。

 時間ができたら連絡する、とメッセージを送った直後に着信が入った。

 誰からのか確認する暇もなく、思わず指がすべってタップしてしまった。

 通話中の表記になってしまった画面に肩を落とし、観念した海帆は携帯電話を耳に当てた。

「…………(ウェイ)?」

『まさかと思うが、俺のこと避けてるわけじゃないよな?』

 世海(シーハイ)は機嫌が悪そうだった。

「空港に着いた時にメッセージは送ったでしょ?」

『その後、何通も送り返してるぞ。何してた?』

 海帆はベッドに座りなおした。

「空港から車を運転してたの。だから携帯は見れなかった。いま家に着いたところなんです」

『なんで、お前が運転するんだよ?』

「……迎えに来てくれた人が運転できなくなっちゃって。それで代わったの」

『なんだよ、それ。迎えの意味がないだろ』

 確かにそうではあるが、海帆は詳しく説明するつもりはなく、運転するのは嫌いじゃないから、と言うだけにした。

「それより、元気そうだね。熱は下がったの?」

『下がってない。上がる一方だ。眠れないし、食欲もない。情緒不安定だし不安感、孤独感、無気力感もある。腹痛、吐き気、動悸、息切れ、頭痛すべてに襲われている』

「大変だね」

『特に胸の痛みが一番ひどい』

「そうなんだ」

 海帆は同情した。

 世海の看病をしなければならない人にも、心から同情した。

 きっと物凄く大変だろうなと思う。

 部屋のドアがノックされた。

 いつまでもリビングに降りてこない海帆のことを、誰かが呼びに来たのだ。

 手短に話を切り上げると、また電話することを約束させられ、通話を切った海帆は部屋のドアを開けた。

 廊下に帆波が立っていた。

「いつまでも降りてこないから、お母さんが心配してるわよ」

「いま行く」

 部屋を出ると、海帆の手に握られている携帯電話を、帆波は目ざとく見つけた。

「誰かと話してたけど、もしかして世海くん?」

「うん、そう」

「無事に再会できたのね、よかったじゃない。相変わらず、あんたのことつけ回してるみたいだけど」

 成長してないわねと言う帆波に、海帆は嫌そうな顔を向けた。

「そういう言い方しないでよ」

「だってそうじゃない。小さい時からあんたにくっついて離れないで、小判鮫みたいな子だったじゃない」

「だから、やめてってば」

 言い合いをしながらリビングに降りてくると、美帆子が呆れたように顔をしかめた。

「なあに、早速ケンカしてるの? いい加減にしなさいよ」

「ケンカしてないわよ。海帆が突っかかってくるの」

「帆波ちゃんが怒らせてるんだろ」

 小さい頃によく面倒を見たので、航は基本的に海帆の味方である。

「航、あんたね……」

「はいはい、もうご飯にするわよ。ソウくん、ナオちゃん、お席に座ってください」

 ばぁばの号令に孫二人は素直に従う。

「あんた達も早く座んなさい」

 子供達三人も素直に従う。

「お父さんはいいの?」

「遅くなるって連絡きたわ。先に食べましょ」

「手巻き寿司だ! いただきます!」

「いただきます!」

 食卓には海苔とご飯が準備され、様々な具材を好みでチョイスして巻いていくセルフ形式の手巻き寿司に、子供二人は嬉々として手を伸ばしている。

「そう言えば海帆、世海くんと再会したって言ってたけど、どうなの? 仲良くしてる?」

「さっき電話してたわよ」

 美帆子の質問に答える前にバラした帆波を横目で睨み、海帆は渋々認めた。

「仲良くしてるよ」

「あら、よかった。メグさんが心配してたのよ。あんた最近あんまり家に来てくれないから、どうなってるのか様子が分からないって。また台湾行ったら顔見せてあげなさい」

「わかった」

「シーハイくんってだれー?」

 頬袋をいっぱいにしてもぐもぐと口を動かす息子を、帆波はぶつぶつ文句を言いながら世話を焼く。

「海帆ちゃんとお母さんの幼馴染みよ。口に物を入れたまましゃべらない」

「おさななじみってなにー?」

 今度は小さな妹が聞いてきた。

「世海くんってあれだろ? 海帆ちゃんの福パワーで生まれた奴。俳優やってるんだっけ? 俺、会ってみたいわ」

「休み取って行ってくればいいじゃない」

 母親の言葉を聞いて、航はニヤニヤと海帆に笑いかけた。

「海帆ちゃんのホテルって家族割引とかあるの?」

「……………………聞いてみる」

 そう答えて、海帆はマグロと紫蘇を巻いた手巻きを口に運んだ。

「行ってもそう簡単に会えないかもよ。BLドラマがヒットして今すごい人気になってるらしいし」

「よく知ってるね、お姉ちゃん」

 世海のドラマの放送は台湾だけで、海外向けの配信はまだされていないはずだ。

 海帆の質問に帆波は肩をすくめた。

「私だってちょっとは気にしてるわよ。あの子、顔だけは可愛かったし」

「含みのある言い方だなー。そいつ性格悪いの?」

 航の質問に帆波が何か言う前に、海帆が先に答える。

「そんなことないよ。真面目で責任感がある人だよ」

 それを聞いて、航は訳知り顔で頷いた。

「じゃ、ただ単に帆波ちゃんと仲が悪かったんだ」

 はははと笑う航に、帆波の眉が跳ね上がる。

「航、あんたいい加減にしなさいよ。仲が悪かったんじゃなくて、あの子は海帆にしか懐かなかったの」

「そんなことないでしょ。お姉ちゃん、言いすぎだよ」

「あるわよ! ねえ、お母さん。あいつは私達には寄り付きもしないで、海帆ばっかりだったわよね」

「まあ、そうだったかもね」

 ほらーと勝ち誇る帆波を横目にして、海帆はもくもくと手巻きを口に運んだ。

 言われてみれば、確かに世海と帆波が一緒に並んでるところは記憶にないかもしれない。

「お姉ちゃんがよく突っついてからかってたからじゃない? 何回か怒らせて泣かせたことあったよね?」

「ないわよ。あいつが勝手に泣いてたのよ」

「理由もなく泣いたりしないでしょ」

 帆波が心外だ、とばかりに目を剥く。

「私のせいだって言うの?」

「怒んないでよ。その可能性があるって言ってるの」

「確かに、小さい頃の帆波ちゃんは言い方がつっけんどんで、しかもしつこかったからなー。今も変わんないけど」

「あんた本当にね……」

 弟のからかいに、帆波の目がすわって穏やかではない表情になる。

「いい加減にしなさい。いい大人がなにしてるの。ソウくんとナオちゃんの方が大人しいじゃないの」

 美帆子にたしなめられ、険悪になりそうだった雰囲気は回避された。

 海帆はふうと息を吐き、それからは食事に集中して無駄な口は叩かないように気を付けた。

読んでいただき、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ