ゲイ疑惑スキャンダル
夜のナイトスポットを、大声で喚き合う二人組を乗せた自転車が駆け抜けていく。
自転車を漕いでいるのは、中性的で不思議な雰囲気があり、細身なのに力強くペダルを踏み込んでいる。
対して後ろに乗せられているのは、ハッとする美しさが印象強かったが、顔を真っ赤にして怒っていた。
「俺のこと殴ったな!」
「お腹をちょっと押しただけでしょう。ほら、暴れないで。転ぶよ」
後ろで大騒ぎする世海を宥めながら、海帆は自転車をキコキコと走らせる。
首尾よく世海をクラブから連れ出すことに成功し、二人は海帆が乗って来た自転車に乗り、Avilaを後にした。
だが、店を出る時から世海はずっと文句を言い続けていて止まらず、海帆は少々閉口している。
「危ないから、ちゃんと捕まって!」
がーがー文句を言っているのに、海帆の腰を捕まえる手は慎ましく添える程度なので、いつか世海が自転車から転げ落ちるのではないかとヒヤヒヤする。
「俺は今まで殴られたことなんてなかったんだぞ!」
「昔、殴り合いのケンカしたじゃん」
「髪引っ張っただけだ!」
そうだっけ?と海帆は適当に流す。
「俺のこと罵った!」
「罵ってない。ちょっと大袈裟に騒いだだけ……」
「ばかって言った!」
しつこいなー、とちょっとだけ海帆はうんざりした。
自転車は華やかなエリアを離れ、静かな通りを快調に走っていく。
もうすぐ陳宇翔との待ち合わせ場所につく。
海帆はまだぶつぶつと文句を言っている世海に話しかけた。
「世海くん、なんであんな場所に行ったの?」
「言わない」
「……………………今度なんかおごるから」
「水餃子」
はいはいと答えて、海帆はもう一度聞いた。
「で? なんでクラブに行ったの? そういう所嫌いなのに」
「…………グロンブル台湾のロケの時に、変な男を見かけたんだ」
常連男のことか。
「世海くんも気付いてたんだ」
「お前達が見てたからな。あの新しく入った男と」
高志浩のことか? 世海の口調には、どことなく非難する響きがある。
「前に聞いてた、Seagullの怪しい客だってすぐに分かった。ホテルのロケが終わったら、ふん捕まえて文句を言ってやろうと次の仕事場で探したのに、あいつは姿を現さなかったんだ」
「そうなんだ」
意外だった。世海の後を追いかけてるとばかり思っていたのだ。
「嫌な予感がして、グロンブル台湾に戻ってきたら、あの野郎、俺のことを追いかけずにずっとホテルにいたんだ」
海帆の腰を掴む手に、ぎゅっと力が入る。
世海は怒っていた。
「腹が立って、その場で捕まえて警察に通報しようとしたら、自分は雇われただけだって言うんだ。雇った奴は誰だって聞いたら、会わせてやるっ言われて」
それでクラブまで着いて行ったのか!
海帆は思わず自転車を止め、信じられない思いで後ろに乗っている世海を振り返った。
「怪しいって思わなかったの!?」
「思ったに決まってるだろ! 俺の警戒心の強さをナメるな!」
「その警戒心がぜんぜん仕事してないじゃない! あんな場所に行って、取り返しのつかないことになったらどうするつもりだったの!」
珍しく責める口調の海帆に言われ、世海の眉尻がキリキリと上がる。
「ほっといたら、いつまでも俺達の周りをうろうろされるだろう! あの男が俺の周りをうろつくのは構わない。でも、お前の周りをうろつくのは絶対に許さない!」
ああ孫世海! 海帆は頭の中で叫んだ。
なんて頑固で融通が利かない男なの!
普段の彼女なら、世海が我を張ったところで、平常心を失いそうになることはない。
だが、今の海帆には余裕がなかった。
海外研修には問題児がいて怪しい動きをしているし、ホテルを上げてのスイーツイベントは前日から問題が起きて気が抜けない状況である上に、ホテルのバーには怪しい男が入り浸り世海の噂を嗅ぎまわっている。
あちこちで火が燻っているのに、消火安全確認作業は一つ一つしかできないのだ。
それがもどかしくて仕方がなく、それでも、できることからやっていこうとしているのに。
この男ときたら!
「お前いま俺のこと、顔しか取り柄のないやたら態度が悪いイケ好かない男、て思ってるだろ」
「思ってないし。なんなのそれ。前にも言ってたよね?」
険悪な雰囲気で睨み合う二人。
そこに、携帯電話の着信音が鳴る。
陳宇翔からだ。
世海は怯んだ様子だったが、海帆は電話に出て、陳宇翔に詳しい位置情報を伝える。
ほどなくして、陳宇翔の車が現れ、海帆達が乗っている自転車のそばに停まった。
それからしばらく、世海は怒れる陳宇翔の激しい説教を食らう羽目になる。
だが、いつもは大人しく叱られる世海も、今回は強く反発する姿勢をみせ、二人はかなり激しく言い合っていた。
海帆はがなり合う男二人から距離を取り、舘石愛実に連絡を取る。
すでにAvilaで吉川琉奈を見かけたことは伝えているが、万が一、見間違いという可能性もある。琉奈が泊まる部屋に行って、本人がいるか確認をしてほしいと頼んでいたのだ。
電話には出ない。だがメッセージが来た。
海帆はメッセージを読み、胃が地面まで落ち込む感覚を味わった。
琉奈は部屋にいなかった。いま数人でAvilaへ向かっている、との事だった。
一つ息を吐き、海帆は自転車の向きを来た方角へ向けた。
「おい、どこへ行くんだ」
見咎めた世海が声をかける。
「問題発生。私は戻る。先に帰って」
「こんな夜中に一人で行かせられるかよ! 俺も行く……」
「お前はこっちに来るんだ!」
陳宇翔にどやしつけられ、世海は無理矢理車に乗せられた。
「でも、このバカの言う通りだ。ミホさん、一人じゃ危険だよ。車で送っていくから乗りなよ」
「でも自転車があるし」
「トランクに入れれば平気だよ。大丈夫、人に見られない所で降ろすから」
そう言われてしまえば、反対する余地はない。車の方が早く着くだろうし、何より海帆はかなり疲れていた。
「じゃあ、お願いします」
そう言って、有難く陳宇翔の車に乗り込んだ。
世海の隣に座り、海帆はむっつりと黙り混む。
車は、世海を乗せて自転車で漕いできた道を逆送していく。
いつになったら帰れるのだろう。
明日は穏やかに過ごせるだろうか。
ぶつぶつとまだ文句を言っている世海を無視し、海帆は車窓を流れる夜景をぼんやり眺めながら、そんなことを考えていた。
人気俳優エリック・スンにゲイ疑惑浮上! 深夜のクラブから親密な様子で現れた二人は、体をぴったりと寄せ合いながら夜の街へ!
朝のニュースから大きく取り上げられたテレビやゴシップ誌には、派手な煽り文句と共に肩を組んでAvilaから出てくる男性二人の写真が取りざたされ、SNSなどで拡散された。
一人は最近人気急上昇中の俳優エリック・スン。
そしてもう一人は、
「なんでミホさんがゲイになっちゃうんですか!」
アビーが憤慨した様子で携帯電話をテーブルに叩きつけた。
画面には、世海に肩を組まれて寄り添う海帆の画像がでかでかと映っている。
海帆は寝不足でぼんやりしている頭で、その携帯電話を手に取った。
Avilaから世海を救出した直後の様子だ。連れ出すことに夢中で、周囲に気を配ることを忘れていた。
芸能人が多く訪れる会員制のクラブだ。スキャンダルのネタを狙ってる輩が潜んでいると気付くべきだった。
海帆は溜め息をつく。
深夜に親密な様子で寄り添う二人。
あの時、海帆は本当は一人で歩いて欲しかった。だが世海は海帆にちょっと押された腹を抱え、殴られた傷ついた歩けないと騒いで散々文句を垂れていて連れ出すのが容易ではなく、それをなんとか宥めすかして担ぎ出したのだ。
プロって凄いな。海帆は他人事のように感心した。
ロマンチックなムードなんて欠片もなかったあの状況が、熱愛写真になるなんて。
ゲイ疑惑、とやたら強調されてる文字をじっと見る。
俯き加減の横顔ということもあり、海帆の顔は鮮明に写っていない。服装もブルゾンにカーゴパンツだし。この写真から、グロンブル台湾の橘海帆を連想する人は、そういないだろう。
だからまあ、いいんだけど。
人気沸騰中の俳優の初めてのスキャンダルでしかもゲイ疑惑ということもあり、かなり話題をさらっており、SNSも賑わっている。
―永康街で一緒に買い物をしているのを見たよ! 二人とも身分を隠す気が無かったから凄く目立ってた!―
―私も見た。でも付き合ってるというより、仲のいい兄弟みたいな感じだったな―
―ドラマの製作発表にもいたって。目立たない端の席に座って、何回かアイコンタクトを取ってたらしい―
―私は隣に座ってたわよ! 凛々しくていい男だったわ!―
様々な情報が錯綜し、目撃情報が次々とアップされていく。
…………一部、間違った情報もアップされている。
「どっから見ても女の人じゃないですか! 失礼です! そりゃ、まあ……よく見ないと……でもミホさんは女の人です!」
「アビー、ありがとう。もういいよ」
海帆のために怒ってくれるアビーを宥め、携帯電話を返した海帆は立ち上がった。
「ミホさん?」
「上司に説明しに行ってくる」
「そんな! 言わなくて大丈夫ですよ! 気づいたのは私とジェシカだけですから。もちろん、絶対に喋りませんし!」
それに、とアビーは続けた。
「今はそれどころではないですよ。あの件で」
「…………そうだね」
海帆はもう一度席に着いた。
あの件とは、吉川琉奈の事である。
ナイトクラブAvilaにいた事がバレた琉奈は、クラブから出てきた所を待ち受けていた舘石愛実達に捕まり、そのままホテルに連れ戻された。
口裏合わせをさせられていた同室の研修生も一緒に事情説明をさせたのだが、当然ながらこの事は大きな問題となった。
琉奈はすでにお客様トラブルを起こしていたにもかかわらず、反省することもなく外出禁止時間にクラブへ行ったということで、即時帰国の処分を下された。
同室の研修生は研修半ばでの帰国を免れたが、評価点は大幅に減点、内申には相当響くことになる。
東京GRBホテルスクールは、卒業時優秀だった生徒には世界の名立たる有名ホテルや高級ホテルへの就職を斡旋しているので、この海外研修での成績の良し悪しはかなり重要となるのだ。
その研修生はかなり動揺し泣きそうになっていたが、同室生徒の規則違反の報告義務を怠った上に、口裏合わせまでしたのだ。海帆の上司は彼女も帰国させるつもりでいたが、舘石愛実が説得して何とか思いとどまらせたのである。
琉奈をホテルに連れ帰った夜を思い出し、海帆はため息をついた。
泣き喚く同室の研修生に半泣きの愛実、そして憎々しげに海帆を睨みつける琉奈。
愛実達は、Avilaに琉奈がいることを知らせたのは海帆だとは言わなかった。
それなのになぜか琉奈は通報者が海帆だということを知っており、海帆もAvilaにいた事を上げて、これは問題にならないのかと執拗に言い張った。
だが、ホテル従業員の勤務時間外の行動と、研修生の深夜の外出禁止行動を同等に上げるな、と取り合ってもらえず、海帆に対して強い反感を覚えたようだった。
「まったく何を考えているんですかね。悪いことをしたのは自分なのに、ミホさんの事を責め立てるなんて」
アビーはそのことも怒っていた。
隠すことでもないので、あの時世海の救出の為にAvilaに向かっていたことを、海帆は上司に報告してある。それなりに注意されるだろうかと思ったが、勤務時間外の行動については節度を守っている分には不問、と言われた。
裏口からほぼ無断で侵入したことが節度ある行動なのかどうかは、海帆の胸の内である。
それに、あの時海帆がAvilaにいたから琉奈の夜遊びが発覚し、大事に至る前に対処することができたのだから、上司も海帆を責める気持ちはないのかもしれない。
だが、これはどうだろうか。
海帆は自分の携帯電話に映っている、世海とのゲイスキャンダルの写真を眺めた。
親密、に見えなくもない。果たして上司は何て言うだろうか。
怒られるか、最悪謹慎かな。
他人事のように、そんなことを考える。
実際、海帆は自分のことは特に心配していない。
問題は世海だ。
海帆と一緒にいたばかりに、こんな写真が出てしまって、彼の仕事に差し障りがないか、それが気がかりだった。
【報道に関するお知らせ
平素より弊社所属俳優エリック・スンを応援いただき、誠にありがとうございます。
本日、一部報道機関にて、エリック・スンが交際中であるかのような記事が掲載されました。
しかしながら、記事に記載されている内容は全くの事実無根であり、当該の人物は友人の一人で交際の事実は一切ないと否定しており、誤解を招く報道がなされたことについて困惑しております。
応援してくださるファンの皆様、ならびに関係者の皆様には多大なるご心配をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます。
これからも事務所として所属タレントの管理・指導に精一杯努めていく所存でありますので、今後ともエリック・スンへの変わらぬご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。
某月某日
Coquilleプロダクション】
世海の事務所側の行動は迅速だった。
ゲイ疑惑報道後、公式声明文を即座に発表し、熱愛報道を否定したのだ。
『俺よりも宇翔哥の方が大変そうだったな。声明を出すのにあちこちに連絡取ったりして、走り回ってたよ』
海帆の仕事終わりを待っていたかのように架かってきた電話で、世海はそう言った。
従業員専用の通用口を出てすぐの所、海帆は適当なブロックに腰かけて携帯電話を耳に当てていた。
電話口の声に、悲嘆に暮れている様子はない。いつも通りの世海だった。
初めてのスキャンダル報道に、ダメージを受けている感じは微塵もなさそうで、海帆は少しホッとした。
「そっちは大丈夫? こんなスキャンダルが出ちゃって」
自分と写ってしまったばっかりに、ただの熱愛ではなくゲイ疑惑報道になってしまったのだ。多少、責任は感じている。
だが、世海は大丈夫だろ、と請け負った。
『声明文をすぐに出したし。どうも、今のドラマがBLものだから、番宣目的の話題作りじゃないかと言われてるらしいんだ。だからお前が心配することはないよ』
そんなことより、と世海は続ける。
『お前の方こそどうなんだ。仕事は大丈夫か?』
気遣わしげな言い方に、海帆は微笑んで答える。
「私も大丈夫だよ。ほとんどの人は私だって気付いてないし」
『母さんは一発で気付いて俺に電話してきたぞ。海帆の今後に関わるんだから、きちんと責任を取れって言われた。あと、あのスキャンダル画像は携帯に保存してあるらしい』
なぜだメグさん。大事な息子のスキャンダル写真を後生大事に取っておいてどうするんだ。
「…………責任を取る必要はないよ。職場でもあんまり言われてないし、言い触らす人達でもないから。一応上司には報告したけど、特に何もなかったし」
『気付かれてないのにわざわざ言ったのか?』
「上司は気付いていたよ。ただ問題視しなかっただけ。うちは今、色々と抱えているから」
報道の表題をちらっと見た上司は、「ゲイ疑惑だったら君とは関係ないだろう」と捨て置くだけだった。
通話口の向こうで世海が笑う気配がする。
低い声の微かな振動だったが、申し訳無さで固くなっていた海帆の気持ちが、少しだけ温かく和らいだ。
「よかった、元気そうで」
『なんだよ。落ち込んでるとでも思ったのか?』
「そりゃまあ。前も変なのに巻き込まれてたし。スキャンダルには敏感だったでしょう? ゲイ疑惑だし」
『ゲイ疑惑には確かに腹が立ったな。よく見ろよって。なんで普通の熱愛報道にしないんだよ』
世海は本当に腹を立ててるらしく、ふんっと鼻息を荒く鳴らした。
普通の熱愛報道だってダメだろうと言ったら、不貞腐れて黙ってしまった。
困ったものだ。
「陳宇翔さんは何て言ってる?」
『しばらくは大人しく引きこもってろって言われた』
「そうだね。その方がいいと思う」
『なんだよ?』
聞いてくる世海に、海帆はずっと懸念を抱いていたことを口にした。
「最近、なんかおかしいと思う。そう思わない?」
『怪しい常連男のことか?』
「うん」
海帆は頷いた。
世海に琉奈の事は話していない。これは海帆の職場の問題であって、彼には関わりのないことだからだ。
だが琉奈は、世海を嗅ぎわまっていた常連男と一緒にクラブに来た。
もしも海帆がAvilaに行かなかったら、間違いなく琉奈と世海はあの場で顔を合わせていたはずだ。
そして海帆が世海を連れ出さなかったら、今日の熱愛報道の世海の隣には、琉奈が写っていたのかもしれない。
性別不詳の謎の人物ではなく、日本から研修できた学生と写っていたのかもしれない。
心臓が、ぎゅっと掴まれる感覚に襲われる。
『アリエル?』
名前を呼ばれ、海帆は嫌な物思いを頭から振り払った。
『どうした?』
「…………分からない」
海帆は正直に答えた。本当に分からないのだ。
確かに今の世海は飛ぶ取り落とす勢いがあり、活動も目立ってきているが、それでも華々しい活躍とまではいかない。
世海よりも若く、将来有望と持て囃される新人俳優はいくらでもいるのに、なぜ彼がこんなにも狙われるのか。
「世海くんさ、誰かから恨みをかった覚えない?」
海帆の質問に世海はしばらく黙った後、静かに答えた。
『こんな仕事だからな、迷惑はたくさんかけたさ。怒られることもあるし。でもだからこそ、礼儀は忘れないようにしている』
「そうだよね」
怒ること無く真面目に答えた世海の言葉を聞いて、海帆は納得する。
世海はそういう男だ。
自分が未熟である事をきちんと理解しているから、礼儀正しく人と接することができる。
そういう人が恨みをぶつけられることはあまりないはずなのに、彼の周囲には何かが起きようとしている。
「世海くん、気をつけて。なんか変な事が起きるんじゃないか、嫌な感じがする」
『俺に何かが起きるってことか?』
海帆は、うんと頷いた。
世海は特に困惑すること無く、普段通りの口調で言った。
『なら、お前はもっと気を付けろ』
「わたし?」
意外な事を言われたが、世海は当然だと続ける。
『俺に恨みを持っていて、俺のことを調べ上げてるなら、絶対にお前に目をつけるだろうからな』
気を付けろよと再度言われ、海帆は分かったと返事をした。
「気を付ける」
読んでいただき、ありがとうございます。




