ドラマチックレスキュー
高志浩から着信があった時、海帆はまだ起きていた。
日付はとうに超えていて、もう寝なければ明日の肌に差し障るというのに、ベッドに向かわなかったのは、送ったメッセージに世海から返信が来なかったからだ。
こんな事は初めてだ。
しかも既読もつかない。
海帆は焦り、何かあったのかと陳宇翔に連絡を取ろうとした所に、携帯電話が着信を知らせてきたのだ。
期待していた相手ではないことに少なからず落胆しながら通話をタップすると、高志浩はどこか騒々しい所から電話をしてきているようだった。
「高志浩さん? どうしました?」
『ああ、ミホさん。よかった寝てなかった。その、実は――』
珍しく歯切れの悪い言い方をする高志浩に、海帆は首をかしげながら辛抱強く待った。
『そのさ、約束してほしいんだけど。このこと、職場には黙っててくれる?』
「なんの事ですか?」
話しの意図が分からず聞き返す海帆に、高志浩はしばらく悩んだ後、意を決したように言った。
『実は俺、今クラブに来てるんだよね。客としてではなくて、その――』
そこまで聞いて、ようやく海帆は察した。
なるほど、この騒々しいノイズは、クラブミュージックなのか。
ホテルグロンブル台湾は、基本的にダブルワークは禁止である。本業の業務内容低下の懸念や人材流出の防止などがあるが、一番は情報漏えいリスクの回避である。安全配慮義務や秘密保持の観点から制限しているのだ。
無視できない話しだが、それ以上に切迫した何かを、高志浩の声音から感じた。
海帆は、大丈夫ですよと答える。
「今後、控えてくれるなら」
『もちろん! 今夜だって、どうしてもって頼まれたからやってるだけで。いつもは俺、真面目だから』
「分かってますよ。それで、どうしたんですか?」
いつまでも言い訳を言いそうな高志浩に少し焦れて再度聞くと、ようやく彼は説明をしてくれた。
『俺、いまAvilaっていうクラブにいるんだけど、結構有名なところなのね。業界人とか芸能人もよく来る所なんだけどさ』
「はい」
海帆は辛抱強く相槌を打つ。
さっきから嫌な予感がしてしょうがない。
『そこにさ、あいつがいたのよ。例の怪しい常連さんが』
「あの人が? 本当ですか?」
海帆の言葉に、高志浩が頷く気配がする。
『本当。間違いないよ。いや、あの男はそんなに特徴ないんだけどさ、一緒にいるのが目立つからさ』
はあ、と高志浩はため息をついた。
海帆は嫌な予感がどんどん膨らんで、はち切れそうだ。
『なんか知らないけど、エリックがそいつと一緒にいるんだよ』
これってヤバいよな? と高志浩に聞かれたが、海帆は頭を抱えていて、それに答えるどころではなかった。
台北のナイトスポットで、高級クラブやスタイリッシュなバーが集まるにぎやかなエリアは、ネオンが灯る時刻になると昼とはまったく違う顔を見せはじめ、アジア屈指のナイトライフスポットとして、今まさに一番輝く時間を迎えていた。
多彩で刺激的な夜の街に、海帆は寮から借りてきた自転車から降り立った。
急いでいたので服装を考える暇がなく、白シャツにカーゴパンツを合わせ、新宿バイト時代に「クラブ行くなら、取り合えずブルゾン着てけ」と教えてもらった、黒のレザーブルゾンを羽織っている。
スマホを操作し、高志浩に教えてもらったクラブの位置情報を確認する。
怪しい男と世海がクラブに一緒にいる、と聞いた時はショックでしばらく頭が働かなかったが、海帆はすぐに立ち直り、急いで向かうと言った。
だが、高志浩は反対した。
『ここは会員制のクラブだから、一見は入れないよ。だから芸能人が多いんだ』
それよりも世海のマネージャーの陳宇翔に連絡をして、なんとかして彼を連れ出してもらえ、と言うのだ。
確かにその方がいいし、陳宇翔は上手く処理できるだろう。
海帆はすぐに陳宇翔に連絡を取ったが、話しを聞いた陳宇翔は、
「Avilaだってぇ!?」
と絶望的な叫び声を上げていた。
それを聞いて、居ても立ってもいられず、寮から自転車をかっ飛ばしてきたのだ。
でも、これからどうしようか。
有名なクラブということもあって、Avilaはすぐに見つかった。
黒く聳え立つハコの中に、スタイリッシュでセクシーに着飾った大勢の男女が吸い込まれていく。
その入り口には屈強な黒服の男が数人いて、来場者を逐一チェックをしていた。
完全会員制のクラブらしい光景だ。
入口から潜り込むのは、ほぼ不可能だろう。
高志浩に中から入れてもらえないだろうか、と思い連絡を入れたのだが、あの電話以降なんの音沙汰もない。
どうしたものか。
海帆は目立たない場所に自転車を起き、辺りの様子を伺う。
しばらく周囲をうろうろし、一つの結論を出した。
後は行動をするのみ。
羽織っているレザーブルゾンを、肩からずらして位置を調整する。シャツを第二ボタンまで開け、カーゴパンツを軽く腰履きにして見苦しくない程度に整えると、髪に手を入れて無造作に乱し、目にかかるようにセットをした。
いかにも、今時のやる気のない若者になる。
人気のない裏道から、華やかな表通りへと出る。
Avilaは入場客以外にも、多くの人々に囲まれていた。
海帆はその中から、観光客っぽい、人の良さそうなグループに近づいた。
「こんばんはー」
「あ、こ、こんばんは……」
声をかけられた女性は、警戒するように身構えたが、海帆に微笑みかけられて、ぽおっと惚けた表情になった。
「悪いんだけど、タバコ持ってる?」
男はイライラしていた。
今夜はとにかく忙しかった。今も忙しい。海外の有名DJだがEDMアーティストだか何だか知らないが、千人以上も客を呼んでおいて、たった数人しかヘルプを呼ばないなんて、運営は一体なにを考えているんだ。従業員はもっと増やすべきだろう。助っ人を入れたからって、こんな人数では、とてもじゃないが回していけない。イベントが多いのは結構なことだが、それよりも労働条件をなんとかしろよ。入ったやつが長続きしない職場環境は問題ありすぎるだろ。今日も二人来ねーし。その分こっちが割りを食うんだぞ。人は足らねー酒は足らねー客が言ってることは分からねー。なのに客から上から文句は増える一方だ。冗談じゃねーよ。
「あータバコ吸いてー」
心の声が漏れた。口に出したら無性に吸いたくなった。
客の注文など忘れ、と言うより端から覚える気はなく、男はバックヤードへ向かった。
休憩も取らずに仕事をしてるんだ、タバコの二、三本吸ったって構やしない。
いそいそと厨房から続く裏口へ向かうと、いま嗅ぎたくて堪らない臭いが鼻をくすぐる。
男は気分を害した。
せっかく気分よくサボろうと思っていたのに、誰だ俺より先にサボってやがるのは。説教してやる。
男は乱暴に扉を開け、ごみごみとした裏口に出た。
切れかかってる電灯の下、スラッとした男が一人、タバコを燻らしていた。
男? だよな? 最近は男なのか女なのか分かんねー奴が増えたなまったく。ボサボサした髪型しやがって、男だったら黙って角刈りだろーが。
「おいお前! なにこんなとこでサボってやがるんだ! 早く戻れ!」
怒鳴り付けたら、サボり魔はびっくりしてこっちを見た。
そしてすぐ、人懐っこい笑顔を向けてきた。
「すんませーん。これ一本だけ吸っていいっすか?」
電灯の下で、厭世的な雰囲気でタバコをくわえていた姿とは打って変わり、人好きのする屈託のない表情で言われ、思わず「ち、しょーがねーな。一本だけだぞ」と言いそうになる。
いやいやダメだ。こういうのは最初が肝心なんだ。
男は心を鬼にして、恐い顔で首を振った。
「ダメだ! 早く戻れ! 今日はただでさえ人が少ないんだ。働いてもらわなきゃ困る!」
サボり魔はぐずぐずする素振りもなく、すんなりと男の側に歩いてきた。
そうそう、若いうちは素直なのが一番だ。男は満足した。
近づいてくると、ますますどっちなのか分からない。上品な顔立ちをしていて全体的に華奢だけど、やたら姿勢がいいから何だか頼もしい感じもする。
男はどっちでもよかった。どうせ今夜のイベントの為に臨時で雇ったヘルプだろう。自分の代わりにキリキリと働いてくれる奴なら、男だろうが女だろうが両方だろうがどうでもいいのだ。
「こんな所でサボりやがって、客に間違えられて追い出されるぞ」
「今日はじめてなんすよ」
やっぱりな、そうだろうと思ったんだよ。自分の予想通りだったので、男は満足して頷いた。
「顔だけで選ぶから、お前みたいな奴しか来ないんだよな。クラブで働いた経験あるのか?」
「まあ、それなりに」
「キティ知ってるか?」
「赤ワインのジンジャーエール割りっすよね。女の子に人気で……」
「二十六番テーブルに五個持ってけ。ん? 六個だったか? まあいいや。あと、スミ、スミホ……?」
「スミノフっすか?」
「それだ。確か四本だったかな? 持ってけ」
「了解。今日ってなんかのイベントなんすか?」
男は大きくため息をついた。まったく、臨時雇いっていうのはこれだから困るんだ。なんにも知らないでバイト代に釣られてくるから、ろくすっぽ役に立たずに金だけ持って行きやがる。
「どっかの国の有名DJが来てプレイするんだよ。客はかなり来てるぞ。五百までいって数えるのやめた。助太刀に来るんだったら、少しは調べてから来いよ」
「どこも似たようなもんじゃないすか」
「確かにな!」
男は笑った。このサボり魔は、仕事サボってたけどなんだか話しやすい。
「そんな有名人が来るんだったら、お客さんも有名な人が多いですよね。チップ弾んでくれるかな?」
「おい、変な期待するなよ。Avilaの店員らしく、堂々と気高く接客するんだ」
このサボり魔は、見た目だけだったら合格だがな。
「それに、有名人だからって気前がいいわけじゃないぞ。さっきの客なんて、なんかの俳優だったけど、踊りもしないで石像みたいに座って酒も飲まないんだ。まったく何しに来たんだかな。一緒にいる男もなんか陰気臭えーし」
「へえ」
サボり魔は興味を持ったようだ。
「どこに座ってるんすか? 酒勧めてみますよ」
「ああ? サイドの席にいるけど、時間の無駄じゃねーか?」
サボり魔はニヤリと不敵に笑った。
「そういう奴に酒を飲ませるのが仕事でしょう?」
男は、なぜこのサボり魔が雇われたのか、なんとなく分かったような気がした。
「じゃ、もう行きますよ。兄さん、これから休憩?」
「ん? お、おう」
サボり魔は懐を探り、何かを取り出して男に渡した。
「上げます。もう必要ないんで」
タバコが一箱だった。ほとんど減っていない。一、二本ぐらいじゃないだろうか。
「お前いい奴だな!」
「いろいろ教えてくれたお礼です」
男は感激した。こいつは仕事をサボっていたけど、未だに男なのか女なのか分かんないけど、素直だし話しやすいし何だか自分よりも仕事ができそうだし、いい奴だ。弟分にしてやってもいい。
「おい、お前なまえは?」
サボり魔は一瞬考えてから、答えた。
「橘海帆」
ハイテンションなミュージックと空間を揺るがすビート音に埋め尽くされたフロアに出たところで、海帆は盛大に咳き込んだ。
第一関門は突破。だが、肺にかなりのダメージを負った。なぜこんなものを進んで吸おうとする者が居るのだろう。海帆には理解できない。
しばらく咳き込み、喉と肺の不快感と戦う。
なんとか咳が治まると、ようやく周りを見る余裕が出てきた。
涙目をぬぐい、海帆は明滅するフロアライトとEDMの爆音で激しく揺れるフロア内を見渡す。
海帆をAvilaに入れてくれた男は、客は五百人で数えるのをやめたと言っていたが、もうすでにその倍以上の人数が集まっているようだ。
世海はサイドの席にいる、と言っていたが、この広いフロア内にサイド席はいくらでもある。
数千人の中から一人を見つけるより、限られた人数から協力者を見つける方が効率がいいかもしれない。
海帆は高志浩を探すことにした。
バーカウンターへ向かおうとした時、怒気のこもった声をかけられた。
「ねえちょっと。頼んでたお酒まだ来ないんだけど!」
振り返ると、完璧な曲線美を惜しげもなく見せつける出で立ちのセクシーなお姉さんが、海帆の事を睨みつけていた。
スタッフルームから出てきた海帆を、従業員と思っているようだ。
一瞬迷ったが、テーブルナンバーが二十六だったので、つい口が出てしまった。
「キティ五つとスミノフ四つですよね。すぐ持ってきます」
「キティは六つよ。早くしてよね!」
綺麗なお姉さんの怒鳴り声を背中に聞き、海帆はとりあえずメインフロアのバーへ向かう。
注文品を伝え、カウンター内を素早く確認する。
高志浩はいなかった。
ドリンクが準備されたので、とりあえず運ぶことにする。
「あーもう、やっと来た!」
「お待たせしちゃってごめんねー」
軽い応対をする海帆に、最初に声をかけてきたお姉さんが興味を示す。
「あんたキレイな顔してるね。あの角刈り男より、よっぽどいいわ。ねえ、どっち?」
どっちというのは、性別のことだろうか。それとも性的指向のことだろうか。
海帆は曖昧に微笑んだ。
「ナイショ」
「なによー勿体ぶっちゃって!」
お姉さんはケラケラと笑った。
すると他のお姉さん達も海帆に興味を持ってしまい、しばらく質問攻めにされる。
「見ない顔だよね。ニューフェイス?」
「ヘルプだよ。今日は忙しいから」
「えー、じゃあ次来た時会えないの?」
「んーどうだろう」
「普段はどこの店にいるの? あたし行ってあげる!」
「ありがと。でも、そういうの言っちゃダメなんだ」
でも嬉しいよ、と伝えると、お姉さんは目元を少しだけ染めた。
「ねえ、一緒に踊ろうよ」
海帆の腕に手を添えて囁く声は、さっきまでのからかう様子はなく、誘いかけるしっとりした響きがあった。
腕を掴む手を、自分の手で上からそっと優しく包み、海帆は囁く。
「誘ってくれてありがと。お姉さん綺麗だから凄く嬉しい。でも残念。ダメなんだ。今日は忙しいから」
そう言って、お姉さんの手を包んだまま、優しく腕から離した。
「たくさん踊って、いっぱい飲んでね。今夜を楽しんで!」
惚けた顔をして自分を見ているお姉さん達に、にっこりと笑顔を向けて、海帆は颯爽とその場を離れていった。
「ねえ待って! 名前おしえて!」
そう呼び掛ける声は、爆音で流れるEDMミュージックに遮られて、海帆の耳には届かなかった。
気持ちはすでに、高志浩を見つけることに集中している。
メインバーにはいなかった。ということはVIP用のカウンターにいるかもしれない。
考えてみたら、高志浩の腕だったらVIP専属にするだろう。
海帆は一段と盛り上がっている、VIPフロアに目標を定めた。
だが向かう途中で色々な所から声をかけられる。
ナンパもあったが、ほとんどが注文だった。接客業従事者であることが、滲み出ているのかもしれない。どうしても無視できず、注文を聞いたらサーブをしたくなる。
カウンターとの往復を繰り返しているうちに、クラブ内の配置がだんだんと頭に入ってきた。
VIPフロアに入り込み、カウンターを目指す。
高志浩はいた。
グロンブル台湾で働いている時とは、かなり雰囲気が変わり、派手な身なりだった。
「高志浩さん」
振り向いた高志浩は、海帆を見て訝しげな顔をしたが、すぐに目を見開いて声をあげた。
「ミ、ミホさん? ミホさん!?」
頷いた海帆は、さらに近づいて高志浩に顔を見せた。
高志浩は信じられないという顔をした。
「どうやって入ったの? ここ会員制だよ! てかムチャクチャ雰囲気違うね! ぜんぜん分からなかったよ!」
「親切な人に入れてもらった」
短く答え、注文を告げるフリでカウンターによりかかる。
「彼はどこ?」
気が急いて周りを見渡すが、人が凄くて見つけられない。
高志浩は、しばらく呆然と海帆を見ていたが、すぐに奥の暗がりの席を目線で伝えた。
「あっちの一番暗い席。いま五人くらいで座ってるよ」
「人が増えたの?」
「そう。それで常連男が席を外した。どうも誰かを待ってるみたいなんだよ。エリックはあまり飲まないけど、他の奴等はだいぶ飲んでる」
「オーダー来てる?」
高志浩はびっくりした顔をした。
「来てないけど、ミホさん行くつもり? バレたらどうするの」
「彼以外は私の事知らないから。なんとか接触してここから出すようにする。嫌な予感がするの」
しかも、それはどんどん膨らんで、海帆に急げと告げている。
呆れた顔をした高志浩だが、視界に入った何かを見て、愕然として口をあんぐりと開けた。
「どうしたの?」
「……ミホさんの直感は当たるんだな。行くなら急いだほうがいいよ」
「なに?」
高志浩は答えず、顎を動かすだけで、見ろと指し示す。
言われた先に目線をやって、海帆は背筋を凍らせた。
「…………吉川さん!」
「なんなんだ、あの小娘は」
常連男に連れられて現れたのは、吉川琉奈だった。
濃い目の化粧をして、露出度の高い服を着ている。
なぜ、どうして。深夜の外出は禁止だ。相部屋の子はなにをしているのだ。
二人は、人込みを掻き分けながら、VIPフロアを横切ろうとしている。
当然、目指すのは世海がいる席だろう。
海帆の嫌な予感は最高潮に膨らみ、警鐘を鳴らしている。
「高志浩さん! 私いきます。これ貰っていくね」
カウンターにあるドリンクを手あたり次第トレーに乗せ、海帆は素早い動きで世海のいるフロアを目指した。
「気を付けて!」
「高志浩さんも! ああそうだ。これを、いま休憩に入っている角刈りの男の人に渡しておいてくれる?」
そう言って懐を探った海帆は、結構な数のお札を高志浩に渡した。
「なにこれ! これミホさんが稼いだの!?」
「ここのお客様は気前ががいいね」
涼しい顔で言う海帆に、高志浩は感嘆の表情を浮かべた。
「ミホさん、選ぶ職業を間違えてるよ。今からでも遅くないから転職しなよ。ていうか俺と一緒に店をやらない?」
「冗談を言ってる暇はないの。行くね。上手く連れ出せたら、ホテルに連絡して吉川さんの事伝える。そっちは大丈夫?」
「俺はこういう時の身の振り方は慣れてるよ。心配いらない」
海帆は頷き、ドリンクを乗せたトレー片手に、足早に人混みをすり抜けた。
到着したテーブル席では、酒を飲んで盛り上がっているチンピラ風の男たちと、一人静かに姿勢正しく座っている世海がいた。
海帆はテーブルに近づき、こういうクラブによくいる、ぶっきらぼうで不機嫌な店員を装って声をかけた。
「お待たせしましたー」
「ああ? 追加なんて頼んだか?」
顔を真っ赤にしてる金髪の男が、いぶかし気な目で海帆を睨むが、トレーに乗った様々な種類のグラスとボトルを見て、すぐに相好を崩す。
「まあいいじゃねーか。好きなだけ飲んでいいって姉さんも言ってたし」
「そだなー。こんないい所そうそう来れねーし!」
男たちが次々と手を伸ばし、海帆のトレーから酒を奪っていく。
海帆は世海の側に行き、残った酒を差し出した。
「はい、どーぞ」
「いらない。頼んだ覚えはない」
世海は海帆には目もくれず、イライラした様子で突き放すように言った。
「ああ、お客さんはモスコミュールでしたっけ? 辛口の」
ぴくっと世海が反応する。
そして、そばに跪いている海帆を見て、目を見開いた。
「おまえ、海……ふぐぅッ!」
「お? なんだ、どうした?」
突然うめき声を上げて、うずくまった世海に隣の男が声をかけた。
海帆は、世海のみぞおちにめり込ませた腕をすっと引き、大げさな声をあげた。
「ちょっと、お客さん! こんなところで吐くなよ! 吐くならトイレに行けよ!」
「な、なんだよ。吐くのか? そんなに飲んでたっけ?」
「う、うぅ……うえ……」
えづく世海の様子に、男たちは反射的に身を引いた。
「ああもう! やめろよ! ふざけんな! ばか! ソファ汚したらクリーニング代そっちに払ってもらうからな!」
「おい! 早く連れていけ! こんな所で吐かせるな!」
海帆の大騒ぎに、男たちも慌てだす。
盛大に舌打ちをして、海帆は世海の脇をくぐって、腕を肩に乗せて立ち上がらせた。
「こっちだよ、早く! 俺の服に吐いたら承知しないからな! 絶対吐くなよ!」
「ううぅ……」
「早く歩けよ!」
よろよろとした歩みの世海を、海帆は怒鳴りつけながらその場から連れ出した。
よろめきながら歩く二人の情けない後ろ姿を、男たちはしばらくぼんやりした顔で見送っていたが、すぐにげらげらと笑い出す。
「あんなスカした顔しておいて、酒が弱いのかよ! 情けねー男だな!」
「あれじゃー、アッチの方も役に立たねーだろ。お前、クスリ以外になんか持ってねーの? なんか強いやつ」
「ありますけど、併用していいんすかね」
「ギンギンになったら本人も女も悦ぶだろ!」
大笑いして盛り上がる酔っ払い男達のテーブルに、常連男と吉川琉奈が到着する。
「おい、どうした」
声をかけられた金髪の男は、顔を真っ赤にして常連男の事を見上げた。
「ああ、兄貴。あの男は酒が弱くていけねーや。ちょっとしか飲んでねーのに、酔っぱらっちまいやがった」
「ああ? おいエリックはどうした?」
「トイレっすよ。今頃、盛大に吐いてるんじゃないすか?」
大笑いする酔っ払い男たちに、常連男は大声で怒鳴りつけた。
「ばか野郎! 逃げられたらどうすんだ! 連れ戻してこい!」
どやしつけられて、男たちは慌てて探しに行った。
だが、どこを探してもエリックとウェイターの姿は見当たらなかった。
読んでいただき、ありがとうございます。




