怪しい男
取材陣がラウンジへと移動していくに従って、見物客の姿もエントランスホールからいなくなっていく。
人気がなくなったホールに、ハロウィンオブジェがひっそりと佇んでいた。
来館者はおらず、フロントデスクのスタッフも今は少ない。一人、二人が作業をしているだけである。
人影が一つ、オブジェの間をすり抜けた。
薄暗い墓石群を通りすぎ、フランケンシュタインと崩れたカボチャのジャックの裏側にたどり着く。
しばらくの間その場に潜むと、おもむろにフランケンシュタインの足下にしゃがみこみ、なにやらゴソゴソと作業を行おうとしている。
「何をしているの?」
人影の動きが、ピタリと止まる。
海帆は物陰から出てくると、動きを止めたままじっとしている人影に、話しかけた。
「ここは、危ないから立入禁止ですよ」
海帆の静かな警告を聴いて、人影ははゆっくりと立ち上がった。
「ここで何をしていたんですか? 吉川さん」
名前を呼ばれた吉川琉奈は、観念したように振り返り、 暗い目で海帆を見つめ返した。
「特になにもしていないですよ。橘さん」
琉奈はそう言って、海帆の方へと歩いて来る。
「よく出来ているなって見てただけです。立入禁止だとは、知りませんでした。わたし、現場には出ていないので」
そう言って、海帆の横を通り過ぎようとする琉奈に、海帆は変わらず静かな声で告げる。
「昨日ここで機材が倒れて、オブジェが破損したんです。だから関係者以外は立入禁止にしたんです。それでも入り込んでしまう来館者のために、持ち回りで見回りがいます。通達は出したはずですよ」
「知りませんでした」
琉奈はそう繰り返し、振り返ることなく立ち去った。
海帆は、しばらくその場に立ち尽くして、琉奈の気配が完全に消えたのを確認してから、ようやく詰めていた息を吐いて、彼女がしゃがみこんでいた辺りを調べた。
フランケンシュタインの転倒防止用粘着剤が、少し剥げているような気がする。よく見ないと分からない程度のものなので、自然に剥げたのか、それとも故意か、判断はできない。
「あ、ミホさん。こんなところで、どうしたんですか?」
見回りに来ていた企画広報課の周路陽が、海帆に気づいて話しかけてきた。
海帆はいつもの笑みを浮かべて、振り返った。
「周路陽くん。お疲れ様。転倒防止用の粘着剤が大丈夫か、見ていたんです」
「分かります! 僕も、もう何度も見回りをしてますよ。チェック係を決めて、定期的に見て回ることになってますけど、やっぱり心配で」
周路陽の顔色は、少し青白い。昨夜、海帆たちは明け方近くに家に帰れたが、彼はおそらく帰っていない。仮眠も取っていないのではないだろうか。
それでも表情はどこか晴れやかだ。難局を乗り越えたことで、自信が付き、イベントの成功を信じられるようになったのだろう。
昨日の、しょげ返った周路陽の痛ましい姿を思い出し、海帆は胸が痛んだ。
海帆はさっき、わざと早いタイミングで琉奈に話しかけたのだ。
昨日の機材転倒事故は、ハロウィンオブジェの一番の目玉だった、ジャック・オー・ランタンを破壊した。片づけの時に確認した転倒防止用の重しは、つなぎ目の所が切れてしまっていたのだが、その切り口は不自然なほどきれいだった。
もし、あの事故が故意によるものだったのなら、次は見事に再生したエントランスホールのオブジェを再び狙うだろうと思い、一番大きくて動きも激しいフランケンシュタインを見張ることにしたのだ。
予想は的中し、琉奈が現れた。
本当は細工しているところを、現行犯で捕まえるつもりだった。だがそうすると、フランケンシュタインの安全対策が傷ついてしまう。
犯人を捕まえるために、イベントを犠牲にするわけにはいかない。このスイーツイベントは、なんの綻びもなく、無事に終わらせたかった。
だが、そんなのは言い訳だ、と海帆は暗い気持ちで認める。
本当は、同郷の人間が問題を起こそうとしていることが、辛かった。
だから、わざと早いタイミングで話しかけて、警告をしたのだ。
海帆の望みは、スイーツイベントが無事に成功し、海外研修も無事に終了することだ。琉奈が研修を終わらせ、何も問題を起こさずに日本に帰ることを望んでいる。
そのためには、琉奈には大人しくしていてほしい。
「ミホさん? どうしました?」
周路陽に話しかけられ、海帆は物思いから覚める。
「なんでもない。それより、厨房の対策は大丈夫なのかな? 今日は人手が多いから」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。うちの料理長が、部外者を毛嫌いしているのは知っているでしょう? 調理部門スタッフ以外は信用していませんし、品質管理も厳格です」
「そう。なら安心だね」
「そうですよ! ジョナスのスイーツ調理の前撮りだって、うちの厨房ではやらせなかったんですから!」
少々、憤慨した様子で言う周路陽を見て、海帆は微笑んだ。
「撮影はどう? 順調にいってそう?」
「それはもう! ジョナスも機嫌よくインタビューに答えてますよ。彼は注目されるのが大好きですから!」
周路陽は機嫌よく答え、少し恥ずかしそうに付け足した。
「アビーも、とても立派にやってくれています。今回は本当に世話になりっぱなしで、今後は頭が上がらなくなりそうです」
お互い相手に対して、似たようなことを言ってるなあと気づいて、海帆はおかしくて笑った。
周路陽は笑われていることに気づかず、少し心配そうに話しを続ける。
「テレビになんか出ちゃって、明日から知らない男とかに声をかけられてしまいますかね?」
「アビーは浮ついたところのない、しっかりした子だから、誰かに声をかけられても、そう簡単になびいたりはしないよ」
海帆にそう言われて、周路陽はほっとしたようだ。
「そうですよね!」
と元気に言って、ラウンジの方へと歩き出す。
「あれ、ミホさん一緒に来ないんですか? エリックがいますよ?」
見に行くんだろ? と当然のように思っている顔の周路陽に、海帆はにっこりとほほ笑んだ。
「仕事中だから」
そう言って、自分の持ち場へと向かう。
少しだけ興味はあったが、見学に行ってしまうと、エントランスは人気がさらにいなくなってしまう。
海帆の持ち場からは、ハロウィンオブジェがよく見えるので、期間中はできるだけこの場所に待機して、見張っていたいのだ。
異変が起きたら、すぐに駆け付けられるように。
コンシェルジュデスクに向かい、先にいたスタッフに交代を告げる。
その時、携帯電話にメッセージが入った。
確認するか迷ったが、世海は仕事中なので彼からではないだろう。
海帆はスマホを取り出し画面をタップした。
見たことのない男の画像が現れた。
送信元は高志浩。メッセージにはこうあった。
―バーの新しい常連さん、今来てるよ。収録の見物客に交じってる―
「みなさん、見てください! この美しいスイーツ達を! どれを食べようか迷ってしまいます!」
ラウンジ内の撮影用に用意されたテーブル席で、テレビ撮影中のレニー達一行は、本日のスイーツを前に興奮した様子でリポートを続けていた。
それぞれの前には、自分達で選んだスイーツが置かれており、より美しく美味しそうに撮れるように、角度を変えたりしてカメラが撮っている。
そんな彼等の側には、このスイーツ達の生みの親、ジョナス・リーが立っていた。
若くして成功したトップパティシエは、スポーツ選手を思わせる精悍な顔つきをしていた。
料理人らしく、さっぱりと清潔感のある見た目だが、口元に愛嬌があるので親しみやすさも感じさせる。
見た感じは人のよさそうな青年だが、少し顎をしゃくり上げて立っている姿には、周路陽を散々振り回した奔放な性格が垣間見えた。
ジョナスを側に立たせて、スイーツリポートの撮影は進む。
「私は、血濡れドラキュラのGuilty Pleasure~ブラッディフランボワーズムース、を選んでみました。もう本当に迷ったんですけど、ムースが大好きなんです! しかも、すごく綺麗だと思いませんか? 食べるのがもったいないくらい! 食べるけど!」
レニーはそう言って、血のように赤く色鮮やかなムースをすくって、一口味わう。
すぐに、とろけるような官能的な表情をして、このスイーツを褒め称えた。
「ムースはとっても濃厚なのに、ベリーの甘酸っぱさがあるから、後味がすごく軽やか! ジョナス! いくらでも食べられるわ!」
賛辞をもらい、ジョナス・リーはプロらしく微笑んで解説をした。
「ありがとう、レニー。ムースはラズベリーピューレと赤スグリを合わせたものに、ピンクと赤のナパージュを重ねて、血のように濃厚な赤をイメージしているんだ。血が滴っているみたいでしょう?」
「本当ね! 生地もしっとりとしていて、美味しい!」
レニーは他の出演者にも、話しを聞いた。
「ルーシーは? 何を選んだの?」
「私は、モップゴーストのDaydream~夢見るモンブラン、です! もう見た目の可愛さで即決です!」
細いモンブランペーストをたっぷりと絞ってモップゴーストに見立てたモンブランは、クッキー生地の黒帽子とユニークな目をつけてもらい、思わず写真を撮りたくなる可愛さだ。
「やーん、カワイイ!」
ルーシーは、自分でも携帯電話で写真を撮り、満足するとようやくモンブランにフォークを入れて、一口食べた。
「んー美味しい! 栗の旨味が濃厚です! さすがジョナスですね。モンブランを作らせたら世界一です!」
「お褒めいただき光栄です。このモンブランペーストは、細さが約一ミリの限界に挑んだもので、このモンブラン一つに十五粒の栗を使用していて、栗の旨味をこれでもかと出しているんだ」
「細さ一ミリ! 一つに十五粒! まさに贅沢に溺れてしまいますね!」
リポートは順調に進んでいき、もう一人の出演者コナンの食レポも終わり、世海の番になった。
「エリックは何を選んだの?」
「僕はカボチャのプリンです」
世海が選んだのは、ジャック・オー・ランタンのMetamorphose~至高のかぼちゃプリン、だった。
少し硬めの昔ながらの見た目のプリンに、ホイップが乗っているオーソドックスなもので、これまでの華やかなスイーツに比べると少し地味に見える。
だが、スプーンですくって一口食べた世海は、思わず目元をほころばせた。
「ほろ苦いカラメルとホイップの濃厚な味わいが絶妙で、すごく美味しいです」
簡単な食レポだったが、満足そうな表情から美味しさが伝わってくる。
「本当にプリンが好きなのね、エリック」
レニーに話しを振られ、世海は頷いた。
「はい、昔から好きです。具合が悪くなると、よく食べてました」
「え、じゃあ今具合が悪いの?」
「いやいや、そんなことないですよ」
にぎやかなトークを展開しながら、世海はさりげなく辺りを見渡した。
目当ての人は見つけられず、水を飲むフリで溜め息を飲み込む。少しだけ腹が立った。
見に来るって言ったのに。…………いや、言ってないか。楽しみにしてるって言ったのか。どっちでも一緒だ。
この後もう一つ仕事があるが、絶対に今夜直接会って、なんで来なかったのか問い詰めてやる。
目元を剣呑に光らせて、そう固く決意した世海の目の端が、待ち望んだシルエットを捉えた。
胸が高鳴って、高揚して膨らむ。
突然、目を輝かせて生き生きとした表情をする世海に、出演者達は驚いてドギマギしたが、そんなことには構わず、視線以外の全神経を見つけたシルエットに注いだ。
海帆は撮影の現場には目もくれず、隣の人となにやら話しをしている。
その相手を確認して、世海の眉間にうっすらと縦皺が現れた。
一瞬で、背後にどろどろした暗雲が立ち込めた世海に、出演者達は動揺したが、世海はそんなことには構わず、神経を注ぎ続ける。
海帆が話をしている相手は男だった。
世海も知っている男だ。高志浩、と言ったか。海帆の後に、バーSeagullのバーテンダーになった男だ。
仕事をしている時とだいぶ雰囲気が違うが、彼が入社した日に海帆から紹介されたので覚えている。その日以来、会っていないが。
背後に暗雲が立ち込めた世海だが、二人の様子を見て、すぐに異変に気がついた。
さりげない風を装っているが、海帆は警戒をしている。世海はすぐ分かった。
彼女が気にしている視線の先、たどっていた世海はすぐに目線を伏せた。
男がこちらを見ていた。
大々的な告知がされていたので、このスイーツイベントのロケ撮影の見物客は多い。ほとんどが女性だが、男性客もそれなりにいる。
にも拘らず、男は目立っていた。
撮影を見学しているのではなく、彼が見ているのが世海だからだ。
それに気付き、男と視線を合わす前に目をそらした。
Seagullに男が来て、世海くんのこと聞いてきたって。
ある日の海帆が言っていた言葉を思い出す。
持ち前の警戒心が、むくむくと沸き上がってきた。
和やかに撮影を続けながら、世海は男の存在を終始気にし、神経質になっていった
ジョナス・リーのスイーツイベント、ハロウィン・ナイトメアパーティーの初日は、特に問題が起こることもなく、無事に終わりを迎えることができた。
全スタッフにとって、とても長い一日だったことは間違いなく、これから十日間は、静かに祈りながら襲い来る怒涛の日々と戦い続けることになるのだが、まずは大事な初日を終わらせることができたことに、みんなほっと一息を入れる。
その中でただ一人、海帆だけはどこかピリピリとした緊張感を纏っていた。
いつも浮かべている思慮深い優しい微笑みは鳴りを潜め、心配事を抱えている人特有の曇った表情をしている。
携帯電話の画面を確認した海帆は、ため息をついてスマホをしまった。
高志浩に送ったメッセージの返信を読んだのだ。
今日、世海が出演するイベントの撮影の見物客に、高志浩から怪しいと言われていた男が現れ、海帆はすぐにその場に行き、直に確認をした。
明らかにテレビロケ撮影の見物客ではなかった。
男は終始、世海を凝視していたのだが、その視線は鋭くて、とてもファンとは思えない。
そして時々、何かを探すように辺りを探っていた。
怪しすぎる男の存在に、海帆も高志浩も只者ではないという結論に至り、今夜Seagullに現れたら接触してみることにしたのだ。
だが、今Seagullに立っている高志浩からは、男は閉店まで店に来なかったという返信が来てしまい、海帆はもどかしい思いを抱えて途方に暮れた。
警察に通報、上司に報告。瞬時に頭をよぎった行動は、決定的な何かが起きた場合でなければ、できないものだ。
男が再びSeagullに来店するのを、ただひたすら待つしかないのか。でも、それで世海に何かが起きてしまったらどうしようか。
焦ってはいけない。
海帆は深呼吸をした。
世海は警戒心が強い。それに守られている。だから大丈夫だ。
怪しい男が、このグロンブル台湾にいないのなら、海帆にできることは少ない。せいぜい、世海にくれぐれも気を付けてくれ、と伝えるぐらいだ。
そうだ、陳宇翔にも言っておけばいい。有能な彼なら、こういう時の対処の仕方を熟知しているはずだ。
そこまで思い至り、海帆は少しだけ気持ちが落ち着いた。
そうと決まれば、早く帰って長いメッセージのやり取りに備えよう。
すでに時間は深夜を回っている。
海帆は急いでバックヤードへ向かった。
この時、彼女は知らなかった。
なぜ怪しい男がSeagullに現れなかったのか。
男はその時、世海と一緒にいたのだ。
読んでいただき、ありがとうございます。




