Devil’s Night
ジョナス・リーのスイーツイベント『スイーツパラダイス・ナイトメアパーティー』が、ホテルグロンブル台湾でいよいよ開催される運びとなった。
スイーツイベントのコンセプトは、ハロウィンも近いということで、妖美な 二つの世界が入り交じる「オレンジ&パープル」。紫を基調とした美しい装飾の中に、かぼちゃのカップケーキやカラフルなマカロン、モンブランにタルトなど、多種多様なスイーツが登場することになっている。
期間は十日間。
その間、毎日新しいスイーツが二種類ずつ提供されるのだが、当日になるまでどういったスイーツが並ぶのかは発表されないため、メディアの関心はより一層高まっている。
このイベントがここまでこれたのも、管理営業部門企画広報課の周路陽を始め、様々なスタッフの尽力と忍耐と行動力があってのことなのは間違いなく、特に周路陽は毎日のように車の助手席にジョナスを乗せ、市場と言う市場、農園という農園を走り回って、ジョナスの要求と探求心に応え続けた。
イベントの目玉である、毎日提供される新メニューの開発にも積極的に関わり、ジョナスのインスピレーションのために、大いに心血を注いだ。そのお陰で、ジョナスからの信頼を得ることにも成功し、調整役として頼られる存在に成長していった。
この短期間で、周路陽は一皮むけた、とアビーを始め他のスタッフ達が褒めそやしている。
まず、歩き方が変わった。
若者らしい、吹けば飛んでいきそうな歩き方が、重みのある、どっしりとした歩調になり、発言の仕方にも自信がついてきたようだ。
「イベントが成功したら、あの子は益々図に乗ってしまいますね!」
アビーはそう言いながらも、嬉しそうだった。後輩の成長した姿に、頼もしさを感じているのだろう。
胸に刺したコサージュも、どこか誇らしげだ。
イベントの期間中は、全ホテルスタッフがおそろいのコサージュをつけることになっており、蜘蛛の巣に見立てた繊細なネットに、黒ダリアとススキと小さなパンプキンをあしらい、一粒パールを添えたハロウィンコサージュは、女子従業員から好評を得ている。
「バンケット部は、制服もハロウィン仕様なんですよ。可愛いですよね」
ジェシカがウキウキした様子で、海帆に話しかけてきた。
宴会を担当するバンケット部門は、特別にハロウィン用の制服を用意されており、特に女子の服はグリニッシュブルーを基調としたクラシカルなラインがお洒落で、アビーとジェシカは羨ましそうに見ていた。
「研修が無かったら、あたしもあの制服を着て手伝ったのに」
「来年、着させてもらおうよ」
励まし合う二人を横目に、海帆は胸元に飾ったコサージュの位置を確認している。さっきから何度も同じような仕草をする海帆を見て、アビーがにこにこと話しかけた。
「ミホさん、もしかして緊張してます? 明日エリックが来ますもんね」
「ええ! ミホさん、緊張する事あるんですか? 意外!」
ジェシカが驚きの声を上げる。本当に意外らしい。
海帆は、胸元をいじっていた手を下ろして、二人に微笑みかけた。
「私だって、緊張する事はあるよ。でも今は、緊張していません」
「えー本当ですか?」
疑わしそうな顔をする二人に、海帆は少々わざとらしくツンとした表情で頷いた。
「本当です」
くすくすと笑うアビーとジェシカに、やれやれと肩をすくめつつ、海帆はエントランスの方へ視線を向けた。
緊張はしていないが、気になってはいる。
なにせ、あの報告魔が、イベント日の撮影だけは前もって知らせなかったからだ。
ジョナス・リーのスイーツイベント『スイーツパラダイス・ナイトメアパーティー』の初日に、テレビの収録が入ることは、海帆も事前に知っていた。だが、まさかそれに世海が出演することになってるとは、知らなかった。
つい先日、ホテル内の告知で判明して、本人に確認を取ったのだ。
忘れたわけでは、ないだろう。おそらく、海帆を驚かせようと思って、わざとギリギリまで知らせなかったのだ。
なんとも子供っぽいが、まんまと平常心を乱されてしまっているので、少し悔しい。
本日の研修は、もう終わっている。研修生たちは上がった後で、夕方の講義の準備に入っている。
時間を確認した海帆は、すっと持ち場から離れた。
「あれ、ミホさん、どこに行くんですか?」
問いかけてくるアビーに、にっこりと微笑んで答える。
「舘石先生のところ。座学の準備をしてくるから」
「講義、大変ですね。でも、明日はエリックが来ますよ」
ジェシカが、もちろん会うんだろう?という顔で言うので、海帆は仕事用の笑顔を崩さずに言う。
「来たところで、話すことはないよ。向こうは仕事、こっちも仕事をしてますから」
えー、と二人が残念そうな顔を見せる。どうも、世海と海帆をセットにしている空気がホテル内にあるようで、困ったものだ。
「まだ仕事は終わってないからね。あんまり浮つかないように」
釘を刺して、アビーとジェシカが、それぞれの持ち場へ戻るのを見届けてから、海帆はその場を後にした。
スタッフルームへと向かいながら、海帆は館内の装飾に不備がないか、それとなくチェックをする。
周路陽は、上手くやった。
新作スイーツに合わせたテーマで内装を都度変えたい、というジョナスの要望を、ハロウィンという特別イベントに移行させることに成功したのだ。そのお陰で、イベント装飾にかかる負担は、大幅に軽減された。
その変わり、インテリアは一段と豪華なものになった。
ハロウィン装飾は、スイーツイベントが開催されるロビーラウンジから溢れ出し、館内のインテリアにまで及んでいる。
ロビーの入り口や、エントランス、フロントやコンシェルジュデスクなどに、グロンブル台湾の企画課が丹精込めてデザインし、発注したジャックオランタンや、大釜を煮込む魔女、ゴーストやフランケンシュタインなどのハロウィンオブジェがセンス良く配置され、フォトブースとして準備された。来館者は好きなタイミングで、自由に撮影してもらえるようになっている。
もうすでに、何人かのお客様が、思い思いに携帯電話で撮影をして、SNSにアップしてくれている。
この宣伝効果が、どういった反響を及ぼすのか、分かるのは明日以降だ。
海帆は、お客様の撮影に協力しながら、スイーツイベントの案内をしつつ、スタッフルームへと急いだ。
講義で使用する会議用スペースに到着すると、吉川琉奈の姿はまだなく、舘石愛実だけがその場にいた。
「舘石先生、お疲れ様です」
挨拶をすると、考え事をしていた愛実は、はっと我に返って海帆を振り返った。
「橘さん。お疲れ様です」
相変わらず、自身のなさそうな喋り方で、愛実は返事をした。
海帆は、機嫌よさげに微笑んで、何でもないことのように室内を見渡す。
「吉川さんは、まだ来ていないようですね」
「はい……そうですね」
伏目がちに、愛実は頷く。苦情の件以来、愛実は教師としての責任感からか、思いつめるような表情をするようになった。
海帆は、努めて明るく話しかける。
「少し時間が早いですもんね。じゃあ舘石先生、準備の手伝いお願いしてもいいですか?」
「あ、はい」
海帆が声をかけると、愛実はようやく動き出した。
程なくして、この日、最後の座学研修生が来始め、最後に、少し遅れて吉川琉奈が現れた。
彼女の姿を見ると、愛実は体を固くした。また何か問題を起こすのではないか、と警戒しているようだ。
その逆に、琉奈はペナルティを受けた者とは思えない、落ち着き払った態度で着席する。
他の研修生たちは、彼女を遠巻きにするように、それぞれの席に着いた。
明らかに、研修生たちは琉奈を避けている。彼等の前面に立って、見渡す立場になると、それが本当によく見て取れる。
だが、琉奈は特に気にしている素振りもなく、淡々としていた。
仕事用の笑顔を貼り付けながら、海帆は早く時間が過ぎることを願った。
「ああ、ミホさんやっと帰ってきた! 聞いてください、大変なんです!」
ゆっくりと砂に埋もれていくような講義を終え、心身ともに疲弊した海帆の姿を見つけたジェシカが、興奮した様子で走り寄ってきた。
「どうしたの?」
ため息をつきたいのをぐっと堪え、海帆はジェシカに向き直る。
「設置した機材が倒れちゃって、オブジェが壊れちゃったんです! しかも一番目立つ所に置いたカボチャが!」
「お客様に怪我は?」
海帆の質問に、ジェシカは首を振って答えた。
「ないです。ちょうど人がいなくなる時間帯だったので」
怪我人が出ていないことに取り合えず安堵し、海帆はジェシカに引っ張られながら、事が起きた場所へ連れていかれた。
「これは……」
「ジャックの頭がカチ割られました!」
悲愴な声を出すジェシカの言うとおり、ホテルで一番大きくて立派だったカボチャのジャックは、無惨にも半分以上破損した状態になって転がっていた。後ろにあった墓石のオブジェも、大きく崩れて中身の発泡スチロールが見えてしまっている。
かなり派手な事故現場に、ホテルスタッフ達も集まってきていたが、呆然とその場に立ちすくんでいた。
その中に、しなびたきゅうりの様に、打ちひしがれた様子の周路陽が、半欠けになったジャックの側でうなだれて、アビーに背中をさすられていた。
「諦めちゃダメだよ、周路陽。明日までに、なんとか間に合うよ」
「無理だよ。もうダメだ、アビー」
「飾りが、ちょっぴり壊れちゃっただけでしょう? 肝心のスイーツは無事に準備が進んでいるんだから、ここだけを何とかすればいいんだよ」
「でもでも……ここはフォトブースの一番の目玉で、企画課が頑張ってデザインをしたところなのに、このカボチャの質感とか、墓場の雰囲気とか、頑張って準備したのに……」
見るも無惨な状態になってしまったカボチャを前に、周路陽は肩を落としている。
図にのっていた周路陽は影を潜め、ショックを受けて落ち込んでる姿が何とも痛ましい。アビーは、そんな周路陽を何とか奮い立たせようと、懸命に励ましていた。
「アビー、大変なことになったね。機材が倒れたって?」
「ミホさん! そうなんです。いきなり倒れてきて、あっという間だったんです」
駆けつけた海帆の姿を見て、アビーがほっとした顔をする。彼女も、今にも泣きそうな顔をしていた。忙しい中、暇を見つけては、企画課と一緒にモニュメント制作のデザインなどを手伝っていたので、この惨状は辛いものがあるだろう。
「安全対策は、されていたんでしょう?」
「もちろんです。転倒防止の重しをつけて、しっかり固定していました」
海帆はちらりと、未だに倒れたままの機材を見た。重しは付いていた。だが、機材と固定するための、バンドの一部分が切れているように見える。
だが今は、ゆうちょに検証している場合ではない。
「とりあえず、片づけないと。それと、他のオブジェの転倒防止対策も、改めてチェックした方がいいね。周路陽くん」
海帆に呼ばれて、周路陽はぼんやりとした顔を見せた。まだ、頭が事態に追い付いていないようだ。
海帆はできるだけ、穏やかにゆっくりとした口調で言った。
「蔡主任に連絡は取った? 報告しておいた方がいいと思う」
「ツァ……蔡主任は、明日の撮影の為に、今日はテレビ局と終日打合せがあって、連絡は……」
「それでも、取っておこうか。で、至急ホテルに戻って来てもらった方がいいね。緊急事態だから」
「緊急事態……」
周路陽は目を見張り、言葉の重みに耐えかねるように頭を抱えようとした。
だがそれを、アビーがすかさず遮る。
「周路陽! しっかりしなさい。こういう時こそ、できることからやっていくんでしょう」
「そうだよ。あたし達も手伝うから。まずは、この不気味なオブジェをなんとかしないと……」
「不気味……」
はっと顔を上げて、周路陽はジェシカを見た。
「不気味、不気味だって?」
「そ、そうよ。なによ、だってそうじゃない。頭カチ割られてんのよ、ジャックが……」
「片づけないでくれ! まだ、まだ待って!」
掃除を始めようとしたスタッフに、周路陽は慌てて声を上げた。
「ああいや、埃とか、破片とか、危ないものは片づけてほしい。でも、ジャックの欠片とかは、そのまま取っておいて! ちょっと待ってて!」
そう言って、周路陽は携帯電話を取り出し、蔡環真に連絡を取り始めた。そして現場の状況を確認しながら、早口で何やら報告をした。
漏れ聞こえた周路陽の言葉を聞き、海帆たちは顔を見合わせると、夜通しの作業をするために動き始めた。
蔡環真が、ようやくホテルに到着したのは深夜を過ぎていたが、作業はまだ続いていた。
「周路陽! 遅くなったわね。ご苦労様!」
「蔡主任……」
汗だくの顔を埃まみれにし、腕まくりをした周路陽は、フランケンシュタインを数人がかりで運んでいるところだった。
「状況は?」
「大まかな設置は、このフランケンシュタインで終わりです。後は、細かい装飾をしていくだけです」
「ありがとう、よく頑張ったわね。設計図はある? プロットでもなんでもいいけど」
「落書きみたいなものですけど」
「それでいいわ」
周路陽から、即席で作った設計図を貰い、それを確認した蔡環真は早速指示を出し始める。
「フランケンシュタインは、もっと踏み込んだ位置に立たせて。そう、そこでいいわ。これ、関節って動かせるの? できるなら、腕を振り上げた方がいいかも。コウモリとネズミの数は足りそう?」
「他のブースから、かき集めてもギリギリなんで、白い布で小さなゴーストを作って、それで間に合わせようかと考えてます」
「いいわね。もう作ってもらってる?」
「はい、アビー達がやってくれています」
蔡環真と周路陽は、設計図を確認しながら並んで歩き、それぞれの変更点などを細かくチェックしていった。
ロビーラウンジ入口のオブジェの設置の確認をした時、そこで作業をしている人を見て、蔡環真は目を見張った。
「ミホさん! 手伝ってくれてるんですか!」
「蔡主任、おかえりなさい」
周路陽と同じように、汗だくで腕まくりをした海帆は、爽やかに笑った。
「こんな遅い時間まで」
申し訳なさそうに言う蔡環真に、海帆はとんでもないと首を振った。
「手伝わせてください。とはいえ、私は絵心はあまりないので、役には立たないんですけど。物を運ぶくらいなら、できますから」
「ありがとうございます! では、遠慮なく働いてもらいます!」
そう言った蔡環真は、その後の作業を言葉通りに進めていった。
管理営業部門企画広報課の敏腕主任は、深夜にもかかわらず、その二つ名に違わない馬力でテキパキと指示を飛ばし、使える者は猫の子でも使う勢いで現場を取り仕切った。
海帆も汗だくになりながら、自分よりも大きい魔女と大釜を運び、蔡環真の指示のもとに慎重に設置していく。
細かな微調整をしている時に、後ろからおずおずとした声をかけられた。
「橘さん」
「はい?」
日本語で話しかけられ、一瞬、混乱してしまった。
慌てて振り返ると、そこにはメイクを落とし、動きやすい普段着姿の舘石愛実がいた。
「舘石先生、どうされました?」
「あの、わたし、手伝おうと思って。手伝います」
ためらいがちではあるが、しっかりとした口調だった。見ると、どこで調達したのか軍手まで装着し、首にはタオルもかけている。
「申し出はありがたいです。でも、さすがにお願いするわけには……」
「わたし、大学時代はイベントサークルにいました。だから、こういうの得意です。絵も描けます。やらせてください」
どこか必死な様子の愛実に、海帆は説得をしない方がいいだろう、と判断した。
それに、人手はあればあるほど助かる。
蔡環真に確認すると「ボランティア参加、大いに結構です! 助かります!」との事だったので、絵が描ける愛実は、破損したジャックと墓石の修復を手伝って貰うことになった。
作業は夜通し行われ、なんとか形が整った時には、日付は変わり、空は明るくなってきていた。
ホテルグロンブル台湾の、ハロウィンパーティーが始まる。
読んでいただき、ありがとうございます。




