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お互い同性だと思っていた幼なじみと六年ぶりに再会したら、距離感が迷子でした

6日間短編毎日投稿3作目です

 王都の南門は、朝がいちばんうるさい。荷馬車の車輪、検問官の声、旅人のため息。私は見習いの癒し手として、門前で体調の簡易検査をするのが日課になった。熱、脈、瘴気の反応——数字は苦手でも、身体の変化は手が覚える。


 忙しさの隙間に、ふいに思い出す顔がある。幼い頃、毎日のように剣ごっこをした“あの子”。名前はリオン。腰までの金髪をひとつに結んで、笑うと頬にえくぼが出る。私はずっと、リオンを“可愛い女の子”だと疑いもしなかった。わざわざ確かめる理由がなかったのだ。


 雨の日は納屋の穴から落ちる雨粒を鍋で受け止め、ぽちゃん、ぽちゃんと数えた。晴れの日は小川で水切りを競い合い、遠足の前日は二人で地図のまねごとを描いて、あさっての方向へ宝の印をつけた。剣ごっこでは、私が大振りで突っ込んでも、リオンは当てずに受け流す。痛くしない、その優しさが少し悔しくて、私は余計に声を張った。


 村を離れる前の夜、私たちは秘密の合図を決めた。「次に会ったら、三回手を叩いて『相棒』って言う」。指切りはしなかった。リオンは「絡めるより、手のひら重ねるほうが、離さない」と言って、掌だけを合わせた。ぬくもりが約束の印になった。


 それから六年。家の事情で、リオンはある日突然いなくなった。置き去りの小枝の剣は軽くて、やけに冷たかった。行方は知らないまま、私は王都で暮らし始め、季節が六度巡った。


 今朝も「次の方、どうぞ」と声を出す。列の向こう、陽炎の中に立つ旅人がいる。髪は短く、日焼けした頬、背が高い。剣を背から外す手つき、立ち方の重心——懐かしさが先に胸をざわつかせた。


 (待って、その立ち方、知ってる)


 (でも、こんなに背……伸びてる?)


「次の方」


 呼ぶと、その人は目を細めて笑った。近づくほどに、胸の奥で何かがほどける。私は三回、心の中で手を叩く。


 (もし違っていたらどうするの、私)


「体温、脈……問題なし。瘴気の反応もありません。旅は長かったですか?」


「長かった。——リラ」


 名前が、昔の発音で呼ばれる。喉が跳ねた。


 (え、今、私の——)


「……リオン?」


「相棒」


 彼は、三回、ゆっくり手を叩いた。合図の音が、門前の喧噪にまぎれて消える。笑いかけて、そこでようやく気づく。声の低さ。胸板の厚み。握手の力。


「え、ちょっと待って。リオン、男の子?」


「ちょっと待て。リラ、女の子?」


 ふたりで同時に口を開くと、近くの兵がこらえきれず咳払いをした。私は慌てて術式を締めくくり、通行の印を押す。


 (落ち着け、仕事中、仕事中!)


「検査、完了……です。あの、仕事中で……」


「終わるまで待つ」


「待合は向こう」


「ここがいい」


 昔から、決めたら動かない人だった。列の端に腰を下ろし、壁にもたれて、旅袋を枕にする。


 (ほんとに待つんだ……この感じ、変わってない)


 昼、検査の波がゆるんだ。詰所前で水を飲み、深呼吸ひとつ。彼はまだそこにいた。立ち上がると、影がひとつぶん伸びる。


 (近い。いや、昔も近かったけど、今の“近い”は別物でしょ)


「腹は?」


「空いた」


「行こう」


 門の脇の屋台で、薄いスープと焼いた肉を買う。並んで腰を下ろすと、彼は肉を半分、私の皿に移した。懐かしさが強すぎて、先にスープを飲む。


 (分ける量、雑に多いのも懐かしい)


「まず、謝る。突然いなくなってごめん」


「怒ってるけど、今はそれより——確認。リオンは、男の子」


「ああ」


「私は、女の子」


「ああ」


「……そっか」


「……そっか」


 同じ言葉を交互に言う時間が、しばらく必要だった。皿の縁で油が冷える。笑いが落ち着くと、彼は私の前髪のはねを指先で押さえた。


 (ちょ、そこ触るの反則!昔は気にならなかったのに!)


「そういうの、急にやるのやめて」


「いつもやってただろ」


「昔は同じだと思ってたからで……」


 頬が熱くなる。彼も一拍遅れて目を瞬いて、手を引っこめた。


「悪い。習慣で」


「習慣、ね」


「直す」


「直すの?」


「……考える」


 (今の“考える”は、たぶん“完全には直らない”の婉曲表現)


 私はパンをちぎって彼の皿に置いた。


「ところで、仕事は?」


「午後は市場の救護。夜は宿舎で雑事」


「ついていく」


「いや、さすがに——」


「荷物持ち」


「ほんとに?」


「昔からそれは得意だ」


 押し切られる形で、彼は市場までついてきた。見習いの私に余計な視線が集まらないよう、うまい位置で風よけになる。包帯を持ってきてくれたり、湯を替えたり、踏み台を押さえたり。手伝いは手際がよく、邪魔をしない。距離は近い。昔のままの近さで、でも、理由が違う気もする。


 (いや、理由は同じかもしれない。“相棒”だから。……今はそれでいい)


 ひと段落ついた頃、私は無意識に昔の距離感で動いていた。彼の襟元の紐がねじれているのを見つけ、いつもの調子で手を伸ばす。


「ちょっと、じっとして」


「え、あ——」


 私は彼の胸元に近づき、紐を解いて結び直した。顔が近い。


 (近い、近い! 私、今なにしてるの!)


 彼の喉仏がかすかに動き、耳の先が赤くなる。指先が一瞬、私の手の甲に触れた。硬い皮膚、熱。


「……はい、まっすぐ」


「ありが——」


 言葉が後ろへ倒れて、彼は半歩、引いた。



 私は少しにやけそうになる口元を押さえ、咳払いで誤魔化した。


「ごめん、癖で」


「いや——助かる」


 (“助かる”の声、低すぎない? やめて、その声)


 私の心拍が無駄に跳ね、彼は視線を宙に逃がした。昔の距離感、恐るべし。こちらも無自覚に仕掛けてしまう。


 夕方、大通りで荷馬車の車輪が外れた。ざわめき。私は反射で駆け出す。視界の端で、馬が驚いて前脚を上げ——


「リラ!」


 名を呼ぶ声が風より速く届き、腰が引かれた。彼の腕が私の背中を通り抜け、ぐっと体を引き寄せる。馬の蹄が石を打つ音が胸の真ん中へ響き、砂が頬に当たり、遅れて熱が来る。彼は私の前に出て、馬の視線から人を外させるように横へ動いた。危ないより先に、体が動く。——昔からそうだった。リオンは、まず守る。


「大丈夫か」


「うん。あなたは?」


「ああ」


 短い会話で息が落ち着く。彼は私の肩に触れかけ——手を止めた。止めたまま、距離を測るように視線だけで確かめて、「行こう」と言う。



 帰り道、私はようやくひとつ訊ねた。


「いなくなった理由、少しだけ」


「家の事情。詳しくは、落ち着いた場所で話す。ひとつだけ——長く、王家の仕事に就いていた。今は離れて、鍛冶の仕事を覚えるつもりだ」


「鍛冶、似合うね」


「似合うか」


「うん。釘の向き、よく直してくれたもの」


「覚えてるのか」


「覚えてるよ」


 階段の踊り場で、すれ違う大家のおばさんに「まあまあ」と意味深に笑われる。


 (待って、まだ“まあまあ”の段階にも行ってないから)


 心の準備、というものが世の中には必要だ。


「明日も、来る」


「仕事なら」


「お前のそばで、仕事を覚える」


「覚える先、そこ?」


「そこだ」


「変な答え」


「真面目な答え」


 別れ際、彼は手を上げかけて、下ろした。私はそれを見て、三回、静かに手を叩く。


「相棒」


「相棒」


 手のひらは重ねない。音だけの合図。でも、昔と同じくらい効いた。


 (胸の真ん中が少し温かい。これで十分)


 そうして数日。彼は朝、門の影で待ち、私が来ると水を差し出す。昼は市場で包帯を裂き、夕方は帰り道で小さく「段差」と告げる。私が前を見ていないときには「右」と短く言う。言い方が、半歩先だ。転ばせない、という意思を、言葉が持っている。


 同僚の年上の癒し手が笑って言った。


「リラ、いい“盾”ができたねえ」


「盾?」


「日よけ、風よけ、無用な視線よけ。しかも礼儀正しい」


「……からかわないで」


 彼は耳の先を少し赤くして、別の方向を見ていた。自分の態度を名前で呼ばれると、途端にぎこちなくなる。そういうところは、昔のままだ。意識していない好意は、案外わかりやすい。


 市場の片隅で彼の頬に木粉がついているのを見つけ、私は無意識に手を伸ばした。


「ついてる、ここ」


 親指でそっと拭う。指先が彼の肌に触れた瞬間、彼の肩がほんの少し強張った。耳まで赤くなる。


 (しまった)


 (いや、しまってない。昔は普通にやってた。……今は普通じゃない)


 私は慌てて手を引く。


「ごめん、癖で」


「いや、助かる。……その、心の準備が追いつかない」


「私も」


 言ってから、二人同時に視線を外した。


 (…なんか甘酸っぱい感じになっちゃったんだけど!?)


 夜、宿舎の窓に肘をついて外を眺める。風が涼しく、屋台の香辛料の匂いが流れてくる。子どもの頃の記憶が、一枚ずつ引き出しから出てくる。川で水切りをしたこと。雨の日に鍋で雨粒を受け止めたこと。秘密の合図。指を絡めない約束。——恋という名前ではない、でも確かに温かい何か。


 (今は、これで十分)


 翌朝、彼はまた門で待っていた。私は手を上げかけて、下ろす。彼は気づいて、小さく頷く。門前では手を振らない。代わりに、三回手を叩く。


「相棒」


「相棒」


 彼は並んで歩きながら、ふいに言った。


「正解の距離、わからないな」


「うん。今、私の中の答えは“半歩”」


「半歩」


「近すぎたら合図する。遠すぎたら、あなたが合図して」


「わかった」


 それから彼は、本当に合図を使った。無言で目線を下げる——近い合図。視線をすっと先に送る——遠い合図。私も真似した。距離は日ごとに揺れながら、少しずつ、ちょうどいいところを見つけていく。


 夕暮れ、石畳の影が長く伸びる頃、彼がふと立ち止まった。


「もう一つ、合図を増やしていいか」


「どんなの」


「帰り道の最後に、手を一瞬重ねる」


「一瞬だけ」


「ああ」


「じゃあ、やってみて」


 彼は私の手のひらに、自分の手のひらを一拍だけ重ねた。本当に一瞬。指は絡めない。温度だけが伝わって、すぐに離れる。心臓が、ひとつ遅れて跳ねた。


 (これなら、今の私でも大丈夫)


「——私も、これがいい」


「よかった」


 顔を見合わせて、笑う。正解はたぶん、いつも少しずつ変わる。季節みたいに。今日の正解が明日の間違いになるかもしれないし、逆もある。それでも、合図があれば迷わない。合図を増やせば、もっと迷わない。


 夜、扉の前で別れる前に、彼が小さく言った。


「次に会ったら、また三回」


「うん」


「相棒」


「相棒」


 音が短い挨拶になって、日々の終わりに収まる。名前をつけない温かさは、案外長持ちする。私は部屋に入って背中で扉を支え、深呼吸をした。胸のざわめきは忙しいけれど、焦げ付くような熱ではない。昔から知っている速さの心拍だ。


 (明日も、半歩。たぶん、それが正解)

最後までお読みいただきありがとうございます。

次回も同様に明日20時投稿予定です。

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