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第三章 二つの残留品 3

《絵画室》は二階の右手の二番目の部屋だった。

 左隣がシビルの寝室で、右隣は、シビル曰く「女流画家」のミセス・ロングフェローの部屋。

 エセルの部屋はさらにその右隣だという。


「ミセス・ロングフェローはわたくしのたった一人のお友達ですの」と、深緑色の絨毯を敷いたそう広からぬ廊下を進みながらシビルがか細く甘い声で言う。「こちらですわ。お入りになって」

 促しながら黒いドアを開ける。

「こちらのお部屋に鍵は掛かっておりませんの?」

「ええ」


 室内に一歩入るなり、ツンと鋭い松精油の臭いが鼻をついた。

 床には廊下と同じモスグリーンの絨毯が敷かれ、真ん中に桃花心木の円い小さなセンターテーブルと三脚椅子三つがあり、向かい側に縦長の格子窓が三つ並んで開いている。

 左手の壁に暖炉があり、右手にはオーク材の古風なキャビネットと黒いドアーー位置からして、このドアは「女流画家」ミセス・ロングフェローの部屋とつながっているのかもしれない。曇った金鍍金のノブの下を一瞥すると鍵穴があった。

 壁紙はクリームイエローで、空いた部分に大小さまざまの額縁が掛けられ、色鮮やかな油絵や素描が収められている。


「素敵なお部屋ね」と、エレンは儀礼上褒めた。「()はみなあなたがお描きになったの?」

「半分は先生の御作ですわ」と、シビルがはにかんだように応え、スツールの一脚を引き出しながら促した。「どうぞお座りになって」

「ありがとう」

 センターテーブルを挟んで互いにスツールにかけてしまうと居心地の悪い沈黙が落ちた。

 シビルが華奢な白い手を膝の上でしきりと組み直している。

 何か言いたいことがある様子だ。

 エレンは一瞬躊躇ってから定石どおりに切り出した。

「それではミス・リヴィングストン、六月以降にこのお邸で起こった異変について、あなたの口からお話してくださいます?」

 世間知らずの怯えやすい少女に話しかけるような気分で同い年の女性を促すと、シビルは小さく頷いてから話し始めた。

「初めの事件は六月三十日、聖ヨハネの祝日からちょうど一週間後の日曜日に起こりましたの……」

 エレンはおやっと思った。

 てっきり彼女は八年前、今もって心のすべてを捧げているらしいロマニア人画家兼魔術師との初恋の顛末から語り始めるかと思ったのだが――意外にも、まずは純粋に今回の事件の経緯から説明するようだ。



 ――このお嬢さんはなかなか馬鹿じゃないわね。



 エレンは無自覚に傲慢な感想を抱いた。


 本当に意外なことに、世間知らずで引っ込み思案でオドオドとした印象のシビルの説明は、きちんと聞きさえすればすっきりと分かりやすかった。

 そして、大筋においてその父親の説明と何ら違いはなかった。


 初めの異変は六月三十日の日曜日で、その日の朝の九時頃、シビルは妹エセルと祖母アルマと一緒に、自家用馬車で公園(パーク)の東の聖ブリジット教会へ向かった。

 御者は厩番のサムで、別荘(ヴィラ)にはメイドのアンヌマリーと通いの料理番(コック)のミセス・ウォリスだけが残っていた。

 ルイーズはその日は休日で別の教会に行っており、ミセス・ロングフェローはいつものように前日の午後からコーン州の兄の家へと帰っていた。


 シビルたちは礼拝を終え、12時ごろにまた馬車でローレル荘へと戻った。


 そして、シビルが顔と手を洗うために自室へ向かうと、室内が滅茶苦茶に荒れて、床に一本だけ、金色を帯びて輝く朱赤の羽が落ちていたのだという。



「荒れていたというのは、どのような具合に?」

「……室内で小さなつむじ風が荒れ狂ったみたいでしたわ」

「部屋のなかがそんな惨状になっていたのに、メイドと料理番は、あなたがたが帰宅するまで全く気付かなかったと?」

「あの日の午前中は風が強かったのです。見ての通り、この別荘はたくさんの山毛欅の木に囲まれていますから、風の強い日は相当に大きな音が立ちます。気づかなくても不思議はありませんわ。――お父様やお祖母様は、単にメイドが掃除のあとで窓を閉め忘れて、そこから風が吹き込んだのだろうと今も疑っているようなのですけれど」

 と、シビルが物憂げにため息をつく。

 エレンは率直に告げた。

「正直なところ、わたくしもその可能性が高いような気がいたしますわ」

 途端、シビルが泣き出しそうな声で言い返してくる。

「でも羽があったのです! あの人の使い魔の羽が!」

「床に落ちていた赤い羽ですね? その羽は今どこに?」

 すでにアシュレから聞いて知っていることを敢えて訊ねるなり、シビルの顔がくしゃりと歪んだ。

「羽は――羽は消えてしまいましたの。わたくしたちの目の前で、空気に溶けるように」



 わたくしたち――と、シビルは言った。


 事前にアシュレから聞いた話では、「部屋に残っていた赤い羽」なる残留品を目にしたのはシビルと、その悲鳴を聞きつけて真っ先に駆けつけた妹のエセルの二人だけなのだという。


 その話を聞いたときから、エレンは微かに疑っていた。



 この事件は、何としても結婚したくない姉と彼女に協力する妹による自作自演なのかもしれない。

 そうなると、魔術は全く何の関係もない。

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