第三章 二つの残留品 2
エレンの契約魔である火蜥蜴のサラはいつでも女性陣に受けがよい。
「まあぁー―」
真っ先に甘く細い感嘆の声を漏らしたのはヴェールを被ったシビルだった。
「ずいぶん可愛らしいのね!」と、エセルも讃嘆する。
老アルマは無言だったが、片眼鏡の向こうのグリーンの目が明らかに見開かれていた。
「紹介いたします。わたくしの契約魔の火蜥蜴のサラですわ。――サラ、こちらはローレル荘の奥様と御令嬢がた。今回の依頼人よ」
「然様か」と、火蜥蜴は見た目にそぐわない渋い男声で答え、揚羽蝶の翅ほどの小さな皮翼をパタパタさせて、定位置であるエレンの右肩に留まりながら、首をクイっとまげてあいさつした。「お初にお目にかかる、ローレル荘のご婦人がた。エレンが世話になる」
「あらいいえ、こちらこそ」と、シビルが子犬相手みたいな口調で答え、もっとよく見ようと思ったのか、ようやくにヴェールを外した。
顎の尖った色白の卵型の顔とくっきりと赤い唇。
黒い大きな目をした繊細な顔立ちをしている。
その顔はエレンの覚えている十八の少女のころと殆ど変わって見えなかった。
「してエレン、儂に何用じゃ?」
「ああ、忘れるところだった。あちらの部屋のシャンデリアの蝋燭に火を灯して欲しいの」
「お安い御用じゃ」
火蜥蜴は答えるなり、パタパタと皮翼を動かして玄関広間へと飛んでいった。
「うわあ!」と、シャンデリアの下で待機しているメイドのアンヌマリーが愕きの声をあげる。次の瞬間、小さな火蜥蜴の口から黄金色の焔の塊が吐かれ、シャンデリアを包み込んだかと思うと、次の瞬間にはすべての蝋燭に焔が灯っていた。
「どうじゃエレン、こんなところで」
「ありがとうサラ。助かったわ」
「なんの。いつでも呼べ」
火蜥蜴はエレンの掌を介してどこかへと消えていった。
しかし、勿論、玄関広間のシャンデリアの焔は依然として燈ったままだ。
明るい九月の真昼に上等の蜜蝋燭をともしっぱなしにしておくのは不経済だろう。
エレンは焔に目をやると、魔力を籠めた声で命じた。
「滅えなさい」
途端、すべての焔がエレンの魔力の特色である淡金色の光を帯びたかと思うと、揺らめきもせずに一瞬で消えた。
「うわあーー」
シャンデリアの下のメイドがまたしても声を漏らす。
エセルとシビルも瞬きを繰り返している。
老アルマは必死に驚きの表情を押し隠そうとしているようだ。
エレンは内心でほくそ笑んだ。
「いかがです大奥様、魔術師としてのわたくしの技量は」
エレンが尋ねると、老アルマは悔しそうにムウっと唸ったが、じきに諦めたように短く頷いた。
「大変結構。それならあなたの捜査のために六月の事件の話をしてあげてもいいでしょう」
「ありがとうございます。では、まず、第一の当事者であるミス・リヴィングストンからお話を聞かせてください。どこか聞き取りに使えるお部屋があります?」
「え、みなばらばらに話を聞くの?」と、エセルがぎょっとしたように訊ねてくる。
エレンは眉をあげた。
「捜査の基本ですわお嬢様」
「――嫌味な言い方だね! まるで自分だけは一角の男だと思っているみたいだ」と、老アルマが小声で毒づく。エレンは聞こえないふりをしたものの、心の片隅がチリッと痛むのを感じた。
――そんなつもりで言ったんじゃないわ、勿論。だけど、ここのご婦人方はあんまりにも物を知らなそうなんだもの!
「シビル、一人で大丈夫? もし話すのが辛いなら――」
と、エセルが姉の顔を覗き込むようにして尋ねる。
シビルはしばらく細い眉根に縦皴を刻んで俯いていたが、じきに意を決したように顔をあげ、ヴェールを外したまま、まっすぐにエレンを見あげてきた。
「大丈夫よ。お話するわ。――お久しぶりですミス・エレン。聞き取りには、どうかわたくしの絵画室をお使いになって」
幾度も瞬きをしながら言い、ひどく不安そうな顔で祖母に訊ねる。「お祖母さま、それでよろしい?」
「お前がそれでいいなら好きにしなさい」と、老アルマはそっけなく答えた。「その前にお茶を飲んでいきなさい。エセル!」
「はいお祖母さま」と、エセルがすぐさま答えて再びマントルピースの鐘を鳴らす。すると今度はぽっちゃり肥った中年のメイドが現れた。
「ルイーズ、お茶の支度を。アンヌマリー、あなたはもう戻っていいわ」
「はいミス・エセル!」
玄関広間のメイドが一声応えて二階へ上がっていく。
小太りのメイドのルイーズが運んできた茶菓のなかには、甘いバニラの匂いのする真っ白なブランマンジェがあった。
エレンは背の高いメイドのアンヌマリーが魔術的な目晦ましを使っている可能性は低いと確信した。あのバニラの匂いはこのお菓子の匂いだったのだろう。
給仕のルイーズの身長は五フィート一インチそこそこ。彼女からもバニラと石鹸の匂いしかしない。
厩番のサム。
メイドのアンヌマリーとルイーズ。
この三人が《目晦ましの魔術》を使っている可能性は限りなく低い――と、エレンは結論付けた。